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幻影  作者: 水島 佳頼
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第二十話 すれちがい

 待ちに待った四月三十日。今日にはセルジが帰ってきてくれるだろう。

 僕は待ち続けた。そわそわしながら、何度も外に出たり研究所に戻ったりを繰り返した。やがて、夕方になって彼をみつけた。

 でも、彼はクライドを連れていなかった。なおかつ俯き気味で、僕が珍しく研究所の入り口にいるのに気づいてもいない。

「セルジ」

 声をかけてみると、彼は駆け寄ってくる。そして、縋るように僕を見上げた。

 何度も何度も彼が謝るのを聞いて、僕はがっかりすると同時にクライドに対して少し不満を覚える。どうして素直に捕まってくれないの?

「ごめん、みつけてこられなかった。町に行ってクライドの行方を尋ねて回ったんだけど……」

 セルジは本当に申し訳なさそうに、しょんぼりとそういう。僕は少し自分に対して苛立ちを覚えた。

 あんなに一生懸命調べたのに、もしかしたらアンシェントタウンっていう情報は間違いだったのかもしれない。だとしたら僕は、無駄なことの為にマーティンをあんなにやつれさせてしまったことになる。そんな。僕がしたことは、一体なんだったの?

 目の前からさあっと色が消えていった。単色の景色の中に何があるのか判別することすら苦痛になり、僕は目を閉じて頭を抱えた。すると、セルジが意外な事を言った。

「彼は数日前から失踪中だったから、本人を捕まえることはできなかった。でも家に行ってみたら、彼のおばあさんに会えたんだ。彼のおばあさんは、クライドが帝王の孤島まで旅をするって言っていたよ。……認知機能に問題がなければ、だけど」

 なにそれ、凄い情報じゃないか! やっぱりアンシェントタウンで正しかったんだ、よかった。

 僕は決して無駄なことのためにマーティンをあんなにしたんじゃなかった。

「セルジ、ありがとう!」

 叫びながら彼に抱きつくと、通行人全員が一斉にこちらを振り向いたので苦笑しながら彼から離れた。セルジは唖然として、それから完全なる青年であるその顔に少年らしい照れ笑いを浮かべる。

 僕とセルジは研究所に戻る。真っ直ぐ会議室に向かおうとしたけれど、翻る青い筋をみた気がして右側を見る。こちらに背中を向けたマーティンが、忌々しげに壁を殴りつけているのが見えた。

「マーティン、会議室に来て!」

 足を止めたセルジに先に向かっているように言うと、僕はマーティンに声をかけた。

 暫く僕に背中を向けたままでいたマーティンだけど、やがて僕が立ち去らないことに気づいたのか肩越しにこちらを振り返る。だけど完全に振り返ったわけじゃなくて、ちらりと僕を視界の端に入れた程度。

「いかねえよ」

 冷たく言い置いて、マーティンは去っていった。足音も荒く、途中で何度も壁を殴りながら。

 僕は言いようも無い苛立ちを感じ、マーティンの後を追いかけた。走ってマーティンの後を追いかけて、彼の長い髪を引っつかんで止める。

「てめえっ、離しやがれ」

「マーティンの馬鹿! 何怒ってるの?」

「はいはい。俺は馬鹿だ、大馬鹿だ、ミンイェン様のおっしゃるとおりだ。だから放っといてくれ。もう付きまとうな」

 付きまとうな? 僕はその言葉に愕然とし、マーティンを見上げた。どういう意味?

 立ちすくむ僕をちらりと見て、マーティンは歩き始めた。手の中にあった髪がするりと持ち主に引っ張られ、僕とマーティンをつなぐものは何一つとしてなくなった。

「ちょ、……ちょっと! 待ってよマーティン!」

 マーティンは二度と振り返らず行ってしまう。わなわなと手が震えた。

「馬鹿! マーティンなんて大っ嫌い! バカバカバカバカ!」

 頭にかっと血がのぼり、何の分別もつかなくなった。気づけば幼稚園児並みの稚拙な言葉で、僕はマーティンを罵倒していた。自分でもこの衝動を止められなかった。僕、やっぱり心は十歳のままかもしれない。

 うるせえ、とただ一言だけでも反応してもらいたかっただけなのに、彼の姿は見えなくなった。

 白い壁に手を這わせながら、僕はとぼとぼと廊下を歩いた。あふれる涙が頬を伝い、顎を伝って、ぽたぽたと廊下に落ちる。

 マーティンに嫌われちゃった。どんなに機微をそぎ落としても個性として受け入れてくれると思って、甘えていたんだ。僕の思いもよらないところでマーティンは傷つき、不快になって、そして僕から距離をとった。

 僕はそれがどうしてかわからない。推察するのであればおそらくは、過剰な自信にまかせて彼をぞんざいに扱ったせい。そう思う。

「ミンイェン、どうしたの」

 思考を打ち切って顔を上げると、ハビがいる。慌てて涙を拭うと、ハビは心配そうに少し屈む。

「会議室を空けるように僕から言うから。おいで、ミンイェン」

 ハビはそう言うと電話を取り出して、たぶんレンティーノに電話をかけた。そしてそのまま、会議室…… もといハビの部屋へと向かう。

 僕はハビの後をとぼとぼとついていった。考えるのは、マーティンのことばかりだった。部屋に辿り着いて、長身仕様のソファにちんまり座って俯く。ハビはいつもどおり穏やかな顔で、僕の頭に重たい手を乗せてくしゃくしゃと髪をかき回している。その仕草がマーティンと妙に重なって、僕は止まりかけた涙をまた流してしまう。

 だって、どうすればよかったんだ。そしてそう思ってしまうのは、あまりに自分本位だ。

「ハビぃ……」

 暖かくて、僕をしっかりサポートしてくれるその手。その感覚が心の奥にあった硬い壁をいとも簡単に溶かしてしまう。 僕は耐え切れなくなって、ハビに泣き言を垂れた。心のうちを全部ぶちまけた。

 するとハビは、くすっと笑う。

「ねえミンイェン、マーティンは何で怒っていたと思う?」

 優しくて、心の奥のほうにすっとなじんでいくその低い声。訊かれたのは、彼には答えが解っている問い。

「端的に、僕が我侭すぎたから」

 そう答えると、ハビはにっこりと笑った。そして、首を横に振る。あくまで優しく、決して僕を馬鹿にはしていない笑み。この笑みがあるから、彼の隣はとても居心地がいい。

「君の力になれなかったことを今でも悔いてるんだ。だから自分に対して怒ってるんだよ。その上自分が出来なかった仕事をセルジがやっちゃったからって、セルジに嫉妬してるし」

 ハビはそういって、僕の背中をぽんと叩いた。いつもこうやってハビの手に背中を押されて、次のステップに送り出されているような気がする。

 勿論ハビは親友だけれど、父親のいない僕の保護者的役割をはたしてくれるお兄さんでありお父さんなんだ。僕をいつも支え、教育してくれる良い大人。こうやってハビに教えてもらえたことを、僕はちょっとでも生かすことができているだろうか?

「そう、なのかな」

「そうだよ。むしろ我儘に振舞ってもらえないと困ると思う、もうそれマーティンの存在意義みたいなものだから」

「僕、皆の気持ち全然察せないのに。頭いいからちゃんと推察するけど、外れていることもいっぱいあるよ」

 くす、と笑う声。大丈夫だよ、と背中を優しく撫でられる。

「無理に全部理解しようとしなくていいんだよ。僕らはミンイェンをミンイェンとして受け止めて、きみの力になりたいと思っているんだから」

「僕を優先して我慢する、きみたちの感情の部分は?」

「我慢している前提なのがまず修正ポイントかな。僕はミンイェンの傍にいたくている。レンティーノもマーティンも、セルジやノーチェだってきっとそうだよ」

 肩の力を抜きなよ、と大きな重たい両手が肩に乗る。僕はまた泣きそうになりながら、小さく頷いた。

「君に難癖つけて折檻する父親はもういないんだよ。家族から逃げるようにして働きづめだった母親も、特進のために君を追い込む学校の先生もいない。優等生ぶって何もかもわかったフリしなくたって、君はそのままで愛される」

「……ハビ」

 本質の部分を刺されてしまった、そんな気がした。

 友人が離れていくことをこんなにも怖がっているのは、必要とされるために必死に自分の価値を創造しなければならなかった時代の名残なのかもしれない。だとしたらそんなのもう、みんなの前では必要ないのか。

「ありがと、ハビ。……僕まだ十歳かもしれない」

「なかなか脱せないよね。でも君はよく頑張ってる」

 止まりかけた涙がぼろぼろ頬を伝うのはきっと、安心したからだ。大切な人たちを失うことばかりを考えてしまう僕に、ハビの言葉は沁みた。僕がようやく泣き止みかけたころ、ハビは悪戯っぽく笑う。

「八つ当たりなんて一過性だよ、ミンイェン。マーティンだって明日になれば、気まずそうに謝ってくると思うから」

 僕は涙を拭いて、頷いた。泣いていたことが解らなくなるくらいまで目の腫れが引いて、顔の赤みもすっかりとれたから、僕は予定通りこの会議室で会議を行うことにした。

 いつものメンバーはすぐに集まってくれた。

 マーティンはきてくれなかったけど、ハビの言う通り八つ当たりだと思うことにして僕はさっさと話を進めることにする。

 地図を持ってきて、机の上に広げた。そして、アンシェントタウンの辺りに丸をつけた。帝王の孤島は、大体この辺りだろうという大まかな場所をレンティーノが知っていたので、そこに丸をつける。

 様々なルートを考えた。彼らの足の速さも考えて、アンシェントタウンを中心に半径数十キロの円を描く。山の中か、山沿いの町か、それとも海辺の町に出ているかもしれない。

 アンシェントタウンでは表向き、街から出る方法はヘリをチャーターするしかないことになっている。墜落事故による滑走路の使用停止が長引いていて、ドクターヘリに乗るか民間の輸送会社に頼むかしてヘリに乗る以外にあの平原を越える方法がない。マーティンは『貨物』として郵便ヘリに乗り込む方法を知っていた(し、ハイジャックもした)けれど、あれは裏ルートだって言っていた。あの少年たちが郵便ヘリを使えたとすればすでに空港のあるような街に出ているかもしれないが、クライド・カルヴァートは片親で貧しい。ノエルやグレンあたりは家が太いから資金援助を受けた可能性はあるけれど、衝動的に旅に出た様子を思えばおそらく彼らは徒歩で山を越えていこうとしている。

 数日で歩ける距離なんて知れているよね。きっと彼らはまだ山の中だろう。

 僕らは彼が山を降りる時間を簡単に計算し、そこで捕獲することにする。山の中でネズミを捕まえるなんて難しいし、変なところで捕獲に成功しても輸送ルートが確保できない。

 クライドが孤島を目指す最短ルートを選んだとしたなら、人里に降りてくるのは大体五月の二十三日か二十四日頃になるんじゃないかと予想する。その頃、下山して平原を抜けてからすぐの場所にある漁師町に彼がたどり着いているだろう。待ち伏せして、そこでクライドを捕れば良い。そしてリィを生き返らせるんだ、一刻も早く。

 リィと一緒に暮らしてゆける日が近づいたことを思うと、言いようも無く嬉しくなって自然に笑みが浮かんできた。僕は議会を解散し、こんな張り紙を作った。

「五月二十三日にクライド=カルヴァートを捕獲してくれる人を急募! それなりに武器を扱うことができ、自分の身は自分で守れる人が好ましい。報酬は成果によって変わるけど、決して安くは無いよ。応募まってるから、僕に直々に申し出てね。社長より」

 八つ当たりマーティンに、僕からのあてつけ。この研究所に『それなりに武器を扱える』社員なんてマーティン以外にいないし、みんな一般人だ。

 僕はそれを何枚もコピーして研究員たちに渡して、全フロアの掲示板とエレベーターに貼ってもらった。

 大丈夫、これならマーティンは嫌でもこの張り紙を目にすることになる。気まずそうに謝ってくるなら今だよマーティン。……待ってるよ。

 ある程度会社の仕事もして、一日の終わりに僕は第二研究室に向かった。

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