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幻影  作者: 水島 佳頼
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第三話 麗しい水

 僕は自分なりに、今自分が置かれている状況を分析してみることにした。

 まず、ここは研究所のようなところ。おそらく外国だ。複数の研究員が他にいるはずだろうに、人の気配が無い。彼らの目的は一旦おいておこう。

 僕は窓の無い真っ白な廊下を、ひたすら歩き続けている。隣を歩く変てこな名前の研究員に連れられて、ひたすら真っ直ぐに。変てこな名前の研究員の愛称はミンといい、ミンは身長が百三十センチ弱の僕を余裕で頭三つ分以上抜いた長身で、外見は柔和そうな青年なのに中身はおじさんという変わった人間だ。彼の白衣の襟元には、小さなピンバッジがつけられている。地位を示すのでなければ何かの記念品、あるいはピンバッジに見せかけた小型マイクのようなものかもしれない。

 僕はさしずめ、この白い研究棟に囚われた被験体というところだろうか。乱暴な誘拐の仕方からして、まともな目的で連れてこられたとは思えない。認めたくないけれど僕があのエフリッシュの白衣男から逃げるころには既にリィは死んでいたのだから、亡くなったリィにも何か利用価値があるということなのだろう。

 それに気づくと足元が崩れていくように思えた。いてもたってもいられない。

「ねえミン、研究室に連れてってよ」

 ちょっと硬い声でそう言ってみれば、ミンは不思議そうに首をかしげた。

「どうして知ってるの? 今からそこに向かうんだよ」

「リィ、そこにいるんでしょ。……死んで、……そこに」

「早く会いたいよなあ。焦らなくてもすぐ近くだよ」

 呑気にそう言うミンの隣で、僕は無言で歩き続けていた。ミンは最初は何度か話しかけてきたけれど、僕の反応が薄いせいかやがて無言になった。

 しばらく歩いていると、白衣を着た人に出会った。彼はリィと同い年くらいの青年で、ミンとそう変わらないくらいの長身だ。黒髪に黒い目の、典型的なエフリッシュの見た目をしている。

「……この子が例の?」 

「そうだよ。レンティーノは?」

「中庭だよ。いつもどおり、紅茶をお供に本を読んでいる」

 にこり。

 青年は、レンティーノとか言う人物のことを言いながら僕に微笑みかけた。何か話しかけようと思うともう去っていってしまった。伏し目がちで、穏やかだけれど何処か翳のある笑顔が印象的な人だった。

「今のが僕の息子」

 去っていく青年を目で追いながら、ミンはそういった。

 僕がぎょっとしてミンを見ると、彼は本当に無邪気に笑ってこう続けた。

「の、友人だよ。彼はあんな格好だけど、厳密には研究者じゃないんだ」

 ……また遊ばれた。軽く腹が立った。けれどあまりにも悪気のない無邪気な顔でミンが笑うから、僕はもう遊ばれても良いかもしれないと思い始めてしまう。

 ミンの話によれば、あの青年はカフェで働いている父親の生活を助けるためにここでバイトをしているらしい。

 ここって会社だったんだろうか。特進制度を取り入れているなら生活苦なんて理由にしなくてもあの青年は堂々と社員として振舞えるだろうし、やっぱりリャンツァイではない気がする。

「あの子は凄く働き者で、本当に助かるんだ。彼のお父さんが昔ここで研究者として一緒に働いてたけど、彼もまた働き者で」

「研究者」

「そう。ここは研究所。きみの住むリャンツァイからは少し離れている」

「やっぱり国ごと変わってたかぁ……」

「どこか当ててご覧」

「エナークとかじゃないの」

「当たり! 賢いね、言語や研究員たちの見た目でそう思ったのかな?」

 本当に楽しそうにミンがそう言うから、僕はつい警戒心をゆるめて笑ってしまった。

 あんまり気を抜いたらすぐ何かの実験台にされてしまいそうだから、終始硬い表情でいようと思っていたのに。無邪気なミンの隣にいると、そんなことなんてすぐ忘れてしまう。

「やっと笑ってくれた」

 ほら、そんな風にミンが笑うから。だからまた、僕は警戒することを忘れてしまう。ミンって悪い人じゃなさそうだし、お兄さんって感じだし。心を緩めそうになる。だめだ、ちゃんと警戒を続けなきゃ。

「ついたよ、ミンイェン。ここが第二研究室」

 余所見をしていた僕は、ミンの声で前を向いた。僕らの前には、大きな白い壁が前に立ちはだかっている。この先に、リィがいるんだ。

「連れてきましたよ、フェイロン所長」

「ああ、入って」

 ミンが中の人と会話して、それから壁の中に入る。僕もあとを追って、奇妙な壁を抜けて部屋の中に入った。

 とたんに目に飛び込んできたのは、円筒形の怪しげな水槽のようなものたちだ。

 いくつもいくつも、天井に届きそうなほど大きなものから僕の背丈と同じくらいのものまで様々な水槽があった。中には水と一緒に、様々な標本のようなものが入っている。

 これと同じものを何処かで見た覚えがある。何処だたったかな、そう、学校の理科室だ。この水槽は、大きさこそ違うけど根本的に理科室のホルマリン漬けに似ていた。

 と、その中に。

「リィ!」

 なんてことだろう。

 リィも円筒形の大きな水槽に入って、水の中に浸されていた。

 僕は水槽に駆け寄って、べったりと水槽に手をついた。中の水の冷たさが伝わってくる。水槽を叩いて呼び掛けたけれど、リィは微動だにせず目を開けない。

 肌に血の気がなくて色んなところに擦り傷や火傷の跡があったことをのぞけば、リィは生前とあまり変わらない姿をしていた。

 父親に刺されたお腹の傷も、ちゃんと縫合されている。だけど、リィは頑なに目を開けなかった。何度呼びかけても、何度水槽の表面を叩いても、結果は同じだった。眠っているみたいに綺麗な顔をしていて、時々水槽の中でごぽりと音を立てる気泡が髪を揺らしても目を開く気配はない。

「リィ……」

 絶望で目の前が滲む。リィを助けられなかったのを、まざまざと見せつけられてしまった。

 二度と僕のことを呼んではくれないし、二度と笑ってくれないリィはこのまま標本として保存されるか、あるいは何かの目的に利用されてしまう。

 完全にこの世から孤立してしまったのを再度確信して、はらはらと涙がこぼれた。

「……死体。そのままにしておいたら、生き返らせることが出来なくなるからねぇ」

 後ろから聞こえた声に反射的に振り返ると、白衣を着た小柄な男がにっこり微笑みながら僕を見下ろしていた。

 顔立ちは僕やリィと同じ東洋系で、彼は長い黒髪を一つに括って白衣の背中に流していた。

 僕は男の言葉を反射的にもう一度脳内で繰り返す。……いまこの人、確かに生き返らせるって言った。

「生き返らせる?」

 自分でも驚くくらいかすれた声が出た。僕は縋るように男を見上げた。すると男は、にやりと笑みを浮かべた。

「ああ、勿論だとも」

 僕はリィの方に手を伸ばし、男のほうを見たまま水槽の冷たさを感じる。

 男は白衣を翻しながらつかつかと近寄ってきて、至近距離まできたところでしゃがみ込んで僕と視線の高さを同じにした。

「生き返らせてあげよう、お兄さんを。君はもう一度お兄さんと一緒に生きたいだろう?」

 僕は、力強く頷いた。罠かもしれない。だけど僕は、リィが生き返るって言うならどんなものにでも縋ろうと本気で思っていた。

 かくして僕は、ここでリィ蘇生の手伝いをすることとなった。


 綺麗な水の中で、リィは目を閉じたまま。

 そのまま水と同化してしまいそうな、青白いその横顔。

 ――リィ、待っててね。

 第二話と第三話、本当は同じ枠に入れるつもりでした。けれど、二話が長すぎたので泣く泣く切りました。

 幻影は一話一話の長さがばらばらになりますが、何卒ご了承下さい。

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