#038 恋する少女の一重奏
ラブコメ風です。ポロリありますが、そんなリアルには書いてないです(笑)
寄らなきゃいけない場所。
それが、ここ――女性向け洋服店だった。
ミーファ曰く、『無限の星影』用にドレスを新調したいらしい。因みにインスタでは男子も女子も正装するのが義務らしい。つまり男子はスーツか燕尾服、女子はドレスで出なければならないという事だ。
「――レゼル君」
不意に、彼の背後にある更衣室から少女のちょっと困ったような声がした。
振り向くと、ミーファが直方体の空間の中から、カーテンで身体を隠してその隙間からちょこんと顔を出している。
「……どうしたんだ?」
「さっきの青いドレスだけど、背中に手が届かなくて……レゼル君、ジッパー上げてくれない?」
――え?
と、レゼルは予想外のお願いに一瞬だけ固まった。だがすぐに、それは異性の自分では駄目だろう、と思う。
「……いや、そういうのは店員さんに――」
――やって貰おう、と言いながらカウンターの中の女性に言いに行こうとしたレゼルだが、その裾をミーファが掴んで引き留めた。
「ミーファ?」
「……駄目よ。店員さんは仕事があるわ」
「……いや、客のお願いに応えるのも店員の仕事だろ」
レゼルが言うが、カーテンの間から伸びた手は、頑なにレゼルのコートの裾を放そうとはしなかった。
ミーファは顔を俯かせ、黙っている。その姿にちょっと既視感を感じた。
「……ミーファ?」
「レゼル君がやって。……そっちの方が早く試着が終わるでしょ」
彼女の声には、まるで死を覚悟した人間のような決意が含まれていた。
それに押されて、レゼルは仕方無くミーファの要望に応える事にした。
「……分かったよ」
「あ、ありがとう。じゃあ、その……更衣室の中に入って」
一瞬、何で、と思ったが、レゼルが中に入らなければミーファは背中を店内に晒してしまう事になる。店内にはレゼルを除いて女性客しかいないとはいえ、恥ずかしいのに変わりが無いのは当たり前だ。
ミーファが奥に引っ込み、レゼルは数個の紙袋を床に置いて、恐る恐る、更衣室の中に入った。
彼の背後で店員や女性客の羨ましげというか楽しげというか、そういう明るい類の悲鳴が上がる。だが、それは彼には聞こえなかった。
何故なら、彼は青いドレス姿のミーファに目が吸い込まれそうになっていたからである。
彼女は狭い空間の中で、レゼルに背を向けていた。ドレスのジッパーが上がっていないので、ミルクのような滑らかな白い肌の背中と両肩が露出している。今はポニーテールを横の方で纏めて前に出しているので余計だった。
更衣室には姿見があり、そこには青いドレスのレースにあしらわれた胸元を押さえたミーファの前面が映っている。彼女は耳まで顔を真っ赤にして俯いていた。
恥ずかしいならやっぱり店員にやって貰えば良いのに、と思いながらも、レゼルはミーファのドレス姿に小さくない興奮を覚えている自分がいる事に気が付いていた。
彼女の今の姿を見れて少し気分が浮わついた自分がいる事を、彼は否定出来なかった。
綺麗や美しいなどという言葉では到底足りない華やかさを、彼女は持っていた。
鮮やかな蒼に映える、金色の髪。コルセットなどで締め付けなくとも扇情的な曲線を描く上半身。ふわりと広がったスカートには、可愛らしい花飾りとレースが付けられ、更に彼女の美しさを際立たせている。
どうもこのドレスは肩が露出する類のものらしく、それに合わせて胸元もかなり開けた――という表現は正しくないかもしれないが――デザインになっていた。背中のジッパーが下がっている今はずり落ちないように手で押さえられているそこにも、レースの他にブローチ代わりの大きなリボンが装飾されている。
「れ、レゼル君? どうかしたの?」
純粋な少年心から言葉を失ってしまった彼に、ミーファが僅かながら震えている声を掛けた。
それにレゼルはハッとして我に返り、頭を振った。
「な、何でもない」
ここで誉め言葉の一つでも言えれば良かったのだが、紳士の作法というものを無理矢理叩き込まれた彼にも――いや無理矢理だったからこそ、頭では理解していても実行するスキルは残念ながら無いのだった(残念ながら、の前には「ミーファには」が付く)。
「じゃあ、今、ジッパーを上げるから、少し動かないでくれ」
「ええ、分かったわ」
一瞬だ一瞬、と自分に言い聞かせながら、ゆっくりと手をミーファの背中に近付けていく。《堕天使》との戦闘は一瞬で終わらせられても、こういう事に対して耐性の全く無い彼は、戦闘のようには終わらせられないのであった。
レゼルの指が、青いドレスのジッパーに触れ、摘んだ――つもりだった。
「――ひぁっ!?」
突然、ミーファが間の抜けた声を上げた。
びくり、とレゼルは伸ばした腕どころか身体全体を震わせた。
「な、何――」
「レ、レゼル君、くすぐったいわよ! それに手、冷たい」
ミーファが金色のポニーテールを靡かせて振り向いた。
どうやら彼女の背中に直に触れてしまったらしい。雪の舞う冬の日に上着も着ず制服オンリーで外を出歩けるミーファ程には、レゼルは寒さに強くない(彼女はリレイズの街の生まれなのだから当たり前だ)。だから彼の指や手など、身体の末端が冷えるのも無理は無い。
「わ、悪ッ……ぃ……」
反射的な謝罪の声は、最後が掠れて小さな囁きのようになった。
レゼルは腕を震わせたが、ジッパーを摘まむ指は放していない。ミーファはいきなり振り返ったので、吃驚して腕の筋肉が硬直してしまったのだった。
つまり、レゼルがジッパーを掴んでいるまま、ミーファは振り返ってしまった訳で。
ドレスだから当然、下着など付けていない彼女の胸が、レゼルの指によって固定されたジッパーと振り返る動作でドレスの前面が大きく開け、露わになってしまったのだった。
「……え?」
胸元が妙に涼し過ぎる――彼女の場合、寒過ぎる、ではない――のを感じたのだろう。ミーファは自分の胸元を見下ろした。
レゼルはあまりの事にどう対応して良いのか分からず、目を背ければ良いのにそれも出来ず固まっている。
ミーファの顔が、今までとは比べ物にならないくらいに赤面した。
「きっ……」
彼女は目尻に涙を浮かべ、手を振り上げて。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――ッッ!!!!!!」
少女の悲鳴と乾いた音が、リレイズの街に木霊した。
◆
衣服店で、ミーファは自身の試着した蒼いドレスと何故かもう一つ、漆黒の派手過ぎないドレスを買って、そこを後にした。
荷物持ちは変わらずレゼルで、彼は荷物にドレスが二つ入った予想以上に重たい紙袋を追加される事を余議なくされていた。
冷たい冬の空気、平日だというのに混み合う大通りを物ともせず、ミーファはすたすたとレゼルの先を歩いている。
あの時から――彼女が叫んでレゼルの頬を張り、慌てて更衣室から転がり出たその後から、彼は彼女と全く言葉を交わしていない(因みに試着中だったドレスは結局店員に手伝ってもらって着ていた。その間彼は店の外に逃げ出していた)。
当然だが、怒っているのだろう。ただの友達でしかない男に、何を、とは言わないが見られたのだから。
ミーファに聞こえないように、レゼルは溜め息をついた。やはり慣れない事――試着の手伝い――はやるべきではないな、と思う。
怒っている、といっても流石はリレイズ生まれのリレイズ育ち、というか、先程も述べた通り彼女は大通りを行き交う人々にぶつかる事もなくスイスイと進んでいる。
混雑の少し和らいだ場所に至って、レゼルは遂に彼女に声を掛けた。
「……ミーファ、さっきの事だが……」
ぴた、とミーファの足が止まった。だが振り向く事も短く返事を返してくれる事も無い。
その様子に「相当怒っているな」と感じたレゼルは、やっと声を掛けられたと思ったのにそこから先の言葉を紡ぐ事が出来なかった。
だがその沈黙が、ミーファの小さな呟き――恐らく独り言――を聞き取る事を可能にした。
「……私の馬鹿馬鹿、本当に馬鹿! 胸見られたんだから、責任取ってという事でそのまま交際、延いては一直線でゴールイン出来たのに! いや、女の私は十六歳だから結婚出来るけど、男のレゼル君は十八歳になってからじゃないと……」
「……ミーファ?」
彼女の呟きの内容は理解出来なかったが、自分の名前が出てきたのを聞いてもう一度声を掛けた。
彼女はそれにやっと反応し、ハッとしたように振り返った。
「なッ、何かしらッ!?」
声が思い切り裏返っていたが、今以上に彼女を怒らせるような事はしたくないという感情から、レゼルはその事を指摘したりはしなかった。
代わりに、深々と頭を下げた。
「いや……本当に、悪かった。その、さっきの事……」
「え? ……あ、えっと……別に、もう良いわよ。あれは事故だし、もう私も怒ってないわ」
え?
と、あまりにあっさりとしたお赦しに、レゼルは目を丸くしながら頭を上げた。
「……今何て?」
「だ、だから許してあげるって言ってるのよ。もうさっきの事故は終わった事だわ。……それに、最初に頼んだのは私だし」
ミーファの顔は恥ずかしさから未だ真っ赤なままだったが、彼女はきっぱりと断言した。
正直に言って何をされるか不安だったのだが、彼女は許してくれるというのだ。レゼルは思わず、彼女の心の寛容さに感動に近いものさえ覚えていた。
「……ありがとう」
「何でお礼を言うのよ、必要無いわ。それに私だってレゼル君の事、引っ叩いちゃったしね」
今、レゼルの左頬にはくっきりと赤い手形が刻み込まれている。これはミーファに頬を張られた為だ。
「いや、これくらい受けるのは当然、というか……」
ミーファの平手打ちはレゼルなら楽々と躱せた。創造術を使っていない普通の少女の平手打ちなのだから、たとえポロリ事故――どころではないかもしれないが――があって身体を硬直させていたといっても、レゼルなら問題無く避けられていた。
だが、彼女の胸を見てしまったという罪悪感から、ここは引っ叩かれるべきだろうと感じて大人しく頬に衝撃を受けたのであった。
「まぁ、もうこの話は終わりよ!」
ミーファが必要以上に強く言った。
レゼルとしても今の話題を変えてくれるのはとても嬉しい事なので、一つ頷いた。
「じゃあ次はカフェでお茶しましょ。良いところ知ってるんだから。私そのカフェの常連で――」
「ミーファ」
「何?」
「一体、インスタの招待状渡しは何時やるんだ……?」
レゼルの訝しげな、少し呆れたような成分も混ざった問い掛けに、ミーファは「あ」という顔をした。
学院を出てから本来の目的を後にして寄り道――衣服店や装飾品店に寄っていた――ばかりしていたが、まさか忘れていたのだろうか?
レゼルはちょっと、彼女が第一学年代表だという事に失礼ながら不安を抱いてしまった。――まぁ、苦笑で済ませられる範囲の不安だったのが。




