またかよ
人はだいたい1日に20回は悩むらしい。
今日の服はどうしよう、とかお昼は何食べよう、とか。これは間違いなく今日という一日をあるいは今後の人生を左右する大きな決断だった。
僕に残された選択肢は3つだ。
その一、家に帰って少し寝てそのまま学校へ向かう。
なんと言うか現実的なやつ、寝坊するリスクあり。
その二、寝ずに学校へ向かう、遅刻は絶対にないがその代わり授業中に眠って怒られる可能性が高い。
その三、もうサボっちゃう。夜も何かあるし、今日は頑張って早起きしたし、もう1日くらい良いじゃん。
5分程僕の脳内で天使と悪魔が喧嘩をした。
"学校は行かなきゃダメだよ"と天使、"うーん…"と僕。
"今まで毎日行ってたんだろ?すげーじゃねぇか!1日くらい休んだって平気さ!"と悪魔、"うん!"と僕。
僕は持ち前の意思の弱さを発揮して休むことを決意した。そうさ1日くらい大丈夫、大丈夫。と意気揚々と自宅へ向かう。
その時だった。昼まで寝れる充足感に僕は気を取られ、向かいから走ってくる人影に僕は気づかなかった。もっとも、人影に気づいた所でまだ辺りは薄暗かったので誰かまでは分からなかったかも知れないけれど。
「おわっ!ビックリした!色取じゃねえか」
そしてようやく僕は気が付く。
「ああ日吉、おはー」
「なんでこんな時間にほっつき歩いてんだ?家出か?いや…方角的に病院、ひよりちゃんか」
「ご名答、それじゃおやすみ」
「おう!また後でな!」
また…後で!?まずい!
「日吉!ちょっ、ちょっと待って!今日僕にあった事内緒にしててくれない?」
「色取が病院通ってる事くらい皆知って…ん?お前まさか休むのか?」
ぎく。
「ひ、日吉だって、こんな早朝に外に居るってことは彼女とかだろ?」
「いや全然違うけど」
「人でも殺したとか?」
「ああ、ロープで括って線路に放置して来た…ってなんでだよ!ランニングだよ!ランニング」
ああ、そういや走ってたような気もするな。そもそも日吉って確か陸上部だ。我ながら記憶力の乏しさに呆れる。
「それはともかく色取が休むなら俺も休む〜」
「なんで日吉も休むんだよ」
「色取居ないと面白くねーし、思い切って昼から遊びに行くか」
「それじゃ休む意味が無いじゃん、もう僕は凄まじく眠いから帰るよ」
「よし、じゃ1時過ぎに迎えに行く!」
確か日吉は去り際こんな事を言った。
そして僕は部屋に戻るや否やベッドに倒れ込み昼過ぎまで眠った。
ピンポーン。
インターホンが鳴った(気がした)
この段階ではまだ動かない、夢の中の音だったのか、現実なのか判断が出来ていないから。
ピンポーン。
再び鳴り、僕はようやく布団から這い出した。
回覧板?新聞の集金?
ピンポンピンポンピンポンピンポン…
「あー!もう!出るよ!」
ガチャリとドアを開けると満面の笑顔で日吉が立っていた。
「おっす!」
「…」
「おい!黙って閉めようとするな!朝約束したじゃん!俺ちゃんと学校休んだし」
朝そういやそんなこと言っていたような気もする。
そもそもちゃんと学校休むって何だよ…
まあ僕が言えた事じゃないけれど。
「んー、分かった準備するから10分待ってて」
「おう!急げよー」
まるで"ゆっくりでいいぞ"みたいに急かしてくるヤツだった。
準備と言っても実際は服を着て寝癖を直すだけなので10分もかからない。でも最近とある人が僕の額に"バーカ"と書いて以来、鏡を見ると言う手順が増えた。
「おまたせ、それでどこ行くの?」
「うーん、そうだなー…あ、隣町のスポーツ用品店!」
「スポーツ用品店?」
「ランニングシューズを新調しようと思ってな」
僕にとって完全に無関係な店だったけれど、特にすることも無いのでその買い物に付き合う事にした。
「なんか学校休んで買い物ってワクワクするよな」
「多少の罪悪感は?」
と試しに聞いてみると、
「全くない」
即答。
「だよな、一体誰に対して罪悪感を抱けば良いのかも分からない」
「俺はまだ女も抱いたことすらないのに、それより先に罪悪感なんて抱いてたまるか」
アホな日吉の割には面白いことを言うなと思った。
「電車かバスどっちで行く?」
「電車だな」
またもや即答。
こいつは案外、悩みとは無縁の生活をしているのかもしれない。さすがにコンマ数秒で答えられると、理由を聞いてみたくもなる。理由を聞くべきか、僕はしばらく悩んだけれど十中八九下らないので追求はしない。
「何でバス停の方が近いのに電車にしたのか気になるんだろ?」
「気にならなくはないけれど、きっと僕の期待を遥かに下回る下らない回答だろうから聞かない」
「そう思うだろ?それが下るんだよ」
下るってなんだよ…
「あそこの駅員さんに最近新人が入ったんだよ、その人がとにかく可愛いんだ。来る人は皆券売機じゃなくて窓口で買うらしいぜ」
「く、くっだらねー」
「色取正気か!?美女だぞ!美女!」
「口調から察するに日吉はまだその新人さんを見てないんだろ?噂なんて勝手に背びれ尾びれが着くもんさ」
「でも見てみるくらい良いじゃんか、百聞は一見にしかずって言うしな」
「まあそうだけど…」
そう言って僕達は近所の卯月駅に向かって歩き出した。
父さんが"築2年!駅まで徒歩10分!"いい家だろ?"と昔、張り切って言っていたのだけれど駅まで10分で着こうとすれば相当早歩きで進まなくてはならない。もとより歩くペースが遅い僕なので10分で着こうと思えば"競歩か?"と思うようなペースで歩かなくてはならないのだ。
だから"築2年、息が切れるくらいの早足で10分"と書くのが正しいと思う。
歩くというのは、"あっちぃな"とか、"喉乾いたなあ"とかそんなことを考えながらぶらりと歩くものだ。
全国の不動産屋には是非ともそれを考慮して頂きたい。
僕達は15分の道のりを、話しながらゆっくり歩く。
「なあ色取、この前言ってた生きる意味っておぼえてるか?」
「ん?ああ、覚えているけれど」
「その話、俺帰ってからもずっと考えてたんだ。」
いつになく、真面目な表情で日吉は言った。
確かあの日、日吉は直ぐに答えていたような気がする。
「生きる意味って言い換えると死ねない理由だろ?」
「そうだな」
「ちょっと見方を変えてみると、死ねる理由とそれ以外、という事だ」
うん?
よく分からない。僕が馬鹿なのだろうか?
「そんな呆けた様な顔するなよー。そんなに難しい話をする訳じゃない」
そう言って日吉は肩を竦める。
そういやコイツは昔から気になったら考え抜くタイプだったな...と今更ながら思い出す。
「ま、何が言いたいのかって言うと死ねる理由が1つあればその他一切は生きる意味になるんじゃねーかなっておもってさ」
「そうはならないだろ」
僕は答える。
「仮に分別するとしたら生きる意味と死ねる理由、あとその他になるんじゃない?少し嫌な事があったからと言って死ぬ人は居ないだろうし、だからといってそれが生きる意味にはならないだろ?」
「俺も最初はそう思ってたんだけど、それでも生きてるって事は生きる意味になってんじゃねーのかな。どれだけ嫌な事があっても生きてるから、理由としては成り立つ気がしたんだ」
そう言う考え方もあるのか...と僕は密かに感心した。
ただ、日吉の考え方は"どこが"と聞かれると分からないけれど、何となく違う気がした。
「確かにそうかもな、で日吉の死ねる理由は何なんだ?」
「それは内緒だ」
「……」
ここまで勿体ぶっておきながら内緒かよ…
やっぱり気になる所ではあったけれど、深追いすると日吉が喜ぶだけだろうから興味無いふりをする事にした。
「あ、そういや色取、最近別の女に手出したらしいじゃん」
「それは心外だ。僕は女に手を出したことの無い紳士だと自負しているのに」
「よく言うぜ、ひよりちゃん独り占めしておいて徒花ちゃんにも手を出したって回覧板回ってきたぞ」
「どんな回覧板だよ...」
「ともかくあれだぞ色取、二兎追うものは一兎も得ずって昔の偉い人も言ってたらしいからな」
……。
別に追った記憶なんて一切ないけれど、僕は反論しなかった。こんな場合は相手にしないのが一番だからだ。
「おい、なんかすげー人だかりが出来てるぞ!」
僕を完全に無視して、僕の無視を無視して日吉は声を上げた。
「みろよ色取!」
そう言って日吉が指さす先には確かに地元のスーパーで時々行われるバーゲンよりも大きな人だかりが出来ていました。
「おいおい、一体どれほどの美人なんだよ…!」
あの人だかり、本当に駅員さん目当てか?
いやいや、いくらなんでもそれは無いだろ。と思ったけれど日吉は疑う様子もなく駆け出していた。
人だかりは改札をも超え、券売機まで届いていた。
どう考えても普通じゃない。
その人だかりから、いい感じの?距離感を保ちつつそっと駅の中を覗いてみる。
そして僕は理解した。
ブルーシート、線路に降りる人々。
そして、所々の赤い斑点。
人身事故だ。と僕は思った。人だかりの中を進もうとしている日吉の手を引く。
「帰ろう、日吉」
「何でだよ、俺はまだ駅員さん見てねえぞ」
「人が死んだんだ」
僕がそう言うと、日吉の手は力なく垂れた。




