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幻影  作者: 水島 佳頼
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第十五話 動物実験

 呼び鈴のようなスイッチも一応あるけれど、僕はマーティンの部屋ならあまり気にせず開けてしまう。マーティンに限らず、僕のキーで全員の部屋が開いてしまうのでみんな僕に見られて困るものは置かないからね。

「マーティン、ちょっと協力してくれる?」

 白い壁を抜けて彼の部屋に入りながら、僕は言った。すると天井に張られた水着の女性のポスターをベッドに寝転がってみていたマーティンはすっと身体を起こす。

 いつもそう。何をしていても、何を見ていても、声さえかければマーティンはしなやかな身のこなしで僕を振り返るんだ。

「ああ。何だ?」

 いつもどおり小ばかにしたような笑みで、彼は言う。だけど僕はもう慣れた。

 これが彼の普通なんだ。慣れてしまえば、その笑みすら普通の笑みに見えてくる。僕は少し言いにくさを感じながらも、本題に迫った。

「魔力を貸してくれないかな、ちょっとでいいと思うんだ」

「何だ、それを早く言いな。お前が望むなら何時だって構わねえよ」

 僕の態度に反比例するように、マーティンは明るく言った。これだから嫌なんだ、マーティンに魔力を借りるのは。だって、これから無理させるのに。

 僕が何も気づいてないとでも思ってるのかな、マーティン。現に今だって、ベッドに寝転がってこめかみに手をやってたじゃないか。僕が来たら慌てた様子でその手を引っ込めたりして。

 解ってるのに。なのに僕は、マーティンをこれからさらに苦しめてしまう。

「心配すんな」

 僕の頭に手を乗っけてくしゃくしゃと撫でるマーティンは、やっぱり笑みを浮かべていた。そんな無理して笑わないでよ。

 レンティーノもハビもマーティンも、他にあまり共通点が無いのに無理して笑うところばかり共通してる。

「実験か? 熱心だな」

 部屋を出て白い廊下を歩きながら、マーティンは言った。

 この研究所は、建て直してからも内装は真っ白にしてある。何となく、この白い空間に慣れてしまったんだ。それに、初めてここに来た時のシチュエーションをいつまでも忘れたくなかったから。僕がまだ、うっすらヒトだったころ。今となっては忘れかけている、リィといたころの自分をなんとか思い出せるように。

「これで蘇生が立証できたら、魔力を使った蘇生法が生まれるんだ」

 僕がそう言ってみればマーティンは驚いたような顔をして、それから満面の笑みを浮かべた。

 無理はしてほしくないけれど、こうやって僕が頑張ったことを自分のことのように喜んでくれるのは嬉しい。

「やるじゃねえか」

 屈託のない笑顔。僕の髪をかき回す大きな手。そんな兄のようなマーティンの存在に、僕も笑みを浮かべる。

 やがて第二研究室に着いて、僕はマーティンと一緒にウサギの水槽を見た。マーティンは何度見ても僕の芸術のよさがわからないらしくて、今回もウサギを見て神妙な顔で首をかしげていた。

 そして、一言こういった。

「相変わらず、嫌あな趣味してるねぇ?」

 ウサギだけじゃなくて僕の部屋にあるもの全てを見回しながら、マーティンは眉をひそめる。

 確かにこの部屋は廊下や他の部屋に比べるとかなり薄暗いし、芸術品もいっぱいある。だけど僕は思うんだ。

「お互い様ー」

 部屋のひどさはどっこいどっこいでしょ。

 一言で僕とマーティンの芸術的センスの違いを片付けると、僕はウサギの水槽につながったチューブをつまみあげる。そしてそれを、マーティンに渡した。

「このコードで水槽に魔力を送って欲しいんだ。ちょっとでいいよ、マーティンが疲れない程度に」

 僕はそういって、マーティンを見上げる。

 するとマーティンはチューブを軽くにぎりながら、ウサギを見つめた。

「生き返るまでやる」

 彼がそう言うと同時に、ひとすじの風が吹いたかのようにマーティンの髪が軽く舞い上がった。僕のところにも、寒気にも似た感じが来る。

 思わず身震いすると、水槽の中のウサギに変化が起こった。

 動き始めたんだ。

 水槽の中で、空気を求めてもがいてる。僕は急いで水槽の蓋を取った。ウサギはもがきながら出てきて、ちゃんとそろった前足と一本しかない後ろ足の三本で上手にバランスをとりながら研究室の床を跳ね回った。

 蘇生、できた。

 魔力を使った蘇生法も、使えるんだ。あの男性を使えば、リィが生き返る。生き返るんだよ。喜びに打ちひしがれ、マーティンの魔力を感じた時とは違う意味で身体が震えた。

 だけどその喜びも、すぐに冷めた。ウサギがすぐに死んだとか、そういうことじゃない。マーティンがその場に膝をついて、苦しそうに息を荒げた。その姿を見てしまったからだった。

「マーティン? 無理しちゃ駄目って言ったのに!」

 僕は彼の傍に屈んで、彼の表情を覗き込みながら言った。

 頭に手をやって苦しそうな表情で、それでも嬉しそうにマーティンは笑う。何か大きな仕事を成し遂げた時のような達成感のある笑みを浮かべたマーティンに、僕はかける言葉を見失った。

「結果的にウサギは生き返った。これでお前の兄貴も生き返る」

 隻脚を引きずるようにして部屋の中を駆け回っているウサギを見ながら、マーティンは笑った。

 僕は当然笑っていられるような気分じゃなくて、真面目にマーティンを見つめる。

「マーティンには任せられない、駄目だよ。ウサギ一匹でこんな風になっちゃうんだったら、なおさら駄目だよ」

 ウサギは僕の手のひらに軽々と乗っかる程度の大きさだけど、リィはいくら小柄だとはいえ人間だ。体積が何倍違うというのだろう。できるわけない。

 僕が発した言葉で、彼はしばらくの間黙り込んでいた。だけど、やがてかすれた声で『俺じゃ力不足か』と呟いた。

 僕は力不足だとかそういう理由でマーティンを責めたいわけじゃない。むしろマーティンのことを責めるつもりなんてない。ただ、心配なんだ。魔力がひからびた時、人間は疲労で死んでしまうってレポートに書いてあったから。

「マーティンには、もう苦しんで欲しくないんだ」

 長い間弟のことで何度も何度も悩んで、挙句の果てにいけ好かない研究員たちのおもちゃになり、洗脳されそうになって。

 望んだわけでもないのに髪を青く染められ、それでも『弟の目の色だ』と笑って。強い頭痛という立派な副作用を伴う人工魔力を勝手に植えつけられて。

 それでも真っ直ぐに自分の生き方を貫いてきたマーティンは、強いけれども生物として無理をし過ぎている。いつか限界を迎える。だからこそ、僕はそんなマーティンにこんなところで潰れて欲しくないんだ。壊れそうなマーティンをサポートしてあげられるのは、今のところ僕を含む数人だけだ。

「何思いつめてんだ? 俺は大丈夫だ、解ったな」

 僕の表情を見て、困ったように笑いながらマーティンが頭を撫でる。

 大丈夫。彼のその言葉ほど、信用ならない言葉はないんじゃないだろうか。けれども今のところはウサギを生き返らせ終わったので、マーティンが無理を重ねる心配はないと判断して僕は肩の力を抜く。

「そうだミンイェン、新入社員の面接予約が二名入った。応対しな、社長?」

 跳ね回るウサギを捕まえながら、マーティンは言った。社長って言う言葉に、思いっきり皮肉じみた響きを込めて。

 僕は苦笑しながら頷き、一階まで降りていった。

 マーティンはウサギを持ってどこか別の階に向かったようだ。あのウサギ、どうするつもりなんだろう。


 一階に着くと、応接間に若い男女がいた。

 どちらも黒髪に黒い目で、ハビと同じ典型的なエフリッシュに見える。

 男の方は手首に何本かヘアゴムをかけているけど、それ以外には特に変わったところがない。特徴があまりないんだ。目も大きいか小さいか微妙なところだし、肌の色だって特別白いわけでも黒いわけでもない。体格だって、太ってもいないし極端に痩せてもいない中肉中背だ。そしてハビのような長身でもなければ、僕のように小柄でもない。彼は、ハビと同じくらいの年齢だろうか。

 女の方は、とても整った綺麗な顔をしていた。一目見て、美容に気を遣って生活しているのが分かる。エフリッシュにしては肌が白く、その白い肌と黒い髪や目の対比がとても鮮やかに見えた。

 全体的に線が細い感じで華奢なところは、レンティーノを髣髴とさせる。だけどレンティーノと違って、彼女には薔薇が似合わないと僕は思った。それよりもダリアやアネモネみたいな、もう少し毒気の強い感じが似合いそう。肌の白と髪や目の黒が低彩度だけど、唇にだけ赤みが差しているのがとても印象的な人だ。彼女は僕と同年齢かそれより少し下に見える。

「初めまして」

 男の方が先に口を開いた。僕も軽く会釈して、二人の正面に当たる場所に座った。女の方も僕に挨拶をしてくれる。

「面接ってやつだね。名前を教えてよ」

 僕はにっこりと笑って、ちょっと威厳を示すように背筋を伸ばして座る。

 社長面談まで上り詰めた新入社員は、これで何十人目だろう。過去に入社した人たちは、皆すぐに洗脳装置で僕のしもべになった。

 よっぽどの理由がない限り、洗脳せず野放しにしたりはしない。洗脳も軽度から重度まで何段階かに分けて行っていて、内勤だけを担当する研究員は重度に洗脳して意思をほとんど奪ってしまう。受付や営業などの外部の人間と接する人は洗脳を高度に複雑化して分かりにくくして、外部から怪しまれないようにしている。新入りをどうするかは、ちゃんと僕が毎回責任者として判断しているんだよ。

「セルジです。訳あって苗字は名乗れないんですが」

 手首にヘアゴムを巻いた男の名は、セルジというらしい。入社の面接で苗字を名乗らなかったのなんて、彼が初めてだ。

 何だか面白い人だね。ちょっと気に入ったかもしれない。

「へえ、わかった。それじゃあ、君は?」

 女の方に声をかけると、彼女は深い黒の瞳で僕をじっと見つめた。オーラのある女性だ。僕はあまり女性に興味を持たないけれど、彼女のようなタイプの女性が芸能方面で人気を博す系統なのだということは何となくわかる。

「私はノーチェです。ノーチェ=スルバラン」

 彼女がそう自己紹介したから、僕は何度か頷いてセルジのほうを見た。

 僕が目を向けると、セルジは神妙な顔つきで僕を見ていた。面接に合格するかどうか不安なんだろう、きっと。

「セルジ、でいいね。セルジはどうしてこの会社に就職したいと思ったの?」

 そういうと、彼はすっと視線を手首のヘアゴムに落とした。しかしまたすぐに僕に目を向けて、話し始める。

「僕は美容師になりたいんです。初めて美容室に行って髪を切ってもらった時の、美容師さんの優しい笑顔が忘れられなくて…… 子供の頃から、これだけが僕の夢でした。ですが、親は僕を大学教授にさせようと必死なんです。だから僕は、夢を諦めなくてはならなくなった。でも、諦め切れなくて。家出してきたんです、僕は。住むところは決まりましたが、家賃をどうやって稼ぐのかが問題でした。この大きな製薬会社で働けば、家賃や生活費と一緒に美容師になるための学校に行く費用も稼げると思ったので、ここに就職したいと思ったんです」

 びっくりした。研究所の面接で学費を稼ぐためだと断言した人はほかにいなかった。

「解ってると思うけど、ここでは美容師に関する知識をしっかり学べないと思う。それにここは一応研究所だよ。君は、科学に関する知識を持ってる?」

 実際は一応じゃなくて思いっきり研究所なんだけど、僕はそういった。

「高校の部活では、科学部に入っていました。傷みにくい染毛料の開発に役立つかと思って、市販品の成分を分析するところから始めて…… 副産物ですけど、匂いの全然しないブリーチを開発できました。この感じだったら、ある程度お役に立てるかもしれません」

 セルジはそういって、僕を見た。洗脳してないのに、縋るように向けるその目。

 どうせ即戦力なんて求めていないから、彼は軽く洗脳してハビのアシスタントでもやってもらおう。

「よし、採用だ。最上階の一歩手前に行って、ハビって人を探して。それから彼の指示を仰ぐように」

「はい、ありがとうございます!」

 僕の言葉を聞くや否や、セルジは部屋を飛び出していった。飛び上がるぐらいに嬉しそうだった。

 採用が決定してあそこまで喜んだ人なんて他にいなかったよ。まあ、彼は『製薬会社』に就職できたから喜んでるんだよね。

 僕がしようとしていることを知ったら、怖気づいて逃げようとするかもしれない。そうなったら、仕方ないからもっと高度に洗脳しよう。そうなったら彼の美容師になる夢を潰してしまうかもしれないなあ。それは可哀想だなあ。まあ、上手くやってくれるといいな。

 セルジの後ろ姿を見送っていたノーチェは、こちらを振り向いてにこりと笑う。そうだ、こっちも面接しなければ。

「君は?」

 僕は、二人目の面接を始めた。

 ノーチェは軽く微笑を浮かべながら、僕を見つめる。僕を値踏みする視線の向こうに、彼女は一体何を隠し持っているだろう。

「私は女優になりたいんです」

「そう、きみも夢への踏み台にファージエ製薬を使うってことね」

「ふふ。そういうことです」

 快活に笑う彼女に笑い返す。正直にそう言ってしまうところはとても好感が持てる。みんな自分の目的のために、とれる手段をとっているだけだ。どうせこの研究所になんの思い入れもなくたって、洗脳で『この研究所が命より大事なもの』と植え付けられてしまえばここから離れることはできない。

 いいかもしれないな。この子もはっきり自分の目的を持っているタイプだから、軽く洗脳をかけたら自分のためにしっかり働いてくれそうだ。

「この研究所、社員寮もあるって聞きました。……私も家を飛び出してしまったから、まず住むところから探さなきゃいけなくて」

「ああなるほど、それで寮のあるところを探したんだね」

「ええ」

「とはいえ女性社員、極端に少ないんだけど大丈夫?」

 念のためにそう尋ねると、ノーチェは軽く頷いた。

「ええ、慣れていますから」

 彼女、最初にこの部屋に来たときよりも大分自然体になったね。

 もし、これから彼女が本当に女優になる夢を叶えたとする。そうすれば、ただの研究員よりよほど利用価値が上がる。なんて考え始め、僕はすっかりノーチェの夢を応援するサイドにいることに気づく。

「じゃあ、君はレンティーノを探しに行って。最上階の一〇六八号室だから」

 僕がそういうと、柔らかい動作で一礼してノーチェも部屋を出て行った。

 ポケットに忍ばせていた軽量型洗脳装置を弄りながら、僕はエレベーターで最上階に向かう。ハビは最初に適当に測定と称してセルジの腕に電極をつけて洗脳を開始しているころだろう。レンティーノも、軽度の洗脳をかけてほしいという僕のオーダーを見て適切な段階の洗脳を彼女にかけるだろう。

 こうやって、面接の後は必ずハビかレンティーノのところにやって仕事についての説明を聞かせるのがいつのまにか暗黙のルールになっていた。僕よりハビやレンティーノのほうが説明が上手いし、洗脳のときにも警戒されなくて済むから。

 最上階に着くと、エレベーターの前をレンティーノとノーチェが通った。何だか二人とも姿勢がいいし、均等の取れたペアだと思った。二人は僕に気づかず、真っ直ぐに階段の方へ向かっていった。多分、最上階であるこの二十階から近い階に移動するんだろう。 

 レンティーノは短い移動ではエレベーターをあまり使いたがらない人だから、この研究所の中で最も歩き回っている人だと言える。

 まあ、マーティンだってしょっちゅうどこかに出かけていって色んなことをしてくるんだけど。彼が変身の能力を利用して人殺しをしているなんて、知った時は驚いたけど今は別に驚かない。自分の目的を妨害する相手に対しての対抗手段が殺人であることは、僕からすると合理的だ。

 僕は帝王の手下に成り下がるつもりはない。研究所の存続を揺らがせるような邪魔者は許さない。それを解っているから、何も言わなくても僕の邪魔者まですべてマーティンが排除してくれる。

 レンティーノはそれを悲しいことだと言った。ハビも普通のときはそういうけれど、人格が変わるとマーティンを褒めるようになる。長い間一緒にいてやっと慣れてきたけれど、やっぱりハビの中には『もう二人』いるんだ。

 だけど僕がハビに向ける目は昔と変わらない。ハビのことはハビって呼ぶし、もう二人のほうともうまい距離感で付き合えるように努力しているつもりだ。

 皆大切な人だから、皆好きだよ。

 レンティーノの意見は至極一般的だと思うし、マーティンがいなければこの研究所がのっとられる可能性だって出てくるし。みんな正しい。

 そんなことを考えながら、僕はマーティンの部屋に向かった。あのウサギの行方が気になったんだ。

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