志帆、おべんとうばこと格闘する。
かきかけ。
おなかを空かせた志帆は、茶川の奇跡的な可能性にかけて、尋常小学校二年生用唱歌「浦島太郎」を歌いながら、からっぽだったはずのお弁当箱を開けた。
ごまは増えていなかった。蓋を閉じた。
まどみちおの「ふしぎなポケット」に切り替えて歌いなおすと、いざ尋常に勝負といわんばかりに蓋をぱかりと開いた。志帆は勝負に敗れた。
食べ残しの、じゃがいもの紫のところが入っていた。志帆は知っている。紫は苦いのだ、芽になるので毒なのだ。
しかもほうれん草まで、根っことつながる束になるところが入ってた。
かじった志帆は知っている。だって志帆は成長期なのだ。おなかがすくのだ。
これは生茹でか茹でてないかのどちらかだった。
きっとゴミが間違って混ざってしまったのだ、かなしい。
「お母さーん」
荒んでしまった志帆は、しほはとりあえず用のない紫のところをその辺に投げた。
志帆はにょきにょきとほうれん草が生えて花が咲いて実が落ちて増えていく姿を見た。目にしてしまった。
目をぱちぱちしている間に、にょきにょきしたのだ。
志帆はあわててほうれん草を回収した。これでは二の舞である。
「おおきなかぶ」から「おもちゃのチャチャチャ」を歌いつなげながら、着々と育ったひ孫世代ベビーリーフまで十徳ナイフで次から次へと根こそぎ抜いてみせた。同じ作曲家のメドレーが「さざえさん」に切り替わるころ、志帆はようやく達成感に満たされた。ありがとう越部信義氏。
次は「みなしごハッチ」を歌うからねと誓いながら、生のほうれん草を底なしのお弁当箱にしまい終えた志帆はなんだか変だとぞわぞわした。
振り返れば、さっきまでなかった気がする、見知らぬ葉っぱと紫のお花が、遠く向こうまで一本線を描いて、そこかしこで花咲いているのである。
手遅れだった。
これはランナーで、だとすると地中には丸いものが実ってしまうはずだった。
志帆は恐々とその時を待った。
ところがである。今度はたくさんの地点から縦横無尽にまたランナーが伸びてしまったのだ。完全に手遅れである。志帆はじゃがいも争奪戦にやぶれ、またしても出芽を許してしまったのだ。
志帆は焦って分岐点でランナーを持ち上げた。確かに芋は多少収穫できたものの、茎は千切れただけで、続いた先には何の影響もなかった。
じゃがいもはどこまでもどこまでもたくましく伸びていった。
これが遠い後の世まで続く食糧難の救世主、周辺の村々にぞわぞわと現れ救援したと語られるぞわぞわの実の誕生秘話であった。




