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幻影  作者: 水島 佳頼
19/22

第十九話 派遣社員

 満を持して、『捕獲作戦』が始まった。

「誰かアンシェントタウンに行ってくれない?」

 その日の夕方、『会議室』で僕は言った。

 いつものメンバーであるハビとレンティーノとマーティンに新参のセルジとノーチェも加えて、僕らは混血児捕獲のための会議をしていたんだ。皆、真面目に聞いてくれた。セルジはハビとかなり親しくなっていて、洗脳の度合いも当初より下げられていて、彼もまた素の状態で僕らの実験を『面白い』と言える感性をもっていた。だから会議にはセルジのほうが先に来ていて、あるときセルジがノーチェを連れてきたのでこのメンバーが確定したんだ。

 今日は具体的な提案が出てきたわけだけれど、僕の話を聞いたマーティンが神妙な表情で何度か瞬きをしてこう言った。

「そこは、俺の故郷だ」

 え、それ初耳!

 マーティンの故郷って、あのアンシェントタウンなんだ。ということは、クライドのことを…… 知っているはずがないか。マーティンがアンシェントタウンで暮らしていたのは、十一歳まで。だから知っていたとしても、クライドはその頃とても小さかったと思う。

 会議の結果、マーティンに一人であの町へ行ってもらうことにした。本当はついて行って一緒に捕獲したかったけれど、マーティンが留守の間にもこちらで色々とやらなきゃならないことがあるからね。

 ほら、前に砕けてしまった水槽を改良してもう一度作らなきゃならないし、水晶の欠片が入ったコードも調達しなきゃならない。保存液もまた作らなきゃ。会社の方だってしっかりやっておかないと資金調達が出来ない。

 最近発売した新しい風邪薬の売り上げも好調だし、CMもテレビでじゃんじゃん放送されている。本当なら全部僕がやりたいところだけれど、『副社長』としてレンティーノに手伝ってもらうことが多くなった。そしてたぶん、僕よりレンティーノの方が数段経営のセンスがありそうだということも分かってきた。とはいえ決裁者というか最高責任者は僕だから、しゃんとしていなければ。

 やること、いっぱいあるね。だけど全部こなして今までやってきた。これからも、僕はこんなふうに多忙な人生を送るのだろう。

 リィが蘇生したら、リィは社長になりたがるかな。それとも研究のほうをしたがるかな。早く目を覚ました彼に訊いてみたい。


 次の日、朝起きてすぐに誰かが僕の部屋に来た。ボタンひとつでドアを開けると、白い壁を抜けてレンティーノが入ってくる。

 手には一輪の薔薇の花。巻かれたリボンの刺繍で、それが花屋ではなく『邸宅』から持ち込まれたものだとわかった。レンティーノの邸宅には温室があって、そこなら一年中薔薇を見ることができるという。ミンの亡きあとは家令のおじいちゃんが保全してくれているのだと聞いた。ミンはアルカンザル・シエロ島の貴族だから、お屋敷はとんでもなく広い。らしい。まだ行ったことはないけれど。

 とにかくレンティーノは、わざわざ家まで行って薔薇をとってきてくれたんだ。レンティーノはミンの死後正式にその家を受け継いでいるから、時間に余裕があるときに時々家に帰っている。残してきた猫も気になるみたい。

 とはいっても、レンティーノは生活の拠点を向こうに移してしまう気はないらしい。ここで暮らしている方が楽しいっていう、彼の気持ちは本心だと思う。

「ミンイェン、お誕生日おめでとうございます」

 薔薇を差し出しながら、レンティーノは言う。初めて出会ったあの日と同じシチュエーション。

 だけどレンティーノは僕を数段抜いて長身になったから、あの日と同じように微笑んでいるそのハニーブラウンの瞳ははるか上の方にあった。僕は薔薇を受け取って、何も入っていない花瓶にそれを挿した。そして、思い出したように言う。

「今日だったね、そういえば」

 適当に決めただけ。それでも、この日は僕の特別な日。

 四月の始まりの日は、僕の誕生日。この日に生まれた人は、僕の国では学年で一番幼い人間に該当する。だから僕の誕生日はこの日が妥当なんじゃないかと思って、僕は四月一日生まれになった。


――リィ、僕はリィがいない間にもう十八歳になったよ。

 リィが止めてしまった年齢を、もう三つも上回ってしまった。 

 年齢だけは成長してるけど、僕はまだまだ子供だよ。だからリィ、僕よりも幼い姿で生き返っても僕のお兄ちゃんでいて。

 

「マーティン、早く帰ってきてくれると良いですね」

 レンティーノはベッドのふちに腰掛けながらそう言った。僕も頷いて、レンティーノの隣に座る。

「うん、何だか皆が揃っていないと調子狂うんだ」

 薔薇の花を挿した花瓶を枕元におき、僕はため息をつく。

 枕元にはリィもいる。相変わらず目を覚まさない彼だけれど、その皮膚は保存液でふやけることなく今のところ『永遠』を保っている。適切に入れ替え、濃度を調整し、僕がちゃんと管理しているからね。僕の数ある芸術品コレクションは、どれもリィの抜群の状態には及ばない。

「そういえば、ハビが明日から一週間ほどカフェの方に行くそうです」

 思考に沈む僕を、レンティーノが現実世界に引き戻した。その言葉は不意打ちのように衝撃的だった。

「え、ハビもいなくなっちゃうのかあ」

「ノーチェもです。コマーシャルの撮影に出ると仰っていましたから、恐らくハビと同じくらいここを空けることになるでしょう」

 納得してしみじみした直後に更に衝撃的な発言を聞き、僕は頭を抱える。うわあ、皆どこかに行っちゃうの?

 急に寂しくなってきちゃった。マーティンもハビもノーチェもいなくなるなんて。

「えーっ、マーティン早く帰ってきてえ!」

 そう叫んでみれば、レンティーノはおかしそうに笑う。ため息をつく僕をよそに、レンティーノはしばし同年代らしさを感じる声で笑っていた。

 思うんだけど、レンティーノって僕といるときだけちょっと素に戻るよね。僕もレンティーノの傍では、一般的に想起されるハイティーンの若者っぽい感じになっていると思う。マーティンに言わせれば僕はいつでもクソガキだし、ハビにも幼いと思われていると思うけど…… 何というか、肩ひじを張らなくていい相手として一番しっくりくるのはやっぱりレンティーノだ。

「私がいるんですから、そう寂しがらずともいいじゃありませんか」

「ふふ。それもそうだね」

「お仕事は沢山ありますよミンイェン。新しい取引先から早速交渉が持ち掛けられています」

「わ。同席して」

「ええ。どこへでも」

 僕はまだ頑張らなきゃ。寂しいとか退屈とか思っている暇なんてない。早く自分のやるべきことをやらなくちゃね。


 それから一週間ほどして、マーティンが帰ってきた。

 だけど、何故かげっそりとしていて口数も少ない。帰ってきたのはマーティンのみで、クライドの姿は無かった。捕獲に失敗したのは明白だったから、僕は詳細を尋ねる前にマーティンに休養をとらせた。

 マーティンの部屋にお見舞いに行ってみると、彼はベッドの上で布団もかけずに眠っていた。服の下から覗く腹にはあばら骨が浮いていて、ろくに食べ物を食べていなさそうにみえた。僕は少なからず驚いた。

 以前のマーティンはとても健康的で、太ってこそいなかったけれどこんなに痩せてはいなかったのに。今の彼の目の下にはくっきりとくまが出来ているし、眠ったその顔はとても疲れているように見える。一体、マーティンに何があったんだろう。

 相変わらず趣味の悪いポスターがべたべた貼られたタバコ臭い彼の部屋に、僕は珍しく長居したと思う。彼の様子が尋常じゃないから。

 誰かが見ていないうちに手の届かないところへ行ってしまいそうで、僕は怖かった。一週間近くも待って、やっと帰ってきた彼がこんなにやつれていたんだ。僕はじっとマーティンを見つめていた。すると、今まで死んだように眠っていた彼が急に動き始めた。

「ううっ」

 両手で自分の腹を抱きかかえるようにして、呻くマーティン。僕は咄嗟に身を乗り出して、マーティンの額に触れる。熱はない。

 長らく呻いていたマーティンだけど、やがて落ち着いて荒くなった息をしずめる。彼が口を開くのを、僕はせかさずに待っていた。

「……悪いな、連れて来られなくて」

 申し訳なさそうな声と顔で、マーティンは言う。自分を責めているようだったから、僕は『とんでもない』と首を振る。苦しそうな彼が目の前にいるから、混血児がどうこうよりも彼がどうしたのか気になった。大丈夫なのかな、マーティン。

 どうしたのか訊ねてみると、マーティンは無理に身体を起こそうとする。僕は慌ててそれを止め、寝たまま話すように言った。

 それでも身体を起こそうとするマーティンは起き上がろうとして呻き、結局は僕が言ったとおり寝たまま話すことにしたようだ。

「町に入れなかったんだ、クソッ。弾かれた」

 舌打ち混じりにそう言い、自分を罵る言葉を呟くマーティン。僕は彼の言葉から不可解な単語を見つけ、おうむ返しに問うてみる。

「弾かれた?」

 彼は重々しく頷いた。どういうことだろう、弾かれたって。

 まさか町の入り口に屈強な男がひしめきあっていて、それでマーティンは弾き出されてしまったとか? そんなガードがあるなんて聞いてない。

「そうだ。見えない壁があった。何度も入ろうとしてみたがこのザマだ」

 見えない壁、か。古い本で読んだ、結界みたいなものなんだろうか。

 顛末はこうだ。

 マーティンは郵便ヘリに乗り込む方法でアンシェントへの帰郷を果たそうとしたけれど、アンシェント上空に差し掛かったところでヘリがエンジントラブルを起こした。とんぼ返りしたヘリを降り、仕方なく航空機を利用しようとしたが滑走路の不具合で離着陸ができないときた。最終手段としてマーティンは郵便ヘリをジャックし、再びエンジントラブルを起こした地点でパラシュートを使って降下して街に入ろうとしてさっきの『壁』にぶち当たったのだという。そこでドクターヘリをジャックしなかったところがマーティンの優しさかもしれない。

 どうやっても入ることができず、数日飲まず食わずでアタックしたもののどうにもならなかった。断腸の思いで、疲弊しながらマーティンはアンシェントタウンから離れた。そうして、拳銃を仕入れるときに使うような闇ルートのツテでヘリをチャーターしてなんとか隣町のリヴェリナまで戻り、ヘリの対価として数人殺してから戻ってきた…… らしい。

 どうしたものかと考え込む僕をよそに、マーティンはひどく自虐的になっていた。

 何度も何度も自分を蔑む彼は、苛々をぶつけようと枕に頭を打ち付ける。僕はそんな彼をそっと寝かせて、何も言わずに傍にいた。でもいくら僕が微笑みかけても、その表情が和らぐことはない。相当ショックだったんだろうな、故郷の町に入れなかったのが。

 僕は彼の部屋を抜け出して、レンティーノのところへ相談に行った。すると、思いも寄らぬ答えが返ってきた。

「放っておきましょう。それから、彼が町に入れなかったのは魔力を持っていたからなのですよ」

 人一倍心配性な彼が、マーティンを放っておこうといった。

 冷静に考えたら、確かにマーティンは芯が強い人だから放っておくのが正しいのかもしれないと思えてくる。

「次は私が行きましょうか、ミンイェン」

 何が? といいそうになって、僕はそれがクライドの捕獲のことだと気がづいた。折角申し出てくれたけれど、レンティーノだって忙しいんだ。捕獲は力技になるかもしれないし、適任じゃない。

 だから、今のところ一番手があいてるセルジに行ってもらう事にした。

 僕はマーティンの回復を待った。マーティンは研究所内にある医務室で、栄養剤の点滴を受けていた。時々酷く頭痛がすると彼は言い、殆ど病室から出られない日々が続いた。

 十五日程度たって、やっとマーティンは歩き回れるほどに回復した。僕はセルジの仕事をマーティンに代わってもらい、セルジを『おつかい』に出した。

 マーティンが無事に治ってよかった。あとは、リィが生き返れば全てのことが上手くはこんでいく。

 早く帰ってこないかなあ、セルジ。

 彼がクライドを連れてきてくれたら、僕はどんなお礼をすればいいだろう。そうだ、美容室を経営させてあげよう。映画スタジオを立ち上げて、特殊メイク担当に任命したっていい。お金なら幾らでも手に入るんだ、だって僕はエナークを代表するような製薬会社の社長だから。

 セルジが帰ってくるのが待ち遠しくてたまらない。

 今日は四月の二十日。アンシェントタウンまで片道で四日から五日くらいかかるようだから、四月の終わりごろになったら彼が帰ってくるだろう。カレンダーを見てにやつく毎日が始まりそうだ。


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