第十話 崩壊
ロード・レジュステラフェルミナディオンシーダ・バルコリュッテンヴェルツハイヤドは二度目の人生の幕を下ろした。
葬儀は次の日に行われ、ミンは遺言どおり火葬された。ミンが死んだ日のうちに、研究員の三分の一を下僕にしたからこそできた所業だった。
今日も僕は下僕に命じて下僕を増やし続けた。もうじき研究所の中にいる三分の二の研究員たちが僕の奴隷になる。
誰も逆らうな。
誰も勝手な行動をするな。
ミンの死後から、僕の中の何かが急速にかわりつつあった。また大切な人を失ってしまわないようにと、僕は必死になっていた。僕はついに幹部の人間にも手を出した。この研究所に僕をつれこんだあのおじさんは、最高権力者フェイロンの側近だったんだ。
僕は彼を悪い奴だとは思っていなかったから、高度に利用することにした。洗脳装置のプログラムをいじって、表面上は僕に洗脳されてるということを解らないようにした。だから彼は、一見しただけだと普段どおり。だけど中身は、ほぼ全くの別人になってる。
これから彼には、上層部の情報をたくさん持ってきてもらわないとね。きみは、働き蜂なんだから。
僕は昼前から、あるところに向かっていた。
そこは、第一研究室。僕の部屋である第二研究室の上階にある。呼べばいつだって、彼らはきてくれるんだ。
どんなに危ないところにも、どんなに遠い場所にも。彼らの身体には僕の声が刻み込まれてる。いつだって僕だけに従順で、どんなものからも守ってくれる。ドアを開けると、彼らがいる。僕のかわいいしもべたち。
「皆にお知らせがあるよ」
僕は笑顔で語る。
話を聞いていない人なんて誰もいない。皆がじっくりと僕をみながら、熱心に話を聴いてくれている。
「今日で、蘇生した人間から生まれた子供についての実験を終わるよ。貴重なサンプルにつき解剖はナシ。寿命のデータは本人にとらせよう」
にっこりと笑ったまま、僕はそう宣言した。僕はここで生まれここで実験台にされて生きていく運命を受け入れたレンティーノを、僕の力で自由にしてあげたんだ。
これでもう、レンティーノは実験なんかに使われない。自由な研究員としてここで暮らせるだろう。
でも……
「では、学校に行くことももうありませんね」
報せを聞いたレンティーノの第一声がそれだった。
ミンがいなくなった世界で、レンティーノがこれ以上苦しまなくても良いようにと僕なりに考えた結果が『実験の正式で穏便な終了』だった。
だけど、考えてみれば学校は実験の一環として行っていたものだから、当然やめなければならなくなる。
レンティーノは学校がとても好きだった。それは学校に入った当初から全く変わっていなくて、十五歳になった今でもレンティーノは学校に行くのを毎日とても楽しみにしている。僕はそのことを、それほど重要視していなかったことに思い至る。
言ってしまえば僕らはこの五年で、逆方向の成長を遂げている。僕は人間の機微をどんどん捨てていき、逆にレンティーノはどんどん感受性豊かな人間になりつつあった。僕はそのことを失念していて、学校の居心地や交友関係なんて気にも留めていなかったんだ。
「ごめん。卒業、したいよね」
呟いてみると、レンティーノは慌てて首を横に振る。彼はその人間らしく発達した感性で、友達の僕が考えて行った決断を尊重しようとしているのだ。よくないことになった。
「いいえ、構いません。出席しなくてもテストで卒業同等の資格は得られるでしょうし」
「ごめんね」
「ミンイェンは悪くありません。私もこの状態では、学校になんて行けませんから」
寂しげに笑うレンティーノ。この状態とは、喪服の状態を指している。つまり彼は、ミンが死んだこの状態で普通に生活するのが無理だって言ってるんだ。
僕は何も言えずに俯いた。
ごめんなさい。
ミンの火葬を指示したのは僕で、二度と蘇生できないように骨を地中深く埋めるよう指示したのも僕。ミンを慕う意味で、ミンの遺言に従ったんだ。だけど、それこそがレンティーノから永久にミンを奪うことになってしまったのかもしれない。
深く傷ついて、本当は死にそうなほど苦しんでるのに、それでも穏やかに笑おうとするレンティーノがどうしようもなく儚げで、僕は彼がそのうち消えてしまうんじゃないかと錯覚する。
僕は奪って壊してばかりだ。自分はもう一度兄に会いたくて足掻いているというのに、レンティーノには『もう一度お父さんをあげる』と言えなかった。その選択肢が最初からなかった。遺言に書かれている通りに処理してしまった。残される側のことを、少しも考えなかった。
黙り込んでしまった僕に、レンティーノは優しく声をかける。
「私は、実験台になってまで学校に行き続けたいとは思っていません。自分を責めないで下さい、貴方の心遣いはとても嬉しかったです」
「レンティ……」
「ミンイェン、レンティーノ。もう晩ご飯」
遠くから叫ぶハビの声で、僕の話は流される。
レンティーノは何か言いかけてためらい、小さく肩を落として立ち上がった。そうしてそのまま目を伏せて、先に行ってしまった。僕はその背中を追いかけることもできずに、何が最善だったのか考えながらのろのろと部屋を出た。
ゆっくり歩いて、中庭を通り過ぎようとする。するとベンチに座って俯いて、どうやら泣いているらしいレンティーノを見つけてしまった。少し迷ってから、黙ったままベンチに歩み寄る。隣に座って、どう声をかけていいのかもわからないまま黙って彼が落ち着くのを待った。
やがて、レンティーノはぼんやりと顔を上げる。そして、泣き腫らした目をこちらに向けた。
「ミンイェン」
「……なあに?」
「困らせてすみません。どう会話するのが正解か、分かりませんでした。正直なところまだ、混乱しているのです」
いつもと同じ、柔らかで優しい笑みがそこにあった。でも僕にはわかる、これは『正解とされる行動』を探していたころの感情のない笑顔とおんなじだ。涙を堪えるためにか、レンティーノの喉の辺りがひくりと動いた。
「でも、どうか…… 僕を見放さないで」
優しく穏やかな声が、涙を含んで震える。五年前、初めて出会った頃のような幼い響きのある言葉だった。
縋るようなその言葉を、向けられる対象が本当に自分でいいのかわからなくなる。生きている限りこの理性的で人間らしい友人を傷つけるに決まっていて、きっと今後倫理観のない実験を繰り返していくたびに僕の人間性は少しずつ削れていく。そんな予感がある。
「ミンの代わりになんてなれないし、殺人鬼の子だし、僕、イカレてるよ。きみの大事な心を、また傷つけるかもしれないよ」
「いて下さるだけで良いのです、どうか私を一人にしないで下さい」
どこにも行ったりしないのに、レンティーノは不安げに僕の袖を握り締める。その傷つき果てた様子を見て、たとえ適任が自分ではないとしても傍にいたいと思った。こう思える感情は僕のどの部分から出てきているんだろう。真心と呼べる部分だったらいいな。
「わかったよレンティーノ。僕も独りにしないでね」
リィを失った直後の、あのとてつもない喪失感がよみがえってくる。レンティーノは今、独りでそこにいる。遅くなったけれど僕も一緒に駆けおりて行ったから、少しは役に立てるだろうか。
これ以上大切なものは失いたくない。切実にそう思う。レンティーノは僕をみてほっとしたように、いつもの翳りの無い笑みを浮かべてくれた。
僕はミンほど立派な人間にはきっとなれない。けれどヒトとしての倫理をすりつぶして得た力で、解法で、僕は僕なりに大切なひとを護っていくよ。方法は思いつく限りためそう。僕にだって、きっとできることがあるはずだ。
――ねえ、リィ。僕は間違っているかな?
たとえ間違っていても、リィが道を教えてくれることはもう無いけれど。
だけど僕、きみと仲間たちがいればいい。それがすべてなんだ。
優先すべき対象が少ないのはいいことだ、あらゆる可能性を試しやすい。
もう少しだけ見守っていてね。すぐにこの世界に、君をつれもどしてあげるから。




