14
図書館に辿り着いて心が踊ってしまった。とても広い空間に圧倒的量の蔵書。さらに驚いたことに日本昔ばなしにグリム童話など地球で馴染み深いものも置いてあった。後で聞いたところ聖女が残した文化という。他にも元の世界の著名作家の本も置いてあった。凜が夢中になってどういう本があるか探し回っていると乱はそれに飽きたのか適当な本を手に取って椅子に座り本を読み始めた。
凜は構うことなく図書館の奥へと進んでいく。奥に進むほど人の気配が消えていく。図鑑や辞書などの本が増えていく。埃をかぶっているのが多くほとんど読まれていないのがわかる。
順番に本の背表紙を眺めて行くと途中で足を止めてしまうほどのものを見つける。
「これは……フランス語? こっちはハングルにギリシャ語? ど、どいうことだ?」
この世界にあるはずのない文字が見え本を手に取る。本の中もそれぞれの言語の言葉で埋め尽くされていた。
「これはギリシャ語で書かれた新約聖書だ。ギリシャ語まだ読めるかな……」
不安になりながらも懐かしさに立ったまま読み始めてしまう。集中し本の世界に没頭していたせいか近づいてきた人物に全く気づかない。青年――いや、まだ少年と言いたくなるあどけなさを残した人物は横から本を覗き込む。
「その本読めるんですかー?」
まったく少年に気づかなかった凜は横からの声に飛び退く。
「あ、驚かせちゃってごめん。君別に研究者とかじゃないでしょー白衣着てないし。それなのに普通にそんな本読んでるから不思議に思ってさー。」
よく見ると少年は白衣を纏っていた。何かの研究者なのか。凜より幾分若そうに見える。凜は心の中で賞賛した。
「ああ、そういうこと。単なる趣味だよ。」
今のこの少年の言葉でギリシャ語が普通に使われていない言語であることは確定した。読むことが普通じゃないとされれば当然だ。
「趣味で!? 変わった趣味だねー。――――ところで君はどこの人? その服見たことないんだよねー。」
「……何か問題でも?」
凜の警戒度が上がる。何か探られている気がしてならない。
「んーん、何にも。単なる趣味だよ。」
にやにやと不信度が上がる笑みを浮かべてくる。
「あっそう。じゃ、俺はこの本を読むから失礼するな。」
これ以上話すと面倒なことになる予感がしたので適当を言って会話を切り上げようとする。
「まってまって。その文字の読み方教えてくれない?」
服を掴まれ物理的に引き留められてしまう。うざったいことこの上ない。
「一般人より専門家に頼む方がいいと思うけど?」
さっきの研究者じゃないってことは研究者がいるってことだ。つまり専門家と言い換えてもいいだろう。
「ざーんねーん!専門家でもそこまですらすら読めないよー。だってまったく系統が別でそこから派生した言語もないんだよ? てことで教えてくださいな――――異世界の人。」
凜の体が強ばるがすぐに――それはすぐばれるよね、と肩の力を抜いた。明らかにここの服装ではないし。
「最初から分かってたってことか。……はあ、わかった。少しだけだし、俺も専門家って訳じゃないから初歩的なことだけだぞ。」
凜は諦めて了承した。断ったところでいつまでも着いてきそうでそれなら引き受けた方が早いと結論を下した。
「ありがとうー! ついでに他の言葉も教えてくれない?」
「調子に乗るな!」
小さな声で白衣の少年を叱った。
あーあ、やっぱり図書館に行こうなんて言わなきゃ良かった。
図書館に来てそうそう乱は後悔していた。
凜は乱のことそっちのけで本に夢中になってしまい乱は取り残される一方。乱は一緒にのんびり本でも読みたいと思っていたが一緒どころか近くにいない。乱の望みはあっさり打ち砕かれたのだ。
近くの本をタイトルもよく見ずに手に取り、凜に本を読んでくると伝え、近くの椅子に腰掛けた。
えーと、なんだ、源氏物語を現代小説にしたものか。こんなものがなんであるんだ? これも前の聖女が伝えたものか。
そんなことはどうでもいいか。どうせなら読んだことの無いものが良かったな。
少し気落ちしながらも、源氏物語を読み始めた。
ふう。改めて読んだけど結構好きだな。自分好みの女を育てるって普通に利口な考えだと思うし。面白そうだし試してみたい。どうせなら最後まで読みたいけどもういい時間か。
本を元の場所に戻そうと源氏物語があった場所に行くと王都の学校の制服を来た女子生徒が佇んでいた。
乱はもちろん王都の学校の制服は知らないが王都に学校は一つしかなく、すぐに気づく。
「すみません。本を戻させてもらっていいですか?」
女子生徒がたっていた場所はちょうど源氏物語があった場所の真ん前。仕方なく声を掛ける。
「あ、すみません! 今どき――――え?」
女子生徒は場所を空けてこちらを見て固まる。
女子生徒が固まったのをもちろん乱は気づいていた。が、気づいていない振りをして本を戻す。
さて、凜を探すか。たぶん奥のほうだろうな。なんかそんな気がする。
乱はその場から離れようと踏み出す。
「あ、あの!」
「何か?」
女子生徒が離れていこうとする乱を引き止める。乱は慈愛の笑みを浮かべ女子生徒を見る。
そこで女子生徒の顔がはっきりと入ってくる。肩に届くか届かないくらいのふんわりとした明るい茶色い髪の毛。愛らしい容姿に庇護欲をそそりそうな大きく開いた目。さぞモテそうな容姿だなと乱は下す。
「そ、その制服、私のと同じ……」
震えながら人差し指を差し向けてくる。人に指を差し向けられることが大嫌いな乱。
「何を言っているのですか? 私とあなたの着ているものはまったく違うじゃないですか。」
少し早口になり二の句を告げさせないようにする。しかし、機嫌が悪くなっても頭は冷静だった。
この制服を見て同じと言ったな。つまりこいつが件の聖女候補か。まさかこんな所で会うとは。後で凜に報告だな。
図書館に来たのもあながち間違いじゃなかったなと気づかれない程度に口角を上げる。
「今はそうですけど!でもその服は、その制服は私の元いた世界の学校のと一緒なんです!」
図書館ということもあって小さい声だがそれでも確信のある声で訴えかけてくる。
女子生徒は自分と同じ力を感じた時とても安堵した。自分と同じようにこちらに喚ばれた人がいると。この世界に来て沢山の人に歓迎され、優しくしてもらった。しかし淋しさ、孤独感は完全に消えることは無く常に怯えていた。そこに感じた力、光明が差した。同じ人がいると。
「あなたは――――地球の人ですよね。」
意識をすればこの世界の人とは違う力を感じる。そして認識した今、意識しなくても分かる、はっきりと。
女子生徒からの熱い想いを受けて乱は一度目を瞑りゆっくりと口を開いた。
「ごめんなさい人を待たせているの。それと地球の人、と訊いてきたけどその質問に答える義務は私にはないわよね。まったく見ず知らずの人を捕まえて地球の人とか訊ねるのは如何なものかと思うのだけれど。」
乱からの冷たい言葉に女子生徒の体が固まる。
「それではこれで失礼するわ。」
軽くお辞儀をして足早に立ち去る。
呆然としていた女子生徒は少し遅れてから乱を引き止めようと後を追う。
乱は本棚の角を曲がると同時に小さく「『転移』」と呟くと、瞬く間にその場から消えた。
後を追いかけて来た女子生徒は本棚を曲がり乱の姿を見失ったと分かると肩を落として見るからに落ち込んだ。
「これがこうなると否定の形になるんだ。ここまでいいか?」
「うん、問題ないよ。しっかし凜はすごいねー。こんなに沢山の言葉が分かるなんて!」
「俺としてはメルクの吸収力が恐ろしいんだが。」
事実少年――――メルクの吸収力は見事なものだった。ここまで順調に教えることが出来るとは思っていなかった。
「メルクは魔法を研究してるんだっけ?どうして言葉を知ろうなんて思ったんだ?はっきり言うがこの世界じゃ覚えても仕方の無いものだぞ。」
昔この世界で話されていた訳でもなく、まして文献があるといってもひと通り見たが元の世界のことが書いてあるだけ。中には古い情報のものもあった。
「あははー。確かにねー。でもさ、世間一般にとって価値のないものでも僕にとっては価値があるんだよ。それだけでじゅーぶん。あ、それと僕は魔法研究者じゃなくて、魔術研究者だから!間違えないでよね。」
「別にどっちでもいいだろ。陣を使うか使わないかの差だろ。」
「いいや!まったく違うね!」
メルクに強く否定される。
凜は事実そういう認識でいた。戦う手段としてどちらも有効であるし、使えるものを使うだけという認識でいた。しかしメルクにとってはそうではないみたいだ。
「ふう、まったく魔術と魔法を一緒にするなんて。これは今度僕が教える番かなー?」
したり顔の上から目線で嬉しそうに笑う。
「そうなんだ。それよりもまだ途中だから。」
「ではまず魔法の話をしよっか。」
何か触っては行けないものに触ったみたいだ。凜の言葉はもう届いていない。
「そもそも魔法は神が使っていたものなんだ。決して伝承上とかのじゃないよ。凜の世界では神は空想らしいけど、ここでは神は普通にいるから。毎年神降ろしで神様見ちゃってるしねー。」
「神降ろし……?」
イタコを頭の中に想像する。
「そそ。神降ろし。ただ神が僕達の目の前に姿を現すだけなんだけどね。王宮の後ろの方に大きな広場と高い台があるんだよ。毎年その台の上に神が降りてくるんだ。」
イタコとまったく違うじゃないか。神そのものが現れるのか。
「それは凄いな。俺の世界では神の存在は不確かなんだ。いないという証明も出来なければいるという証明も出来ない。いない証明なんてまず無理だけどな。」
凜は別に神の存在を信じてもいないが否定もしていない。いてもいなくても関係ないと思っているせいでもある。
「悪魔の証明ってやつ?そっかそっちではそんな感じなんだ。まあ、そっちの世界に神がいようがいまいがどうでもいいけどね。てか魔法の話だったよね。」
ダメだった。逸らせなかった。
「その神がね、魔法は神が使っていて、魔術はずっと昔人と神が共存していた頃人が魔法に憧れてつくったものって言うんだよ。
つまり!魔術は人の叡智の、努力の結晶!まあ、いつからか人間も魔法を使えるようになって魔術は衰退しちゃったんだけどね……。」
「それはそうだろ。魔法と魔術だったら魔法を選ぶ。」
凜がメルクに追い打ちをかける。
私だって魔法を選びたかった。どう考えてもかかる労力が違いすぎる。
「うう……そうだよね。」
凜の言葉にメルクが目に見えるほど落ち込んでしまう。少し悪いことをしたと感じる。
「お、俺魔術しか使わないから。ほら、まだ使っているやつはいるぞ?元気出せ。」
私ぐらいだけどな。
慰めるために言ってしまった。喜ぶと思って。
凜は自分のことを情がない人間だと思っている。けれどそれ乱に対するのと比べたらという話であって乱と比べたら圧倒的に人に対する情はある。
「本当!?凜!それは本当なの!?凜は魔術を使っているって!どうして、どうして魔法は使わないの?」
落ち込んでいた様子はどこ吹く風。目を輝かせて凜に詰め寄ってくる。あまりの勢いに思わず体を引いてしまう。
「お、俺魔術しか使えなくて――――。」
凜は言ってからしまったと気づく。魔法が使えないことを明かしてしまった。
メルクの勢いに押されて素直に言ってしまったのだ。
「へぇ……魔術しか使えないんだ。」
凜の言葉を聞いて目を細めてじっと見つめる。そして自然な動作で凜の手を取る。
自分の失態に動揺していた凜はなすがままに手を取られてしまう。
「凜、僕と一緒に魔術の――――。」
「――――凜!例の聖女候補と会ったわよ!」
メルクの言葉を遮るように親しい声が聞こえてくる。
凜の背後に現れた乱は聖女候補に会ったこと伝えた時は笑顔だった。しかし、凜の手が知らない男に握られているのを見ると笑顔が消えたがすぐ笑顔に戻る。
「ねぇ。その人はどちら様?どうして手を握られているの?とりあえず手は離してもらいますね。」
幾分声音が下がり、メルクを見据えながら凜の手からメルクの手を外す。
メルクは笑顔のまま甘んじてそれを受け入れた。
笑顔のメルクに笑顔のまま明らかに機嫌の悪い乱に挟まれて凜は生きた心地がしなかった。
他の連載の更新が明らかに早いですがこちらは一度ノートに手書きをしてそこから打ち込んでいるので更新は間が空いてしまいます。
大変申し訳ありません。