ある訳ないよな、奇跡なんて
翌日、体育祭当日。
吐き気がするほどの快晴。
晴れは好きじゃない。寧ろ嫌いだ。
暑いし、眩しいし、汗もかくしいい事がひとつもない。やっぱり曇天が一番だ。目に優しいし、少し涼しい。それに僕に一番マッチしている気がする。
軽くランニングし、シャワーを浴びてバカと書かれていないか鏡をチェックしてから家を出る。少し寄り道をして病院の前まで来た。
彼女はこの時間にはもう起きているのだろうけれど、張り切っていると思われたら嫌なので結局引き返して学校へ向かう。
「よ!色取!体育祭楽しみだなあ!」
ただでさえ声の大きい日吉がいつもに増して大きい声で話しかける。
「声が大きいよ…」
クラス中の視線が集まり朝からいたたまれない気分になった。
「よぉし!みんな!今日は先生気合を入れて全身真っ白で来たからな!白組〜勝つぞお!」
「「おー!」」
先生の合図に合わせ拳を振り上げる一同。
白って汚れが目立つから嫌なんだよなあ…なんてネガティブな事を考える僕をよそにクラスはわいわい盛り上がる。
「優勝したら全員にジュースを奢ってやろう!」
先生がついにそんなことを言い出した。
クラス全員で38人、1本120円くらいだから4500円くらい?ひょえー、1週間は食べていける。
先生途中から他の色に寝返りそうだけれど大丈夫だろうか。
僕ならきっとこう言って誤魔化す。
"先生日焼けで真っ黒になって、ついでに心も黒くなったから優勝したけどジュースは無しです!"
「先生〜、ぜってえ優勝するから先にジュースくれよ〜、皆で乾杯しよーぜ」
誰だろうこんな図々しい事を言う奴は…
お前か、日吉。
そうだそうだ!とクラスメイト。
「ま、いっか!よし!皆で乾杯だ!」
しばらく悩んでから、そう言って先生は机の下からコーラのダンボールを取り出しみんなに配る。
「このコーラが白くなるくらい頑張ろうな!」
無理がありますよ、先生。
カルピスとかじゃダメだったのだろうか…
というか、優勝できずに終わってらなんと言って配るつもりだったのだろう。そんな取るに足らない疑問を僕はコーラとともに流し込んだ。
僕達の学校は赤、青、黄、白の4色に別れ縄跳びや玉転がしで得点を稼ぐと言ったまあ標準的な体育祭だ。
競技の中で最も得点が大きいのが最終種目の色別リレーで1年2年3年から各クラス男女2名の選抜される。
不幸な事に僕が選ばれてしまい、彼女はそこで一位を取れと言ったのだ。
滞りなく競技が進み、遂に最終種目。
色別リレーが始まった。
僕は柄にも無く緊張し、解けてもいない靴紐を3度も固く結び直した。応援席から聞こえる歓声が僕の鼓動をさらに早める。
大丈夫大丈夫、前の人が1位で帰ってきたらそのまま繋いで白組の逆転優勝だ。
ポケットのお守りを握り締める。
よし何とかなる。と思っていたけれど、そうも行かないようで前走者の女の子がバトンを落とし2位から3位に転落、走ってきた女の子が
「ごめん!」
と泣きそうになりながら言うものなので僕は反射的に
「後は任せろ!」
なんて、またまた柄にも無いことを言ってしまった。
思っていた以上に僕は足が早いみたいで直線で1人抜かし、最終コーナーで1位の人に追いついた。
追い付いたには追い付いたのだけれど抜かせなかった。更には3位の人に追い抜かれた。
そう、僕はこの局面で盛大に転んだのだ。大転倒。
結局逆転は叶わずリレーは3位。
体育祭は僅差で赤組が一位、白組が二位となった。
誰も口にこそしなかったけれど僕の転倒が勝敗を分けた事は明らかだった。
やっぱり努力なんてするもんじゃなかったな…
多分いつもの僕なら二位を二位のまま繋いで、僕じゃない誰かが抜かしてヒーローになるのを眺めていたんだろうな。体育祭ではいつも誰かがヒーローになるけれどその誰かは僕じゃない。
先生の"負けたけどよく頑張った"だの"気持ちを切り替えよう"だの長い話が終わり何とも気まずい空気のまま僕は帰る準備をした。何か日吉が何か慰めてくれていたような気がするが覚えていない。
「あ、あの色取くん」
聞きなれない女の子の声で僕の名が呼ばれた。
ふと顔を上げるとさっき見た あの泣きそうな女の子だった。近くで見ると可愛い。
「膝怪我してるから手当するね」
ふと自分の膝を見ると大転倒の時に擦りむいたらしくそこそこ血が出ていた。
その子は屈みこみ僕の膝を手際よく消毒して、あろう事か自身のハンカチを巻いてくれた。
ええ?ハンカチ巻いちゃうの?
と口に出す訳にもいかずオドオドしていると女の子がまた口を開く。
「今日はありがとね、結局負けちゃったけどあの時本当に嬉しかった。それじゃまた明日ね」
そう言って去っていった。
妙に張り切っていた自分が馬鹿みたいで、もう帰って眠りたい気分だったけれど100日は通わないといけないので僕は病院に足を運ぶ。
ドロドロの体操服でしかもあちこち擦りむいた状態で入ったもんだから僕が診察に来たのかと間違えられた。
「お!おつかれーってドロドロじゃん!」
「英雄の勲章だよ」
皮肉混じりにそう答えた。彼女は擦りむいた傷を見咎めたのか
「もしかして大コケしたの?」
と聞いた。
「もしかしなくても大コケだよ」
「雫らしいっちゃらしいなー」
「へいへい、僕は努力が似合いませんよ」
「もー、そういう意味で言ったんじゃないって分かってるでしょ」
「とにかく、ごめん」
僕は謝った。約束を守れなかった。
お守りまで作ってくれたけれど勝てなかった。
「雫、私が今どんな気持ちが分かる?」
「激怒、憤慨、呆れのどれか」
三つ目の選択肢でないことを祈る。
「ふっぶー大ハズレ。私は今凄く嬉しいんだよ。ちゃんと約束を守ろうと苦手な努力をしてくれたことも、お守りも持って走ってくれた事も」
なんでそれを?と思いポケットを見ると彼女に貰ったお守りの青い紐が垂れていた。
僕は慌てて隠す、まあ手遅れだけれど。
彼女はそれを見て本当に嬉しそうに微笑んだ。
「ねえ、そのハンカチは自分で巻いたの?」
彼女が僕の膝を指さして言う。
「なんでハンカチなのかよく分かんないけど、知らない人に手当してもらった」
「もー、雫それ本気で言ってるの?こういうのは洗って返してそこから恋が芽ばえるのが普通なんだよ?」
ええー、洗って返すのはともかくそんな事から恋が芽生えるなんて僕はどれだけチョロい男なんだよ…
「あ、名前聞いてないや」
"ちっちっち"彼女が人差し指を立てる。
その仕草に少し腹が立ったが何とか抑え込む。
「ハンカチに名前が書いてあるはず。流れ的にね」
「そんなラブコメみたいな展開が……ある!書いてある」
ふふんと鼻を鳴らす彼女。
「石原帆布…あ、これメーカーの名前だった。やっぱり書いてないよ」
「ええっ!?ホントに?」
彼女は勢いよく布団から飛び出してきてチェックするがやはり名前は書いていなかった。
「まあでも顔は何となく覚えてるし返せると思う」
「ほんとに?雫全然人の顔見て話さないじゃん」
ぎくっ。でも格好つけてバトンを受け取る時、顔バッチリ見たからな…
「確かにそうだけど全く見ないって訳じゃないよ」
「雫、私と話していても目が合ったら光速で避けるじゃん」
「まあそうだけど…」
人と目が合うのは昔から苦手だ。
何故かと聞かれるとハッキリとは答えられないけれど、どこかに後ろめたい事や隠したいことがあるのかも知れない。普通は人の目を見ながら話すものなのだろうか?
「ま、顔覚えてるって言うなら忘れちゃわないように刻み込まないとね」
頭に浮かぶのはあの泣きそうな顔だけだ。
あの申し訳なさと情けなさの入り交じったような何とも言えない表情。何だか想像することすら申し訳なくなってくる。
「血が付いちゃってるし新しいのを買った方がいいかな?」
「でもそれお気に入りのハンカチかもよ?」
「お気に入りのハンカチなら僕なんかの膝に巻いたりしないんじゃない?」
何故か彼女はニヤリと笑う。
「いいからいいから、ちゃんと洗って返してあげな」
そう言われると僕はもう頷くしか無かった。
翌日、僕はその子を探すのにほとんど苦労しなかった。というのもその子は僕のクラスメイトだったからだ。
「昨日はどうもありがとう」
「覚えててくれたんだ!ありがとう」
ちくりと胸が痛む。
僕は昨日までクラスメイトの名前はおろか顔さえも覚えていなかったのだから。
"覚えててくれたんだ"と言われた手前"名前は?"と聞ける訳もなく、授業中に"徒花さん"と呼ばれているのを聞きようやく思い出した。
2学期が始まってから転校してきて、それからあまり学校に来ていなかった人だ。
たしか名前は彼岸、徒花 彼岸。




