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血染めの月光軌 -BLOOD ABYSS-  作者: 如月 蒼
第一章 創造祭編
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#002 創造術師の少年

「十五秒遅刻だぞ、編入生」


 創造学院の門の前。


 パンツスーツを着こなした美女が、水色の眼鏡を人差し指でクイッと押し上げながら言った。

 長身で、ルックスもさることながら、プロポーションも完璧な女性だ。スーツは少しキツめなのか(特にバスト)、身体の線が浮き出てしまっている。当人はあまり気にしていなさそうだが。

 低い位置で一つに纏めた明るい色の髪は、上へ上げて大きなピンで留め、滑らかなうなじを晒している。


「……す、すいません」


 正直、十五秒の遅刻くらい見逃してくれよ、と思ったが、編入試験の前から波風を立てるのは嫌だったので素直に謝っておいた。

 こっちは全速力で大通りを突破して来たのだ。息が乱れている、という事は無いが、疲れているのは確かなので面倒事は避けたかった。


 しかし、女性は意外そうな顔をして、


「……そこで謝るのか、お前は。殊勝な事だな」


 ……何だ、それは。


「っと、自己紹介がまだだったな。私はルイサ・エネディス。試験官を務める者だ」

「あ、俺が、編入試験を受けに来たレゼル・ソレイユです。宜しくお願いします」


 軽く頭を下げる。

 そうしながら、ルイサ・エネディスという名が何処かで聞き覚えがある気がして記憶を探ったが、結局分からないまま頭を上げた。


「……ソレイユ、か。編入試験希望の資料を送ってくれた時から気になっていたが、君は、あの《白銀の創造術師(シルバリー・クリエイター)》の身内か何かかね?」

「はい。俺は、《白銀の創造術師》――レミル・ソレイユの弟です」


 レゼルの答えは、即答だった。


「弟……? レミル・ソレイユには弟がいたのか……」


 眼鏡の奥で目を見張らせるルイサ。

 しかし、それは普通の反応だろう。レゼルの存在を知っている者はほんの一部の人だけだ。


 レミル・ソレイユ。

 レゼルの姉にして、《白銀の創造術師》と呼ばれる最強の創造術師(クリエイター)

 この世界で彼女を知らない者の数は二割を切るだろう。

 だが、レミルは、ある事情から弟の――レゼルの存在を隠していた。頑なに。


「まぁ、《白銀》の話は後でゆっくりとしようか。まだ、君が嘘をついていないとは限らないし」

「嘘なんてついてない。……信じられない、という気持ちは分かりますが、嘘なんてついたって何のメリットも無いでしょう」

「そうでも無いと思うが……まぁ、すぐバレるのがオチだろうな」


 ルイサは何かを納得した様に一つ頷くと、視線を下へずらした。


「……?」

「……で、君と手を繋いでいる彼女は誰かね? 恋人か?」


 レゼルはルイサの視線を追って、セレンと手を繋いだままだった事に気が付いた。

 あ、と声を上げて、スッと手を放す。それは自然な動作だった。


「ごめん、セレン。……えっと、エネディス……試験官?」

「先生、で良い。私は学院の教師だからな」

「じゃあ、エネディス先生。俺と彼女――セレンは、そういう関係ではありません」


 レゼルが苦も無くルイサの勘繰りを否定する横で、セレンは自分の右手――レゼルと繋いでいた手――を見詰めながら、何処か不機嫌な雰囲気を醸し出していた。

 幸い(?)、レゼルは気付かなかったが。ルイサに至っては、感情の発露が希薄なセレンの今の様子になど、気付けるはずがなかった。


「では、彼女も編入希望者か? いや、編入希望届はレゼル君のものしか届いていないが?」

「セレンはまだ十四歳ですよ。学院には入れません」


 学院に入学出来るのは十五歳からだ。

 レゼルの後ろで、相変わらず既成事実を何気無く刷り込むのが上手ですね、などという言葉がボソッと呟かれたが、レゼルは無視した。


「実は、訳あって俺とセレンは離れる事が出来ません。そこでお願いがあるのですが……」

「……聞こう」

「セレンを、学院で働かせてくれませんか?」


 ルイサは目を丸くした。こんな事を言われるとは露程も思わなかったのだろう――まぁ、当たり前だが。


「働かせるって……十四歳の少女をか?」

「教師とか、そういう仕事ではありません。何と言うか……補佐、みたいな感じで」

「補佐?」

「はい。ほら、学院の教師って研究者気質の人が多いらしいじゃないですか。だから、掃除とかしてくれる人が居たら良くないですか? ちなみに、セレンは家事全般得意ですよ」


 ビギ、と音がしそうな程の勢いでルイサの顔が固まった。

 それから彼女はレゼルの耳元に口を寄せ(フード越しだが)、急に小声になって囁いた。


「それは本当か? 家事全般得意、というのは」

「はい、本当ですよ」


 ニッコリ、とレゼルが笑う。その表情はフードに隠れてルイサとセレンには見えなかったが、何とも爽やかな笑顔だった。


「……二つ、質問して良いか?」

「どうぞ」

「その少女――セレンを学院に置く許可を取るだけで、彼女は私の補佐役になってくれるのか?」

「もちろん」


 私の、という所に違和感というか疑問を覚えたが、交渉の流れを絶ち切りたくなくて、レゼルは頷いた。


「……君と彼女が離れられない訳、とは?」

「それは……」


 近くにいたセレンにはルイサの囁きが容易に聞こえていたのだろう。レゼルが言葉に詰まったのを見て、今まで閉じていた口を開いた。


「私が、レゼルの傍に居たいんです」


 ハッキリとした声音。


 ルイサは緋色の髪の少女を見、レゼルに顔を向け直して、


「……そういう関係では無い、のでは無かったか?」

「あ、あはは……」


 返ってくるのは乾いた少年の笑い声。

 それで大体二人の関係――というか、セレンの気持ち――を理解したルイサは、はぁ、と短い溜め息を吐いた。


「……仕方が無いな。セレン、君を私の専属補佐に雇おう。もちろん、レゼル君が編入試験に合格したら、だが」


 表面上は、そういう事なら仕方がないな、という風を装っていたが、眼鏡の奥の瞳が輝いているのをレゼルは目敏く発見した。

 セレンに雑用を押し付けられるかもしれない(補佐役とは突き詰めれば雑用係と同じだ)、と思うとぞっとするが、彼女と離れない為にはこうするしかないのは事実だった。


 ルイサはセレンの小さな肩に両手を置き、


「宜しくな、セレン」


 真っ直ぐに緋い瞳を見詰めながら、強い口調で言った。


「よ、宜しくお願いします」


 表情には全く変化が無かったが、セレンが引いているのが分かった。

 しかも、セレンの声を聞いて、抑えきれない、という様に口元を緩ませるルイサ。

 レゼルは怖くなって、セレンとルイサを引き剥がした。


「何してんだアンタは!」


 最早教師に対する敬意は無い。


「あ、あぁ……すまんな。こう、可愛いものを見るとデレてしまうのだ」

「意外な少女趣味というギャップを狙っているのか、それともただの百合なのか、どっちだ! それとセレンは物じゃない!」

「心配するな。ちゃんと人間だと認識しているよ」

「そこだけ!? 否定するのはそこだけなのかオイ!?」

「む? 他に否定する箇所などあったか?」

「あっただろ! お前今百合疑惑を掛けられてんだぞ!」

「あぁ……それか。安心しろ、私は百合ではない」

「今更言われても全く安心出来ないんですけど!」


 こんなにツッコんだのは久し振り――でも無いか。だが、疲れた。

 レゼルは気を取り直して息を整え、やっとの事で本題に入――


「それよりも、早く編入試験を受けたいのですが……」

「なぁ、レゼル君。ちょっと思ったんだが、セレンはレミル・ソレイユに似ているな?」


 ――ろう、として、ルイサに横槍を入れられた。


 ただ、レゼルはそれに怒る事も苛立つ事も出来ず、頭の何処か冷静な部分が「そうだろうな」と思った。

 セレンとレミルは似ていてもおかしくはない、どころか、似ていなければおかしい。だってセレンは――


 レゼルが意図せず思考に耽りかけた時、腕を引かれる感触を覚えた。

 背後を見れば、セレンが袖を掴んで引っ張っている。


「……レゼル。ずっと外に居ては、風邪を引いてしまいます」


 それは、レゼルが風邪を引いてしまう、という意味の言葉だったが、ルイサは、セレンが風邪を引いてしまう、と誤解した様だ。


「それもそうだな。セレンはかなり寒そうな格好をしているし、早く学院の中に入って試験を始めよう」


 だが、その誤解が良い流れを招いたので、敢えてそれを解く事はしなかった。

 ルイサは学院の砦の様な大きな門を押し開きながら、こちらに背を向けて言った。


「……君は、自分の顔にコンプレックスでもあるのかい?」

「……え?」

「どれだけ顔が悪いからといって、フードで隠して一度も見せないというのは、失礼だろう」

「……これは……」


 ちら、とルイサが肩越しにレゼルを一瞥する。

 その視線をフードの下の瞳で受けとめたレゼルは、キッパリと覚悟を決めていた。


「……リレイズ創造術師育成学院は」

「ん?」


 急に低くなったレゼルの声にルイサが体ごと振り返る。

 レゼルは、創造学院の門の下で佇んでいた。顔を上げ、ルイサの目から視線を逸らさず。


 ルイサからはフードによる陰のせいでレゼルの顔は見えなかったが、彼のその佇まいに何か引き込まれるものを感じて、ルイサも彼と見詰め合う形になる。


「創造学院は、十五歳か十六歳なら誰でも入学・編入試験を受ける権利があるんだよな?」


 敬語が消えた口調とその雰囲気に訝しそうな顔をするルイサ。


「ああ、そうだが……それが、どうした?」

「なら、良いんだ。その言葉、忘れないでくれよ?」


 レゼルは悪戯っぽい言い方をしながら、フードに手を掛ける。

 ルイサの目が瞬きも忘れる程引き付けられた、その時。


「きゃああああっ!」


 女性の悲鳴と、


「おい、引ったくりだ! 捕まえろ!」


 男性の怒号が大通りから続けて響いた。


「……!」


 素早く反応し振り返ったレゼルは、通常の人間には不可能なスピードで駆け出した。


「レゼル!」

「セレンはそこで待ってろ!」


 あっという間に、彼は大通りの人混みの中へ消えていく。


「まずい! こんな人混みの中で荒っぽい事をすれば被害が出るぞ! 何を考えているんだ、アイツは! セレン、行くぞ!」

「レゼルに任せておけば大丈夫ですよ」

「何呑気な事を言っているんだ! 創造学院に入学もしていない子供の創造術師に任せられるはず無いだろう!」

「……仕方ないですね」


 ルイサとセレンもレゼルを追って大通りの人混みへと駆け出した。



      ◆



 人混みを上手にすり抜けながら、レゼルは引ったくり犯を追っていた。

 ちらちらと見える後ろ姿は男のもの。人混みに逃走路を塞がれているのか、上手く走る事が出来ていない。

 段々、レゼルとの距離は縮まって来ている。それは相手が人混みに足を取られている事もあるが、大きくはレゼルの使っている創造術(クリエイト)のお陰だ。


 大方、引ったくり犯はバレない様に物をかっぱらいたかったんだろうが、それに失敗して悲鳴を上げられてしまったのだろう。なので人混みに紛れて逃走を謀る事も連鎖的に失敗してしまった訳だ。

 まぁ、レゼルからすれば、「ざまぁみろ」としか言えないが。


 レゼルは引ったくり犯の男を追いながら、素早く前後左右を確認した。

 今、何が起こっているのか理解しているのは当然だが犯人と被害者の女性(多分悲鳴を上げた人)、それにレゼル、後は怒号を上げた男と彼の声に触発された正義感のある男が数人。


 正義に生きる(?)男達は皆、レゼルの背後から犯人を追っている。全員が全員、人混みに悪戦苦闘していた。

 あれでは協力をしてもらうのは無理そうだ。逆に足手纏いになるだろう。そして別に、一人では引ったくり犯を捕まえられない、という事はない。


「さて、どうしようか……」


 一度駆け抜けて来た道を、一度目とは比較にならない、人並外れた速さで逆走しながら考える。

 しっかりとフードを右手で押さえた格好で、だ。


 考えたのは、一瞬。

 次の瞬間には、あっさりと引ったくり犯を追い抜いたレゼルが、彼に流れる様な足払いを掛けて転倒させ、いつの間にか左手に握っていた漆黒の拳銃を彼の額に向けていた。


 よく見れば、その拳銃は空の色をしていた。昔はあったという青い空の色ではなく、夜の空の色だ。限りなく漆黒に近い、しかしそれとは明らかに異なる、闇の色。


 そんな暗い色をしているのに、レゼルの銃はその長い銃身が輝いている様に見えた。


「ひっ……!」


 引ったくり犯は、顎からモミアゲにかけて髭を生やした毛深い男だった。

 彼は、銃身の闇色より深い色の銃口の奥を見て恐怖に歪んだ顔で声を上げた。

 しかし、諦めが悪い性格なのか何なのか知らないが、悪足掻きとも言える行動に出た。

 コートのポケットに隠し持っていたナイフを倒れたまま振り回してきたのだ。


 銃を向けられているのに何とも無謀な、とレゼルは心の中で溜め息を吐いた。大人しくしてくれていれば拘束が楽だったのに。

 だが、頭の片隅でレゼルは感心してもいた。パニックになった状態で自分の持っている武器を使える、というか思い出せるのは、荒っぽい事に多少は慣れているという事だ。まぁ、今の場合は判断を間違った、としか言いようが無いが。


 レゼルは右手をフードから放して、鋭く横に一線する。まるで、剣を振るかの様なその動作の拍子に顔を隠していたフードが外れた。

 そして実際、右手には淡く輝く短刀が握られていて、それが引ったくり犯のナイフを真上に弾き飛ばした。

 片刃の短刀は、完全に振り抜かれる前――ナイフを弾いた直後には刹那の内に消えていて、その刃が周囲の人触れる事は無かった。


「奪った物は、返してもらう」


 レゼルが引ったくり犯のコートの膨らんだポケット――ナイフが入っていたのとは逆だ――を見て呟く様に、だが威圧的に言った時、


「うわっ……!?」


 重力に忠実に落下してきた自分のナイフを目の当たりにし、引ったくり犯はふっ、と気絶した。

 もちろん、レゼルは周囲の人々や犯人の倒れている位置を考えてナイフを弾いたので、落下してきたそれが犯人の顔に埋まってスプラッタな事になるなんて事は起きず、計算通りに犯人の顔横五センチの所に落ちた。


「……上手く気絶してくれたな、コイツ」


 キィン、と音を立てて石畳の道に小さく傷を作るナイフを一瞥もせず、レゼルは引ったくり犯のコートのポケットから、奪われたと思しき財布を取り出した。

 流れるような動作で、フードをしっかりと被り直しながら。

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