第十八話 夢追い人
十七歳になった。あれから研究は少しずつ進展を見せはじめている。本当にほんの少しの進展だけど、でも全く進歩していないわけじゃない。
最近になって、エルフの血を使って蘇生を試みる時に関してだけ、血を直接使うのがタブーだと言うことが解った。もっといえば『人間の魔法使い』に該当する人間は血を使ったところで特に何も起きないし、エルフを洗脳して自分の意志で魔力を流させたときには実験の結果が好調だった。
エルフの血は何度試しても暴走し、被験体は臓腑をぶちまけて内側から砕け散って、飛び散った硝子の破片で僕自身も傷を負う羽目になった。そんなだから去年の実験以来、僕は肉料理が極端に苦手になった。
マーティンは人を洗脳する魔法を覚えたといっていた。かなり便利だ。データによって対象を識別する洗脳装置よりも、感覚的に洗脳の程度を調整できる魔法の方が正直なところ結果が良好だ。
あまり彼にだけ無理はさせられないと思いつつ、その魔法で操ってもらったエルフに魔力を使わせたところ、被検体は生き返るか生き返らないかの所まではちゃんと行った。
僕は勿論、躍り上がる勢いで喜んだ。感情を無理にそぎ落とすのをやめてから幼くなったとマーティンには言われたけれど、気にしない。
僕は操られているエルフを激励して、どんどん魔力を注ぎ込ませた。けれどやがて、エルフは力を使い果たしてしまった。力とは、つまり血そのものなのだろう。蒼白になったエルフはそのまま、消えてしまった。驚くべきことにエルフは、血液を使い果たして存在が保てなくなると消えてしまうらしい。
やっぱり混血児の強い魔力がなきゃだめだ。とぼとぼと廊下を歩いていると、ノーチェに出会った。
「ミンイェン。元気ないね」
ノーチェはいつも僕に声をかけてくれる。その明るい笑顔のおかげで、研究所の中も大分和んでいる。
彼女にかけた洗脳は解こうと思えば解けてしまうレベルの一番軽いものにしてある。エルフの血を用いた実験で、素で信頼に足る働きを見せてくれることが多かったのだ。意外と肝が据わっていて、お金のためなら何でもしてくれた。それほどまでに女優業への夢や憧れが強いらしい。
熱心な夢は洗脳と同じだと僕は思う。彼女が女優業に失望したら、その時は洗脳の段階を引き上げよう。
さて、会話を止めてしまっているな。雑談といこう。
「また失敗しちゃった。まだ足りないんだ」
そういってみれば、ノーチェはふわりと優しい表情を浮かべる。理知的だけれど人好きのする、不思議な魅力のある子だと思う。
洗脳されているとはいえちゃんと意思のある研究員たちは、こぞってノーチェにデートの申し込みをしているとマーティンから聞いた。それらを誰も相手にしていないあたり、僕の評価は更に高まっている。研究員同士の恋愛系トラブルで、洗脳の段階を上げざるを得なかった例がいくつかあるんだもん。
「人は失敗の数だけ大きくなっていくの。ミンイェンも、きっと失敗の数だけ階段を登ってるよ。だから元気出して」
失敗の数だけ大きくなっていく、か。実際、研究はサンプル数があってこそだ。莫大な数の失敗を抱えている僕は、地道にひとつひとつ不正解を潰していっている。
そう思うと、段々リィに近づいている気がして嬉しくなった。
「ありがと、ノーチェ」
彼女にそう言って笑ってみれば、本当に嬉しそうな笑みが返ってきた。
最近、ノーチェはよく笑うようになったと思う。何でだろうね。嬉しいことでもあったのかな。
「私もたくさん失敗したけど…… 今日、やっとオーディションに合格したの!」
嬉しいことがあったのかなという予想は的中した。
そうか、夢がかなったのか! じゃあここを辞めて女優業に専念するんだろうか? そうなったら高度な洗脳でファージエ製薬の裏側のことだけを忘れるような細工をしなければならないかもしれない。この辺りはハビに相談しよう。
「よかったね、おめでとう」
心からそう思っていることは確かだから、僕は笑みを浮かべる。するとノーチェは無邪気に笑い、秘密を囁くようにこう言った。
「これからセルジのところに行くの。オーディションのヘアメイクはセルジにお願いしたんだよ。完璧な私に仕上げてくれた」
楽しそうに笑いながら、廊下に掛けてある額縁を少し直すノーチェ。これはレンティーノとノーチェが相談して飾るようになったものだ。僕の住むフロアは相変わらず殺風景だけれど、そうでないフロアはこんな風に絵や花で彩られているところもある。
僕はちょっと考えてから、その嬉しそうな横顔に向かって『セルジのこと好きなんだね』と話しかける。
ノーチェは一瞬ぴくりと反応して固まり、数秒してから僕の方を振りかえって軽く頬を赤らめた。図星らしい。
「内緒だよ、皆には。勿論セルジにも」
「セルジのどこが好き?」
興味と好奇心に任せ、僕はノーチェにそう問いかけた。するとノーチェは少し言葉を選ぶ様子を見せ、それからまた柔らかな表情に戻る。
「言いきれないな。でも、ひたむきに夢を追いかけてる姿にどきっとしたの。彼の夢はただの美容師じゃなくて、一流のヘアメイクアーティスト。目標は高いほどいいよ」
なるほど、確かにそうかも。目標は高い方がいい。不可能に近いほど、やりがいがある。そんなことを考えながら、僕はノーチェと並んでのんびりと廊下を歩いた。
セルジのいる部屋の近くにきたから、お邪魔な僕は退散する。これから二人でべたべたするんだろう。熱心な恋も洗脳と同じ、なのかもしれない。二人が破局したら洗脳の度合いを調整しなくちゃ。
ひとりになって廊下を歩きながら、僕は僕で自分の高い目標について考えを巡らせる。とにかく銀色の目をした人を探すんだ。何としてでも。
僕は部屋に帰ってパソコンの電源をつけると、インターネットのブラウザを開いた。現時点で僕が扱えるのは、ディアダ語とエフリッシュ語。その二つの言語を調べつくすつもりで頑張ろう。
『銀色の目』『銀目』『銀の瞳』
そんな言葉で検索をかけ続ける。
出てくるのはファンタジー物の小説サイトやイラストサイト、それから魚類図鑑のページばかり。首が痛くなってきて、僕は大きく後ろに反った。なかなか銀色の目をした人にめぐり合えない。
だけど、あるサイトで僕はやっと銀色の目をした人の情報を見つけた。そこは歌手志望のグレン(仮名か実名かは解らない)という人物が運営しているサイトだった。
ディアダ語で構成されたそのサイトは、日記や掲示板、それから彼自身が歌っている歌がメインのコンテンツらしい。そして、サイト名はナイトメア。全く、ナンセンスなネーミングだね。『悪夢』だなんて。
写真で見たグレン本人は金髪で青い目をしていたけれど、同じ写真に写っていた彼の友達がなんと銀色の目をしていたんだ。
友達の名前は、クライド=カルヴァート。
僕は部下に情報を探ってもらった。その結果、グレンはおそらくラジェルナの田舎に住んでいるだろうと言うことが発覚した。さらに調べていれば、彼の友達のノエルと言う少年が飛び級で大学に入学したと言う話を日記から見つけた。僕はラジェルナの様々な大学のホームページをしらみつぶしに調べて回った。
結果、アンシェントタウンと言う小さな町にある大学のホームページにこの大学を卒業したノエル=ハルフォードという少年のことが書いてあった。彼は現在十五歳。飛び級しまくってこの冬に医学部を卒業したらしい。その経歴だけ見たら、ちょっとうちで働いてみたくないかと打診したくなる少年だ。
まったく、グレンって本当に愚かな人だよね。自分のことも他人のことも、こんなに簡単にネットに流してしまうなんて。まあ、おかげで助かったけどね。
感謝するよグレン。君が住んでいるのは、ラジェルナ国の山間部にあるアンシェントタウンだね。そしてそこに、君のオトモダチであるクライド=カルヴァートという混血児もいるんだ。リィを生き返らせるために必要不可欠な、混血児がいるんだね。
僕はグレンのサイトに掲載されていた写真をプリントアウトした。そして、クライドをじっと見てみる。ちょっと写りがよくないけれど、本当に銀の目だ。僕が欲しいと思い続けている、銀の目だ。
それにしても彼、本当に楽しそうに笑ってるね。リィが生き返ってくれれば、僕だって彼に負けないくらい幸せそうな顔で笑ってみせる自信があるよ。
だからクライド、僕にその魔力をぜんぶちょうだい。そうしたら僕は君をたくさん褒めてあげるから。
君にたくさん感謝してあげる。君にたくさん良い思いをさせてあげる。
ね、だからちょうだいよ。くれないなら奪うよ。どうしても欲しいんだ、リィを生き返らせたいんだ。




