とがめさん
外が暗くなり始め、僕のお腹が減り始めたあたりで作戦は決行された。まあ作戦というには少しおこがましいくらい雑ではあるけれど、緊急連絡的なものが来ないのでどうやら彼女は上手くやったみたいだ。
「色取くん、明日は学校来るよね?」
彼女の服を着て、彼女のベッドに横になっている徒花さんが言った。髪の長さは結んで誤魔化したらしい。
「うーん、明日の体調によるかな」
「今日ひよりが物凄く心配していたけど、もしかして本当に具合が悪かったの?」
「具合が悪いかと言われれば悩ましい所ではあるけれど、どちらかといえば気分が悪かった」
「同じじゃないの?」
「今日の昼間、人が死んでいるのを見たんだ」
ひっ、と徒花さんは少し怯えたような声を出した。
「も、もしかして、忠石高生が飛び込み自殺した現場にいたの?」
「高校生!?しかも忠石って隣町じゃん!」
僕は驚きのあまり少し声を荒げてしまった。
忠石高校は僕達の通う深井高校から一駅の所にある。大抵ここら一帯の中学生は忠石か深井に通うことになるのだが、両校これと言って特色もない。
僕的には忠石の方が賢いイメージだけれど、実際の所どうなのだろう?
ちなみに僕の深井高校受験の決め手となったのは、忠石のキャッチコピー"忠石で正しい高校生活"だ。
そんな事を書かれると深井高校が不正解に聞こえなくもない。当然、僕はひねくれ者なので深井高校を選んだという訳だ。
「同学年ってのもあって、クラスで大騒ぎだったんだよ」
徒花さんはため息混じりにそう言った。
「もしかすると僕達の知り合いかも知れないね」
「想石 とがめって名前らしいけど」
「…!?」
一瞬、息が止まった。
「それは本当なのか!?」
僕が急に身を乗り出して聞いたので、徒花さんはビックリしたように目を見開いた。
「き、聞いた話だから本当かどうかは分からない」
「そりゃそうだよね、ごめん」
僕は椅子に座り直す。
昼間の光景がまた脳裏に浮かぶ。
あの人集りの向こうに、あの視線の先に、あのカメラの奥に、とがめさんがいたのか?
またしてもよく分からない感情が込み上げる。
怒りとか絶望とか悲しみとか、そんな感情をミキサーにかけてドロドロになるまで煮込んだような、そんな感情が吐き気とともに沸々と湧いてくる。
「色取くん大丈夫?」
「ちょっと夜風にあたってくる」
夜風にあたるなんて言っておきながら、僕は朝までベンチで過ごした。何かを考えていた訳でもなくて、ただ呆然と座って空が青く染まっていくのを眺めていた。
遠くで知らない鳥の鳴き声が聞こえる。
"死んだのが、とがめさんじゃなくて、他の誰かならいいのに…"
そんなろくでもないことを考え始めたあたりで、ようやく自分が混乱していることに気が付く。
とがめさんに最後に会ったのはもう1年以上前。
僕が高校に合格した日、とどめさんが家に来た。
とがめさんは僕なんかと比べ物にならないくらい頭が良かったけれど、そんな素振りを微塵も見せない人だった。
「しぃくん、合格おめでと!随分悩んでいたみたいだけど結局、深高にしたんだね」
「忠石でやっていける自信がなかったので…」
「という事は、ひぃちゃんも深高かー」
何が"という事"なのかよく分からないけれど僕は頷く。
「とがめさんは何で忠石にしたのですか?」
「通学時間を測ってみたら忠石の方が3分14秒早いのと、行きたい大学の合格者が忠石の方が多かったからさ」
高校受験前に、大学を決めているとがめさんに驚いた。僕なんて大学に行くかすら決めていないというのに…
「しぃくんはどうして深高にしたの?」
「忠石のキャッチコピーが苦手だったので…」
何ともバカみたいな回答。
けれど、とがめさんは笑わずにうんうんと頷く。
「忠石で正しい高校生活だっけ?あれは確かに私も嫌だね。高校生活に正しいも間違いも無いよ。あるのは× × だけさ」
「えっ?」
よく聞こえなかったので聞き返したけれど、とがめさんは身を翻して"それじゃ、またね"と眩しいくらい完璧な笑顔を残して去って行った。
確か僕はその背を送りながら、忠石に行きゃ良かったかな…なんて思ったのだ。
冷静になって考えてみれば、とがめさんには生きる目標があった。僕みたいな夢も希望もない人間ならいざ知らず、とがめさんの様な真人間が飛び込みなんてするだろうか?
それに、あくまで噂だ。
「雫、なに1人でブツブツ言ってるの?」
「ただの脳内整理だよ、散らかった脳内の片付けを…って何でこんな所に居るんだよ!」
「それはこっちのセリフだよー。私の病室に居るんじゃなかったの?」
「ちょっと夜風にあたろうと思ってさ」
「夜風?もう朝だよ」
「太陽が見えないなら夜だ」
自分で口にしておきながら、だったら僕はずっと夜だな、なんて思ってしまい より一層心が沈む。
「雫は1度弱っちゃうと、とことん弱いよね」
そう言うと彼女はベンチから立ち上がり二、三歩歩いた。
そうかな、なんて言ったけれど、僕は誰よりも知っていた。その度に彼女に助けられた事も。
彼女はくるりと振り返り、少しだけ悲しそうにそして愛おしそうに微笑んだ。
「そんな所も全部ひっくるめてさ」
「大好きだよ、雫」
夜明けの風がふわりと、彼女の肩まで伸びた綺麗な髪を揺らす。
瞬間、僕の心に日が差し込んだ。
あぁ、きっと僕は、
僕はこの瞬間のために生きていたんだ。
途端に彼女が何だか愛おしくて、手放したくないと思った。僕は壊れないように、傷付けないように、そして手放さない為に、優しく彼女を抱きしめる。
何でそんな事したのか自分でも分からなかったけれど、そうしなければ絶対に後悔すると思ったのだ。
いつも僕を守ってくれた彼女が、両手で守ってやらないと消えてしまう蝋燭みたいにひどく弱い存在に感じた。
彼女を失う事を何よりも恐れた。




