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また、雨が降り出した。
『幸福』の神殿から帰り、頼んでおいた遅めの昼食をとった後、旅人は『聖選』の神殿を訪れた。
村の中心部に近い場所に建てられた白い石造りの建物は、高い壁と厳重に鍵と鎖のかけれらた格子戸によって立ち入ることは出来なかった。
外から見た限りではそこに人の気配もなく、草も伸び放題で放置されているように見えた。
理由を聞こうと近くの民家の扉を叩いたが、ことごとく留守で結局すぐに宿へと帰ることになった。
「今度はお早かったですな」
『聖選』の神殿から帰る途中で強くなった雨に濡れた旅人を、宿の主人は驚いた様子でむかえた。
主人は、夜は酒場になるホールの準備をしているところらしく、テーブルの位置を直したり白いクロスをはずしたりしている。
「『聖選』の神殿はどうでした? 立派なもんだったでしょう?」
「ええ、素晴らしいですね。『幸福』の神殿とは大違いでした」
「でしょうでしょう」
自慢気に主人は胸を張る。
「『聖選』の神殿はこの村じゃ考えられないくらい金と人手がかかってますからね。建設のおかげで村もかなり潤いましたよ」
「あの神殿は、今は使ってないのですか?」
主人は手を止めて旅人を見た。
「まああの様子を見ればわかるでしょうが、この村で一番戦の被害をこうむったのは『聖選』の神殿でしたよ。勤めていた神官は全員殺され、金目の物もすべて持ち去られ、その上壁を作って中にも入れなくしてきやがった。ひどいもんです。戦争なんて」
「村人たちには被害がなかったのですか?」
「えぇえぇ、そうなんですよ。幸運といいましょうかね、たまたま村の祭りの日だったんですよ。皆山に行っていてね、金銭的な被害しかなかったんですよ。ここらじゃ鍵もかけないおかげか、中は大変でしたが、家は壊されたりしなかったんで、まあ不幸中の幸いって奴でした」
主人は大げさな動作を加えて話を続けた。
「『聖選』の神官には可哀想な事をしましたが、神官たちが村に居てくれたから我々は助かったんですよ」
「・・・では、敵はすぐに立ち去ったのですね?」
「ええ、我々が祭りを終えて―――ああ、祭りは7日かけて村の南にある山に登るっていう奴なんですけどね、ほら、この村の商売は山の幸が主な物でしょう。だから山への感謝に山頂で神事・・・というか酒盛りするんですがね―――ようやっと戻ったときには数人の兵士が残ってただけで、争う事もなく済んだんですよ」
旅人は主人の言葉が終わるのを待って、立ち上がった。
「おや、今度はどちらへ?」
「部屋で休みます」
「夕食は?」
問われて、旅人は少し考えてから、答える。
「・・・そうですね。お昼のシチューが残っていたらそれを・・・」
「残ってますが、そんなんでいいんですか?」
「ええ、お願いします。あとで降りてきますので、『目覚め』も一杯用意してください。話をありがとう」
旅人はそう言ってホールを後にした。
強い雨の音に旅人は目を覚ました。
いつのまにか眠っていたらしい。
寝台から身を起こし、濡れて放り出しておいた衣服を引き寄せる。
暖かい部屋のおかげですっかり乾いた服を着込むと、今度はテープルの上の荷物を確かめる。
横になる前に一応見てはいたが、外側が湿っていたので心配だった。
「よかった、乾いてますね」
小さく呟いて、袋に戻す。
「もう食事の時間は終わってしまったでしょうか?」
不意に夕食を頼んだことを思い出して、旅人は三角帽をかぶりながら部屋を出た。
階段の下の方から、男たち独特のざわめきが聞こえてくる。
ほっとしながら階段をおりると、主人が走りよってきた。
「起しに行こうか迷っていたとこですよ。すぐに召し上がりますかい?」
「ええ、お願いします」
ホールに向かい、ぐるりと見回す。昨日と同じように席はすでに埋まっていた。
旅人が足を踏み出すと、唐突に人々の声が止んだ。
旅人はかまわずに足を進め、昨夜と同じ席の前に立った。
「発たなかったのか?」
相変わらず粘っこい声が暗闇の中から響いてきた。
旅人は答えずに、椅子を引いた。
「昨日も言ったが、そこは指定席だ」
「その方がいらしたらお返ししますよ」
しっかりと腰を落ち着けてから、旅人は闇の方を見た。
ふわりと漂ってくる香りは、昨日と同じオメーテ産の『眠り』だ。
待つこともなく、主人が注文の品をテーブルに並べる。『眠り』の香りを消すように『目覚め』の甘い芳香が漂う。
「神殿を回ったそうだな」
主人が立ち去るのを待っていたように、男がそう言った。
旅人は木の匙を持ち上げた手を止める。
「よく、ご存知ですね」
「ここの主人から聞いた。どうだった? 2つの神殿は」
「そうですね・・・『聖選』の神殿は素晴らしいつくりですね。建設は大掛かりだったんじゃないですか?」
「ああ、村中の人間がかかわった。大変な工事だったな」
懐かしそうな声。旅人はシチューを一口食べて、匙を置いた。
「あんな大きな工事を請け負うことはもうないだろうよ」
「責任者だったんですか?」
「そうさ、あれは俺の最後の作品だ」
闇の中で、男が胸を張った。
「最高傑作だ」
男は杯を煽った。その姿はひどく嬉しそうに見えたが、その後に続いた行動は反していた。
ダンッと杯を乱暴にテーブルへ叩きつけると、強く舌打ちした。
「親父! 酒だっ! 酒を持って来いっ!」
怒声が店内に響き、酒瓶を持った主人が走って来る。
慌てていた為か、テーブルに当たって旅人の杯が倒れた。
「申し訳ないです。楽師様・・・すぐに替わりをお持ちしますんで・・・」
「いえ、結構ですよ。そろそろ部屋に戻りますから」
「ですが・・・」
旅人は軽く首を振って、倒れた杯をひっくり返した。
主人は持っていた酒瓶を男の方に置くと、旅人の杯を持って戻っていった。
「『幸福』の神殿はどうだった?」
「・・・ここの御主人は廃れてしまったと言ってましたが、形が残っていただけでも奇蹟です。どの国も場所さえ分からなくなってますから・・・それに」
旅人は一度言葉を止め、少し考えてから続けた。
「巫女がいらっしゃった」
「・・・巫女に、会ったのか?」
「ええ」
信じられないというような男の声に、旅人は大きく頷いた。
男が鼻先で笑う。
「あれは、役立たずだ。不幸を振り払うことも出来ない、役立たずの巫女だ」
心からおかしそうに男は笑った。
眉をよせて、旅人は言う。
「ご存知ないのですか? 乙女はただ祈りをささげるためだけに存在するのですよ。幸福信仰では常識なのですが、長い間に忘れ去られてしまったのでしょうね」
男が不意に笑うのをやめる。
そして、納得したように呟くのが聞こえた。
「そうか、祈るだけだから廃れたんだな」




