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幻影  作者: 水島 佳頼
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第十六話 生命活動、再開

この話の後半から、グロテスクなシーンが入ってきます。苦手な方はご注意下さい。

 マーティンの部屋に到着すると、部屋の中で何やらばたばた暴れる音がした。

「マーティン?」

「わ、開けるな!」

 ドアを開けた瞬間に開けるなと言われた。遅いよ。

 僕は慌ててドアを閉めようとしたけれど、隻脚のウサギが物凄いスピードで僕の足の間を縫って廊下に飛び出したから、急いでそれを追う。

 ウサギは足が一本足りないくせに逃げ足が早く、僕とマーティンは途中で何度もぶつかり合いながら廊下を走り続けた。

 マーティンと額を打ち付け合ってしまったのが果たして何度目だったのか。数えるのすら億劫になってきた頃、僕らの目の前でウサギがすいっと軽やかな動作で誰かに抱き上げられた。ウサギを目で追うと、セルジがしげしげとウサギを眺めていた。

「後ろ足が片方ないんだね……」

「生まれつきないんだ」

 呟きに答えてやれば彼は悲しそうな顔をして、優しい手つきで僕の腕にウサギを預けた。セルジの腕の中では大人しかったウサギは、僕の腕に来たとたんまた暴れだした。何でよ!

 丁度そのとき、暴れウサギを相手に悪戦苦闘する僕の後ろからハビがひょっこりと顔を出す。

「ミンイェン、ウサギと遊んでるの?」

 そう訊ねられて、僕は苦笑いする。遊んでるというか、これは保護しているつもりなんだけど。何でセルジが扱うと大人しいのに僕やマーティンが扱うと暴れるんだろう。

「この馬鹿がドアあけたせいで、逃げちまったんだ! チッ」

 マーティンはそう言いつつ、おそらく部屋から持ってきたのであろうケージにウサギを閉じ込めた。

 ウサギはしばらく暴れていたけれど、セルジが近寄ると大人しくなる。何なんだこのウサギ。

「社長、小動物苦手かな」

 ウサギのケージを覗き込みながら、セルジは言う。隻脚のウサギは人懐っこそうにセルジに近寄って、セルジがケージの隙間から指を入れるとその指に口を寄せた。

 くすぐったいよ、と笑いながらセルジは指をケージの隙間から引っこ抜く。ウサギではなくセルジを観察し、彼の洗脳の段階がごく軽度であることを認識する。外回りに行ってもらうことも出来そうだし、ハビとも相性が良さそうだから彼は問題なくここに馴染むだろう。

「ミンイェンで良いよ。こいつは別に苦手じゃないんだけど、君が来たとたんに僕への風当たりが冷たくなったような気がする」

 そう答えると、セルジは申し訳なさそうに苦笑した。

 僕たちは話し合って、このケージをセルジに託すことにした。だって、それが一番良い方法だと思うんだ。皆は納得したけれど、マーティンは遊び道具がなくなったと軽く文句を言っていた。知らなかった、マーティンって小動物と遊ぶのが好きなんだね。そういうところが意外と子供っぽい。

 ハビとセルジは、かごを持ったまま下層に下りていった。被験体用の空き部屋がいくつもあるから、その中からセルジに好きな部屋を選ばせるらしい。そう考えて、僕はいちばんの『被験体』のことを思い出した。

 第二研究室に戻り、最高の芸術品に目を留める。僕のベッドのすぐ傍で眠る、透けるような肌をした黒髪の少年。

 とっくに青年になっていて良い年頃なのに、彼は歳を取ることができない。だから僕が、彼に時を与えるんだ。永久を与えた僕が、永久から彼を解放する。その日が、とうとう近くまでやってきた。

「リィ、まっててね。ちょっと、あの人の様子見てくる」

 僕は嬉々として、一階まで降りていった。足取りも軽やかに、真っ白な廊下をうきうきと歩く。

 やがて、建て替えをしたのに位置は前と全く変わっていない一〇九六号室についた。僕が意図してそうしたんだ、この部屋の位置は変えないで欲しかったから。

 レンティーノやミンと出会い、最高権力者と別れた場所。僕のはじまりの場所。そして、被験体である彼の始まりの場所。

 そっと耳を澄ましても何も聞こえないから、僕はカードキーを使ってドアを開けた。すっかり馴染み深くなった空気の音がして、白い壁の向こう側からエタノールの匂いがふわりと漂ってくる。

 僕は白い壁を抜けた。そして、ベッドに横たわる金髪の彼を見た。彼は布団に包まって、こちらに背を向けている。動かないって事は、寝てるのかな。僕はそっと彼に歩み寄った。青年と少年のあいだほどの年齢の彼は、これからこの『白い牢獄』の囚人になる。そう、かつての僕と同じようにね。

 ちょっと楽しい気分に浸りながら、横たわる彼のすぐとなりに立ってみる。するとすぐ、僕は異変に気づいた。……呼吸が確認できない。

「ね、ねえどうしたの」

 僕は彼の肩に手をかけた。驚くほどの冷たさと硬さに呆然とする。

 ベッドに眠る彼の隣に立ったそのとき、僕が何に気づいたと思う? 彼の唇を伝って真っ白い枕を染めている、赤いモノに気づいたんだ。

 性急な手つきで、僕は冷たくなった彼を仰向けた。彼はぐったりと力なく、僕のされるがままになった。それによって僕はもっと焦る。

 僕は彼を見た。思わず目を背けたくなった。

 彼は目を半開きにしていて、その口からは夥しい量の血が流れている。真っ白だったはずの枕に、禍々しい赤が染んでいた。その鮮やかすぎる赤と白の彩色に、僕は吐き気を催した。

 なに、これ。なにがどうなったの? 僕は目の前が真っ白になるのを感じた。

 全身の血がさあっと温度を失くし、直後に物凄い速さで心臓が波打つ音を聞いた。どうしよう。どうしよう。何で、彼が息をしていないの?

 銀色だったはずの彼の瞳は、濁った灰色になっている。それは間違いなく、彼が死んでしまったということを示していた。死んでしまった。リィを生かすための唯一の希望が。これでまた、リィが遠くなった。

 僕はこみ上げてくる涙を抑え切れなかった。なんで勝手に死んじゃうの。僕はリィに会いたいだけなんだ。ちゃんと帰してあげるっていったのに。あれは嘘だったけど、ちゃんとひっかかってくれると思ったのに。

 リィを生き返らせるには混血児の魔力が必要なんだ。だから調達してきた、それだけのことなのに。どうしてそれだけのことすら上手く行かないの?

 僕はもう、何で、としか考えられなかった。何で、何で、何で。頭の中には、その単語だけが渦巻いている。近い将来リィに会えると、僕は思っていた。なのに、リィに会うための道具がなくなってしまった。

 感情の奔流に暫く流されるままだったけれど、やがて僕は流れる涙をぬぐって立ち上がった。

 この人に何があったのか、確認しなくちゃ。その上で、次の実験台を探そう。

 そうだよ、きっと探せば幾らでも被験体は見つかるはずだ。僕は自分にそう言い聞かせ、ひとりだけで検死を始めることにした。

 僕は、彼を冷静に見た。じっくりと、外傷が何処にあるのか見た。口の中を覗いた時、彼の死因が失血死であることを僕は確認した。彼は舌を噛み切って死んだんだ。痛覚が邪魔して深く噛み切れないから本当なら一般的には出来ないとされている方法だけれど、彼は相当正気を失っていたんだろう。彼の両腕をみてみると、手首に何箇所もかきむしった後があった。これは、自傷行為の形跡かなあ。多分彼は、この白いだけの出入り口がない(ようにみえる)空間で、自分を見失って死んでしまったんだろう。

 僕は笑った。腹を抱えて笑った。発狂して自殺した彼と同じように、僕も狂っていたのかもしれなかった。

 どうして僕の計画の邪魔をするのさ? 何で自殺なんてするの。生きていれば君は、ちゃんと僕の役に立つことができたのに。無意味に死んじゃって愚かだな。

 僕は笑いつかれて、壁にもたれてずるずるとその場にへたり込んだ。そしてしもべたちを呼んだ。

 そして、彼の死体を芸術品へと変える作業をやらせたり、部屋を片付けさせたりした。しもべたちに全てをやらせると、僕は力なく項垂れながら部屋に戻った。

 ああ、またやりなおしだ。最高権力者が死んだときと、また同じ状況になった。ふりだしに戻ってしまった今、僕はどうすればよいのだろう。

 混血児は、調べたところ彼しか見つけられなかった。他の混血児たちは、目立たないようにひっそりと暮らしているんだろう。だからといって僕が町に出て行ってすれ違う人々の顔をじっくり眺めるわけにもいかないだろう。

 僕はあることを思いついて、しもべたちをもう一度呼んだ。そして、今は芸術品へと姿を変えた彼の住所を知らせて、しもべたちをあの港町に送る。

 一週間がすぎる頃まで、彼らは戻ってこなかった。その一週間の間にノーチェやセルジたちが大分ここになれて、僕との仲も深まったということを忘れてはならない。

 だけど、僕はその一週間の間がもどかしくてならなかった。

 僕は水晶をつめたチューブを何本も何本も作って、一週間のあいだずっと焦燥をしずめ続けた。リィの水槽と同じサイズの水槽にそれをつないで、保存液も満たして、あとはリィを移し変えて魔力を加えるだけという状態にした。

 やがてその時はきた。いらいらしながら部屋の中を行ったり来たりして、もやもやした感情を鎮めようとしていた時のことだった。

「明焔様、連れてまいりました」

 部屋のドアの向こうからしもべの一人が僕にそう告げたとき、きっと僕はどうしようもない間抜け面をしていたとおもう。早速一階の部屋に向かってみると、あの被験体を生み育てた夫婦がいた。

「せんせい?」

 彼らの第一声がそれだった。僕は首を横に振り、それから口許に軽く笑みを浮かべる。

「ねえ、魔力をちょうだい。それから貴方も、その血をちょうだい」

 あの被験体の両親に向かって、僕はそう言った。

 そうだよ、僕のこの手で人工魔力を作ってしまえばいいんだ。僕は怯える夫婦を見て、うっすらと笑みを浮かべたままでいた。

「君は、何を言っているんだ?」

 夫の方がそういった。妻の方は不安げに夫の腕にしがみついている。僕はそんな二人を見て、なおも迫った。

「ちょうだいって言ってるんだよ。くれなきゃ奪うよ」

 そう言いながら指をぱちんと鳴らすと、おそろいの白衣に身を包んだ僕のしもべたちが現れる。

 指鳴らしたら来てねって、前に教えたことがあったんだ。だから来てくれた。夫婦は竦みあがり、ついに妻の方が泣き出した。この人がエルフだね。

「最初に奥さんからにしようか。連れていって」

 僕がそう指示すれば、しもべたちは泣き叫ぶ奥さんを十階にある研究室に連れていった。そこで彼女の血を貰うんだ。そして、次に旦那さんの血も貰って混ぜてみる。

 本当はもう一回彼らに息子を作ってもらうっていうのが一番いい方法だと思う。

 でも、その方法をとることを躊躇するぐらいの倫理観は残っていた。きっと同じ理屈で生まれたレンティーノが反対する。それに、年齢的に妊娠が可能かどうか怪しい。妊娠後、十か月も待てない。じゃあ時短をしようと思っても、胎児の成長を促進する研究はノウハウがないからゼロから始めないとならない。だったら一旦、血を混ぜる方向でやってみようという思考回路だ。

「かえせ、妻を返せえっ!」

 叫びながら旦那さんが僕のしもべに掴みかかった。僕は旦那さんも一緒に研究室まで連れて行くようにしもべに指示して、のんびりと歩いた。

 やった、またリィに近づけた。でも最初は実験をしなくちゃね。だから、彼らが一番生き返らせたいと思っている人で実験しよう。

 それで大丈夫だって立証できたら、リィを蘇生させるんだ。

 僕はしもべたちに命じて、最新の芸術品をチューブ付の水槽に移させた。そう、それは舌を噛んで自殺した彼。ご両親が一番生き返らせたいと思ってる人なんでしょ? これで彼が生き返ったら、予定通り混血児の実験も出来るし一石二鳥だ。

 実験室はとても広く、標準的な学校の教室二部屋分くらいある。僕はそんなだだっ広い実験室に、そっと足を踏み入れる。中には、三十人あまりのしもべと二体の被験体がいた。そして、自殺したあの人のホルマリン漬け。

 チューブの通った大きな水槽に移されているから、すぐにでも実験が始められる状態だ。僕は、ウサギの蘇生に使った小さな水槽を持ってきて、そこから伸びているチューブを被験体が入った水槽のチューブとつなげた。

 ここに魔力のもととなる血を入れるって言う考え。人間とエルフの混血児が強い魔力を持っているのなら、人間とエルフの血を混ぜたものでも同等あるいは近似した成果が得られると思うんだ。

 僕はノートとペンを用意して、実験の結果をすぐにまとめられるように準備した。そして、しもべに命令して彼らの血を抜かせた。注射器、それも針が極太の物を使って血を抜いたから、二人ともひどく暴れた。

 すぐさま押さえつけるように下僕に命令する頃にはもう血は抜かれていて、彼らのうちの一人が採血が終わった注射器を持ってきた。先に人間の血をいれる事にして、注射器の中身をウサギの蘇生に使った水槽のなかにあけた。

 そして、エルフの血を混ぜて蓋をする。

 一分、二分。

 真面目に秒数まで数えて、僕は“その時”を待った。

 だけど、僕はふと異変を感じた。

 ピシッと音が聞こえたんだ。これは、硝子の水槽にヒビが入る音? 僕は即座にノートを放り捨て、その場から走って遠ざかった。

 すると。

 後ろで、物凄い音がした。形容しがたい音だけど、硝子が砕け散る音と水が床に流れ出る音、それから何か爆ぜる音がまざった感じだ。背中に何か液体がかかるのを感じて、僕は恐る恐る後ろを振り向いた。

 とたんに、おぞましい光景を目にすることとなった。

 床いちめんに飛び散った保存液、そして血。

 僕は息を呑み、その場に座り込んでしまう。腰が抜けて立てなくなったんだ。その血が彼の両親の血なのか、はたまた彼自身の血なのかはわからない。なぜなら、床一面に飛び散っているのは保存液や血だけではなかったから。

 彼もまた、肉片と化してそこらに散らばっていた。

 きらきらと輝く硝子の欠片と一緒に、筋肉や神経の組織や骨をむき出しにした肉片がそこらじゅうに散らばっている。ふと足元に目を落とし、僕は今度こそ大声を上げた。そして無我夢中で後退り、震える唇を引き結んで生唾を飲み込む。

 僕の足元には彼の頭部が転がっていたんだ。虚ろに見開いた目は左右で全然違う方向を向いている。弛緩した口からはだらりと傷ついた舌が垂れていて、恨めしげなその姿は無言で僕を責めていた。

 お前のせいだ。

 そう言われてる気がした。実際、僕のせいだけど。彼の虚ろな双眸を見ていると、優しかった酒屋の店主の姿が蘇ってくる。

 お前のせいだ。

 彼もまた、僕をそうやって責めていたのかもしれない。嫌な思い出に目の前が暗くなる。

「ああああっ、うあああっ!」

 まるで獣の咆哮のような奇声が耳をつんざく。

 もはや意味なんて成さない叫びを上げながら、それでも十分に僕を恨んでるんだと解らせてくれるほどの迫力で、奥さんの方が向かってくる。

 手には手術用のメス。きらりと蛍光灯の光を反射して、銀色に煌くその凶器。レンティーノが過去に、そんなもので何人も研究員を殺してしまったことがあったね。僕もここで殺されるんだろうか。

 同じ道具を使う人なら、どちらかというと過去のレンティーノに殺された方がましだと思うなあ。

 奥さんにはきっと何度も抉られる。滅茶苦茶に刺される。死んだ後も執拗に刺され、刺され、刺され、きっと死体は原型を留めなくなるだろう。それこそ、そこらじゅうに転がってる肉片みたいに。凶器を持った狂人を相手に、僕が勝てるはずがない。力の入らない足では立ち上がれない。

 怖いよ、リィ。

 僕、リィに会えないままこんなところで殺されるのかなあ。こんなところで死にたくなんてないよ。

 だけど足はすくんで立ち上がれないし、メスを握り締めた奥さんはもう僕に手がとどくほど近い所にいる。

「待って、やめて、やだ!」

 叫んだ瞬間、腕を深く切りつけられた。僕は攻撃をまともに受けてしまって、床に倒れこむ。

 傷口が火を噴くように痛み、火ではなく血を噴きだした。切られた腕を抑えて圧迫止血を試みたけれど、容赦なく次の攻撃が来る。指先に鋭い痛みが走った。

 この人、狙うのがとっても下手だ。だから僕は、じわじわと痛めつけられながらそれでもまだ死なずにいる。

 涙が溢れてきた。痛いよ、怖いよ、早く終わって……

 肉片と保存液で汚れた床を転げ回って、僕は出来る限り逃げようとした。けれどそれも、そう長くは続かなかった。奥さんは僕を足で踏みつけて押さえ、大きく腕を振り上げた。

 もうおしまいだ。

 僕はぎゅっと目を閉じて、襲い来る最期の痛みを受けようとした。

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