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男装少女の孤軍奮闘3


 アガム内の教区を統括する大聖堂の、精巧に造られた女神像の前に跪いて、わたしは祈りを捧げる。お祈りの作法で、ひとつたりともへまをしてはならない。わたしの背後には教区長のサファール大司祭が立っており、わたしの動きを厳しく審査しているからだ。

 サファールは相対した者に堅固な壁を前にしているような圧迫感を与える、厳格な男だ。信仰の鬼と評される内面が出ているのかもしれない。

 跪いて目を閉じ、胸の前で両手を組んで、心臓が三十回鼓動を刻むまで動いてはならない。そのあとは、膝でにじりよって女神像の手の甲にキスをする。正しい作法でお祈りをやり終えたわたしが立ち上がると、彼は言った。

「完璧なお祈りです」

「ありがとうございます、司祭さま」

 こうべを垂れるわたしを見つめ、サファールはささやくように訊ねる。

「殿下からハノンの件を伺ったときは耳を疑いました。しかし、あなたは今、真摯に祈りを捧げられた。ということは、嘘偽りではないのですね」

「神に誓って」

 わたしはあらかじめ、サファール宛てにハノンの告発文を送っておいた。サファールにハノンを破門させるためだ。

 そうすれば、ハノンを俗権威の裁判にかけることができるようになる。ただし、それには「神がわたしの主張を正しいと認めた」という結論を、教会内の法にのっとって勝ち取らなければならない。

 つまり、教会の儀式的な宗教裁判に、わたし自身がかけられる必要があるのだ。

 サファールは感情のうかがえない鉄面皮で言う。

「あなたは我々から裁判権を取り上げました。我々のやり方は儀式的で信頼性が低いからと。それなのに、我々の神の法で裁かれることを希望するのは矛盾していますね」

 そう言われると思っていた。

 わたしは平静を心がけて言い返す。

「私の正しさは私自身が一番よく知っています。これで神が私を選んでくれたなら、私はあなたがたのやり方に対する評価を改めることもあるでしょう」

「……そうですか。仮にあなたが神に選ばれず、命を落としたとしても……」

「もちろん、あなたがたをそのことで咎めさせることはしません。そのように言い置いてあります。約束します」

「……分かりました。ハノンの件の真偽は、私としても放置しておけない。神に問うことにいたしましょう」

 サファールが手に持った大ぶりのベルを鳴らすと、大聖堂付きの騎士に両脇を抱えられたハノンが聖堂へやってきた。

 すばしっこそうな小柄な男だ。顔色が青いを通り越して土気色になっている。脂汗でてかる額を拭うことすら出来ないほど緊張している。

「で……殿下」

 彼は縋るように、あるいは許しを乞うようにわたしを呼んだ。

 そんなにこれから行う審判の儀式が恐ろしいか。

 わたしだって恐ろしい。でも、もう遅い。

「あなたと私のどちらが正しいか。神が明らかにしてくださるでしょう」

 騎士たちが立ち竦むハノンを引っ立てて歩かせる。

 聖堂の奥に審判の部屋がある。

 わたしたちはそこへ連れられていった。

 床に深い縦穴が空いていて、そこにぎりぎりまで水が溜めてある。そばにはその穴に対応した金属製の蓋がある。

 わたしはこれからその穴に入り、ハノンは蓋を閉めてその上に乗って、騎士たちの監視のもと一晩を過ごす。

 夜が明けて、サファールが確認したときにわたしの息があれば、神はわたしに加護を与え、わたしを正しいと認めた、とされる。これが教会式の審判だ。

 わたしが一方的に危険をこうむる方法になっているのは、わたしが聖職者ではないからだ。

 聖職者が聖職者を糾弾したのではなく、俗人が神のともがらたる聖職者を糾弾するというのだから、その不遜をまず思い知りなさいね、ということである。俗人がこの審判で勝てる可能性はそもそも限りなく低く設定されているのだ。

 しかし、ハノンのほうも気楽というわけにはいかない。このままでは審判では勝てても、王族殺しの犯人になってしまう。教会の常識に凝り固まっているらしいサファールはわたしの言葉を鵜呑みにしていたが、王族殺しなどという重罪ともなると、いかにわたしが納得ずくのことであったとしても、そしていかにハノンが聖職者であったとしても、死罪は免れない。

 わたしがこの審判をふっかけた時点で、ハノンの進退は窮まっていたわけだ。

「よろしいですか。殿下」

 ハノンが泣きそうな顔でこちらを見ている。

「はい」

「では、神のご加護のあらんことを」

 サファールが聖なる言葉を唱え始める。

 わたしは意を決して水の満ちた狭い縦穴に入った。

 どぼん、とくぐもった音。頭の上まで水に浸かり、すぐに息が苦しくなってくる。

 わたしは口の中に隠していた、ジンに渡されていた薬草を噛んだ。ぶよぶよしていて気持ち悪い。とてつもなく苦い味が口の中に広がると、不思議なことに、水の中でも普通に呼吸が出来るようになった。

 ジンのことを疑っていたわけではないけれど、わたしはほっとした。昨夜「これを噛んでいれば、水の中でも息が出来る」と言われたときは、正直半信半疑だったが、信じて言われた通りにしておいて正解だった。

 頭の上で蓋が閉まり、穴には光がほとんど入らなくなる。

 

 ……身動きも出来ないほど狭いうえに、光もほとんど届かない穴の中。

 どれくらい時間が経っただろう。昼か夜かも分からない。

 聖なる言葉はいつの間にか聞こえなくなっている。

 そういえば、この薬草の効果は絶対に一晩保つのだろうか。

 突然、そんな疑問が浮かんだ。

 そうだ。途中で効果が切れたらどうしよう。

 水の中では助けも呼べない。

 もがこうにも狭くてどうしようもない。

 ハノンが気づけば、怖じ気づいて助けてくれるかもしれない。でも、騎士たちが監視している。望み薄だ。

 ……本当にジンはわたしを裏切っていない?

 ジンがわたしに付いた理由を、わたしはいまだに理解できていない。普通に考えれば、フィリップに付いたほうが待遇だって良いだろうし。あの言葉はどこまで本心だったのだろう。

 ジンはわたしに忠誠を誓ってくれてはいない。それは確実だ。彼の言動を見ていれば分かる。

 彼はわたしを主と呼ぶが、一般的な主と金緑騎士の結びつきはわたしと彼の間にはない。

 彼は軍人ではなく、市井の剣士だった。

 ということは、王族への忠義に生きるよりは金に生きるだろう。

 この薬草、あえて足りない量を渡されてはいないか?

 教会の審判にかこつけて、わたしを暗殺するにはいい機会だ。

 ジンがハノンのようにフィリップと通じていないという保証がどこにある?

 思えば、この作戦を提案してきたのもジンだ。

 最初から仕組まれていたとしたら、わたしは朝を待たず溺れ死ぬ。

 それに……それに、朝が来て、わたしが生き残っていたとして。サファールはそれを素直に認めてくれるか?

 ハノンは聖職者で、わたしは彼らから裁判権を奪った俗人だ。

 薬草も一晩以上はさすがに保つまい。

 サファールとその騎士たちにその場で押さえつけられたら、一晩水に浸かって疲労しているわたしでは太刀打ちできない。

 穴に顔を押し付けられるなりして殺される可能性だって、ないとは言えない。

 不安が泡のように次々と心に湧き上がってくる。

 でも、わたしに逃げ場はない。

 どのみちこれを耐え抜かなければ、わたしの目的は達成できない。

 ……ユーファウスさま。

 あなたがこんな思いをしなくて済んで、本当に良かった。



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