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とどめちゃん

死のうと思ったことは何度かある。


ただ、未だに僕が生きながらえているのはそう思った時に死ななかった訳で、死のうと思いながらも心のどこかで生きたいなんて矛盾じみた事を思っていたのかもしれない。単に死ぬ覚悟が無かったのかもしれない。


今日、死んだ人は死ねる理由があったのだろうか。


死ぬ事は簡単だ。なんて言う人がいるけれど、僕はそうは思わない。死ぬ事は難しい。


ありとあらゆる事から逃げている僕だけれど、生きる事からだけは逃げられない。

言葉にしてみれば、ホームから一歩踏み出すだけ、高層ビルの屋上から一歩踏み出すだけ。

たったそれだけなのに、その一歩はとても重くそして、とても遠い。


重い足を引き摺りながら、僕は病院へ向かった。

何故か知らないけれど無性に彼女に会いたくなった。


「おや、雫さん。酷い顔してどうしたんですか?」


不意に声をかけられ僕は靴ばかり見ていた顔を上げる。


「ああ、とどめちゃん。久しぶりだね」


僕を呼んだのは近所の変な小学生、想石(おもいし)とどめちゃんだった。


「2週間ほど前に会ったばかりなので、全然久しぶりませんよ?それより雫さん気分でも悪いのですか?」


「うん?最後に会ったのは半年ほど前じゃ無かったっけ?」


「人の記憶なんて当てになりませんよ、殊に昨日の晩御飯すら覚えていない雫さんの記憶なんて尚更です。それで雫さん具合でも悪いのですか?」


「昨日の晩御飯…最近専(もっぱ)らラーメンしか食べていないからラーメンと言えば当たる気がする」


「ラーメンばかり食べていては体に悪いですよ?しかもそれ記憶力じゃなくて勘になってますし…って!質問に答えんかーい!」


バコーン、漫才のツッコミの如き快音が響く。


「いてぇ!気分は悪いよ!たった今悪くなった!」


「たった今?雫さんは今私という美少女にあったのですから百年の呪いも解けたって不思議じゃ無いはず…」


「いいか?とどめちゃん、この際だから靴を僕の顔に投げつけたのは大目に見よう。だが自分のことを美少女と言うのはどうなんだ?」


「生まれてこの方嘘をついた事が無いのが私の誇りです」


「ふうん?じゃあ最初に僕を心配してくれたのは本心ってこと?」


「ぐっ…」


と言葉につまるとどめちゃん。

僕としてはもう一歩攻めたくなる。


「いやー、僕も幸せ者だなあ。とどめちゃんみたいな美少女に出会って直ぐに心配されるなんて」


「前言撤退!!」


そんな全軍撤退みたいに言わなくても…

まあ攻めたのは僕だけれどさ。


「分かった、降参だ。降参するからその靴を下ろしてくれ」


「降参ですね?では宣誓を」


「宣誓?」


そう聞き返すと、とどめちゃんは、やれやれと大きくため息をつき、やけに上から僕に言った。

まあ目線は下からだけれと。


「私に続いて言いなさい。"僕、色取雫は"」


「僕、色取雫は」


「"華美で愛くるしい想石とどめに完全敗北したため絶対服従を誓います"」


「カビで哀苦しい想石とどめに完全敗北したため絶対服従を誓います」


ふふん、勝った。と言わんばかりに鼻を鳴らすとどめちゃん。


「というかこの下り毎回しないといけないの?」


「当然です。天より課せられた義務ですから」


天は暇なのか?


「それはともかく、雫さん本当に顔色悪いですよ?」


「僕の事を心配するより学校にも行かず白昼堂々とぶらついてる自分の心配をした方がいいと思うけれど」


「私は大丈夫です。今日はズル休みなので」


そんなに堂々と胸を張って言われると何だかズル休みが正当な理由に聞こえなくもない。


「また給食で嫌なメニューでも出たの?」


「いえ、今日は参観日でして」


「参観日か…」


僕の両親は昼も夜もない仕事人間なので参観日には来たことがない。だから僕も参観日のお知らせのプリントを見せたことが無い。


けれど、とどめちゃんの両親、特に母親はスパルタママとして近隣では有名だ。有名家庭教師を雇い、ピアノとバレエに通わせている。そう、通わせている。


とどめちゃんが賞を逃す度に怒られた愚痴をよく聞かされる。


そんな母親が授業参観に行かないはずが無い。


「またお母さんに怒られるんじゃない?」


「体調が悪くて早退したって事にします。丁度入れ違いになったって事で…ですから雫さん、今日私達は出会いませんでした。いいですね?」


「……」


なんかそのセリフ殺人ドラマとかで聞いたことあるぞ。


「と言うか、雫さんこそ人事言える身なのですか?ダメな者同士、手を取り合って、時には足を引っ張りあっていきましょうよ」


「聞き捨てならないな、僕は小学生にダメと言われるほどダメじゃないよ」


とどめちゃんはニヤニヤと笑いながら、僕にそっと耳打ちをした。


「雫さんが額に"バカ"と書いたまま登校したの知ってますよ」


「なっ…!!」


知っていやがったのか、まあそれもそうか。あんな目立つ所に落書きされた人間が素知らぬ顔で歩いていたら多少は有名にもなるか。


「ではそう言う訳で、私は失礼します」


そう言うと、とどめちゃんはぺこりと可愛らしくお辞儀をして早足に去って行った。




口の悪ささえ無ければ、とがめお姉さんみたいに天才美少女として名を馳せていただろうに。せっかくの美少女が微少女だ。


そう言えばとがめさんに最近会ってないな…


久しぶりに完全な方の美少女に会いたい。

神は二物を与えずなんて言うけれどあの姉妹は貰いすぎだ。


いや待てよ、僕なんて何一つ与えられていないじゃないか。




「って話があったんだ」


「あっはっは!お腹痛い!!」


途中で出会った とどめちゃんとのやり取りを話すと、彼女は院内に響くほどの大声で笑った。


「小学生相手にしてやられるって本当に高校生なの?」


「とどめちゃんは小学生であって、小学生じゃない。あの子チェスとか将棋とかやらせたら無茶苦茶強いと思うよ」


「私とどめちゃんとオセロならした事あるよ。結果は五分五分」


さぞかしおっそろしい試合だったんだろうな…

意地と意地のぶつかり合い、血で血を洗う壮絶な…いや流石に言い過ぎか。


「それはそうと雫体調悪いの?」


「今日はよく心配される日だけれど僕はいつも通りだよ」


「それあんまり元気ないってことじゃん」


「ええ…」


いつもの僕ってあんまり元気ないのかな?


不意にガラリと扉が開き僕達は反射的にそちらを見た。


「いやー、もう我慢ならないくらい熱いね!ん?色取くんって風邪じゃなかったの?」


アイスを(くわ)えて若干気だるそうに徒花さんが立っていた。


「風邪?風邪ってなんのこと?」


と聞き返す彼女。

僕は慌てて席を立ち、徒花さんを部屋の外へ押し戻す。


「徒花さん…!僕が今日学校を休んだ事は内緒にしておいて欲しいんだ」


「あ、秘密だったの!?日吉くんも風邪って聞いていたけど、2人してズル休み?」


「日吉は知らないよ」


「色取くんが頭をかいてるって事はビンゴかな?」


「へ?」


僕今知らないよって言った気がするけれど。


「ひよりが"雫は嘘つく時頭をかく癖がある"って言ってたから」


そう言って徒花さんは僕の手を指さした。


あ、あいつ…

何でもかんでも見境なく喋りやがって…


「まあコレには訳があると言うか、僕がズル休みするって言うと日吉が着いてきたんだよ」


「1人だろうと2人だろうとズルはズル!」


「おっしゃる通りです」


「でも内緒にしとくよ、黙ってて欲しいってことは言ったらひよりが傷付く事だろうしね」


なんだか釈然としないけれど黙っていてくれるそうなので僕はこれ以上何も言わず黙っておく事にした。


「2人して何の話ー?」


部屋に戻ると彼女が聞いてきた。


「色取くんが風邪っぽいって言ってたからちょっと心配してんだ」


「やっぱり雫風邪だったの!?」


僕は頭をかかないよう、全神経を右手に集中させて答える。


「風邪っぽいだけで風邪じゃないよ」


「ほんとにー?雫誰かの為になるとすぐ無理するじゃん」


「私が体育祭でバトンを落とした時も色取くんすっごく頑張ってくれたんだ」


と徒花さん。


「……」


体育祭…


「それで大コケするところも含めて雫らしいよねー」


「自分じゃなくて、誰かのために頑張れるって、色取くんは本当に凄いと思うよ」


褒めているのか馬鹿にしているのかもう分からない。


「体育祭の話はともかく、今日どうする予定なの?」


僕は強引に話を逸らした。

あの5分もこの会話が続けば顔から火がでそうだ。


「多分もうすぐお医者さんが回診に来るからそれが終わってから私とひーちゃんが入れ替わりかな」


「りょーかい、それじゃ私と色取くんは回診が終わるまでロビーにいるね」


コンコン。

絶妙としか言い様のないタイミングで扉がノックされた。


「回診のお時間でーす」


僕と徒花さんは立ち上がり、看護師さん御一行に軽く会釈をして通り過ぎる。


回診の時間になると僕達のように入れ違いで帰って行く人が多いみたいだ。何人か帰っていく人達を眺めながら僕は徒花さんに聞いてみた。


「徒花さんは生きる意味って考えた事ある?」


「ん?生きる意味?」


徒花さんが聞き返した。


「うん、或いはこれ以外の理由では死ねないとか」


「うーんなんだろうなー」


徒花さんは首を捻る。

僕と似たようなリアクション。


「生きる理由だなんてそんな大それたもの、私には無いかな」


少し恥ずかしそうに徒花さんは笑った。


「そうだよね…」


「この国は生きていく事は保証されている、少なくとも私はそう思う。明日どころか今日の食べ物がなくて餓死する人たちがいる中で私達は衣食住が整っていて、更に娯楽まで整っている」


「生きる意味ってのは、きっと"生きていけること"が前提としてあるんだよね。命に意味を見出そうとするのは幸せな事なんだろうね」


そんな事考えてもみなかった。


という事はその理論でいくと僕は幸せって事になるけれど、この僕に限ってまさかそんな事あるわけないよな…


僕が幸せだなんて、ある訳が無い。

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