第二十一話 総力戦
部屋に入ろうとカードキーを探していると、ふと後ろに誰かが立つ気配がした。振り返ると、白衣のポケットに手を突っ込んで不機嫌そうな顔をしたマーティンがいた。その目を見て思わず怯んだ僕は、部屋に入るのをやめて数歩後ずさる。マーティンが苛立ったように舌打ちをした。
「つきまとわなくなったよ、えらいでしょ」
口を開くと、思い浮かぶ端から言葉がストレートに零れた。僕まで八つ当たりしてどうするんだと思うけれどもう遅い。マーティンはもう一度舌打ちをし、眉間にしわを寄せる。
「おりこうな僕がいいんでしょ。もう迷惑かけないよ。言う通りきみのことは放っておく、ずーっと。これでいい?」
ちがう、こんなことが言いたいんじゃないのに。
「もう寝るから。会社の件なら明日にして」
目を合わせられない。震える手でもう一度カードキーを探し、ポケットから出して部屋を開錠する。逃げ込んでどうするんだ。仲直りしなきゃ。でも、こんなふうに拗れさせてしまったからもうだめだ。一旦退却して体勢を立て直そう。……できるの?
シリンダーの音がして、扉が開く。傍目には開いているか分からない真っ白な壁の中へ進んでいこうとすれば、マーティンは僕の腕を掴んで止めた。そして。
「……悪かったな」
僕はマーティンを肩越しに振り返る。マーティンは苦々しげに、苛立ったように、それでもそう言った。足を止める。
「八つ当たりして悪かった。……俺は俺への苛立ちを、てめえにぶつけていただけだ」
「……そう」
「必要とされなくなるのが、耐えられなかった。役立たずに成り下がったら、俺がここにいる意味がなくなる」
ぼそっとそう言うマーティンは、また舌打ちをする。なんとなく分かってきた。マーティンのこの不機嫌は全部、自分に宛てられたものだったのか。
マーティンは僕を見下ろして反応を待っている。僕は少し考えて、身体ごとマーティンに向き直った。
「貼り紙見てくれた?」
「ああ。候補者はいるか」
マーティンに尋ねられたけれど、立候補者なんているわけない。きみがあのトラップに掛かってくれなかったら、僕からスカウトしに行かなきゃならないところだった!
「マーティン行ってくれるの?」
「ああ。こんどこそ、クライド=カルヴァートを捕まえる」
「マーティンさ、僕がマーティンのこと要らなくなると本気で思ってた?」
「……多少は」
「僕も多少。見限られたと思った。心臓に悪いよ」
「悪かったって」
「僕は賢いから許してあげる」
「自分で言うな、クソガキ」
笑いながらぐしゃぐしゃと頭を撫でて、マーティンは帰っていった。マーティンとのわだかまりがなくなって、僕は安心して布団に入った。寝るたびに悪夢を見ることなんてすっかり忘れていたんだ。
だけど、やっぱりその日も悪夢を見た。
いつになったらリィが目の前で死んでゆく夢を見なくて済むようになるんだろう?
傷を押さえる彼の手に絡みついた赤が痛い。生きたいよって顔で笑んでるその心を推し量るのが辛い。
そして何より、死んでしまったその時の苦しみなんて想像もできない。
リィを生き返らせたい。だってこのままじゃ、あまりにもリィが報われない。
僕を護るために犠牲になってくれた彼を、僕はこの手で生き返らせたい。というか、僕がやらなきゃだめなんだ。
いままで十分護られた。だからこれからは、僕がリィを護っていきたい。
僕は悪夢にうなされつつ、五月の終りを待った。
五月二十三日につくようにマーティンが出て行ったから、帰って来るのはちょうど五月の終りになると思うんだ。辛抱強く待った。
悪夢にうなされ、起きるたびリィに謝って、重い気持ちのまま朝を迎える。そんな生活も、もう僕のリズムとして定着してしまった。
「ミンイェン、マーティンが帰ってきた!」
ノーチェの元気の良い声で、僕は銃弾のように部屋から飛び出して真っ直ぐマーティンのところへ向かった。
ところが僕は、戻ってきたマーティンを見て愕然とした。
よれた服。乱れた髪。そして、切り裂かれた肩と腹。血で汚れた傷跡や服、それから髪。マーティンはボロボロだった。だけど、いつも通りシニカルに笑っていた。
「クライド=カルヴァートとその仲間の容姿を掏ってきた。だが、イノセント=エクルストンを見つけちまってそっちを追うことを優先的に考えちまった」
彼はそういって、疲れたように笑う。
イノセント=エクルストンといったら、マーティンが追っている古くからの仇だよね。弟を殺したっていう。だったら、そっちを追ってしまっても仕方ない。それにマーティンもクライドも、そしてイノセントもアンシェントタウンの出身なのだから、きっとイノセントを追うことでクライドについて何らかの情報を得られると僕は直感する。
「イノセント=エクルストンもクライド=カルヴァートを追っていた、チッ。あいつは帝王の手下の中でもかなり上のポジションになっていやがった。帝王もクライド=カルヴァートを欲しがってるらしい」
うわ、帝王もついに行動に出たんだね。僕が手下にならないからって、クライドを手下にしようって魂胆?
じゃあ、クライドのことを混血児だって知ってるんだ。先に利用価値に気づいたのはこっちだよ、負けてられないな。
「クライド=カルヴァートの連れに視力を操る魔道士がいた。トニーとか呼ばれてる奴だ。年齢は十二、三歳」
続けて公開されるマーティンの情報には完全に度肝を抜かれた。
まさかクライドを追うことで帝王のことやイノセントの宿敵が浮かんでくるとは思わなかった。そしてエルフではなくとも利用価値のある、魔力の備わった人間が他にもいるんだ。洗脳して協力させてクライドに魔力を分けてくれないかな。そういう方式が可能なら、より成功率を上げられそうだ。
何だかクロスワード・パズルみたい。紙に並んだ『クライド=カルヴァート』の文字列に交差するように帝王がでてきて、帝王の文字列にイノセント=エクルストンの文字列がが絡む。仲間の魔道士、魔力、蘇生成功…… これからもおそらく、もっともっといろんなワードが出てくる。
そのなかに僕の名が交じる日、それがクライドを捕らえる日。楽しみだなあ? 僕、クロスワード大好きなんだ。
「ねえ、早速クライドになってみせて!」
僕が嬉々としてそう言うのと、マーティンの身長がちょっとだけ縮んで長かった髪が短くなったのとどっちが早かっただろう。一瞬のまばたきの間に、僕の目の前には写真でしかみたことがなかったクライド=カルヴァートが立っていた。
ただし、目の色と声だけはマーティンのままだったけど。
「恒常的に魔法を使う、質のいい混血児だ。それなりに魔力の扱いに慣れ始めている」
クライドの顔をしたマーティンが、いつもの声と表情でそういう。あの明るい笑顔のクライドも、こんなに悪意たっぷりの嫌味な笑みを浮かべることができるんだ。
僕は頷いて、クライドの姿のままのマーティンを連れて実験室に向かう。僕は実験のプランを脳内で練りはじめ、口数が減ったけれどマーティンも黙って横を歩いていた。
マーティンが何を考えているのか僕には解らなかったけれど、口許に終始皮肉な笑みを浮かべていたってことは女の人のことでも考えてたんじゃないかと思う。当然のようにマーティンは女性関係についてからかってくるけれど、あいにく僕にはない衝動だ。
そういえば『女を抱いてる時くらいはイノセント=エクルストンのことを考えずにすむ』と、前にマーティンが言っていたことが脳裏にちらりと浮かぶ。マーティンにとって女の人は、都合の良い逃げ口なんだなってそのとき思った。僕が研究に没頭するように、レンティーノが本を読みふけるように、ハビが人格を二つ…… いや三つに分裂させてしまったように。
リィを生き返らせたら、マーティンがイノセントを捕らえるための手伝いをしてあげよう。そして一番気が晴れるやりかたで復讐を遂げてもらって、そのあとのことはマーティンに任せよう。
「なあミンイェン」
マーティンについて色々考えていたら、隣を歩いていた本人が僕に声をかけてくる。僕はその声に本人の顔を見上げ、首をかしげる。
白い肌に滑らかな色をした金髪。端整な顔立ちだけど、口許にたえず嫌味な笑みを浮かべているマーティン。
「どうしたの、マーティン」
そう答えてみれば、マーティンはふと無表情になった。何を聞かれるのかと身構えると、彼は不意に満面の笑みを浮かべた。こんなに楽しそうなマーティンを見たのは、何年ぶりだろう。僕が驚いていると、彼は出し抜けに薄ら笑いながらこう言った。
「まだ童貞か?」
……前言撤回。
やっぱやめた! マーティンの目的には協力しない!
マーティンはやっぱり能天気で、脳みその三十パーセントが『いかにして人をからかうのか』ということを考えるためだけにあるような人間だ。
「解りやすい奴だねえ? とっとと女つかまえな。十八にもなってまだ童て」
「馬鹿マーティン! 低俗! 何度言ったら僕にそういう欲求がないってわかるの!?」
僕の反応のどこが面白かったのか、マーティンは腹を抱えて笑い出す。馬鹿馬鹿しいくらいに笑い転げているマーティンに、すれ違う研究員たちが訝しげな視線を送っている。
確かにマーティンは兄貴分だよ。間違いなくね。だけど、リィはこんな破廉恥なこと絶対に言わなかった。だから僕はマーティンに教えられるまで童貞っていう言葉の意味すら知らなかった。だって必要ないじゃないか、蘇生の研究には。知らないことがあるのは癪だけど、要らない知識だってある。
むすっとした僕の隣でマーティンはいつまでも笑っていた。
実験室についても笑っていたけど、ここにきてようやく笑いをおさえることに思い至ったみたいだ。僕はずっと機嫌が悪かったけれど、実験に使う芸術品を物色していたらいつのまにか気分がとても軽くなっていた。リィに会える。話ができる。そんな日がもう目の前に迫ってる。
「クライド=カルヴァートの仲間は三人」
マーティンがそういい、僕は物色を中断して彼を振り返った。
話によると、そのうちの一番弱そうに見える少年が魔道士らしい。二番目に弱そうな少年を操ってみたが、大昔の魔道士の亡霊に邪魔をされたと彼は言う。全く話がつかめない。大昔の魔道士の亡霊? でも、マーティンがそういうからには本当のことなんだろう。
僕は早急に被験体をどれにするか決めて、クライド=カルヴァーに擬態したマーティンと一緒に実験してみる。
前にやったのと同じように、ウサギをいれられる大きさの円筒形の水槽に魔力伝達用チューブをつなぐ。
被験体は小さな猫。栗色の毛並みに青い目をした、可愛らしい猫だ。僕はマーティンにチューブを渡し、首に魔力の暴走を防ぐネックレスをかけて実験にゴーサインを出した。
待つこと数分。水槽に少しずつ変化が現れた。猫の水槽の中に気泡ができてくる。しかし、その先は何も起こらなかった。僕はマーティンを振り返る。マーティンは僕を見て、それから元の姿に戻った。
マーティンの魔法では、魔力まで模倣することはできないらしい。でも、手の届く位置に本物の混血児がいるよ。それを捕まえてくればいいんじゃないか。落ち込んじゃだめだ、落ち込むな。
「悪いな」
彼は言う。やや落胆した様子だったけれど、ある程度この結果には予測がついていたのかもしれない。
「気にしないで。頑張ってくれてありがとう、休んで良いよ」
僕は笑みを浮かべ、指を鳴らす。そして、実験の後片付けを全て部下に任せた。
クライドの追跡を始めてもいいかもしれない。だけど情報によると、彼らは漁船で孤島を目指してるという。この会社は、海上を追跡する技術なんて持ち合わせていないんだ。海軍を持ってるわけじゃないし、船の操縦ができる社員なんていないし。
彼らが海に逃げたら、待ち伏せしかないね。だったら、孤島に行くまでの島に人を配置すればいい。そうして、罠をしかける。まさしく蜘蛛のように、待ち伏せて捕らえて混血児たちを貪り食う。
この網に早くクライドがかかってくれればいいのにな。獰猛な蜘蛛は腹ペコで、爪を隠しつつ確実に君に忍び寄っているんだよ。絶対に気づかないでね。まあ、気づくはずも無いけれど。
僕は部屋に戻り、地図を広げる。大きく広がるナルディーニ洋を突っ切って、あの孤島へ向かうと予想されるクライドの軌道。それをみて、僕は唐突にはっと思いつく。
ハビの喫茶店やレンティーノの実家があるアルカンザル・シエロ島が、絶好のポジションじゃないか。
漁船の燃料なんて長持ちするはずが無い。補給する場所が必ず必要になるはずだ。僕は即座に会議室に行き、皆を呼び出した。マーティンは医務室で治療を受けさせて、残りのメンバーに話しかける。
「アルカンザル・シエロ島に行ってくれる? そこにクライドたちがくるはずなんだ」
そういうと、真っ先にノーチェがこう言った。
「私、ちょうどそこで撮影があるの。女優として初めての映画なんだ」
本当に嬉しそうに彼女は言う。彼女の隣でセルジが笑っているけれど、無理しているように見える。隣で成功者が満面の笑みを浮かべているのに、自分はまだ夢を叶えることができていない。それをとても歯がゆく思っている表情にみえた。
ノーチェの映画の監督は、帝王の手下らしい。
イノセント=エクルストンとその仲間が何度か監督を呼び出して話をしていたことがあったから、ノーチェはそれに気づいたんだとか。帝王の一味は、僕がクライド=カルヴァートを捕獲しようとするということを予測していたらしい。だからその前に捕まえてしまえって言う魂胆なんだ。
くう、汚いぞ帝王。
やっぱりあいつは自由の権化で、究極の自己中心的男だ。僕のもつ力じゃあ決して消すことも潰すこともできないだろうけど、僕はあいつをいつか解体してやりたいとひそかに思っている。だって、僕の邪魔ばかりするじゃないか。
「あの島が孤島に一番近い補給ポイントだよ。帝王の住処に向かうんだったら、避けては通れないところでしょ?」
気を取り直して僕がそういうと、皆頷いてくれた。だから僕は、早速皆を送り出した。
ノーチェはすぐに発っていった。明日の朝にも船でその島へ向かうといっていた。それまでは生活用品などを買い足し、マネージャーと打ち合わせをするらしい。彼女のあとを、セルジも追っていった。セルジは旅行鞄に美容師について書かれた本やハサミのセット、それから髪を切る時に服を汚さないようにするためのカッティング・クロスをつめてすぐに玄関に向かっていく。
ノーチェとセルジの二人を玄関まで見送ると、ハビとレンティーノも一階まで降りてきていた。いつもどおりしっかりしたスーツを着込んだレンティーノが笑顔で手を振って、屋敷の電話番号をメモした紙を手渡してくれる。細いペンで書かれた、女の人が書いたみたいに繊細な文字。まさしくレンティーノの字って感じだった。自然に笑みが浮かぶ。
僕はそれをしっかりと白衣の胸ポケットに仕舞うと、レンティーノに手を振り返した。レンティーノは携帯を持っているけれど、固定電話で話せばそのあいだ携帯で情報収集ができるでしょ。薔薇の似合う優雅な彼は、軽やかな足取りで街へでてゆく。
レンティーノを見送ると、ハビも笑ってお店の電話番号を教えてくれた。知っているけれど手帳にそれをメモして笑っていたら、ハビも行ってしまう。ハビには僕のように垢抜けない印象はない。なおかつ、統括者としての威厳を十分に持ってる。歩き方も、きびきびとしていた。並んでいたら社長だと思われるのはハビのほうなんだろうな。
僕は皆が見えなくなるまで見送った。あとはマーティンだけ。マーティンには、怪我が良くなってから行ってもらおう。
さあ、これから僕の総力戦が始まるよ。
クライド、絶対にアルカンザル・シエル島に向かってね?
皆をアルカンザル・シエル島へ送り出してから暫く経った。
その間に僕は新製品を開発したり、リィに語りかけたり、魔力の調整用の道具を開発したりと、いつもと何も変わりのない日々を過ごしていた。
レンティーノからは毎日のように電話が来た。意外と寂しがりなレンティーノは、島についてから初めてかけてきた電話で広大なお屋敷にたった一人(と一匹。猫がいるんだ)で暫く住むことも抵抗を感じているといっていた。父親が『生前』若き日を過ごした家なんだ、そういう居心地の悪さみたいなものもあるのだろうと思う。
でもレンティーノはとても適応力のある人だから、そんな環境にも慣れてきたようだ。最近の電話では、庭の花が綺麗だとか倉の中にあった古書が面白かったとか、そんなレンティーノらしすぎることしか言わないから。彼はこれまでの電話では、切る前に必ず『早く帰ってミンイェンと直接話したいです』なんて言っていたんだよ。
ハビからは時々電話で店の様子を聞かせてもらった。セルジはハビの喫茶店からちょっと離れたところにある書店でバイトして、ちょっとでも多くのお金を稼ぎコネを作ろうと頑張っているという。実際、ノーチェが出ている映画の関係者なんかが足を止めて名刺を交換してくれたりしたらしい。
ノーチェはというと、映画のヒロインとして頑張ってる。帝王の手下である監督のもとで、彼女自身がいちばんやりたかったことを全力で頑張ってるんだ。セルジに映画監督を紹介してあげればいいのにと思うけれど、二人はスキャンダルになるのを警戒して外では見知らぬ相手のふりをしているというからすごいと思う。僕は多分、そういうのが苦手だ。全部顔に出る。
そんな僕はどうだろう。みんなを『派遣』して独りでここに残った今、いつもどおりリィの為に日々頑張ってるつもりだよ。
いつもと何も変わりなくても、いつもリィの為に生きているから。




