序章
いじめ問題について異世界を題材に作りました。
「いつまでも泣いとらすと、ちゃっと回しして行かな。お父ちゃんも草の陰から泣いとる莉伊奈は見たないよ。」
(いつまでも泣いてないで、すぐに用意して学校に行きなさい。死んだお父さんも泣いている莉伊奈は見たくないよ。)
お母さんとの毎朝のやり取りはいつもこんな感じだ。お父さんが死んでからもうすぐ1年になる。まだ中学2年の14歳の莉伊奈にとって、肉親を失う事はただでさえ辛い事なのに、それが大好きなお父さんとなると悲しい感情が胸いっぱいに広がり、いてもたってもいられなかった。夏が来なければいい、と莉伊奈は思った。
「最後に誕生日、祝ってもらいたかったな…。」
誰にも聞こえない声でそう一人ごちて、家を出た。
学校での生活は、莉伊奈にとって苦行でしかなかった。もともと、他人とコミュニケーションを取るのが苦手だった莉伊奈は、休み時間に一人で読書をする事が多かった。女子の間ではグループというか一種の派閥のようなものがあって、全員がこの和に入らなければならない。莉伊奈も最初は嫌々ながら入ったのだが、しぶしぶ入っているという事は誰の目にも明らかなのである。空気が重たくなるし、楽しくなくなるという事でグループを追い出され転々とし、最後に一番強いみや子のグループに行かされた。友達というよりは、完全に下っ端でジュースなど使いにやらされるパシリであった。ただでさえ、昼休みの読書の時間を取られてしまう上に、先生に見つかるという危険を冒して自腹を切って行うのは苦痛でしかなかった。お金だって、母子家庭の貧しい家計では食べる分にも苦労しているのに、なんでこんな目に遭わなければいけないんだろうという思いが常にあった。ある日、いつものようにパシられ、戻ると先生や別の組の悪口が始まり、堪え兼ねた莉伊奈がみや子に意見したのを期に、陰湿ないじめが始まった。制服を破られたり、買い替えるお金もないので、継ぎはぎをするとボロぞうきんと罵られた。そんな学校生活の中でも、耐えられるのは、まさきという存在があったからだ。まさきはクラスメイトで、ゲームとか小説に詳しい。ちょっとしたオタクみたいな人だ。莉伊奈にとっては気のおけない関係で、困った事があると相談に乗ってくれる味方だった。そう、味方だったのだ。
帰り際、いつもと同じようにまさきと下校する。小説の話やゲームの話を語り合う楽しい時間。辛い学校生活の中での莉伊奈の唯一の楽しみだ。まさきが急に真剣な表情になって言う。
「なあ莉伊奈、あのさぁ、色々学校で莉伊奈が辛い事俺知ってるんだ。だけど、俺弱くて頼りにならなくて力になれなくてごめんな。俺さ、莉伊奈のこと、好きだ。結婚したいと思うぐらい好きだ。だから、付き合ってくれないか。今夜、君を、抱かせてほしい…。」
衝撃的な言葉だった。いつかはこんな日が来るのかとは思っていたが、それは莉伊奈にとっては物語の中での話でしかなく、セックスとか性に対する憧れもあったが、まだ未経験の莉伊奈にとっては未知で怖いものという観念が強かった。自分の体はただの抜け殻で、まさきの言葉は自分以外の誰かに向けて言ったもののような気がして気分が悪くなってきた。どれぐらい、時間があっただろう。家がもう目前に迫ってきている。答えなくては、でも怖い。結局、熟慮の上で考えさせて欲しいと一言告げてその日は分かれた。別れ際、まさきの目が恨みがましい目でこちらを見たような気がする。悪い事しちゃったな、と莉伊奈は思ったが、帰ってから開いた小説の中の世界に引き込まれ、何事もなかったかのように忘れてしまった。
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その日は莉伊奈の誕生日だった。いつもなら布団に臥せっていることが多い母が、台所に立っている。何事かと問いかけると母は、
「何言っとるのぉ。だって今日は莉伊奈の誕生日じゃない。いつもお弁当なかなか作れんでごめんね。今日は莉伊奈の好きな食べ物ぎょうさん(たくさん)入れとくでね。」
母の優しさに涙が込み上げてくる。このまま全てを打ち明けられたらどんなにか楽だろう、と莉伊奈は思った。しかし、体の弱い母に無用な心配をかけさせる訳にはいかないと言えずじまいだった。
学校に行き、いつもの様に授業を受ける。水曜日は家庭科や美術のようなグループ授業や体育もなくて気楽だから、莉伊奈にとっては水曜日が一番好きだった。
午前中の授業が終わって、トイレに行くと後ろからタオルで口を塞がられ、押し倒された。タオルをやったのはグループの主格みや子。押し倒したのはあとの2人、亜紀と真由美だ。
「あんたさぁ、調子のってんじゃねえよ!!」
みや子が言う。莉伊奈は、おかしいな。私がいつ調子に乗ったというんだろうと、状況とは真逆に冷静に考える自分がいる事に驚く。口答えもしたかったが、口を押さえられている為、あうあうといううめき声がかすかに漏れただけだった。
「こいつ臭くね?なんか茄子の腐ったような臭いがするんですけどぉ。きっも〜。オナしてキュウリ入れっぱになってんじゃね?ちゃんと抜けよな。」
亜紀が言って、それを聞いた真由美が笑う。
「まさき、やって!」
何かの聞き違いかと思った。どうしてみや子の口からまさきの名前が出てくるんだろう。まさき、その人は莉伊奈の大切なお友達。この間は、告白までしてくれた。莉伊奈は躊躇ったが、自分を必要としてくれている人がいると、内心はとても喜んでいたのだ。
「おう。」とまさきは答えると、莉伊奈の腹部に蹴りを入れる。ある程度は容赦していると見え、耐えられないほどの痛みではない。しかし、その攻撃は執拗で恨みがさが見え隠れしている。
「きゃはは、これ、傑作だよね!!あんたたちー、見てるー?子宮蹴られたら子供できなくなるかなあ?どう、大事な友達に裏切られる気持ちは?は?何言ってんのか聞こえねーよ。まさきが、あんたなんか好きになる訳ないじゃん。ヤリ目的なのも気づかないとかどんだけあんた鈍感なわけー??ださ」
莉伊奈は終始、目を閉じていた。涙が止まらない。現実を直視できない。きっとこの人はまさきに声が似ている人に違いないんだ。そうに違いない、と莉伊奈は思い込もうとした。女子達は行こ行こ、もう飽きたーと言って、先に教室に戻っていった。まさきも、莉伊奈が動かなくなると、莉伊奈をそこに残して言ってしまった。
どれくらい時間が経っただろう。意識がだんだんハッキリしてきて、体が動ける事を確認する。もう、教室には戻りたくなかった。女グループはまだしも、まさきの目を直視できない。でも、荷物もお母さんが作ってくれたお弁当もあそこにある。戻らなきゃ。戻った先ではクラスメイトたちはお昼の弁当を食べている。昼食はグループで机をみんなでくっつけて食べるが、莉伊奈の机だけ窓際に追いやられている。久しぶりに母が作ってくれたお弁当箱を開く。それは優しいハーモニー。きっと先程までのつらかったことを全て忘れさせてくれるに違いないと思った。しかし、次の瞬間莉伊奈は何が起きたのか分からなかった。お弁当は何という事はない。莉伊奈の好きなウズラ卵の串揚げやアスパラのベーコン巻きに、桃が入っている。ただ、弁当には絶対に似つかわしくない別の物も入っていた。ゴキブリとムカデの死骸だ。犯人は考えなくても誰か分かった。莉伊奈はいつの間にか自分が嘔吐し、おしっこをもらしている事に気付かずにいた。虫が気持ち悪くて吐いたのではない。あまりのストレスに打ち勝つ余裕がなかったのだ。知らず知らずのうちに駆け出していた。教室を出ると後ろの方でがやがや笑っているのが聞こえるが、もはやどうでもよかった。階段を駆け上がる。普段立ち入ってはいけない屋上の扉を開ける。全てを忘れてしまいたかった。この世界から一瞬で自分が消え去って、これらの辛い日々から抜け出せたらどんなに幸せだろう、と莉伊奈は思った。屋上の柵に手をかける。この先には自分を迎え入れてくれる暖かい場所がある。
急に、今朝の母親の顔と言葉が思い出される。
「なんで、こんな時に…。」
「そう…だよね。お母さん悲しむよね。だってこんな…」すぐに自分が間違いを犯そうとしていた事に莉伊奈は気が付き、柵から手を離した。母親を悲しませてはいけない。学校なんかもう、行った振りをしていかなければいい事。どうせあと1年で終わるものに自分の命をかけるのはばかばかしいと思えてきた。父親を失い、腹を痛めて生んだ誕生日に一人娘を亡くす母親の気持ちを考えるとなおさらのことだ。
戻ろう。柵に背をむけた瞬間、耳元に何かがいる気がする。普通ではない何か。しかし、それが何か分からない。
ささやきかけられたと思った瞬間。柵が消え、強風に莉伊奈の体は一直線に地面に向かって落ちていった。
どこか知らない国の言葉だった。知らない国の言葉なのに聞き取れる気がするのは変だなあと思っている自分がいることに気が付き、莉伊奈は苦笑する。
「オ・・ノチ・・ヲスク・・エ。(そんな風に言ってるように聞こえた。意味はよくわからなかった)」
ここまで読んでくださってありがとうございます。まだまだ書きたい情報がたくさんありますが、ボチボチやっていきます。次回作をお楽しみに!