#031 鬼と餓鬼
レゼルとジェイクは、闘技場の真ん中で対峙していた。
ジェイクが実技試験の時の四年生なら、その時と同じ構図だ。
闘技場に他の生徒はおらず、皆観覧席に座って二人を見下ろしている。これはミーファとルイサの模擬試合の時のような羨望の含まれた注目ではなく、嫌悪や得体の知れない人間への好奇心が含まれた嫌な注目だった。
だが、既にこんな視線には慣れっこであるレゼルは、ポーズではなく本当に何も気にしていない体でジェイクを見据えている。
そんな彼を、ジェイクは「強いな」と思ったのだが、顔には出さなかった。
「それでは、始めるか」
ジェイクの合図で、戦闘服を着用した二人が身構える。
レゼルは半身になって、腕を動かさずに自然体で直立。観覧席にいるギャラリーの声が聞こえなくなった。レゼルは常に、途切れる事なくセレンに意識を配っている。だから、彼が外部の声を遮断したのではなくて、観覧席の生徒達が話すのを止めたのであった。
セレンの事を気に掛けながら戦うのは、明らかに集中していない証である。ジェイクが聞けば怒っただろう。だが、それでもレゼルは、模擬試合だけに集中する気は毛頭無かった。
カタン、と何処かで小さな音が鳴った。
それは本当に微かな音だったが、今はやけに響いた。
そして、二人が動いた。
二人とも、全身に『能力創造』のための融合体を送り込みながら、融合体の一部を外に引っ張り出して『物質』――今の場合は創造武器――の構築も並行して行う。
レゼルの灰色の髪が輝く銀髪に、漆黒の瞳が鮮やかな碧眼に変わる。
「ほう。凄いな、本当に変わるのか。それに、天候のコンディションが最悪な日でも並行創造が出来るとはな。……認めよう、お前は強い」
ジェイクは瞼を閉じながら言った。
「――だが、それはあくまで、学生の範囲で、だ!」
ジェイクの前に陽炎のような空気の揺らぎが生まれ、それは一瞬で彼の背丈よりも長いハンマーを形作った。
鈍い鋼鉄色の、無骨なハンマー。
「……」
レゼルは、その撲殺武器を手にした実技担当教師を見て、ちょっとだけ言葉を失った。
彼の唇が、自分以外の全てを嘲笑うように歪んでいたのである。
「……ぶっ殺す」
歪な曲線を描いた口から、ボソッと、教師にはあるまじき言葉が放たれた。
「何か……」
可笑しいだろ、とレゼルは困惑しながら思う。
それでも彼は、とっくに創造武器の構築を終わらせ、右手には青い光の刀身を持つ〔光剣〕を握っているのだが。
「レゼル君、気を付けて! ギーヅ先生って戦闘になると人格変わるのよ!」
観覧席からミーファの声が響いた。
「人格変わるって……二重人格か何かか?」
少し驚きながら、レゼルはジェイクをまじまじと凝視する。
するとハンマーを両手に握った彼に睨み付けられた。
「ガン飛ばしてんじゃねェよ糞餓鬼ィィィ!」
「……」
ドスの効いた鼓膜への暴力に、思わず耳を塞ぎたくなる。聴力を強化する『能力創造』のために行っていた、うずまき管への融合体の供給を慌てて止めた。
ガン飛ばしてんのはそっちだ、と思ったが、レゼルは心の中で溜め息を吐くに留めて置いた。二十年前くらいの不良みたいになった教師とはあまり言葉を交わしたくなかったからである。
「今日は……そうだな、肋骨でも折るかァ? なァソレイユ、お前は何処を折られたい?」
「何処も折られたくありません」
「そォかそォか、首の骨を折られたいのか。お前見掛けによらず勇気あるなァ」
「……そんな事一言も言ってないし、大体、死ぬだろ首の骨折られたら」
会話に付いていけない、とレゼルが感じたその時。
ジェイクの身体から、抑える気も無い闘気と殺気と狂気が放たれた。
それを真正面から直に浴びたレゼルは顔を顰める。
だが、それはジェイクの発する三つの気が煩わしいと思っているからでは無かった。このくらいの闘気と殺気と狂気は、NLFの中で何度も体験したし、彼だってやろうと思えば「気」だけで人を気絶させるのも容易い。
レゼルがちょっと鬱陶しそうな顔をしたのは、ジェイクの放出している気にエナジーと、折角エナジー脈に取り込んだ星光、そして融合体までも含んでいたからだった。
それは、明らかに無駄な行為であった。
放出されたエナジーや星光は単体では何の役にも立たないから言わずもがなだ。
では融合体は、というとこれも無駄である。
創造術の『物質創造』では、構築し創造するものの「情報」が重要になってくる。例えば林檎を創造したいなら、林檎の「情報」は、果物、赤い、(アバウトな表現になるが)丸い球体、中身は黄色、美味しい、果汁、ビタミン、などなど。そういう「情報」が沢山あって正確なだけ創造物の質は高くなる。
創造術の創造と、想像はイコールで結ばれる。
創造物の「情報」とは、即ち「想像する事」で補えるのだから。
だから大抵の創造術師は、想像力をアップする事も重要と考え、武器の新作を創る時などは絵に描いたり鍛冶師に試作品を作ってもらったりする。形やデザイン、性質を一つに固定する事により、『物質創造』は構築の速さ、正確さ、強度などの質を得るのだ。
という訳で、何の想像もせず融合体を撒き散らすのは、相手にプレッシャーを掛ける以上の意味は一切無い。
今の模擬試合の場合、相手がレゼルなのでプレッシャーを掛ける事さえ出来ていないから、全くの無駄と言い切れるのである。
知的そうな切れ長の瞳といい、普段の言葉遣いといい、ジェイクは冷静で綿密な戦術を用意しているような創造術師かと思ったが、どうやら純粋なパワーファイターのようだ。
榎倉とは対照的なタイプである。
レゼルは心に「見た目で判断するのはNG」という子供の教育でよく登場するような教訓を刻み込んだ(こちらの場合は戦闘スタイルの事で、決して道徳心的な意味合いでは無いが)。
「死ね、餓鬼ィ!」
レゼルが心のメモ帳を開いていたら、遠慮なくジェイクが突進してきた。
柄の長い無骨なハンマーを持ちながらなので、何だか人里に下りてきた鬼のようだ。表情が笑っているから余計である。
百キロ近く重量のあるだろうハンマーを軽々と振り被り、ジェイクはレゼルに肉薄した。
右に跳躍、ジェイクの放ってきた上からの一撃を避ける。
ズドォンッ!!
と、強化素材の床にこそ罅割れは出来なかったが、実技棟の闘技場に衝撃が広がった。
レゼルは難なく遣り過ごしたが、ジェイクは止まらず攻撃を続けてくる。
「まだまだァ!」
ジェイクは嗜虐的な笑みを浮かべ、ハンマーを横に薙ぎ、上から振り落とし、時には下から振り上げてくる。
一切の攻撃をしないまま、レゼルはそれらのパワフル極まりない攻撃を避け続けていた。
◆
右側の観覧席から闘技場を見下ろして、セレンは何とも言えない気持ちになった。
人格の変貌を遂げた教師と戦う銀髪碧眼の少年――レゼルが、手を抜きまくっている事についてだった。
勿論、彼が本気を出せば創造学院どころかリレイズの街、いやディブレイク王国全土をも焦土に変える事が可能だろう。
彼が創造学院というアマチュア達の教育機関で本気を出せる訳がないのだが、今セレンが思っているのは、そんな事ではなかった。
対《堕天使》用の創造武器は、授業や自主トレーニングの模擬試合では学院ルール違反――模擬試合で相手が死亡・再起不能に至る攻撃は禁止――になるので使えないが、彼なら素手でも一瞬でジェイクを倒せる。
確かにレゼル・ソレイユには、力を極力隠さなくてはならない理由がある。NLFエース、「血塗れ」の正体を悟らせない為だ。
昨日の《堕天使》討伐の時にも、レゼルは炎の広域創造を人々に見せてしまっている。些細で小さな戦闘スタイルや攻撃パターンから、レゼルが「血塗れ」だと悟られる訳にはいかない。その為、彼は「血塗れ」の時のように戦う事は出来ない。
――の、だが。
現在彼は、セレンから言わせてみれば「遊んでいる」状態だった。
右手の〔光剣〕を使わず、ただただ避けているだけだ。前述と同一の理由でレゼルはあまり人に力を見せてはいけないから、わざと避け続けているのは分かるが、レゼルが勝つ事を疑っていないセレンは複雑な心境になるのだった。
圧勝してしまって欲しい、という気持ちと、レゼルが「血塗れ」だと悟られてしまうのは避けたい気持ちだ。
相変わらず、彼女の表情は「無」だったが。
「レゼル君、苦戦しているな。避けるので精一杯、か」
隣に座るルイサがぽつりと呟いた。
どうやら、レゼルの「苦戦している振り」には《暦星座》も騙されるようだ。ミーファも彼が手を抜いていると気付いていない。
「レゼル君、やっぱり〔光剣〕を使ってきましたね」
ミーファが闘技場を見下ろしたまま言う。
「そうだな。対創造術師戦には打って付けだと言っていたし、それでいくとは思っていたが」
と、ルイサが答える。
「ジェイク相手では、流石にロナウドのようにはいかないか」
ロナウドは、ルチアから融合結晶を買い取っていたコバード家の落ち零れである。
「でもレゼルさんは、攻撃のチャンスが無いのに冷静ですね。――まるで手を抜……いえ、何でもありません」
後ろから声が聞こえた。
三人が振り向くと、女子生徒二人を連れたノイエラが、セレン達の座る観覧席より一段高い背後の席に座るところだった。
「――? ノイエラ、何?」
ミーファが金髪ポニーテールを揺らしながら首を傾げた。
ノイエラが近付いて来た理由より、彼女が言い掛けた言葉が気になったようだった。
彼女はちょっと困ったような顔をして首を振った。
「い、いえ……本当に何でもありません……」
「そう? なら良いのだけど」
ミーファとノイエラの会話を聞きながら、セレンはノイエラの言い掛けた言葉を頭の中に廻らせていた。
――まるで手を抜いているみたい。
彼女はそう言おうとしたのではないか? いや、それでは「ブラッディ」がレゼルだと知っている可能性が九分九厘になる。それは流石にないだろう――
――本当に?
セレンは言い知れない不安を覚えた。
ノイエラ・レーヴェンスは、もしかしたら「ブラッディ」の正体を知ってしまったのかもしれない。
そんな、笑えない危惧を抱きながらも、セレンの表情に揺るぎは無かった。
まだ確実な事では無いし、「ブラッディ」の正体がバレるなんて余程の事が無ければ起こらない事態だ。
表情には出さなくとも、内心ではかなり慌てていた彼女は、そう思う事にした。
だから、ノイエラ・レーヴェンスの先程の発言は、違う事を言おうとしていたのだ。一応、後でレゼルには報告するが、今は落ち着け――と。
「ソレイユさんって、凄いんですね。四年の先輩にも圧勝しちゃうし、聖箆院くんにも格闘で勝っちゃうし、ギーヅ先生とも戦えるなんて……」
「《雲》の容姿してるのが信じられないねぇ」
「うん。やっぱり灰色の髪と黒眼だとどうしても避けちゃうけど、銀髪碧眼の彼は……えっと、格好良いですよね」
「おやおやぁ? まさか代表と恋敵になっちゃったり?」
「ちょ、何言ってるの貴女達!?」
「代表、もうクラスの皆には気持ち、バレてますよ」
「なっ……」
「ソレイユ君って意味分かんない奴だけど、悪い奴じゃ無さそうだし。私思ったけど、《雲》だって創造術が使えなくて髪と瞳の色が固定されているただの人間……なんだよね」
「……うん。私もそれ、ソレイユさんを見てて思いました」
ノイエラが連れて来た女子二人と、ミーファ、ノイエラの会話を聞きながら、セレンは実に複雑な心境になっていた。
レゼルへの見方を変えてくれるのは良いし、セレンも嬉しい事なのだが――
「本当にレゼルは、女の子に好かれますね……」
彼女の声は、別人かと疑いたくなる程に低かった。




