表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻影  作者: 水島 佳頼
22/22

第二十二話 幻影

 その日の夜、僕は新しい薬品の成分についての資料を編集していた。電話がかかってきたから、パソコンを操作する手を止めずに出る。

「もしもし?」 

 番号は確かめなかった。だから誰がかけてきたのか解らなかったけれど、すぐにレンティーノの声がした。

「クライドと接触できましたよ。私に好感を持ってくださったようです」

 それをきいて僕は、思わず握り拳を天井に突き上げて叫んでいた。

 リィに近づけた。リィに手が届く。レンティーノがあの人当たりのよさでクライドを懐柔できたなら、もう作戦は成功したに等しい。

 よかった。夏になったら何をしよう。秋になったら何をしよう。この先ずっと、リィのいる景色が僕の当たり前になるんだ。涙が出そうだ。

「やったっ! やった、ありがとうレンティーノ!」

 本当に嬉しかった。心の底から嬉しかった。

 だけど、事態がそう簡単に運ぶわけがなかった。冷水を浴びせるように、ぴしゃりとレンティーノの声が飛ぶ。

「ですが聞いてください、とんでもないことが起こっています」

 冷静な彼の声に、僕はぴたりと動きを止める。なに、とんでもないことって。僕が呆けた声を上げると、レンティーノは続けた。

「ハビが帝王側のお嬢さんに暴行を加えて半殺しにしてしまったのです。その光景を間近でみてしまったクライドは、ハビに殴りかかりました」

「えっ」

「クライドはハビのことを敵だと断言しました」

 何が起こっているの? 状況が飲み込めない。

 ハビのことを敵だと断言した? 敵、なんでまた。帝王側のお嬢さんって何のこと?

 僕が混乱していると、またしても冷静な声でレンティーノが言った。

「ハビの二つの裏人格のうち、より陰湿な方…… イヴァンが現れてしまったのです。よりにもよって、クライドの目の前で」

 その後、繰り返しレンティーノの話を聞くことで僕はやっと状況を理解した。

 ハビの店にいる従業員の中に帝王の手下がいて、その子がクライドを攫おうとした。そして、ハビに『死んで』と口走った。その途端にハビの第二人格のスイッチが入ってしまい、ハビは女の子と一対一で殺し合いになった。

 ハビは女の子の頭をワインボトルで殴打し、骨が折れるくらいの強さで蹴り飛ばした。残忍な性格に変貌したハビは、女の子を甚振るのを楽しんでいた。それがクライドを怒らせる理由になってしまった。

 クライドがハビを蹴り、床に倒したところでマーティンが来た。今まで連絡をよこしてくれなかったマーティンだけど、ちゃんとハビの援護に入ってくれたようだ。クライドは港町での一件以降マーティンを本当に嫌っているようで、停戦の余地はなかった。

 きわめつけに、帝王軍の到着。

 イノセント=エクルストンと仲間が現れて、仲間の一人が女の子を病院に連れて行った。そして、イノセント=エクルストンがクライドを人質にして店からずらかろうとしたところ、クライドが彼から逃げ出した。ハビやマーティンは追おうとしたけれど、イノセントの仲間に阻まれて戦場となっていた店の中から出られなかった。

 レンティーノがこのことを知ったのは、店の防犯カメラを見たからだった。

 マーティンは帝王軍との乱闘で大怪我を負い、ハビに担いでもらってレンティーノの家に運び込まれた。レンティーノはその後一人で店に行き、自宅に防犯カメラを持ち込んで映像を見たのだとか。

 セルジとノーチェとは、今夜会っていないらしい。二人は無事で、クライドやクライドの仲間に好かれているという。二人に関しては、まだ知らない体で通せる。

 まさかこんなことになるなんて思ってなかった。

 レンティーノに頼んで、件の防犯カメラのデータを送ってもらうことにする。百聞一見に如かず、聞くより見る方が早い。そして、詳しいことはここに戻ってから話してもらおう。レンティーノとセルジ、ノーチェの三人は乱闘に加わっていなかったからよかったものの、ハビとマーティンは本当に酷い有様らしい。聞いていて胸が痛んだ。どうして帝王一味は僕らの邪魔ばかりするんだ。

 僕は、すぐに戻ってくるようにレンティーノに告げた。彼らは数日後の昼に、全員揃って帰還した。

 ハビとマーティンは確かに酷い有様で、全身が包帯とガーゼだらけになっていた。マーティンはともかく、ハビがこんなに傷だらけになっているところなんか見たことがない。

「クライド=カルヴァートをとりにがしちまった」

 ポケットからタバコを取り出しながら、マーティンは言う。

 そんなマーティンの手をハビがおさえて、タバコを吸わないように忠告している。まったくいつもどおりのハビだった。傷だらけだということを除けば、いつもと全く変わらないハビだった。

「気にしないでマーティン、皆も」

 僕は平静を装って笑顔でいたけれど、本当はとても苛立っていた。もちろん、二人をこんなに傷だらけにした奴らに対してだ。

「生きて帰ってきてくれてありがとう」

 僕はそう呟いて、部屋に戻った。帝王一味やクライドのこと、そしてリィのこと。全てが頭をごちゃごちゃにさせ、僕を苛立たせた。

 リィを生き返らせたかった、ただそれだけだったのに。

 なんでこんな事になってるんだろう? 少なくとも帝王は関係ない。引っ込んでいて欲しい。クライドもクライドだ、早く捕まってよ。

「ミンイェン、お昼食べないの?」

 廊下からハビの声が聞こえた。だけど僕は布団に包まって、外界の全てを遮断した。そしていつの間にか眠りに落ちる。

 なんと悪夢がグレードアップしていた。嬉しくもなんとも無い。

 あの酒屋で血の海に沈むリィを見た僕は、一生懸命リィを起こそうとする。だけど無理で、半分泣きながらリィを背負う。

 するとハビとマーティンが現れて、彼らもまた父親に刺し殺されるんだ。リィはともかく、ハビは大きすぎて背負えない。なおかつ三人一緒なんて絶対無理。

 何もできない僕は、情けないことに途方にくれて泣き叫ぶ。その間にも三人の身体はどんどん冷たくなり、僕は恐怖で狂いそうになる。

 目を覚ましたとたんに、周りを見回した。三人の死体は転がっていなかったけれど、代わりに生きたレンティーノがいた。

「随分うなされていらっしゃいましたよ」

 静かにそう言って、レンティーノは僕の枕元に小さなテーブルをおき、そのうえでリンゴを剥いている。

 僕の好物がリンゴだってことは、レンティーノも知っていると思う。

 レンティーノは細い指でリンゴを持って、小さな銀色のナイフでその皮を丁寧に剥いていた。リンゴの皮はちゃんと一本につながっていて、なおかつその皮の幅はどれだけ剥き続けていても均一だ。器用な人だと思う。

 僕はレンティーノの手元を見ながらしばらくぼんやりとしていたけれど、やがて悪夢を思い出してきつく目を閉じてしまう。

「怖いのですか?」

 素直にこくりと頷くと、レンティーノはリンゴとナイフをテーブルの上の皿に置いた。そして、僕を見てにこりと微笑む。

 十歳でここにきてから今まで、いつだって傍にあったこの笑顔。

 僕は寝たままの姿勢でレンティーノに手を伸ばした。彼はその手をぎゅっと握ってくれる。暖かく、華奢で綺麗な手。いつだって僕の傍にあったこの手。細くて繊細で壊れそうなこの手は、実はとても強い。だから、悪夢でさえ追い返してくれる。

「貴方は大丈夫ですよ。私がいます。皆が傍にいます。誰も勝手にいなくなったりしません」

 心に染み入ってくるようなその声は、いつだって僕を導いてくれた。幼い頃からずっと。いまでも変わらずに。

 当たり前のようにそばにあった、とても大切でなくてはならないもの。

「ありがとう」

 心から感謝を込めてそういえば、レンティーノは僕の手をそっと離してまたリンゴの皮を剥き始める。

 途中から剥き始めたのに、剥かれて平紐みたいになったリンゴの皮の太さは変わっていない。やがてレンティーノはリンゴを剥き終わって、皿の上で食べやすい大きさに切ってくれる。

「どうぞ」

 差し出されたお皿に乗ったリンゴを、僕は夢中で食べた。

 すっきりとした味、しゃりしゃりした感触。リンゴはよく冷えていて、とてもおいしかった。空腹だったから、異常においしく感じていたのかもしれない。

「ミンイェン、少しの間全てのことを忘れてみたらどうですか?」

 彼にそう言われる。

「え?」

「貴方は色々溜めすぎていらっしゃるのです」

 クライドを見つけてから、貴方は無理をしすぎている。このまま無理し続けたら、貴方はいずれ壊れてしまう。レンティーノはそう言った。

 そう、なのかもしれない。客観的に考えて、まあ確かに、余裕ではない。だけど、本当に壊れそうなのは僕の方じゃなくて皆だ。想いをそのまま声に出してみたら、レンティーノは軽く笑う。

「だからこそ、貴方に休んで欲しいのですよ」

 レンティーノは屈託なく微笑んだ。その笑顔を見ると僕は、それもそうなのかもしれないと思ってしまう。

 昔からそう。彼には妙な説得力があるんだ。

「ごめんね」

「貴方が謝ることは何もありませんよ。ですから、安心して休んで下さい」

 危険にさらされても、レンティーノはこんな風に笑う。どうしてだろう。

「私の言うことを信じられませんか」

 そんな風に悲しげにいわれてしまったら、僕は何も言い返せなくなる。

 黙って従うことにした。全てを忘れて気楽に暮らすなんて無理だけど、少なくともクライドのことだけは考えないようにしようと思う。


 クライドのことを考えずに暮らし始めてから二ヶ月あまりが過ぎた頃、僕は奇妙な新入社員を洗脳した。

 海賊なんだって。訳解らないよね、何で海賊が製薬会社に? そう思ったんだけれど、フィジカルはかなり強そうだ。よくわからないけれど強盗が失敗して落ちぶれて船を手放す羽目になって、船医だった男に会うためにここに来たと言っていた。

 その船医の人、申し訳ないんだけど実験台になっていてもうこの世にはいなくて…… あ、伏せたよちゃんと。伏せた上で知能テストを行って、強めの洗脳をかけて実験動物の飼育担当に宛てた。

 それから三ヵ月後に、今度はその副船長を名乗る男が入社した。体中傷だらけで、近寄ったら噛み付いてきそうなその人は、何故か僕の会社に裏の顔があることを知っていた。

 それで、クライド=カルヴァートの仲間でありイノセント=エクルストンの弟のグレンを追うためにここにきたといった。『あのいけ好かねえ船医ならきっとグレンの居場所を知っているはずだ』と言って辺りを睨みつけていたから、早めに洗脳した。元部下ならと海賊少女のところに配属してあげたら、毎日仲良く喧嘩している。

 そんな風に時折面白いこともあったけれど、僕は無理にのんびりと過ごしていた。

 本当は早くリィに会いたくて仕方なかったけれど、休養も必要だ。僕だけじゃなくて、みんなに。

 そうしていれば、ちょっとずつ状況が変わり始めた。

 丁度冬の休暇が来る頃になって、僕の会社でも一週間ほど社員全員に休暇を出した。その時に、情報が舞い込んできたんだ。クライドたちが漁師町にいるという情報が。すぐ捕まえてしまおうと僕は思った。だけどマーティンが、いつものようににやりと笑って言ったんだ。

「イノセント=エクルストンに盗聴器をしかけた。まあ聞きな」

 手渡されたデータを再生してみると、クライドはイノセントにこんなことを話していた。

『イノセント、喫茶店覚えてるか? そうそう、戦場になっちゃったあの店。 じゃあ、店長さん覚えてる? あの、背が高くて優しそうな。うん、あんな人だと思ってなかったけど』

 思わずマーティンを見る。マーティンはにやっと笑い、続きを聞くよう視線で促す。僕は頷いた。

『俺、あの人を助けなきゃならないんだ。レイチェルにそう頼まれた。俺もハビさんをあのまま放っておくわけに行かないと思うし。俺、ハビさんに言わなきゃならないことがいっぱいある。あの人から貰った手紙、読み返すたびに胸が苦しくなるんだ。だから、夏休みにハビさんを探しに行こうと思う。人工魔力の研究機関がどこにあるか知ってるか?』

 対するイノセントの受け答えはとても簡潔だった。否定と肯定を示す言葉しか言っていなかったような気がする。

 問題はクライドの発言だよね。彼が良心的で正義感が強いお馬鹿さんで本当によかった。もしもクライドがマーティンみたいな性格だったら、逆にハビを殺しに行くんじゃないかって思うよ。そしてレンティーノみたいに思慮深かったら、『助けてあげなきゃ』なんて傲慢なことは言わない。

 よかったね、これでクライドは自分からこっちに向かってきてくれる。僕の手間が省けたよ。それに、誰も傷つけずにクライドを捕らえられる。

 皆ありがとうね。もう少しで、全てが終わるんだ。全てが終わってリィが生き返ったら、きっと皆もリィのこと気に入ってくれるはずだよ。


 僕はその日中庭に出て、ひとりで夜の空気を浴びていた。 

 僕、クライド=カルヴァートが本当に欲しい。絶対手に入れたい。早くリィをこの世に呼び戻してあげたいんだ。

 待っててね、リィ。ごめんね、こんなに待たせてしまって。

 でも、今度こそ本当にもう少しだよ。僕はあの子を手に入れる。そしてあの子の全ての魔力を貰うんだ。

 リィ、僕は必ずきみを生き返らせるよ。きっと成功する。これでまた同じ月を見られるよ。

 父親に虐待される毎日なんてもうない。だからリィ、二人で新しい時を刻んでいこう?

 止まってしまった時を、二人で一緒に動かしていこうよ。

 クライドは、自分からこっちに向かってきているんだ。

 ハビを追って。ハビを更生させようという魂胆で。蜘蛛の巣に気づかずに草むらを飛び回る蝶のように。

 極上のおもてなしをしなくちゃ。羽から触覚まで、余すことなく全てを食い尽くしてあげる。

 さあ、クライド。はやくおいで。

 全てが終わったら、君も僕のコレクションにいれてあげるから。君なら素敵な芸術品になるんじゃないかな。ね、だから僕を退屈にさせないでよ。

 楽しませて? 君の全ての魔力で。そしてリィを生き返らせることに貢献してよ、悪いようにはしないから。


 ふと見上げた空には満月が出ていた。

 リィが大好きだった、淡く穏やかで優しい月の光。

 悪夢に魘される日々も、きっともう少しで終わるよね。

 

 『魔幻の鐘』悪役キャラ、ミンイェンの物語でした。お読みくださってありがとうございます。初出は2006年7月ですが、改稿しつつ、ここ『小説家になろう』にて再掲載してみました。

 この物語は、そのまま魔幻の鐘二章に繋がるようになっているはずです。解りにくいところもありますが。

 ミンイェンは我侭ですが、実はどこまでも他人主義者です。自己中にみえるけれど、実はいつだって友達やリィのために一生懸命なので。そんな彼は、今でもリィの幻影を追い求めて日々暮らしています。

 魔幻が完結する時に、この『幻影』にも本当の意味での終りがきます。この物語の結末は、作者もまだ解りません。

 一ついえるのは、クライドもミンイェンも本当の意味での『悪役』ではないということでしょうか。

 顔貌がそれぞれ違うように、価値観もひとそれぞれです。ですからクライドとミンイェンでは、正義のあり方も、友情のあり方も、善悪のあり方も異なるんです。

 幻影をお読みくださった方は、是非ミンイェンサイドの視点で魔幻を思い返してみてください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ