第十一話 極秘計画
それから一年ぐらいが経ち、僕は十六歳になっていた。
僕は家族に誕生日を祝ってもらえた経験が無いから、祝われてもあまり実感はないのだけれど。
現在この研究所内にいる研究員たちは、ほぼ全員僕のしもべになっている。例外は大切な僕の友人たち。それから、最高権力者とその腹心たち。
最高権力者のフェイロンたちはどうしても捕まってくれないようだから、僕が直々に出向いて洗脳しなきゃ駄目ってことなのかもしれない。
ひとつ不可解だと思うのが、最近になってフェイロンたちが妙な動きをしているということ。
これは、あの“働きバチ”さんが持ってきてくれた甘い甘い情報。働きバチさんの話によると、最高権力者は僕の存在をだんだん疎ましく思うようになってきたらしい。
まあ、そりゃそうだよね。こんな『被検体』、若くて賢くて生意気で邪魔に決まっている。おまけに優秀で憎たらしいかな?
それにしても、彼らの動きは本当に不可解だ。腹心と一緒に最上階の研究室に引きこもって実験をしてるらしいということまでしかわからない。何の実験なのかわかればよかったけど、最高権力者がやけに神経質になって腹心以外を研究室に入れようとしないらしくて、働きバチさんはそこまでの情報しか持ってくることが出来なかった。でも、良い情報をもってきてくれたから褒めてあげた。
働きバチさんは凄く喜んで、また情報収集に向かった。単純でかわいいね。それでこそ僕のしもべだ。
僕は眠くなってきたから、いつものように第二研究室に向かった。
部屋の前についてカードキーでドアを開け、部屋の奥へ向かう。研究室の一番奥の壁際に、僕のベッドがある。そして、ベッドの周りにはたくさんの芸術品。
本当にいろいろな芸術品があるよ。僕が作ったなかで一番気に入っているのは、実験に失敗したせいで背中から夥しい数の眼球が見え隠れしている奇形児のホルマリン漬けかな。
え、気持ち悪い? 何言ってるの、芸術的じゃないか。気持ち悪いだなんていうより、むしろ美しいのに。
僕のコレクションはここ一年辺りで爆発的に増加した。でも、いくらコレクションが増えてもリィが一番綺麗だっていうことに変わりはない。
今は、蘇生の実験についてのデータを探しているところ。蘇生実験の責任者はフェイロンになっていて、彼の権限がないとデータを閲覧できないんだ。ハッキングもさすがに弾かれる。
彼は今や最上階で引きこもっているから、誰もそのデータを持って来ることができない。彼さえ洗脳できれば、すぐにでもリィを蘇生できるのに。今の僕は彼にかなり警戒されているから、『データちょうだい』なんて言える筈もないし。
焦りと苛立ちを隠せない。早くあの人を洗脳しなきゃ。だって、もうリィの命が止まってから六年もたってるんだ。
あの名ばかり最高権力者、結局六年間何もしてくれなかった。僕を実験台として使うことはあっても、約束したはずの願いを聞いてくれることはなかった。やっぱりきちんと契約書でも交わしておけばよかった? 洗脳したらまず書かせようかな。
僕は水槽の横に手を這わせ、スイッチを探り当てた。そして、ベッドの上に仰向けになった姿勢のまま電気を消した。
光のない空間を、静寂が満たす。焦るとよくない考え事が頭をよぎるから、何も考えないようにして目を閉じた。そしてシーツを手繰り寄せて、僕は身を横向けにして丸まった。
そのまま目を閉じる。だけど、ふと光を感じて目を開けた。勢い良くベッドから跳ね起き、出入り口を見る。わずかに開き、そして閉じたところだった。
僕はしもべを呼んだ。そして、壁に手を這わせて電気をつける。
とたんに僕は悲鳴を上げた。明るくなった瞬間、目の前にフェイロンがいたのだから。
フェイロンはポケットから四角い箱状の物を取り出した。箱から伸びた二本のコードの先に、テープが取り付けられている。
テープ付のコードをみたとたん、僕は唐突にその箱の正体を悟った。おそらくこれは簡略化された洗脳装置だ。そして彼は、僕を洗脳して僕の手下を全員乗っ取ろうと思っているんだ。彼が最上階の研究室で引きこもっていた理由は、これを作るためだったに違いない。
僕は彼から逃げて、何か武器になるものはないかと探した。そのとき、僕のしもべたちが来てくれた。しもべたちは最高権力者を取り囲み、押さえつけて外へ連れ出していく。
「皆、聞いて! その人を、一〇九六号室に幽閉して! カードキーはこれだから」
働きバチさんにカードキーを渡して、僕は全員を部屋から出してまたベッドに転がった。心臓が激しく鼓動を繰り返し、全身から嫌な汗がふきだしているのを未だに感じている。
怖かった。殺されるより酷いことをされるかと思った。頭脳は優秀でもフィジカルは並以下なのを自覚しているから、さすがにあんな目に遭えば怖い。
でも、もう大丈夫。しもべたちが全て解決してくれた。そう思い、僕は目を閉じる。
目を閉じてからも、なかなか寝付けなかった。何か音はしないかと、聴覚が異常なほど敏感になった。自分の鼓動や呼吸の音ですら、煩く感じて眠れない。
どうにか安息できないものかと、辺りに手を伸ばす。携帯電話に触れた。これは、下僕に頼んで調達してもらったもの。
画面を見ると、レンティーノとハビとマーティンと一緒にとった写真が待ち受けに設定されていた。ふと気づくとハビからメールが来ていて、ちょっと安心した。明日の朝、中庭で待っているって内容だった。短く返事をして、携帯を握りしめて目を閉じる。
最高権力者の来襲から数時間たった頃、ようやく僕は眠ることが出来た。
次の日の朝、目覚めてすぐに周りを確認した。
昨日と何ら変わっていない状態に安心し、僕はベッドからそっと抜け出す。今日も一日がはじまる。
身支度を済ませてから外に出て、すれ違う下僕に笑顔を送る。向かう先は中庭だ。
僕は歩きながら、ハビは一体何の用で僕を呼んだのだろうと考えた。歩き続けること、数分。中庭につづく扉についた。一歩外に出てみれば、朝日が眩しくて目がくらんだ。ハビはもうここにきていて、僕を見てにこりと笑った。
「おはよう、ミンイェン」
「うん、おはよう。どうしたの?」
いつもどおり穏やかに笑うハビに向かって、僕も笑みを返す。
ハビがベンチに座ったから、隣に座った。
どうしたの、と訊ねてからハビは曖昧に笑うようになった。こういう場合、ハビは大体バッドニュースを伝えてくれる。しばらく無言だったハビは、やがて何かを吹っ切ったように明るく言った。
「マーティンからきいた情報を伝えようと思って」
マーティンからきいたバッドニュースね。そうか、一体どんなことなんだろう。
僕は無言でハビを促すと、足を組んだ。
体格の差からして違うから比べたりする意味がないけど、ハビより何十センチも短い足をみてため息をつく。
「イノセント=エクルストンのことはきいてる?」
「うん、マーティンの仇だよね」
低く穏やかな、いつもどおりのハビの声。
僕は顔を上げて、ハビを見る。するとハビは、前方をみつめる。彼にならって僕も前を見たけど、特に何も無い。
「帝王は誰だか解る?」
相変わらず前を向いたまま、ハビは言う。僕はそんなハビの横顔を見つめた。いつもは高身長ゆえの伏し目だけど、今のハビはちゃんと目を開けている。ただ目を開けているだけ。それだけでも、ハビにしては珍しい表情だ。
僕は帝王という単語を頭の中で反芻し、ふと思い出した。
小さい頃、リィに聞いた覚えがある。世界を統べることを目標として、悪い手先を沢山集めている『帝王』とかいう者が、世界の果てにある孤島に住んでいるんだということを。魔法だとか呪いだとかそういうおとぎ話の一種で、現実の話ではないと思っていた。
「昔聞いた。この世界に災いをもたらして、秩序を壊す人でしょ?」
リィに聞いたことをそのまま口に出してみると、ハビは頷いた。そして彼は視線をこっちに向ける。ちゃんと開かれていた目が再び伏し目になった。
僕がハビを怪訝そうに見れば、ハビは衝撃的な発言をした。
「彼が君に会いに来るそうだ」
ハビの言葉に耳を疑った。帝王が僕に? 何かの間違いだと思うよ。
実在するかどうかさえ解らない人物が、何のために。考えれば考えるほど解らなくなり、僕は答え合わせを求めてハビを見上げた。
「どういうこと?」
疑問を声に出してみれば、ハビは真面目な顔で僕をじっと見た。僕もハビを見返して、生唾を飲み下す。緊張してきた。
「イノセント=エクルストンの仲間が、マーティンの人工魔力に気づいたんだ。それから、洗脳装置のことも知ったみたい。今日来るって」
どうやって? とは聞けなかった。だって、相手の存在があまりに現実離れしている。超常現象そのものみたいな印象を持つその『帝王』が、何故僕を名指しにするんだろう。
「僕、殺される?」
不安に思って聞いてみたら、ハビの大きくて重たい手が僕の頭の上に乗っかった。出逢ったときにくらべたら、サイズが一段と大きくなったハビの手。今も昔も変わらない包容力がある父親的なその手は、昔と変わらず僕の髪をくしゃくしゃと撫でた。
ハビは何でか知らないけど、人の頭を撫でるのが好きなんだよね。落ち着くから僕は好きだけど。
「大丈夫だよ、そうなりそうになったらちゃんと助けに行くからね」
その言葉で、胸にわだかまっていた不安がすーっと溶けていくのを感じた。何だか胸にしみる言葉だった。
心の中にスムーズに浸透していった、今一番欲しかった言葉。
「ハビ、ありがとう」
にこりと笑ってそういえば、ハビもほっとしたように笑った。僕はハビと別れて中庭を出て、部屋に戻る。
部屋に戻ってひとりになったとたんに、また孤独感と不安が復活した。
緊張のせいで食欲が失せる。胃をぎゅっと締め上げられるような感覚に襲われて、僕はベッドに突っ伏した。
怖い。
おとぎ話がもし、現実に理屈の通った出来事だとしたら? だとすれば、帝王の孤島に向かった人間は誰も生還してないらしい。討伐隊が組まれたこともあると聞いて、調べてみたら本当にそんな話が世界中にあった。オカルト話かと思いきや実際の新聞記事などもちゃんと出てくるし、リャンツァイにもエナークにも帝王関連の法律がいくつか整備されている。
なんだそれ、と思うけれど僕らだってなんだそれと思われるような研究をしている。人工魔力も蘇生研究も、一般人からしたら十分おとぎ話だ。ジャンルがファンタジーかSFかの違いでしかない。
どうしよう、どうしようと、頭の中でその言葉だけが回っている。
「ミンイェン、入りますよ」
レンティーノの声がしたけれど、返事をする気力すらなかった。僕は喉にも締め付けるような感覚を覚えて、ベッドの上に身を丸めるようにして縮こまる。
ベッドの傍に人が寄ってくる気配があって、僕はそっと首だけそっちに向ける。
「起きてください、ミンイェン。行きましょう」
悪戯っぽく笑ったレンティーノに引っ張られ、僕は半ば強制的にベッドから降ろされた。
「何処に行くの?」
レンティーノに手を引かれながらそう訊ねてみると、彼は笑いながら歩調を緩めた。廊下には誰もいない。それにより、また孤独感が戻ってくる。
押し寄せてくる不安の波に必死で耐え、僕はレンティーノを見上げた。
「朝ごはんですよ。貴方、まだ何も食べていないでしょう」
至って普通のその声。平常どおりで、何も変なところなんてないその声。僕はそれをきいて少しだけ安心したけれど、やっぱり帝王が来るのが怖かった。
レンティーノは、多分何も知らないんだ。僕が抱えたこの不安の理由を、きっと何も知らない。だからそんなに、穏やかでいられるんだ。
「レンティーノ、帝王のこと知ってる?」
どうしようもない不安に締め付けられていた僕は、レンティーノにこの気持ちを聞いてもらおうと思った。
そして口に出してみると、レンティーノは飄々とこう言った。
「ええ、存じ上げております。会うのですよね」
少なからず、僕は驚いたし戸惑った。だって、レンティーノはこのことを知らないと思った。ハビはマーティンから聞いた情報を、僕にだけ伝えてくれたと思っていたから。ということは、皆は僕が帝王と会うことを解っていて言ってくれなかったのかな。そんな、皆して。
「何でそんなに平然としていられるの? 僕、殺されるかもしれないのに」
思わず食って掛かったけれど、レンティーノはいつものようにそんな僕を軽くかわして穏やかに笑う。
いつもそうだ。いつもこうやって、僕はレンティーノの笑顔にうまく丸め込まれてしまう。僕が睨みつけるようにしてレンティーノを見ていると、彼は笑顔のままこう言った。
「貴方を信じているからですよ」
信じている。
この言葉は魔法の言葉だ。少なくとも、僕はそう思った。たった一言こういわれただけなのに、弛んでいた足元が急にしっかり固まったような気がした。
「貴方のネゴシエーションスキルがあれば大丈夫だと信じています。ですが、もし万が一のことがあった場合は私たちを呼んでくださいね」
「……ありがと」
「さあ、腹ごしらえをしましょう。あなたの明晰な頭脳をフルに使うために」
僕とレンティーノは、一階にある食堂に向かった。そこで朝ごはんを食べて、暫く談笑する。
たわいない話に花を咲かせれば随分気分も落ち着いて、僕とレンティーノはそのまま食堂で別れて僕は第二研究室に戻った。
研究室に戻ってすぐ、僕は仕事に取り掛かる。今日はとても気分が良いから、パソコンが起動するまでの数分間がいつもより短く感じた。
まず最初にメールをチェックする。何もきていなかったから、僕はプログラムの調整を始めた。“分解装置”と呼ばれた機械の調子が悪いって話を聞いたから、プログラムのチェックをした。思ったとおりいろんなバグがでてきたから、バグを取り除きつつプログラムの改良をしたりしているんだ。
“分解装置”だけじゃなくて、いろんな装置が不具合を訴えだしたから仕事は増える一方。最近の僕の仕事は、こんな感じのものが多いな。
これが終わったら、すぐにあの最高権力者に会いに行こう。今頃きっと出して欲しくて暴れてるに違いないよ。
彼の第一声は何なんだろう? 早くきいてみたい。