第25話
『はぁぁぁぁっ!!』
飛来する雑木と交差するように放ったライデンの蹴りが大猿の肩口にヒットするのと同時に、挟み込むようにルイザの白騎士が白銀のメイスを膝裏へと叩き込んだ。
「グゥゥ!」
ライデンの蹴りとルイザの一撃に挟まれて大猿は体勢を崩し、膝を折りながら再び倒れた。
『ライデン、モヒート様は!?』
『やられてはいないようだけど、姿は見えないわ!』
ルイザとライデンは転倒した大猿の周囲を回るように動き、隙をついては接近して一撃を喰らわせ、また距離を取って死角へ――死角へと動いていく。
大猿の体力は限界に近づいていた。その原因の一つが初手で大舌を――魔族にとっての血液である緑色の体液を大量に失っているためだ。
魔族は人よりも遥かに優れた身体能力を持っているが、それでも生物としての理から著しく逸脱しているわけではない。身体的構造からくる急所は存在し、巨躯を動かすためには骨と筋肉が必要だ。
ライデンの電撃とルイザの打撃により、大猿の身体能力は更に低下していた。
だが、身体能力が負傷により著しく低下していても、大猿に焦りはなかった――相当に鬱憤と憤りと溜めてはいたが。
「ニンゲン如キガ……調子ニノルナァァ!!」
そして、その激情が溢れ出るのも時間の問題でしかなかった。
大猿の全身からドス黒い靄が漂い始め、ルイザとライデンの攻め手が止まった。
『どうやら本番開始のようね~ン』
『ライデン、取り込まれないように注意して』
二人とも黒い靄が何なのかを重々承知していた――因子だ。
人を疫鬼に変質させる悪性のマナ。魔族との戦いは、それ即ち因子との戦いでもある。
幻装騎兵が全身鎧の形や、回転玉座のような全身を包み込む形態をとっているのも、あの因子に取り込まれないようにするためだ。
大猿は因子を左右の巨碗に集めていくと、ただでさえ太く大きな巨碗が更に肥大化し、幻装騎兵とはまた違う――もっと生物的な異形の腕へと変化した。
これが魔族の戦闘形態である――魔鎧骨格だ。
「サァ――パァァティィィタァイムダ!!」
大猿は雑木林の上へと跳びあがると、ルイザの白騎士を狙い、二倍以上に巨大化した剛腕を振り下ろした。
ルイザはその一撃を後方へ滑空するように回避し、同時に翼の意匠が施された円盾を産み出して構えた。
その直後に生まれたのは、雑木林を軒並み押し倒すほどの衝撃波だった。
『く――っ!』
大猿の一撃は雑木林に巨大なクレーターを作り、ルイザは衝撃波を円盾で防ぎながらも、その体は大きく流された。
『ルイザ、もっと下がりなさい!』
その一撃を、ライデンは更に空高く舞い上がって躱していた。藤紫色の鎧は全身に紫電を走らせ、ライデンの体が自然落下以上の加速を産み出して急降下する。
『“雷斧蹴”!!』
雷鳴轟かせながら急降下するライデンが大猿の直上で回転し、繰り出す踵落としが描く斧刃の雷閃が、頭部を頂点から蹴り抜いた。
「ブヘェ――ッ!」
大猿の全身を紫電が突き抜け、更に蜘蛛の巣状にクレーターを駆け巡る。
雷斧蹴の衝撃に間抜けな声を上げて顔面からクレーターへと突っ込んだ大猿だったが、すぐに剛腕を立てて地中にめり込んだ頭部を持ち上げると、悪鬼と見紛うばかりの形相で跳び退るライデンを睨みつけた。
「逃ガサァァーン!」
全身から緑色の体液を吹き出し、魔鎧骨格の剛腕を地面に叩き付ける反動を利用して、大猿は一気にライデンとの距離を詰める。
『は、速いッ!』
「フンッ!!」
技術も狙いもない、暴威のみを纏った剛腕の一撃がライデンの腹部を捉え、華奢な鎧越しからも聞こえる骨を粉砕する音と共に殴り飛ばした。
『きゃぁぁぁ!』
大猿の反撃はまだ終わらない。雑木をへし折りながら吹き飛ぶライデンを追い、更に跳んで追撃を狙う。
「エ~クティ~~ッス! コレデ一匹目ダァ!」
緑の大舌が引き裂かれているため、大猿は下腹部の大口を全開に開き、腹からライデン目掛けて跳び込んだ――しかし、へし折った雑木の根元に落ちたライデンに咬みつこうとした瞬間、大猿の巨躯は光の壁に激突してその動きを止めた。
「ナ、ナンダコレハ――?」
『清浄なるマナの監獄――“聖獄”です』
大猿の周囲は光の壁に囲まれ、足元には複雑な幾何学模様が刻まれた魔法陣が出現していた。
魔鎧骨格を纏った大猿が全力で光の壁を殴りつけているが、その衝撃全てが光の壁に吸収されるように消えていく。
「ナゼダッ! ナゼ破壊デキン!!」
『それは、あなたが魔族だからです。“聖獄”はいかなる因子も通しません。ですが――』
ゆっくりと大猿に近づいて行くルイザは足元に転がる雑木の破片を拾うと、それをなぞるように手を振る――ただの破片でしかなかった雑木は白炎を纏って浄化の槍へと姿を変えた。
『――因子を含まぬ攻撃は、更なる聖の輝きを纏って貫きます』
そう言って投擲した一撃は光の壁を突き押し、大猿の短い脚へと突き刺さった。
「グアァァァ!」
雑木の破片が突き刺さったとは思えないほどの絶叫を上げ、大猿の動きが止まる。脚に突き刺さった雑木を引き抜こうとするも、光の壁の外にあるので触ることすら不可能だった。
聖獄はルイザの持つ能力の中でも最も強力なものだ。因子の通過を阻むとはいえ、相手のマナが聖獄に込めたマナ以上ならば、破壊されるのは光の壁の方だった。
しかし、ここまでの戦闘で大量の体液とマナを失っていた大猿は、咄嗟に展開した聖獄すら破壊できないほどに衰弱していた。
そして闇色に染まる雑木林に響き渡るのは、大猿の絶叫でもルイザの美しい声でもなかった。
「クックック……アーハッハァー! やるじゃねぇかルイザ、最高のお膳立てだ!」
その声は、今まで姿を隠していたモヒートの嗤い声だった。
『モヒート様、ご無事でしたか!』
ルイザの声色が僅かに高くなり、周囲を見渡してモヒートの姿を探すが見当たらない。
代わりに雑木林の上空から舞い降りたのは四体の空飛ぶ鋼。それらが持つ雰囲気がモヒートの防衛用多脚ドローン“キャンサー”と酷似していることから、ルイザはこれら四体の鋼はモヒートが産み出した何物かであることを直ぐに察した。
『こ、これは一体……』
『きっとモヒート様です』
ルイザと違い、ライデンは舞い降りた空飛ぶ鋼に言い知れぬ恐怖を感じていた。
「ナ、ナンダコレハァ?!」
大猿もまた、聖獄の周囲を旋回している四体の鋼に警戒心を強めていた。
「こいつは無人強襲型ドローン“キラービット”って言うんだが……まぁ、これからハチの巣にされるお前には言ってもしょうがないな」
そう言いながら雑木林の上から飛び降りてきたのは、しばしの間姿を隠していたモヒートだ。
「ニンゲン! コノ幻装騎兵ハオ前ノカ!」
「その通り、お前のためにわざわざ急造して武装も整えたんだ。お陰で腹減ってしょうがねぇぜ」
素肌をむき出しにしている自分のお腹を擦りながら、モヒートは聖獄に閉じ込められた大猿を見てニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
『モヒート様!』
『モヒート!』
「おう、ルイザ。それに紫のはライデンか? さっさとコイツを始末して、飯の食いなおしをするぞ」
モヒートはもう大猿のことを見てはいなかった。
ルイザへと近づいて行きながら、パチンッと指を鳴らすと――旋回していたキラービットの単眼カメラが赤く光り、球状の胴体から腕の様に突き出る二門のミサイルランチャーから小型ミサイル群が射出され、胴体下部から伸びる刺針のようなビームガンがエネルギー弾の発砲を開始した。
「ギャァァァァァ!!」
大猿の周囲を旋回する四機のキラービットによる一斉射撃は、光の壁を全方位から突き押し、やむことの無い砲撃の嵐は瞬く間に大猿の巨体を押しつぶしていった。
絶叫と砲声が混じり合う中、モヒートは悠然とルイザの正面へと立ち、「ご苦労さん」とその肩に手を置いた。
その背後で、一筋の光線になるほどに押しつぶされた大猿が絶命したのだが、モヒートの関心は夜食とその後に行うルイザとのマナ補給にしかなかった。




