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ほんのひと匙  作者: 遠津汐|和田貫
踊りつかれた少女 ≪プロローグのみ≫
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踊りつかれた少女

―――― 前世の記憶があるひとはほんの一握りだって、そんなことあなただって本当は信じていないのでしょう?


 

 前世の記憶なんて、誰にだってあると思う。


 きっとみんな口にしないだけで、誰だって少しは持っているものでしょう?

 もしくは前世の記憶を持っていた、幼いころの自分を覚えているでしょう?


 絶対に持っていないと言いきれるほうが、本当は変わっているのだと思う。

 変わっていると、烙印を押されたくなくて言わないだけじゃないのかな。

 憶えていないというなら、それは生きていくために運よく上書きできただけ。


 幸せな過去が、苦しい今を耐えきれないものとしないように。

 痛ましい過去が今を追いつめないように。


 ほんのかすかな予感があなたを不穏にするたびに、あなたは前世の記憶に蓋をしていった。

 揺り戻しがないようにと、しっかりと蓋をしめた。


 きっとほとんどのひとは、どこか蓋をうまくしめられないまま大きくなっている。

 だけど誰も口にしない。

 ただそれだけのことだ。



 だから、前世の記憶が消えてくれなかったことは、大きくなってからは、誰にも伝えていない。



 特権階級に生まれていた。

 女の社交場を渡り切ることだけを求められ、足早に過ぎ去る流行を追っていた。


 夢に見るたびに、喉が、胸が灼ける息苦しさで目を覚ます。



 ドレスの模様に、織りひとつ。

 数ミリの丈の差異にすら、気を使う日々だった。

 だから私は今でも、裾から伸びる糸が不良品ではないと言われてしまうことが信じられない。

 どうしてそんな粗悪な検品が許されるのだろう。

 なぜ端の始末がこんなに適当でも、社会的にゆるされるのだろう。

 そんな粗悪なものが世に出回ってしまえるのだろう。


 旬の話題から、一日の遅れを取るまいとしていた。

 情報収集に努めなければ、ただ一度の遅れをとることは許されない。

 さもなくば、もうあのひとは流行遅れの田舎者だと、烙印を押されてしまう。


 今だってそうやってテレビの芸能人に目を向けるとき、配信動画を見るとき、気がつけばその流行を追ってしまう自分に自己嫌悪をする。

 もう忘れてしまいたいのに。

 焦燥感だけが追ってくる。



 流行遅れの不名誉は、婚期にすら直結したのだ。


 男が求めるのは、単純な要素だ。

 それは、最先端を捌いてゆく手腕。

 横に置いて恥ずかしい思いをしないような女が、正妻なのだ。


 恋のお相手なら貴族でなくてもよいのだ。

 庶民でも妾にはなれるのだから。


 でもそれなりの家の娘が妾になるのはむずかしい。

 それだけで、長らく実家には消せない醜聞が付きまとうのだから。


 たった一度の不名誉は、あまりにも重い。

 そして挽回は極めて困難だ。


 だから妻になっても、そのさき長い月日を、それこそ一分の隙もなく、流行のきざはしを捉え続けなければならない。不名誉を挽回しようとするならば、追うだけではなく幾度も先導し続けなければならない。

 さもなくば、一度ささやかれた汚名を灌ぐなど、まして挽回するなどできないのだから。


 ただでさえ、時流に乗るだけでは話は終わらないのだ。

 旬の話題をつかんだ上で、更に己に有利な流行を乗せなければならない。

 そしてその程度では維持しかできない。


 より高みに食い込もうと思うのであれば、さらには、同じ派閥に属する周りの者たちにとって有利な流行の演出も必要なのだ。

 さりげなく、さりとて一辺倒にならぬようバランスよく乗せていかなければならない。


 内輪での流行で終わってもよいものなら、それは容易だけれど、妻には派閥を大きくすることが求められた。

 だからこそ、自分の領地のもの。

 家族が支持する派閥のそれぞれの領地のもの。

 派閥のなかでも羨むように仕向けなければならない。


 日和見がちな方々には喜んで受け入れられるようにしなければならない。

 決して、押しつけがましくならないようにしなければならない。


 強引ではなく。

 希われるように。

 うまく流行に取り入れられるよう。

 飽きられてしまうよりは、いつだって物足りない程度に。

 次々と流行を運んでいかなければならない。


 それだけの社交の場での労苦を、女がひとりで捌けるだけでも、男はどれだけ余力を他に注げるだろう。

 そしてその場でさり気なく妻が助け舟を出すことで、どれだけの貸しを作り出し、夫の世界においても、どれだけの優位性を保てることだろう。


 癒しなどは、正妻ではない女を側に置いて、求めればいいのだ。

 正妻はいわゆるビジネスパートナーなのだ。


 どんなに優れた男であろうと、癒しを求めた女を正妻にして表の場に出せば、その時点で失墜したも同然だ。


 かからない費用のかわりに、妻はまもなく湯水のように借りを作ってくるだろう。

 借りを受け入れなければ、妻が誰の助けも得られずに、社交の場で際限なく陥れられることになる。

 当然のことながら、妻が重ねた借りのために頭をあげられない家ができ、庇護下にあるもの、権勢として下につくものとして認識される。

 結局は、その程度のものしか正妻にできない己も、また内外に侮られる。


 やがて愛する妻からは微笑みが失われるだろう。

 女たちのおしゃべりという社交から、妻が手に入れられなかった情勢ゆえに、思わぬときに後手を取るだろう。


 愛する妻のために、情報不足に陥る。

 妻を守るために、女性独特の情報を得るために、貸しを作る。

 そうして、足を取られ、失墜し続けていくのだ。


 そのことは、数えきれないほど歴史が、すでに証明を済ませている。

 よほど貸しをばらまける能力者でもない限り、お飾りの妻は持てない。


 だからこそ特権階級の家の名誉のいくらかは、いかに他家に優れた正妻を多く排出できるかにかかってくる。

 或いはいかに自家よりも身分の高く上の覚えのめでたい家に、多く排出できるかによって、盛衰がかかってくるのだ。


 

 そうして、中堅どころの家を背負った。

 最初は褒められて、嬉しかっただけだった。

 やがては、息をつく暇もないほどに周りに目を走らせた。


 服飾。

 食。

 名産品。

 土地柄。

 芸能。

 風習。

 言葉。


 必要な移ろいゆく情勢を、ひたすら把握し続ける。


 まるで、永遠に巻き続ける渦に呑み込まれたようだった。

 ここは恐ろしい場所だと気づいたときには手遅れだった。

 己の心を守るためにここから出ようと足掻こうとした。


 そのたびに、渦の外を取り囲む父に放り込まれた。兄に放り込まれた。

 幼い砌に褒めたまま青田買いされた婚約者の父親に、それが役目だと放り込まれた。

 連れ歩く婚約者自身の手で、渦中へと放り込まれる。



 渦のなかでほほえみながらも踊りつかれて。

 何もかもが頭を通り過ぎるだけになってしまったのは、いつだったのか。



 父が背負うことになった罪が、謀略戦の末に敗れたゆえかどうかなど、どうでもよかった。


 同じ一派に属するはずの婚約者の家が、なぜかそれを逃れながら、己の助命を願ったらしいことも、どうでもよかった。あえて言うならば、上手うわてだったということ。

 情報の力をより信じていただけのこと。


 助命嘆願も叶わず、一族郎党が処刑されると聞いても、どうでもよかった。

 愚かな父親のせいでこのような優秀なものまで失うことは無念だと、わざわざ王位継承者が牢を訪れようと、もうどうでもよかった。


 牢のなかですら毅然と振る舞いながら、内心では喜んでさえいた。

 やっと渦中の外に出られるのだと思えばうれしかった。赦しのようにすら感じていた。

 ただただ踊りつかれていたのだ。


 断頭台ではなく眠るように逝けるという薬を与えられたことだって、おそらくは温情ではなく、政略だった。

 断頭台に立てば、私はきっと美しく名誉ある最期を踊っただろうから。


 人心に新しい芽を植えつけられてはかなわないと、思わせたのだろうから。


 のどが灼けつく辛い薬を煽りながら固く誓った。


 ええ、私はもうそんな愚かなことはしない。

 惜しまれなくてもいいから、穏やかに生きたい。

 私は、もう決して踊りはじめない。


 誰かが薬を差し替えたのか。それとも優しい嘘だったのか。

 そのあとののたうつ苦しみの時間の恐怖が、今でもそれを後押しする。



 ねえ、前世の記憶なんて、誰にだってあるのでしょう?


 きっとみんな口にしないだけで、誰だって持っているに決まっている。

 今生まれた場所が幸せであるほど、話せなくなるだけなのだ。

 あまりにもつらいから、忘れてしまいたくなるのかもしれない。


 だからいま、私は生まれ変わった踊らない日々を、誰よりも謳歌している。


 ねえ、あなたには怖いものはない?

 私は流行を追うのが怖い。

 液体の風邪薬も怖い。

 炭酸も、あののどを滑り落ちてのたうった苦さに似ているからのどを通らない。

 胃液が逆流するたびに血の味がやってくる恐怖に息もできなくなる。

 檻のような暗さも、体を清潔にできないあの汚さも。

 監視の視線も、羨望の視線も。

 今でも、すべてが怖いまま。


 あなたの怖いものはなにかしら。

 本当は私と同じで知らないふりをしているだけではなくて? 

 食わず嫌いは前世の嫌な思い出ではなくて?



 ゆとりのある生活を送ってみたかったのだ。

 一つの事柄の成り立ちからゆっくりじっくり丁寧に掘り下げて、ひとつひとつのことに向き合って生きてみたかった。

 男性のような勉強をしてみたかった。

 ただ消費し続けるのではなく、他の女性のように自分に似合うものを己の手で作り出す方法を学ぶ時間がほしかった。

 兄が乗っていた馬の鞍のように、一つのものに愛着を持ち、長く使いこんでみたかった。

 髪が風に靡くほどの早駆けをしてみたかった。

 恋をしてみたかった。

 愛情を込めた瞳を向けられたかった。


 日々鮮明になり続ける前世の記憶を追体験するたびに、生まれ変わった先の世でわたしは誓いなおす。

 踊らない日々を、世界中の誰よりも謳歌するために。


 前世の記憶なんて、誰にだって悟らせてなるものかと思いながら、みんな今日を生きているのだろうから。


 

 

▼ あとがき


 よくなろうの感想欄などで目にする言葉がありました。


「いつになったら転生を明かすのですか?」


 あたかもそれを語らなければ、物語がおしまいにならないかのように指摘する文を見かけたのは、一度や二度のことではありません。


―――― あなたは友人や恋人から前世を明かされたことありますか?


 明かされたことがなければ、それこそが答えなのだと思います。

 誰にとっても言えない過去のひとつやふたつくらい、あるのではないでしょうか。

 後ろめたいことであろうと、つらいことであろうと、それは信頼云々ではなく相手のために明かすべきことではないからです。


 だって、あなただって思っているのではなくて?

 前世の記憶があるひとはほんの一握りだって、そんなことあなただって本当は信じていないでしょう?


 

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