男装少女の孤軍奮闘1
一
名実ともにアガムの領主となったわたしは、さっそく改革に着手した。といっても、フィリップのめちゃくちゃな統治をあるべき姿に戻すだけだけれど。
「人手不足の折、あなたがたには職分を越えて働いてもらわなければいけません。頼めますか」
初日、わたしはアナベルさまから与えられた兵たちにそう訊ねた。
フィリップによる虐殺や暴政の影響で、アガムの人口はずいぶん減った。兵士であろうと使わなければいけなかった。彼らは快く頷いてくれ、わたしの改革は彼らの手を借りて始まった。
まずは太陽税をはじめとした突拍子もない税を撤廃し、わたしは兵士たちを連れて領内の村々を視察した。やはりどこも荒れていて、人々は毎日の暮らしに汲々としている。しかし、彼らはわたしの訪問を歓迎してくれた。悪逆領主のフィリップを、病弱でとても頼りにならないと思われていた末の王子が追い払ったという話はとっくに領内に知れ渡っていたのだ。
「殿下は、お強くなられましたなあ」
山の麓の村を視察したわたしに、老爺がしみじみとそう言った。
「フィリップが油断していたんですよ。窮鼠が猫を噛んだんです」
笑いながら言うと、足元に村の子どもたちがまとわりついて口々に「ねこ?」「きゅーそ?」と首を傾げる。
「窮鼠はネズミのことだよ」
「ネズミは悪者だよ! わたしたちの食べ物勝手に食べちゃう!」
「王子さまはネズミじゃないよー」
老爺が慌てて「こらお前たち、殿下に何という無礼な」と子どもたちを止めにかかり、彼らはきゃいきゃいと笑い声を上げて散り散りに駆けていく。
それを見送るわたしの背に、補佐官のゲラーがじめっとした低い声で、
「殿下。立場をお弁えください」
「……どうしていつもあなたは私の背後から声を掛けてくるのかな……」
わたしはびくっとしてとっさに距離を取る。
このゲラーも、アナベルさまがわたしの助けになるようにと与えてくださった政務官のひとりだ。黒髪に焦げ茶色の目の、影のような男。陰鬱という言葉に姿を与えたような見た目と雰囲気で、いつも疲れたような覇気のない目で人を見、低い声で話す。夜や雨の日にはあまり接したくないタイプの人物だが、政務に関しては優秀らしい。反面、とてつもない堅物だが。
「下々の者とそう親しくなさるものではありません。あなたは高貴な方なのです……」
「気をつけるよ。それよりゲラー、やっぱり食糧が足りないみたいだ。フィリップが税だと言って巻き上げて、城の蔵に貯め込んでいたぶんを還元しても全然だめだよ。今年だけでも、どこかから援助を取り付けないと」
諫言を「それより」の一言で流されたゲラーはぴくりと眉を動かしたが、わたしの問題提起はちゃんと聞いていてくれた。
「……略奪がひどかったようですからな。そのうえどこの集落も人手が足りていない。兵士たちを動員しておりますが、とても足りません。荒れた畑を再生させ耕す人手がないのでは、糧食を産むことは難しゅうございます。牛馬を用いようにも、それさえ飢えに耐えかねて食べてしまった村もあり……。援助を求めることに異論はありませんが、問題は何を対価とするかです」
それだ。荒れた今のアガムに何を差し出せるだろう。対価がなければ援助は取り付けられない。ただでさえ、末の王子ユーファウスは兄弟たちはおろか陛下にさえ煙たがられているから、情に訴えてどうにかするのは無理だ。
わたしは口元に手を当てて考える。
「……フィリップや野盗のせいで人口が減っているんだから、畑自体はむしろかなり余っているんだ。アガムは高地があるし、畑に使っている土地を転用して牧羊場にするのはどう?」
「羊毛でアガムを興すのですか?」
「そう。食べ物だけあれば生きていけるわけじゃない。こんな状態だ、お金を得る手段も用意してあげないと」
難しいことを言っている自覚はあった。しかし、出来ることは片っ端からやっていくくらいの腰の軽さでないと打破できない状況だった。
ゲラーは少し黙考してから、
「そうですな……。難しい話ですが、私の腕の見せどころですかな」
「頼りにしてるよ。別の案が浮かんだら、ぜひ言って」
「承知いたしました」
昼時になって、わたしたちは丘の上の城に戻った。執務室でくず野菜の薄いスープを飲んでいると、申し訳程度のノックのあとにジンが入ってきた。
彼は開口一番、苦笑まじりに言った。
「そのわびしい食事。この城で一番倹約してるのが王子殿下さまとは、世知辛いね」
わたしはふん、と顎をそびやかす。
「いいのです。私は肉体労働をしていないんですから」
本当なら疲弊している領民にパンの配給くらい行いたいところだが、今はまだ無理だ。心苦しくはあるけれど、存分に働けるコンディションの兵士たちへの食事を充実させることを優先しなければ、作業は遅々として進まなくなってしまう。一刻も早いアガムの再建のためにはやむをえない。
それに、まだわたしと兵士たちの間に信頼関係を結べているとは言いがたい。彼らはもともとアナベルさまの兵であり、ユーファウスは長年侮られてきた王子で、仕えていることを自慢に出来る主ではない。目先の領民を優先して兵士の食事や待遇を粗末にした日が最後、彼らが作業を怠け始めない保証はどこにもない。倹約なんて上等なものじゃない。わたしはご機嫌取りをしている。
すると、ジンが歩み寄ってきて、ひとつの布包みをわたしに差し出した。
「……? なんです?」
「腹の足しだよ」
机の上で布の結び目をほどくと、中身は多種多様な木の実や果実だった。わたしは驚いてジンを見上げた。
「すごい。これ、あなたが?」
「まあな」
「……私が食べていいんですか」
「俺と半分ずつな」
わたしは思わず笑った。半分ずつか。そう言われたほうが気兼ねせず食べられる。
わたしは初対面のときに較べたら、かなりジンのことを見直していた。
彼は言動もひねくれていて、わたしにとってただ都合のいい人間には絶対になってくれないが、彼なりに何か確固とした目的と信条があって行動しているのだと察したからだ。
「じゃ、ありがたく。あなたも、そこの椅子を持ってきて座ったらどうですか?」
「そうだな」
ジンは素直に部屋の隅にあった丸椅子を引っ張ってきて、わたしのそばでそこに腰掛けた。示し合わせたように木の実を取ってかじる。
「……そういえば、野盗の件の調査はどうでした?」
わたしが領主になってから野盗の被害が急増している件について、ジンに調査を頼んでいた。そのことを訊ねると、ジンはああ、と応じて、
「ある程度の察しはついた。フィリップが煽ってるらしい」
「フィリップが!?」
わたしはぎょっとして舌を噛みそうになった。
「そう。フィリップがアガムにいる野盗どもを裏から支援してるみたいなんだよな。よくある嫌がらせだ」
邪魔な、あるいは恨みのある領主の領地を、そういう搦め手で荒らして嫌がらせすること自体は、あまり珍しくはない。でも、フィリップはついこの間までアガムの領主だった。馴染みのある領地と領民を、こんなに簡単に蹂躙できるなんて。
「フィリップを大っぴらに糾弾することはできません」
「まあ王子だし、認めないだろうしな」
「フィリップの指示のもとで略奪行為を行っているなら、組織的です。通常の野盗とは違って、頭を叩けば効果があるでしょう。調べはついていますか?」
ジンは木の実を奥歯でかみ砕き、つまらなそうに答える。
「それが、坊主なんだよ」
……坊主?
わたしは目を丸くする。
「まさか……子どもという意味?」
「や、そこまで悪くはない。聖堂の坊主って意味」
「めちゃくちゃ悪いですよ!」
わたしは腰を浮かせて叫ぶ。
聖職者が野盗のおかしらって、どういうことなのだ。
「殿下は頭の固い典型的な聖職者にしか会ったことないらしいが、これも別に珍しいことじゃないんだ。坊主だって金はほしい。得てして裏の顔がある。しかもあんた、恨みを買ってるだろ?」
「恨み……?」
わたしは領主になってから聖階教会に対して行った主な改革を思い出す。
「……裁判権を奪いました」
アガムの裁判権の在り方は二重構造になっていた。領主と専任の役人が行う裁判と、教会が神の名の下に行う裁判。後者は儀式的な要素が強すぎ、賄賂による買収などの不正が横行していたし、なにより政庁の貴重な収入源を横取りしていたので、わたしは教会による裁判を禁じた。
「俗な坊主がフィリップに味方する動機としちゃ充分だな」
ジンが言いながら不快そうに眉をひそめる。わたしもこれには頭痛がする。
「どこの教区長がその犯人なのです?」
「アガム第二区のハノンって司祭だ」
「その男のせいで多くの領民が苦しみました。手討ちにしたいところです」
「殿下手ずから、か? それじゃあハノンの誉れになっちまうぞ」
ジンはあえてわたしの力ががくっと抜けるような物言いをしてくる。わたしは両方の拳を握りしめて身を乗り出し、
「~~そういうことではなくてですねっ!」
「分かってる分かってる。でも落ち着いてくれ、我が主。坊主は坊主にしか裁けん、そう決まってるだろう? 一般の民衆に対する裁判権はあんたが得たが、聖職者を俗権威が裁くことは原則出来ない。やみくもに教会の権力構造に介入すれば教会との関係が決定的に悪化する。領主になったばかりのあんたがこれ以上敵を増やすのはうまくない」
教会内のハノンの上役に告発することから始めなければ、とジンは言う。
……正論だ。
怒りで熱を持っていた頬が冷める。わたしはうつむいた。
「……ですが……もう人々は限界ですよ」
「それはあんたが下々のもんを舐めてるんだ。このアガムで生き延びてきた連中が、いまさら本気で誰かを頼みにすると思ってるのか? 俺たちが準備を整える間くらい自力で耐えしのぶさ」
わたしは首を横に振った。
「民に負け癖をつけさせてどうするのですか。命を持ちこたえさせるのとは別に、気持ちが折れてしまいますよ。誰にも頼ろうとできないほど疲弊した人々は見たくないです」
「…………」
ジンはしばらくわたしのつむじの辺りをじっと見つめていたが、ふっと笑った。
「殿下は相変わらず、理想家なことで」
「その私のほうがマシだと言ってついて来たのは誰です?」
「俺」
しれっと答えて、ジンは顎を撫でる。
「……あんたの安全を度外視するなら、考えがあるが。どうする?」
「! なんですか!?」
わたしはすかさず飛びつき、ジンは静かに提案の内容を話し始めた。