★ nandaḥ
(ヤナーカーの兄視点)
先ほどから妹の泣き声が響いていた。
強い魔力に感応して、見えざる霊がどうにかしろと喚き、鳴り響くのだ。
どうにもしようがない。
妹とは歳が離れていた。つまり妹は母から与えられた魔力の器が大きいのだ。そして次代を生むことを国から強く期待されている。
妹にとってこれから出産までの日々は地獄に等しいだろう。魔法と木登りが好きなお転婆な妹が、人目に触れないよう屋敷の奥深くに閉じこもり、これまでは息をするように使っていた魔法すら禁止されるのだから。
ペン先をインクにしまい、立ち上がった。水呑からいくらかハーブ水を飲むと、読んでいた経済レポートを小脇に抱え妹の部屋に向かった。これくらいの勉学なら罪にあたるまい。
「リープラスヤ」
部屋というのは主の支配下にある空間と見做される。泣き声があれだけ魔力と感応していれば、伺いも神を通じて魔力に問わなければ惨事になるだろう。
身分が高き者こそ、この国では言葉少なに物を語る。特に名は神聖なもので、言葉の力を持つものだ。付随する言葉を極力廃すことで、言葉に力を込めるのだ。その分単語は格変化することで多様な意味を持つことになった。属格(〜asya)で入室のゆるしを請うた。
「ヤナーケ」
か細く枯れた処格(e)の応えに苦笑した。
「リープラお兄さま」
扉の先の妹を見て目を見張った。昨日までとは違う煽情的な夜着を身につけている。
幼いときは、昼は短く夜は長くと、着丈は変化する。
ティーンにあがると、昼間は長く夜は短くとまた着丈のルールは変わるのだ。
それでも、結婚後に着るものよりは生地が厚いと聞く。
それでも、妹の夜着は谷間が大きく割れた上に、胸の大部分はレースで透けて形が露わになっていた。胸を持ち上げるような形でリボンが通され、脇で結ぶようになっていた。その脇から下はスリットになっており、どうやら両脇のリボンを解けば夜着が脱げてしまうような仕様になっていた。丈も少し屈めば見えてしまうほどに短いところから薄いレースが申し訳程度に続いていた。太ももとの境目はもちろん、脇腹までもさらけ出すスリップは子供時代を終えたばかりの妹にとって、あまりにも頼りなかった。
「泣くのはおよし。そんなに泣いては魔力も不安定になってしまうよ」
突然の変化にしては大きすぎる。この家にはヤナーカーに悪意を持つ人間がいる。しかもそれは部屋付きが逆らえない立場にだ。
できるだけ自然な動作でローブを着せかけると、妹がその両端をぎゅっとつかんだ。
「それは困るわね」
「怒っても泣いてもいけないんだ。今度道化師でも呼ぶかい? 笑うと染み込みやすくなる。おまえはこれまで魔力に苦労したことがないから逆に難しいね」
「本当よ」
ずいぶん落ち込んでいるようだった。
締めつけだって相当にきついに違いない。こういう大人になっていく儀礼は緩やかな変化にするのが常道ではなかったのか。
普段どれだけ魔法を使っていたのか、泣き喚いて魔力を受け入れられなくしていたのに、すでに妹の髪は色づきはじめている。
「お転婆娘さん。それではいいことを教えてあげよう」
「いいこと?」
「遊具室を憶えてる?」
「ええ、小さいときによく遊んだわ」
「魔力の循環器、あれ子供用だから動力と使用者が別なんだ」
「まあ」
「循環するだけだけど、少しは気が紛れそうじゃないかい?」
「まあまあ」
「幸いにも動力になれる人間が君の眼の前にいるね」
「お兄さま」
「そしてそれが終わったら、この物価指標作成を手伝ってくれるかい?」
「もちろんよ。リープラお兄さまだいすきよ」