第22話
「デブったのが三体、その後ろにもう一体……コイツはなんだ?」
ナイトビジョンデバイスによってモヒートの視界は緑白色に染まっているが、その世界に一際異質な形状を持つ人型が見えていた。
前をゆっくりと進む肥大した疫鬼よりもさらに大きいが、その形状は前の三体ほど崩れてはいない。
どことなく猿系の動物にも見えるが、明らかに体格とバンプアップした肉体が符合しない。
「おい、ヘッケル。おっきな猿みてぇのが一番後ろにいるが、あれも疫鬼なのか?」
「なに? 動物の疫鬼も時折見かけるが、それではないのか? 違うのか?」
動物の疫鬼も存在するのか――そう言われて改めて一番奥の巨体を確認するが、少なくともそのシルエットはモヒートの知識の中にあるどの動物とも一致しなかった。
やがて――雑木林をへし折り、踏み砕く音が防壁の歩廊にまで聞こえて来た。
疫鬼の臭いを嗅ぎ分ける捜索犬が喧しく吠えたて、ここまで近づいてくればヘッケルや防衛隊員たちにも、篝火の明かりだけでソレが見え始めていた。
「ま……魔族だ……」
それが誰の呟きだったかはモヒートには判らなかったが、誰が言ったかが問題ではない――何を言ったかだ。
魔族――モヒートが召喚されたフェイム大陸と、海を隔てた暗黒大陸に生息する種族。
モヒートはルイザから聞いた話を思い出していたが、圧倒的なマナと人を超える身体能力で人間の国々を滅ぼしていった――とまでは聞いていたが、具体的な話は聞いていなかった。
魔族がどのように人を襲い、そのあと暗黒大陸に帰った理由など――だが、聞かなくてももう判る。
「ニンゲーン♪ ニンゲーン♪ 捻ッテ、丸メテ、美味シイナァ~」
重低音のガラガラ声で巨大な猿が歌っていた。短足に毛むくじゃらの上半身、地に着くほどの巨碗でへし折った雑木を振り回している。
よく見ると、歌っているのは猿頭だけではない。下腹部付近にもう一つ、巨大な大口がついていた。汚らしい歯牙を並べ、緑色の舌が蠢いて歌っている。
「ま、魔族だぁ~!!」
巡回警備員の一人が恐怖に顔を引きつらせながら叫んだ――が、その声は相手にもしっかりと聞こえていた。
「オー! ニンゲン発見! サァ、疫鬼ドモ、宴ノ始マリダ!」
大猿が巨碗に握る雑木を防壁へ投げつけると、それが歩廊の僅か下に直撃した。その衝撃は防壁の一部を噴き上がらせ、歩廊で立ち竦んでいた巡回警備員の一人を上空へと吹き飛ばした。
「うっ、うわぁぁぁ!」
バタバタと手足を動かし、アクマリアの防壁から投げ出された巡回警備員は絶叫と共に空中へと投げ出された。
「ハッハァーッ! キャ~~ッチ!」
最初から狙っていた事だったのか、大猿の魔族は下腹部の大口から緑色の舌をカエルのように伸ばし、投げ出された巡回警備員を絡み取ると瞬時に大口へと引き寄せ――。
「ぎゃ――」
巡回警備員の叫びは閉じられた大口の歯牙によって途絶え、代わりに聞こえて来たのは骨を砕き、肉を噛み潰す咀嚼音だった。
ブチュブチュ――と、歯牙の隙間から赤い体液が溢れ出し、時折異物を吐き出すように防具や服の一部を吐き出している。
「ウ~~ン、ココノニンゲンハ旨イ!」
雑木が防壁に投げつけられてからの早業と予想外の動きに、モヒートは目を見開いて体を硬直させていた。
「魔族って人を喰うのかよ……変身ヒーローにゾンビと人喰いモンスターか……とんでもねぇな」
「マーカス、ライデン様とルイザ卿を急いで呼んで来い! サムソン、巡回警備たちを連れて兵舎に応援要請、バラカスは住民を砦の地下壕に避難させろ!」
「りょ、了解!」
モヒートと同じように驚愕の表情を見せたヘッケルだったが、魔族の人喰いを知っている分、モヒートより早く次の行動を起こした。
防衛隊の三人がヘッケルの指示を受け、逃げ出すように砦へと馬を走らせていく。歩廊に残ったのはモヒートとヘッケルの二人だけ、防壁下で蠢いていた疫鬼六体はすでに核を貫かれて動かぬ死体へと還っている。
残りはデブった疫鬼三体に、食事後のゲップをしている魔族の大猿が一匹。
こちらはモヒートとヘッケルの二人だけだが、ヘッケルは普通の人間で、戦うための武器は長柄の槍と腰に佩く長剣のみ。
「これはあれか……俺にデブ三体と人喰い猿の相手をさせる気か?」
「モヒート卿、あんたはバストラルを討ち取ったと聞くほどの騎士だ。増援が来るまでの間、持ちこたえてほしい」
ヘケットの声色からは信用も信頼も感じられなかったが、あの四体を無視するわけにもいかない。モヒートにとってアクマリアは家も同然、そこを荒らすつもりならば、その対処に手を抜くことはあり得ないことだった。
「はぁ~~なにが持ちこたえろだ。ちょっとそこ開けろ」
モヒートは歩廊に立つヘッケルに、少し離れた位置に移動するように指示すると――。
「モヒート卿、何をするつもりだ?」
「俺は魔族だけ殺る。残りはキャスターの仕事だ」
そう言ってモヒートは歩廊から二機の拠点防衛用多脚ドローン“キャスター”を取り出して投下すると、眼元にはサングラス型の|CCS(統合情報システム)内蔵コントロールユニットを着け、すぐにキャスターを起動させた。
「防衛システムを起動、ターゲットを識別、データとっとけよ――ロックするのはそのデブだ。|FCS(火器統制システム)をこっちにまわせぇ」
バストラルと戦った時に産み出したキャスターは、モヒートの望み通りの性能を発揮してくれた。細部の機構や仕組みを理解していなくとも、武器製造プラントに保管されていた設計図によって生産することが可能だった。
必要な部品や資材もすべてマナを変換することで作り出し、この一ヶ月の間にいくつもの武器たちを生産した。
しかし、モヒートはそれをアクマリアの防衛隊に貸与することはしなかった。それがどれだけ危険なことか、よく理解しているからだ。
どれだけ屈強な男たちがグループに集まろうとも、ナイフ一本でリーダーが決まることはよくあることだ。凶器を持つ者、その力を振るうことに躊躇しない者は、どれだけ貧弱な女子供であろうとも、それだけで他者を圧倒する。
そんな武器を――さらには旧アメリカのアルキメデス内蔵兵器を他者に渡すなど――どんな状況でもあり得ない話だった。
だからこそ、|CCS(統合情報システム)一つで絶対に裏切らない戦闘部隊を
率いることが出来るのは、この世界でルイザの次に信頼できる力だった。
「こ、これがモヒート卿の幻装騎兵」
ヘッケルは防壁の下に投下され、胴体上部の単眼カメラが周囲を索敵するように動き回り、四脚を立ち上がらせて起動するキャスター二機に目を奪われていた。
そして、その動きを見ていたのは魔族の大猿も同じだ。
「エ~~クティ~~ッス! 人ノ生ミ出シタ欲望ノ化身! ドイツダ? ドイツガ騎士ダ!」
「モ、モヒート卿……」
「ヘッケル、お前は――お前が出来る仕事をしろ。キャスターども、識別番号振るぞ――α01、α02……攻撃を開始しろ」
|CCS(統合情報システム)内蔵のサングラスを通して疫鬼二体への攻撃開始を指示し、同時にモヒートは防壁の下へと飛び降りた。
攻撃開始の指令と共にキャスターたちは胴体上部に装着された二対のビームガトリングガンが空転させ、瞬く間に撃ち出され始めた粒子の雨が疫鬼の肉体を削り始めた。
同時に中央を進むデブった疫鬼に向けてブラスターライフルを構えると、モードをフルオートにしてトリガーを引いた。
撃ち放たれるエネルギー弾の嵐は闇色の雑木林を引き裂き、デブった疫鬼たちを瞬く間に撃ち砕いていった。
肥大化した肉塊はもちろん、因子が感染した患部である瘤を撃ち抜き、エネルギー弾の高熱は疫鬼の肉体を燃やし尽くしていった。
ヘッケルは歩廊の上で恐怖に打ち震えていた。震えの理由は目の前の魔族でも、デブった疫鬼でもない。モヒートが産み出した異形の幻装騎兵――そしてモヒート本人に対してだ。
幻装騎兵を装着せずに外部へ召喚できる騎士は少数だが存在する。
バストラルの回転玉座も、直接的な装着型よりも外部召喚型に近いものだった。
ヘッケルが知っている幻装騎兵というものは、騎士の命令を受けて勝手に動くような存在ではない。所詮は鎧や乗り物の延長線上の存在なのだ。
しかし、目の前で動く二体の幻装騎兵は、騎士の動きとは全く連動することなく疫鬼に攻撃を仕掛けている。
そしてモヒートは、疫鬼にも魔族にも恐れることなく、真っすぐに闇の中を歩いていた。
未知の存在への恐怖は、自分に害なす者にだけ抱くわけではない。たとえその人物が味方であったとしても、得体の知れない恐怖は人を襲う。知らないからこそ恐怖し、体を硬直させ、答えの出ない思考の迷宮へと迷い込む。
ヘッケルは槍を握る手が冷たい汗に濡れているのを気づくと、その原因であるモヒートの背中に視線を向けて外せなくなっていた。




