#005 編入試験〔実技Ⅰ〕
「実技試験ってどういう事するんですか?」
講堂の建物から出てレゼルの前を歩く女性教師の背中に彼はふとした疑問をぶつけてみた。
女性教師――ルイサ・エネディスは振り返る事なくすらすらと答えた。
「普通なら『物』の創造をしてもらう。創造術で創った物――創造物の構築と消失の早さ、それに耐久性などを試験官が評価する」
今は、編入試験其の弐・実技試験が行われるという実技棟に向かっている所だ。
筆記試験が行われた講堂と実技棟は渡り廊下で繋がっている。現在その渡り廊下にいるのだが、渡り廊下は中庭を縦に分断する様にあって、レゼル、セレン、ルイサの三人は冷えきった空気の中を進んでいた。
「今日は寒いな……」
ルイサの呟きは独り言だとは分かっていたが、レゼルは寒さを忘れたいが為に声を発した。
「時間的に一番冷える時ですしね」
レゼルの口から白い息が漏れる。
この世界には、昔はあったという朝や昼というもの自体は存在しないが、そういう言葉は存在する。朝の時間になれば気温は冷え込むし、昼という時間帯になれば気温は上昇する。そうして、ディブレイク王国で最も気温が下がるのは夜だ。太陽のあった昔、これらの気温の推移は太陽の有無が関係していたのだと、有名な科学者の学術書に記してあった。しかし、太陽が消えた今、どうして気温が昔のままで存在するのか、それは科学者たちの中で永久の議題となっている。
ルイサも彼と同じ気持ちだったのか、レゼルの話に乗ってきた。
「全く、引ったくりなどがあったお陰で予定が三十分もずれてしまった」
只今の時刻、午後十一時半少し前。後三十分もすれば日付が変わってしまう。
「今更だが、学院の休日に試験が出来なくてすまないな」
ルイサは歩き続けながら、振り返りもせず、だったが、声には謝罪の響きが確かに込められていた。
だから、レゼルは反射的に首を横に振った。
「いや。学院には滅多に編入生なんて来ないから、仕方ないですよ。試験が遅い時間になるのもある程度覚悟してましたし、俺が編入届送ったのも時期が悪かったし」
学院に編入生は滅多に来ない。まず、創造術を学ぼうとする少年少女は春に入学するからだ。
因みに、全ての創造学院で、一人の者に門戸を開くのは一度と決められている。入学試験で落ちてしまった者は、そこで諦めるしかないから、入学試験で失敗した者が編入するという事はない。
そして、創造学院が冬に最も忙しくなるのは有名、というか当たり前の話だった。
「冬は空気が澄んで、星がよく見える様になる。創造術が一番行使しやすい時期だ」
ルイサが夜空を見上げながら言った。
レゼルとセレンも釣られて顔を上に向ける。
渡り廊下の屋根は硝子製で、夜空に浮かぶ星々が透けて見える。屋根にはステンドグラスも嵌め込まれ、頭上の風景は学院の厳かな雰囲気にぴったりだった。
「綺麗です」
セレンがうっとりとした声音で呟いた。無表情は変わらないが。
「……隠れてるな」
目を凝らして夜空を見上げていたレゼルの声はルイサに聞こえてしまったらしい。
彼女は首を回して不思議そうにこちらを見た。
「隠れてる? 何が、隠れているんだ?」
「あ、いや……その、月が雲に隠れてるなって」
「月? ……ああ、そうだな」
ほぼ真上に浮かぶ月は今、ちょうど厚い雲に覆われてしまっている。今夜(時間的に)は風が無いから、あの雲は明日まで月を包み続けるだろう。
「そういえば、さっき思ったんですが、実技試験って『能力』の創造は評価しないんですか?」
レゼルの言葉は少々唐突だと感じたが、彼の言葉で言い忘れていた事を思い出したルイサは、すぐに彼の質問に答えた。
「馬鹿者。『能力』の創造は受験者には難しいし危険だ。学院に入る前から出来る者など毎年入って来る新入生二百五十人の内三十人程度だぞ」
「そうなんですか?」
「そうなんだ。『能力』の創造をあんな簡単にこなす君がその三十人の中に入っているというだけだ」
そうだったのか、とレゼルは心の中で驚いていた。
今まで彼の周りにいたのは、プロの中でも一流の創造術師達ばかりだったのだ。学生の創造術師、つまりアマチュアには会った事さえ無い。
「……だが、実技試験で君には『能力』の創造もしてもらおうと思う」
「……は?」
ルイサの言った事が心の底から理解出来なくて、レゼルは足を止めた。
上を向いて歩いていたセレンがその背中にぶつかった。
「言ったはずだぞ? 普通は『物』の創造をしてもらう、と。普通は、という事は、今回は普通では無いという事だ」
ルイサも歩を止め、振り向いてくる。眼鏡の奥の瞳は冗談を言っている時のものでは無い。
「……何で普通じゃないんですか?」
「もうこんな時間だろう? 実力を見るなら戦闘が一番手っ取り早い。もちろん対人戦だ」
「対人戦って、相手はまさか」
「私ではない。そこまで酷な事はしないさ」
レゼルの発言を遮って言うと、ルイサは体の向きを元に戻して歩みを再開した。
レゼルとセレンもその後に続く。
「心配要らないさ。相手など、実技棟に行けば沢山いる」
「え?」
「行けば分かる」
ルイサはそれだけ言って黙ってしまった。
レゼルも無理に問うたりはせず、行けば分かると言うのだからと、大人しく試験官に付いていった。
「日付が変わる前に終わらせてしまおう」
後ろで眠たそうにしているのを隠しきれていないセレンが気に掛かっていたレゼルは、ルイサの意見に同意した。
◆
編入希望の少年が筆記試験を受けている頃に時間は遡る。
実技棟に、一人の女子生徒と一人の男子生徒が訪れた。
「あ、代表に副代表。遅くまでお疲れ様です」
実技棟に入るとすぐに広い空間が広がっている。ここは創造術の訓練場でもあるから、当たり前と言えば当たり前だった。
実技棟は模擬試合の闘技場も兼ねているので、それを観戦する為に長方形の空間の左右には観覧席が設けられている。訓練場、兼、闘技場を見下ろす形になる、階段状の観覧席だ。
今来たばかりの女子生徒と男子生徒は、二人がここに来る前からここで創造術の訓練に励んでいた女子生徒に実技棟に入るなり声を掛けられた。
代表、と呼ばれたのは女子生徒の方。
その女子生徒はかなりの美少女だった。高い位置で纏めたポニーテールは鮮やかな金髪。その活動的な雰囲気を醸し出す髪型としっくりくる、峻烈で美しい翠の瞳。
しっかりしていそうな容姿は少し冷たさを感じたが、声を掛けてきた女子生徒に対し微笑んだ表情は、とても暖かなものだった。
「貴女も、お疲れ様。遅くまで頑張っているのね」
「そんな! 私は自分の為だから……。私達の為に遅くまで頑張っている代表達とは、比べ物になりませんよ。創造祭の準備、お忙しいのでしょう?」
「まぁ、そこそこね。はっきり言うと、細かい所は先輩達がやってくれるから、一年は楽だわ」
「おいミーファ、お前が楽してる分は俺の所にくるんだからな」
ミーファ、と名前を呼ばれた女子生徒は、自分と一緒に実技棟を訪れた男子生徒を見た。
先程、元々ここにいた女子生徒から副代表と呼ばれたのはこの少年だ。
体格の良い男子生徒だった。明らかに格闘技の得意そうな容姿。
かといって露骨にゴツい、という印象はそれほどでも無い。茶色に染めた長めの髪と片耳だけに付けた小さな金色のピアスは、軽い感じを思わせる。
だが何処か、人を安心させる様な、負の感情を包み込んで消してしまう様な雰囲気もある。
「え、そうだったの? 知らなかったわ」
「絶対知ってただろ、お前!」
二人のやり取りに女子生徒がクスクスと笑う。
暫くしてミーファと男子生徒もそれに釣られて笑顔を溢し、和やかな空気が漂った。
「ノイエラ、訓練は上手くいってる?」
ミーファにノイエラ、と呼ばれた女子生徒は曖昧な笑みを浮かべた。
「そこそこ、ですね。今日は少し暗いとはいえ、それは月が雲に隠れているからであって、星は綺麗に見えているのに」
星の光を使う創造術は、気候・気象が大きく影響してくる。
星に雲が掛かっていればその光は地上――正確には創造術師――に、届き難くなる。創造物の構築や『能力』向上の際に重要になる融合体は、星の光が少なくなってエナジーとの比率が乱れると外に引っ張り出し難くなったり、筋肉や神経系に取り込み難くなったりしてしまうのだ。
その行き着く先は、創造術の失敗。
エナジーの脈が暴走し、エナジーが外に駄々漏れになってしまう、という事もある。それは生命力が徐々に減っていくという事。流血と同等の「重症」なのである。
身体にダメージが返ってくる程のミスをしなくても、創造物が脆くなったり能力が思った通りに上がらなかったり、という事が起こる。
星の光が多くてエナジーが少ない融合体も問題だが、エナジーの制御は星の光の制御より格段にやり易いのでそういう融合体を作り出す創造術師は殆どいない。
制御しやすい理由は唯一つ、エナジーは自分の身体を構成するものだからだ。誰だって他人の腕を思い通りに動かすよりは自分の腕を思い通りに動かす方が明らかに簡単だろう。
だから、星のあまり見えない日は創造術は使い難い。
星が殆ど見えない――というか、星の光が全く届かない真っ暗な空間でも簡単な創造術ならこなせる様になれば、創造術師として一流の証だと言われている。
「さっきも剣の創造に失敗して、すぐに折れちゃったんですよ。創造術の使い易い冬でもこれなんて、先が思いやられます……」
はぁ、と疲れた表情で溜め息をつくノイエラ。
そんな彼女に、ミーファが笑顔で声を掛けた。
「大丈夫よ。だって、ノイエラの本領はこっちでしょ」
自分の頭を指差すミーファ。
ノイエラは、実技の成績は芳しくないが、一般教科含め創造術理論――つまり筆記に至ってはかなりの秀才なのだ。
「しかしそれだって、代表には敵わないではありませんか。創造祭でだって、評価されるのは実技です」
「ミーファ、何のフォローにもなってないぞ」
ノイエラの悲しそうな瞳と呆れ顔の男子生徒に責められる様に言われ、たじろぐミーファ。
しかし、すぐにノイエラは笑顔になった。縁無し眼鏡の奥の知的そうな目が細くなる。
「ふふ。まぁ、私は代表に敵わないからこそ、代表に憧れるのですが」
「ノイエラ……」
感動した様に翠の瞳を輝かせるミーファに、男子生徒は内心呆れ返っていた。
「おい、ミーファ」
「何よ、ハルキ」
「早くしねぇと、編入生が来ちまうぞ」
「分かってるわよ」
男子生徒――ハルキとミーファの話にノイエラは首を傾げた。ストレートショートの髪が揺れる。
「編入生ですか? ……そういえば、何故お二人は実技棟へ?」
「実はね、今日、編入試験が行われているの。それでこの実技棟を使うのよ」
ミーファの説明にノイエラは目を丸くした。
創造学院に編入生なんて普通いないから、驚いたのだろう。いや、学院に編入という制度がある事自体、彼女は知らなかったのかもしれない。
「今から試験なんですか? もうすぐ一日が終わっちゃいますけど」
「ああ、そうだ。休日は教師全員、時間が取れなかったらしい。編入生、カワイソーに。眠気と戦いながらの試験だぜ」
ハルキは自身の言葉とは裏腹に、とても楽しそうに言った。
ミーファとノイエラはそんな彼を見て苦笑を浮かべる。
「まだ、あまり眠い時間でも無いですけどね。編入生って、どんな人なんですか?」
ノイエラがその表情のまま、どちらともなく訊ねる。
答えたのはミーファだった。
「それがね、名前しか分かってないの。レゼル君って言うらしいわ」
「男の名前だよな、レゼルって。姓も分かんねぇし。面白い奴だと良いな」
ハルキが実技棟の中で創造術の訓練をしている沢山の生徒達を眺めながら言った。
友達同士でグループを作って創造術で模擬試合をしている者達もいれば、一人で黙々と『物』の創造を繰り返している者もいる。おそらくノイエラは後者だったのだろう。
そしてそんな空間の所々から様々な色の光が輝いている。この光は、融合体を外に引っ張り出す際に漏れる光で、創造光と呼ばれている。
だが、この創造光を漏らさないのが一流の創造術師だ。
創造光を漏らさない、という事はつまり、構築のスピードが早いという事だ。融合体を外に引っ張り出すのが早ければ創造光はあまり漏れない。
実戦でも、創造術で『物』を創造する度に光が発されていたら身を隠す事も出来ないだろう。それは、不意打ちを狙いたい状況においてかなりの不利になる。
しかし、学生の創造術師――アマチュアで創造光を漏らさない、という生徒はあまりいない。
創造光を漏らさない創造術――無光創造が出来るのは、最高学年の四年生や三年生の半数、毎年三十人程度いると言われる『能力』の創造が出来る特別優秀な生徒くらいだろう。
「まぁ、学院に入学じゃなくて編入してくる奴なんだから面白い奴の可能性は高いな」
「入学手続きが遅れただけかもしれないわ」
「今冬だぞ? 半年以上も遅れる事なんかあるのか? ……ミーファ、お前、学年で一番筆記出来るのに変なとこで頭悪いよな」
「う、うるさいわね。余計なお世話よ」
ノイエラはミーファとハルキの会話を微笑ましそうに笑顔で聞いている。
ミーファはそんな彼女を見て「何かハルキに言ってくれれば良いのに」なんて思いながら、話を逸らす事にした。
「それより、早く皆に事情を説明して試験の間だけ実技棟のスペースを空けてもらうわよ。訓練の邪魔をするようで悪いけど」
それから彼らは、創造術の訓練に熱中している生徒たちに声を掛け始めた。