優しい詐欺師
目が覚めた頃には、さっき半分以上顔を出していたはず太陽が小指の爪ほどしか見えなくなっていた。
太陽もたまには起床時間を間違えたりするのかなあ、なんて寝ぼけた頭で考える。
数分、消えゆく太陽を見つめ、それがようやく西日である事と自分が数時間眠っていたことに気がついた。
晩御飯を作ろうと思ったが、何も無い。
仕方なくカップ麺を買いに出掛けることにした。
この時期の夕日は毎年綺麗で、今日だって例外なく綺麗なはずなのだけれど、今日ばかりは夕焼け空に見とれる心と時間の余裕がなかった。
急ぎ足でコンビニへ向かう。
キイ、とブランコの揺れる音が聞こえて何気なく、本当に何気なく視線を向けた先に、とどめちゃんが居た。
反射的に僕はとどめちゃんの所まで走った。
「おや、雫さん…一日ぶりですね」
そう言って とどめちゃんは笑ったけれど、目元は涙で腫れていた。
「とどめちゃん、もう暗くなるから家まで送るよ」
「とが姉が死んじゃったんです」
「……」
情けない事に僕は、高校生にもなってかける言葉のひとつも見つけられない。
でも何かを言ったところで、その言葉は薄っぺらく、ヒラヒラと宙を舞うだけだろうけれど。
「何で死んじゃったのか誰も教えてくれません。大人は皆嘘つきです。」
「うん、確かに大人は嘘つきだ。けど嘘にもいい嘘と悪い嘘があるんだ」
「いい嘘?」
とどめちゃんは首を傾げる。
「嘘が人を守ることだってあるんだ。きっとその時、その嘘は真実よりも優しくて暖かいんだ」
「暖かい嘘…」
「もう暗くなったから帰ろう、家まで送っていくよ」
再び泣き出してしまった とどめちゃんをおぶって僕は家まで送った。うっかり僕まで泣いてしまいそうになったけれど何とか堪える。
とどめちゃんを送り終えた頃には、空はすっかり黒に染まりチラチラと星が光っていた。
晩ご飯は向こうで食べればいいか、と思い僕はそのまま病院へ向かう。
さっきは とどめちゃんにあんな事を言ったけれど、いつかとどめちゃんが本当にとがめさんの事を知りたいと思い、僕に聞いてきたらその時は嘘はつかないでおこうと嘘つきな自分に誓った。
病室のドアを開ける。
いつもならこのタイミングで"雫今日は早いねー"とか、"遅い!"とか何時だろうと言われるのに今日は何も無かった。部屋に入り、すよすよと眠る彼女を見てその理由が分かった。
ベッドの傍の椅子に腰掛け、窓から月を眺める。
半分に割れた月が申し訳なさそうに雲の隙間から顔を覗かせている。
「もしかしたらさ、僕にも生きる理由が見つかったかもしれない…」
そんな月を見ながら、誰にともなく呟いた。
「是非ともお聞かせ願いたいなあ」
ゾワッとするくらいの耳元でそう聞こえた。
彼女の口と僕の耳が当たるんじゃないかってくらいの距離。
「いっ!?いつから起きてたの!」
「雫が月を見上げて"おお、月よなんて美しい…このまま僕を宇宙の果てまで連れて行っておくれ"って言った辺りから」
「言ってない」
僕のキャラブレブレじゃないか…
「それで何だったの?生きる理由」
「い、いやそれは言えない」
自分で呟いておいて、口に出した事を後悔した。
昔の偉い人が大事な思いは話す(放す)なって言っていたような気もする。
「えー、約束したじゃんー」
「どうしてもって言うなら僕に降参と言わ…いでででで!!」
僕が話している途中で"えいっ!"と彼女が僕の頬を抓った。ピーナッツが砕けるくらいの握力で。
「せめて最後まで言わせろよ!」
魔の手を振り払い僕は叫んだ。
叫んでから、そこじゃないと思った。
「それじゃ私が当てるってのはどう?」
「一発で当てられそうだから却下」
「ええー」
いつもなら、ここからさらにヒートアップして僕のライフがガンガン削られ始めるのだけれど、今回ばかりは彼女もこれ以上聞いてこなかった。
多分、寝起きだからだろう。
「それより散歩行かないの?」
と僕が聞くと彼女はやけに嬉しそうに微笑んだ。
「おー!覚えててくれだんだ!私てっきり忘れられてるとばかり…」
「僕はおじいさんか!?」
「だって雫、昔の事なんて覚えてないでしょ?」
昔…一体彼女はいつを指して昔と言っているのだろう。
瞬間、今朝とよく似た"何かを忘れている"感に襲われた。
「昔の事は、あんまり記憶にない…」
「そっか…」
そう答えると彼女は少しだけ切なそうな表情を浮かべるのだった。
散歩とはいえ時間は限定されている。
当たり前なのだけれど、夜に出かけることは余り良しとされていない。さらに病院で病気で入院とあらば尚更だ。
1時間以内、これが散歩を許される時間だった。
だから精々病院の中庭をうろつくのが限界だ、
散歩ガチ勢の僕に言わせれば、最低2時間は歩くイメージがあるのだけれど、どこかに定義とかあるのだろうか…
「雫と二人で散歩なんて多分はじめてだよね?」
「うん、僕は散歩は一人でするものだと思ってたからね。二人でって言うと何だか…」
「何だか?」
しまった。余計な事を言ってしまった。
「ふ、二人だと散歩と言うより競歩かな」
「別に競って無いじゃん」
おっしゃる通りでございます。
彼女の前で"デートみたい"なんて言ったものなら、恐らく死ぬまで笑いものにされる。それだけはどうしても避けなくてはならなかった。
「あ、今日は半月だね。あれって上弦?下弦?」
彼女は月を見上げて言った。
「下弦だよ、というかこの前満月だったじゃん」
「そんなの覚えてないよー。上弦か、下弦は2分の1の確率で当たるからちゃんと覚えてない!」
何故か胸を張って彼女はそう言った。
ちゃんと覚えたら100%で当てれるのに…
「月って昔からずっと変わらないって言うけど、私は違うと思うんだ」
「昔は三角だったとか?」
「そうじゃないよー、私は毎日月を見てるんだけど今までと違って見えるんだ。月だけじゃない、街の景色も、人も、全部が違って見えるんだ」
僕も月を見上げてみたけれど、そこに浮かんでいるのは、やはり何とも情けのない半月だった。
「僕にはいつもと同じ月にしか見えないや…」
「そうだよね…ずっと見ているものは同じはずなのに、私ってばどうしちゃったんだろ」
かすかに震える声に思わず振り向くと、涙を流している彼女と目が合った。
僕の生きてきた16年間で泣いている彼女は記憶にない。それだけに驚愕した。声も出ない。
「本当に、どうしちゃったんだろうね」
その涙を気にする様子も見せずに、彼女は微笑んだ。
「……」
言葉が、出てこない。
彼女は1歩踏み出して、僕の肩にポンと頭を寄せた。
「きっと私はさ、雫がいると前を向いちゃうんだよ。どれだけ辛いことがあっても、笑って立ち向かえるんだよ。それがいつからか私の生きがいになったんだ」
僕だってその笑顔に何度救われた事か…
「だけどね、私はもう長くは生きれないんだ」
息が止まった。一瞬、目の前が真っ黒になる。
多分僕は心のどこかで感じていた。
けれど考えまいとその事を頭から遠ざけていた事だ。
「だからって訳じゃないけど、最後に一つワガママ言っていいかな」
一呼吸置いて彼女は言った。
「雫、最後に私を殺してはくれないかな?」
92日目の夜の事だった。




