#036 太陽を望む国
「……悪ぃ、レゼル」
「何で謝るんだよ。どっちかと言うと俺が助けられたんだろ」
本校舎の東階段を上り看板を運びながら、レゼルと晴牙は割と真面目な会話をしていた。
「いや、急にキレてすまん。その……俺さ、妹が《雲》だったんだ」
「……え?」
あまりにも唐突で悲しい真実に、レゼルは呆然としてしまう。
「……妹?」
「ああ。生まれた直後、名前も無いまま殺された。……俺の親父にな」
「……」
レゼルは何も言えないまま、彼の顔を見詰めた。クラスのムードメーカーとは思えない、弱々しく沈んだ表情がそこにはあった。
「……でも、死んじまってからだけど、俺が名前を付けた。『千晴』って」
「……」
「俺は親父にキレて、っていうのもあって日本を出てリレイズ創造学院に来たんだ。――って俺、何語ってんだろうな。忘れてくれ」
眩暈がしたように頭を振る晴牙は、普段の彼の姿が想像出来ないくらい弱々しいものだった。
レゼルはぽつりと小さな声で訊く。
「……俺を拒絶しないのは、それが理由か」
「え?」
晴牙はきょとんとしてレゼルを見た。
「なら俺は、千晴ちゃんに感謝しないとな」
レゼルは口元を綻ばせ、小さく笑った。
晴牙の妹が《雲》でなかったら、レゼルは彼とこうして話せていないかもしれないのだ。ならば、彼の妹には感謝しないといけないだろう。
「……ああ、そうだな。千晴に死ぬまで感謝しろよ。そして俺に奉仕せよ」
「厚かましい! というか感謝されんのはお前じゃないから!」
晴牙が何時も通りの人を食ったような笑みを浮かべ、レゼルは彼にツッコミを入れるのだった。
◆
国の科学技術が秘匿される場であるリレイズ創造学院に、他国出身の――それもその国の創造術の名家の――生徒がいて良いのか、と思っていたが、晴牙はどうやら家を無理矢理出て来たらしい。
先の彼の話から推測するに、晴牙が日本を出てディブレイク王国に行く事は身内にはかなり反対されたのだろう。
前に彼は「レミル・ソレイユのファンだからリレイズ創造学院に来た」と言っていたが、本当に日本を出た理由は妹を殺した父親に怒ったからみたいだし、ファン云々は、勿論その理由もあるだろうが、リレイズ創造学院に行く為の建前に近いのではないかとレゼルは思った。
実は、レミル・ソレイユのファンは殆ど九割がディブレイク王国出身者である。それは彼女が傭兵として参加した対《堕天使》戦争がディブレイク王国でのものが多いからだ。だからレミル・ソレイユのファンとしてリレイズに来る者は殆どディブレイク王国出身だ。晴牙のように多少は例外もいるが、そういう者は多分全員が国を出てきた者達なのではないだろうか。――もう、祖国に帰らないことを前提で。
確かに晴牙はレミルのファンなのだろうが、あまり熱狂的なファンではないようだし、本当にそれだけで日本を出て来たのかと疑問に思っていたのもある。
彼はまだ少しは聖箆院家と繋がっているようだから出奔とまではいかないだろうが、家出して来たのは明白だろう。多分ディブレイク王国側も、彼のような優秀な創造術師を日本に帰すつもりは無いに違いない。学院で国家間の争いが起こった時の為の科学技術を彼に見せている以上、国に帰して情報漏洩など本末転倒だ。
リレイズ創造学院は、晴牙が家出して来たから彼を受け入れたのだろう。卒業後も日本には帰れない生徒だから、彼を受け入れた。
しかし、万が一、彼が実家と仲直りし帰郷する事もありえる。
それを考えると、ある一つの推論が得られる。
即ち、ディブレイク王国と日本国は裏で繋がっている――ある種の協力関係にある、という推論である。
この推測については、レゼルは結構前々から考えてはいたが、それが更に晴牙の存在で確かになった事になる。
ディブレイク王国と、日本国。
二つの国名は古代語――朝があった頃の言葉――だが、ディブレイク王国の公語で翻訳してみると、その関係はほぼ浮き彫りになる。
ディブレイクとは、「夜明け」。
日本とは、「日の本」。
どちらも、朝が戻る事を祈り、太陽が望める事を願う、言葉。
この二つの国は繋がっているのではないか、とレゼルが予想出来たのはそれが理由だ。
朝を、太陽を望む。
この事実はつまり、夜である時間を一日の半分にするという事であり、星の光を使う創造術を一日の半分限りの技術として廃れさせてしまうという事でもある。無論、創造術師協会や創造術宗教団体とは明らかに敵対する行為だ。
二つの国名が古代語だと理解出来る者は恐らく世界中でも片手で数えられる程しかいないので、この事実は知る人ぞ知るというものだし、何の根拠も無いただの言葉遊びと言われればそれで終わりの話である。しかしこれが本当の事であり、ディブレイク王国と日本国が太陽を取り戻す為に本格的に動き出すとなれば、確実に協会と創教団はこの二つの国家を潰そうとするだろう。
それは、実に約五世紀振りに、人間対人間の戦争が起こるかもしれない可能性を示している。
国家と組織の戦争だが、それは「《堕天使》の脅威を退けるので精一杯で人間同士戦っている暇は無い」などと言っていられる今の現状を、無視しなければならない程の大規模戦争になるだろう。
それに、ディブレイク王国と日本はどうやって太陽を取り戻すのだろう。古代の文献だけにしか残っていない「太陽」という存在を、「朝」という概念を、どうやって――
だがそれは、まだまだ推測の域を出ない、一個人の考えである。
今、あまり深く考える必要は何処にも無い――と、彼は半ば現実逃避気味に考えを巡らせていた。
なぜなら、彼――レゼルは今、学院の外に出ていて、女性向けの衣服屋にいるからである。
リレイズの街を二つに分けるかのような大通りの一角にある店の中だった。
色とりどりの女性服に囲まれ、レゼルは肩身の狭い思いをしていた。
「レゼル君、どっちが似合うと思う?」
そう言って制服姿のミーファがずいっと眼前に突き出してきたのは、対照的な二つのドレスだった。
片や麗しい紅、片や鮮やかな蒼。
「え、えーと……」
レゼルはカウンターから向けられる微笑ましげな店員の視線を背中に痛い程感じながら、どう答えようかと困惑した。
何故なら彼には、着飾るものに全く興味が無い。そもそも彼は《雲》であり、着飾っても人の前に出る機会は皆無だ。それに加え、毎日着る服を考えなくて良い制服などは、とても有難いと感じるタイプの人間である。
だから「どっちが似合うか」と問われても、「どっちも似合うと思う」というのがレゼルの正直な答えになるのである。
実際、ミーファなら文句無くどちらも似合う――いや似合い過ぎるくらいのレベルになるだろうが、流石に「どっちでも良いんじゃないか」と言うのは気が引けたのであった。
姉やNLF総司令官に紳士の作法というものを無理矢理かじらされたレゼルには、どっちでも良いなどという答えが相手に誠実で無い事くらいは分かるのである。
ミーファが女の子特有のキラキラした瞳で上目遣いに見上げてきて、彼は更に戸惑う。
結果、
「あ、青……かな。どっちも似合うと思うけど、ミーファは《蒼碧の創造術師》だし、さ」
似合うかどうか、とは全く関係の無い理由を出して彼はそう言った。
だがミーファは何故か嬉しそうに笑う。
「そうよね、やっぱり私は青よね。好きな色だし」
だったら最初から青のドレスにして俺に意見を求めないでくれ、と思ったレゼルだが、口には出さなかった。
何だか嫌な予感がしたのである。具体的に言うと、それを口にすれば彼女に怒られそうな気がしたのだ。
「赤いドレス、戻してくるわね」
広いとは言えない店内をパタパタと駆けて行く華奢な背中と揺れる金髪ポニーテールを見ながら、レゼルはこっそり溜め息をついた。
ここに来るまでにも様々な店に寄って荷物持ちにされていた彼は、両手に紙袋を持ちながら改めて思う。
――何で俺、こんな所にいるんだっけ。
もう一度言うが、ここは女性向けのお店である。彼は今、制服の上に羽織ったコートのフードで上手く顔を隠しているが、体格などで男だと分かってしまう。そうでなくとも男子用の制服を着ているのだ、この街の人間ならそれを見て性別を間違えたりはしない(そもそも女子はスカートである)。
だからだろう、カウンターの中の店員、様々な服を物色中の女性客達から、レゼルは注目されまくっていた。
学院にいる時のような気味の悪いものを見るそれでは無く、羨ましそうな、好奇心が駄々漏れの視線である。
「ねぇねぇあの子達、カップルだよね」「そうでしょ、どう見ても」「っていうか見て、あの制服。創造学院のだよ、どっちも」「凄い、エリート同士じゃん」「憧れるよね、ああいうの。私も彼氏欲しー」「男の子の方、顔見せてくれないかなー」「待って待って、女の子の方、ミーファ様じゃない?」「えっ、うそ。神童のミーファ様?」「この街の領主、ミーナ様のご息女のミーファ様だわ」「鮮やかな金髪に綺麗なお顔、間違いないわよ」
という具合に、店内は中々に混沌な状態になっていた。
というか、レゼルとミーファは恋人同士ではない。全員が全員、何故か勘違いしているようだ。
別にそれは良いのだが(レゼルがそれで困る事は無い。そもそも顔を見られていないのだからある筈も無い)、異性からの視線には堪え難いものがある。「異性からの」というところが重要である。
「帰りたい。ここから逃げたい。まだ学院の方がマシだ」
レゼルは情けなさ100%の台詞を呟きながら、何故自分はこんな所にいるのか、その理由に思考を委ねた。




