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血染めの月光軌 -BLOOD ABYSS-  作者: 如月 蒼
第一章 創造祭編
27/44

#026 お姫様とメイド

「初めましてですわね、レゼル・ソレイユさん」


 金髪縦ロールの少女はレゼル達の座るテーブルの前まで来ると、にっこりと編入生の少年に微笑み掛けながら制服のスカートの両端を摘まみ、気品溢れる動作で一礼した。


 一目見た時から彼女が誰か分かっていたレゼルは椅子から立ち上がる。

 高貴な雰囲気を放つ女子生徒の前に歩み出て、床に片膝を付けると(こうべ)を垂れた。まるでお姫様を守る騎士のように。

 いや、レゼルは騎士ではないが、彼の前にいる少女は本物のお姫様だ。


 NLFの総司令官に叩き込まれた「王族」に対しての所作を思い出しながら、レゼルは大理石に見せ掛けた強化素材の床に向かって口を開いた。


「お初にお目にかかります、レゼル・ソレイユです。俺の名前をご存知とは光栄です、ディブレイク王国王女――ウィスタリア・ダウン・ディブレイク様」

「顔を上げて下さいな、ソレイユさん。そんなに畏まる必要はありませんわ」


 女子生徒――ウィスタリアの凛と響く声を聞いて、レゼルは素直に素早く頭を上げた。

 ディブレイク王国の王女様を見詰めると、ウィスタリアはもう一度優しげに微笑んだ。


「わたくしの名前もご存知ですのね。嬉しいですわ」

「ダウン様を知らない訳がありません」

「ありがとう。ではソレイユさん――いえ、レゼル、わたくしの事は名前でお呼びなさい」


 突然の命令口調。

 レゼルの漆黒の瞳を覗き込みながら告げられた台詞に食堂にいる生徒達が(どよ)めいた。


「王女様が名前で呼ばせるなんて……」

「確か、それを言われたのは歴代の代表と副代表だけだよな?」

「……駄目よそんなの。アイツは穢らわしい《雲》なのよ!?」

「王女様も穢れてしまう!」

「近付けただけでもアイツには身に余る事だっていうのに!」

「嫌ぁぁぁぁぁ!」

「王女様が!」

「アイツの何処が良いと言うのですか!?」


 顔面を蒼白にする者、叫び声を上げる者、手に持っていたグラスを床に落としてしまう者、夢を見ているのではないかと頬を抓る者。


 セレンは無表情でウィスタリアを見詰め、ミーファ、晴牙、ノイエラは軽く目を見張っている。

 セレン以外は皆同様に、程度の差はあれ驚いていたのだが、一番驚いていた者と言えば命令された当事者――レゼルであった。


「……え?」


 思わず間の抜けた声が口から漏れ、レゼルはぽかんとウィスタリアを見上げた。

 自分が《雲》だという事は誰よりも理解しているレゼルである。てっきり彼は、軽蔑されて何かを罵られると思っていたのだ。巧みに、嫌悪の感情を笑顔と凛とした声に隠して。


 レゼルの悪い癖――人の好意に鈍感である面が晒されて、セレンは誰にも気付かれないように小さく溜め息を()いた。


 ウィスタリアは再び表情を和らげて微笑む。ただその笑顔は、先程より微かに哀しそうに見えた。


「わたくしの事は、ウィスタリア、と名前でお呼びになって、レゼル。良いでしょう?」


 やや砕けた口調になったウィスタリアが優雅に首を傾げる。

 その台詞と仕草にまた食堂が大きくざわめいたが、ディブレイク王国のお姫様は何処吹く風な様子で。


「は、はい。畏まりました……ウィスタリア様」


 やっと状況を脳細胞が理解して、唇にするべき動作を伝えたレゼルは、何とかその台詞を言えた事に軽く安堵した。返事はほんの少し掠れてしまったが、その(あと)の声ははっきりとしていた。


 ウィスタリアは満足そうな笑顔になった。花が咲いたような、可憐な――いや華麗な笑顔。

 ミーファの笑顔が向日葵(ひまわり)、ノイエラの笑顔が(さくら)だとするなら、彼女の笑顔は文句なく薔薇(ばら)だろう(因みに、向日葵は既に絶滅していて知名度はかなり低い)。


「あら、呼び捨てでよろしいのに。でも、ありがとう、レゼル。……では、改めて自己紹介をさせて頂きますわ。わたくしはウィスタリア・ダウン・ディブレイク。二年代表を務めています」


 レゼルは一瞬だけウィスタリアの顔から視線を外し、彼女の胸元を見た。そこには確かに、二年を示す青いリボン。

 彼が視線を戻すと、ウィスタリアは背後に従えていた女性二人に目配せをしていた。


「姫様の専属使用人(メイド)のマズルカ・ファストリアと申します」

「お、同じく姫様専属使用人(メイド)、マリンカ・ファストリアとみょ、申します」


 長身のメイドがエプロンドレスの前に両手を添えて深々とお辞儀をし、セレンと同じくらい小柄なメイドが少々おどおどしながら長身のメイドに続いて一礼した。


 小柄なメイド――マリンカが言葉を噛んだ事はスルーしてあげるとしても、二人は姓が同じだった。歳はそれ程離れていないように見えるから姉妹だろうか。

 二人共同じ金茶色の髪が頭を下げた時に揺れた。長身のメイド――マズルカの髪は肩まで、マリンカは下の方で二つに束ねた三つ編み。よく見れば瞳の色も二人共、髪と全く同じ金茶色だ。


「お見知り置き下さいませ、ソレイユ様」


 マズルカがふわりと微笑む。大人びた笑顔だな、とレゼルは思った。

 ――いや、それよりも。


「あの……」

「何でしょう、ソレイユ様」

「申し訳ありませんが、『様』は止めて頂けると嬉しいのですが……」


 レゼルが「様」付けを拒む理由は唯一つ。

 慣れていないから、である。


 それは当然だった。彼は《雲》なのだから。今まで隠れて生きてきて、NLFの中でもそれは変わらなかった。彼が堂々と姿を晒せたのはNLF第一飛空艇の中だけで、だから勿論「様」なんて名前に付けて呼ばれた事など皆無に等しい。


「畏まりました。では、何とお呼びすれば良いでしょうか?」

「いや、別に何でも良いですよ」


 ちょっと素で答えてしまった。まず彼は、丁寧過ぎるマズルカのような口調と態度の人と話した事もあまり無いのだった。


「そうですか。では、ソレイユさん、と呼ばせて頂きますね。これからどうぞ宜しくお願いします、ソレイユさん」


 ふふっ、と口元に手を当てて笑うマズルカに頷いて了承を示す。


「こちらこそ。それと、マリンカさん」


 レゼルは方膝を床に付き肘を膝に置いた格好のまま微動だにせず、マリンカを見上げた。


「は、はいっ? な、何でしょうかソレイユ様……じゃない、ソレイユさん! ああああ、すみませんすみませんっ」


 ぺこぺこと慌てて頭を何度も下げる小柄なメイドさんを少し辟易としながら「大丈夫ですから」と宥め、レゼルはしっかりと彼女の金茶色の瞳を見据えて言う。


「引ったくり騒動の件では出しゃばってしまい、すみませんでした」


 口調が少し皮肉っぽくなってしまったのは仕方が無い事だろう。

 マリンカは小さく口を開けたまま硬直し、マズルカやウィスタリアも目を見張っている。セレンは変わらず無表情だがマリンカを凝視していた。他の者は引ったくり騒動を知らないのできょとんとしている。


「気付いて……いたのですか? 引ったくり騒動の被害者がマリンカだと……?」


 硬直してしまって唇も動かせないマリンカに代わり、マズルカが訊いてくる。

 レゼルは躊躇無く頷いた。


「そうですか……」


 呟きながら、ウィスタリアがカツンと踵を鳴らして一歩前に出た。


「流石ですわ。あの時のマリンカは(かつら)を被って性格さえも変え、厚底ブーツで身長も偽り、完璧に変装していたというのに。……エネディス教師でさえも気付かなかったのですわよ」

「でも、あの時の引ったくり騒動の被害者の女性の歩き方はマリンカさんのものとそっくりでしたから。厚底ブーツを履いていた所為であの時とは少し違いましたが、歩き方なんて匆々(そうそう)変えられるものではないですからね。決め手となったのはメイド服ですが」

「メイド服は譲れませんから!」

「マリンカ、ちょっと静かにお願いしますわ」

「……」


 マリンカとマズルカが口を噤む中、ウィスタリアは上品に笑って、


「それだけでバレてしまうのですわね。――いえ、それより、謝る方が先ですわ」


 ディブレイク王国のお姫様は瞼を閉じて笑みを消した。


「申し訳ありません、レゼル」


 ウィスタリアは深々と腰を折り、頭を下げた。

 彼女が何故謝るのか、ある程度は予想のついていたレゼルも、これには慌ててしまう。


「えっ、あの……」


 レゼルの狼狽を含んだ声は、周りの生徒達の悲鳴に掻き消された。


「きゃあぁぁぁ!?」

「ちょ、おい、アイツ王女様に何したんだよ!」

「王女様に頭を下げさせるなんて、何て奴!」

「脅迫でもしたんじゃないのか!?」

「馬鹿言え、王女様に穢らわしい《雲》が対抗出来る筈ないだろ!」

「王女様は《暦星座》なのよ!?」

「最低っ」

「アイツふざけやがって!!」


 何だか段々と確実にエスカレートしてきている。そして何時の間にか自分は犯罪者みたいに言われていた。まぁ、《雲》という存在が歩いている事は、世界の認識から言うと凶悪な無差別殺人者が歩いているのと同じなのである。


 ウィスタリアが頭を下げた事に対する狼狽もすっかり消え、周りの声に心の底から無関心を貫いていると、やがて王女様は顔を上げた。

 彼女はチラリと食堂内に視線を飛ばして生徒達を一瞬で黙らせ、レゼルに向き直る。


「引ったくり騒動の事は、貴方を試したのです、レゼル」


 髪と同じ薄い金色(クリームゴールド)の瞳に真摯な光を湛え、ウィスタリアは胸の前できゅっと手を握った。


 自分を試した――それはある程度予想出来ていた。マリンカが引ったくり騒動の被害者だと気付いた時――彼女達が食堂に入ってきた時から。


「編入生が来る、しかもその方があの『最強』の弟だというのですもの。少し試してみたくなってしまいまして……わたくしの独断でテストを行わせて頂きましたわ」


 成程、彼女は少し茶目っ気があるようだ、とレゼルは思った。


「……テストの結果をお伺いしても宜しいでしょうか」

「ええ、勿論。――結果は、文句無しの満点ですわ。引ったくり騒動を見事収拾してみせた御手前、流石でした。だから貴方は出しゃばってなどいませんわ、レゼル」

「引ったくり騒動に自ら動いたソレイユさんの正義感の事も、私達は評価しています」

「あの場面で引ったくりを無視していたら、姫様はソレイユ様を不合格にしていたでしょう……って、あぁっ! ソレイユさん、でした! 申し訳ございませんっ」


 ウィスタリア、マズルカ、マリンカが口々に言う。それにしても、マリンカにはもう「様」付けで呼ばれても良い気がする。


「……そうですか。とても光栄、そして身に余る幸せです」


 レゼルは静かな声を発した。それは本当に嬉しいと感じているのかいないのか分からない声音だった。


「……因みに協力して頂いた犯人役の方は本物の犯罪者グループの一員でしたので、グループごと潰しておきましたわ。お金に目が(くら)んで、引ったくり犯を演じろなどという奇妙な依頼を受けたのが運の尽きですわね」


 さらりと物騒な事を言ったお姫様に、レゼルは頬が引き攣るのを何とか(こら)えた。


「レゼルにあの場面まで追い詰められても依頼されたと口にしなかったのは評価しても良いですが、正確に言うとそんな事を言う暇も思い出す暇も無かったという所ですわね」

「姫様。そろそろお時間が」


 マズルカがウィスタリアの耳元で囁いた。


「そうですわね。レゼル、昨日の《堕天使》戦はご存知ですわね?」


 いきなり予想だにしなかった質問を投げ掛けられ、レゼルは再び表情筋が歪むのを必死に抑えた。

 レゼルの心境を語ると、「何で今、その話が」である。


「存じ上げておりますが……?」


 訝しげな声に少しの困惑をコーティングして、そう言えた自分を手放しで褒めてやりたいと心の底から思った。


「《堕天使》が堕ちてきたのは一年振りですわ。それをブラッディ様が単独でお倒しになったという事で、お祝いにわたくしのコンサートが創造祭の初日に開かれる事になりましたの。レゼル、是非いらして下さいね」


 ウィスタリアはにっこりと微笑み、次にそれをセレン達に向けた。


「セレンさん、貴女も。それにミーファさん、晴牙さん、ノイエラさんもですわ」


 王女様の言葉に四人はやや戸惑いながらも頷きで応える。


「残念ながら、流石にブラッディ様本人はいらっしゃらないのですけど」


 片頬に手を当ててふぅっと息を()くウィスタリアに「もうブラッディなら誘われてますよ」と言える訳もなく、レゼルは複雑な心境のまま彼女を見上げていた。


「それでは、ご機嫌よう。わたくしのコンサート、楽しみにしていて下さいね」


 ウィスタリアは制服のスカートを翻して(きびす)を返した。

 その後に小さく一礼してマズルカとマリンカが続き、ディブレイク王国の王女であり黄色の名を冠する《暦星座》の一人、ウィスタリア・ダウン・ディブレイクは生徒達の「コンサート行きますっ」という言葉を受けながらメイド二名を引き連れて食堂を去っていった。


「『歌姫』のコンサートか……」


 ポツリと呟きながらレゼルは立ち上がり、生徒達から向けられる殺気の籠った視線をものともせず振り返る。

 だが――


「な、何だよ」


 セレンの緋色の瞳に宿る鋭い眼光とミーファの明白(あからさま)に不機嫌極まりない表情には無関心ではいられず、レゼルは身体を硬直させた。


「あんなに(へりくだ)って……何て事でしょう、また邪魔者が増えてしまいました。しかもレゼルの嗜好をつくメイドが二人も……」

「お姫様だからってデレデレして……料理も紅茶も冷めちゃったじゃない、どうしてくれるのよ!」

「……セレン、俺は別にメイドに何の感情も抱いてないからな? それと、謙るのは相手が王女様なんだから当然だろ。そしてミーファ、料理冷めたのは俺の所為なのか?」


 鈍感と朴念仁さにはNLFの中でもかなり定評のあるレゼルである。少女二人が怒っている理由に気付く事なく溜め息を()き、彼は椅子に座ってスプーンを取った――所で、午後の授業の予鈴がなった。


「あああっ、まだカツが四切れも残っているというのに! どうしてくれんだぁレゼル!」

「だから俺の所為じゃないと言っとろーがハルキ!」

「次は創造術の実技授業ですよ! エネディス先生に遅刻して怒られたらどうするんですかレゼルさん!」

「ノイエラまで!? 重ねて言っとくけど俺の所為じゃないからな!」


 何せレゼルだって授業に遅刻しそうな状況は同じなのだ。責められる(いわ)れは無い。


 食堂内の生徒達も慌てて食事をしながら非難と殺気と嫌悪の視線を向けてくる。

 もし全校生徒が敵になったらこんな感じだったんだな、と思いながら、レゼルは冷めてしまったカレーを黙々と口に運んだ。

 金髪縦ロールは譲れん!

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