#009 初恋
「ちょっとおかしいでしょ! どうしてレゼル君とセレン……ちゃん、が同室な訳!?」
学生寮のロビーに金髪ポニーテール少女の声が響いた。
リレイズ創造術師育成学院は全寮制だ。
だから、生徒達はこんな遅くまで実技棟で訓練が出来るのである。
寮のロビーは五つの場所に繋がっている。
右に行けば女子棟、左に行けば男子棟。奥に進めば食堂と大浴場。大階段を上った二階にはかなり広い多目的ホールがある。
因みに、ロビーからではないが、寮に来るまでの渡り廊下は本校舎、実技棟、講堂、図書館などの各施設にも繋がっている。リレイズ創造術師育成学院は渡り廊下で殆どの施設が行き来出来ると考えて良い、とミーナに教えてもらった。『聖域』と言わしめるほど規模の広い学院で、新入生も迷わないようにという配慮なのだそうだ。
教師も寮の部屋で生徒達と同じような生活をしているので、ロビーでは必然的に右にはミーファ、ノイエラ、ミーナ、ルイサ、セレン、左にはレゼル、晴牙と二つに別れるのだが――
「まぁまぁ、別に良いだろう、ミーファ。レゼル君とセレンが同室でも」
今は、右ではなく左にセレンがいた。正確には、彼女は今寝ているのでレゼルが腕に抱えている状態だ。
訳あってセレンとは一緒にいなければならない、という事を予めルイサには言ってある。だから彼女は何故か激怒しているミーファを宥めてくれているのだが、
「別に良くないわよ! おかしいわ、女の子が男子寮なんて! よりにもよってレゼル君の部屋なんて!」
「ミーファ、とりあえず落ち着いてくれ。えっとだな、俺とセレンは極力近くにいなければならない、というか……」
レゼルも声を掛けるが、ミーファの様子は収まりそうもない。
一年代表として学院の風紀とかを気にしているのかもしれないが、その辺は心配無用だ。レゼルとセレンはそういう関係ではない。
「近くにって、セレンちゃんってもしかして身体弱いのか?」
「え? あ、ああ……うん、ちょっとな。だから誰かが傍にいないといけないし、それは俺が一番慣れて――」
「傍にいれば良いのね? じゃあ簡単よ、セレンちゃんは私の部屋にくれば……」
晴牙とレゼルの会話を聞いて、解決の糸口を見つけたように瞳を輝かせるミーファ。
「何言ってるの、ミーファ。この前、部屋が創造祭の備品で足の踏み場も無いって言ってたよね」
しかし、悪魔の笑みと共にミーファの言い分はあっさりと潰される。
学院長は娘にも甘くない、という事か。
「う……」
「し、仕方ないですよ、代表。今日はもう遅いですし、部屋に戻りましょう」
ノイエラが苦笑しながらミーファの制服の袖を引っ張る。
「そうだよ、ミーファ。ノイエラちゃんの言う通り。それに、ミーファが心配しているような、所謂『間違い』って奴は起こらないよ」
「そうだな。レゼル君は鬼畜には見えないし」
「レゼルとセレンちゃんが恋人同士だったとしたら、まぁ、そういう事もあるだろうけど、それはそもそも『間違い』ではなく『合意の上』だし――」
ミーナとルイサと晴牙の言葉が火に油を注いでいるようにしか聞こえないのは、果たしてレゼルだけだろうか。大人なんだからもっと違う言葉を思いつけよと言いたくなる。
「たとえ、ご、ごご合意の上でも、聖域と呼ばれる学院でそういう行為に及ぶのは退学ものよっ!」
「まぁまぁ、代表。今日はもう戻りましょう」
「え? ちょっとノイエラ、押さないで! 私はまだ話が……」
ノイエラに押されて、途中からは襟首を掴まれて引っ張られていくミーファ。ここにいる大人二人よりノイエラの方がしっかりしているんじゃないだろうか。
右の廊下に二人が消え、ミーナとルイサもレゼル達に軽く挨拶をして後に続く。
「あ、そうそう、レゼル君」
レゼルと晴牙も背を向けようとした時だ。
ミーナが足を止め、こちらを振り向いてきた。
「何ですか?」
「明日の朝、学院長室に来てくれるかな? 編入生として色々話があるから。あっ、学院長室は本校舎の最上階だよ。本当は今日中に済ませたかったんだけど、元々遅い時間だし、さっきは皆がいて話もずれちゃったしね」
「はい。分かりました」
「うん。それじゃ改めて、お休みなさい」
学院長は踵を返して歩き出すと、後ろ手に手をヒラヒラと振った。
◆
「代表、どうしたんですか? 編入したばかりの殆ど初対面の男性にそういう気持ちを抱くなんて」
女子寮側の階段を上りながら、ノイエラは幾らか落ち着いたミーファに声を掛けた。
ミーファはあまり異性のことに敏感なタイプではないとノイエラは思っている。女子同士の、所謂恋バナのようなあけすけな話をしているのを見かけたことはないし、彼女は学院の中では『高嶺の花』という位置にいるので(本人は気付いていないが)、男子との噂も全く無い。ノイエラが記憶している中で、彼女が恋愛に通じるような類の話をしたのは一度っきりではないだろうか。確か、幼い頃に逢った少年が初恋の人だと言っていた。
「……初対面じゃないわ」
ポツ。呟くように、零れ落ちるように、ミーファは言った。
「え?」
「昔、レゼル君に助けてもらった事があるの。彼は覚えていないようだけど」
不安気に金髪のポニーテールを揺らしながら付いて来るミーファを振り返って見下ろし、ノイエラは目を丸くした。
「そ、それ、まさか、前に言っていた初恋の男の子ですか……!?」
こくん、とミーファが頷く。
「キャーッ、凄いじゃないですか! 再会したんですよねっ? 運命的です、とても!」
「……でも」
「……セレンちゃんの事ですか?」
「……仲、良さそうだったわよね」
「だ、大丈夫ですよ! エネディス先生が言ってましたけど、あの二人は恋人って関係じゃないみたいだって」
「ほ、本当なの?」
「はい。レゼルさん本人が否定したようですよ」
ぱぁ、とミーファの表情が明るくなった。
「そ、そっか。ありがと、ノイエラ。心配掛けちゃったわね」
「ふふふ、どういたしまして」
そして、ノイエラもまた笑顔になるのだった。
◆
「じゃ、ここがレゼルの部屋な」
男子寮の四階に上がってきたレゼルは、一フロアにある部屋の数に既に驚かなくなっていた。
考えれば当然だ。階ごとに学年が違う構造なので、一つの階に二百五十以上も部屋があるのだから。
レゼルが晴牙に案内されたのは一番奥の部屋。勿論、かなり遠い。
「ま、仕方ないぜ。空いてるのは奥の方しか無いからな」
「ああ、うん。それは分かってる」
「慣れればそうでもないけどな、この距離も」
晴牙が廊下の先を眺める。女子寮との境界線は壁で塞がっていた。
彼は副代表という事で入学時、一番奥の部屋にさせられたらしい。何か起こった時に状況を把握しやすい位置にしたのだろう。
つまり晴牙の部屋はレゼルの一つ手前だ。
「じゃ、何かあったら遠慮なく呼んでくれ。俺は部屋にいるから」
「ああ、ありがとな」
晴牙が自分の部屋に入っていったのを見送り、レゼルも自分の部屋に入った。
靴を脱ぎ、セレンのベージュ色ブーツも脱がせてやる。ブーツを床に置くとき、微かにカツンと音が響いた。
部屋の中は誰かが予め掃除をしてくれていたのか、綺麗だった。汚れている所など一切無い。
レゼルは腕に抱えたセレンをベットに降ろし、備え付けの毛布を掛けてやる。
寮の部屋は全て一人部屋。ベットも勿論一人用なので、セレンが使うとなるとレゼルはソファの上で寝るしかない。
「……いや、ベットが二人用でもベットで寝る気は無いが」
独り言を呟いて、レゼルはコートを脱いでソファの背に引っ掛ける。
部屋の一つ一つに風呂場があるのは嬉しい。今日はまだやることがあるので風呂に入る――というかシャワーを浴びるのは明日の朝にしよう、と考えながら、レゼルはソファに寝転がった。
「……レゼル」
鈴の音を転がすような声がレゼルの名を呼んだ。
「何だ? セレン」
彼女が起きていたのはコートを脱いだ時から分かっていた。
ソファに寝転がったまま、レゼルは応える。
「……良いんですか?」
「何が?」
「……」
セレンが言いたい事は分かっていた。それで、敢えてとぼけて見せた。良いのか、と言われても選択肢は一つしか無いのだから、ちゃんと答えたとしても「これで良い」にしかならない。
「……本当の事を、言わなくて、良いんですか?」
今、セレンはどんな表情をしているのだろう。きっと何時も通り無表情な筈だ。そう思うのに、彼女の声に含まれた僅かな震えとレゼルへの気遣いが、見たこともないはずの彼女の悲しそうな顔を想像させてしまう。
「俺は自分の事がよく分かっていない。レゼルはそう言いましたね」
「……聞いてたのか」
「はい。その時はまだ起きていましたから。……嘘を吐くのには、もう躊躇いはありませんか?」
「当たり前だろ。今日だけで何回嘘吐いたと思ってるんだ。自分の事がよく分かっていない、なんて嘘を当然のように吐けるくらいには、十分な覚悟をとっくにしてる」
「そうですか。それなら、良いです。……私もここで頑張れます」
「それに、学院長も嘘吐いてたしな」
「学院長も、ですか?」
「ああ。実技試験の時の相手、覚えてるだろ。あのナイフ野郎は、明日には退学だろうな。なのに学院長は『明日には普通に授業に出られる』なんて言っていた」
「……退学? では、あの男子生徒が……」
セレンが少し吃驚したような声を出す。いや、実際、吃驚したのだろう。
「運が良いのか、悪いのか。あの先輩から見れば悪いだろうが」
皮肉っぽい口調でレゼルが呟く。
「あ、そうだ、セレン」
「何ですか?」
「エネディス先生には気を付けろよ、頼むから」
「……? はい、分かりました。何を気を付ければ良いのかは分かりませんが」
レゼルの背後でソファの背越しにセレンがベットの中から出る音が聞こえた。
彼女はソファの背に手を掛け、レゼルを見下ろしてくる。
「お休みなさい、レゼル」
セレンは無表情。けれどその声は温かい。
レゼルは悪戯っぽく笑って、
「ああ、お休み。三十分後には起きるけどな」
セレンがベットの上に戻ったのを気配と音で確認して、瞼を閉じた。