赤い太陽を射るために
……1945年 4月7日……
「無線装置、異常なし!」
「後部銃塔が上手く動かんぞ」
「急げ、今日はジャップの巨大戦艦が待ってるんだ!」
整備兵と搭乗員達が、格納庫内の艦載機を点検する。グラハムは愛機のTBF雷撃機を、じっと眺めていた。
『アヴェンジャー』の名を持つこの機体は、単発機としてはかなり大型で、パイロット達から「頑丈なトラックのよう」と言われていた。魚雷は爆弾倉内に完全に収納でき、攻撃機に不可欠な後部機銃は銃塔式で、全周囲に発射できる。初陣のミッドウェー海戦ではパイロットの経験不足もあり、大損害を被ったものの、F6F艦上戦闘機によって零戦の優位が覆ってからは、日本海軍の空母『瑞鶴』、大和型二番艦『武蔵』などを屠ってきた。
「復讐者……エイハブ船長にはお似合いだ」
ノーズアートを眺め、グラハムは呟いた。鋼鉄の銛で貫かれた、白いマッコウクジラの絵。
物語の中で、エイハブ船長は片足を失った復讐心で白鯨を狙い、それはやがて、白鯨が悪そのものであると確信するほどの狂気となる。彼の暴走を諌める副船長スターバックの制止を振り切り、多種多様な人種で構成された乗組員たちを鼓舞しつつ、ついにビキニ環礁で白鯨を見つけ出すのだ。そして義足の身で自ら銛を手に、白鯨に挑む。
しかしその結末は、愛機に描いたノーズアートとは違うことを、当然グラハムは知っていた。
同乗者二人に煙草が吸ってくると言い、格納庫を出る。航空燃料のあるところで喫煙するわけにはいかない。
いつものように船縁へ行き、ラッキーストライクの箱を取り出す。口に咥えたところで、イントレピッドがひょっこりと現れた。
「煙草はやらねぇぞ」
「ケチ」
ジッポーで煙草に火をつけるグラハムの横で、イントレピッドも海を眺める。この混沌とした時代でも、海は平和な頃と同じようにうねっていた。これから敵艦隊を討ちにいくにも関わらず、穏やかな気分になる。
「敵の巨大戦艦、『ヤマト』だっけ?」
「ああ。大昔に日本の中心だった地方の名前らしい。あるいは……日本そのものを意味する」
蘊蓄を垂れるグラハムの顔を、イントレピッドは見上げた。
「詳しいね?」
「……恋人から教わった」
恋人という単語に、イントレピッドは目を見開いた。
この武骨で荒々しく、敵艦に魚雷を命中させることだけに執念を燃やす男に、恋した女がいたなんて。何かよく分からない、絡んだ糸のような感情が湧きあがってくる。その感情の正体がイントレピッドには分からず、それが激しくもどかしい。
「……へぇ。グラハムの恋人が勤まるなんて、きっと聖母様みたいな優しい人なんだね?」
「ま、お前よりはな」
「うわっ、絶対そう言うと思った」
彼女の中で、不可解な感情が加速していく。それはいつの間にか苛つきにさえ変わり、グラハムに全部ぶつけてやりたいという衝動に駆られる。
「でもさぁ、グラハムは軍人だから、いつ死ぬか分からないよね? 結婚できないかもね? その人、可哀そうだね!」
「ああ、俺は死んだら地獄に行くかもしれないからな。天国にいる彼女には会えねぇかも」
それを聞いた瞬間、イントレピッドの心臓が小さく跳ねた。心の中で絡んだ糸は、刃物で両断されたかの如くはじけ飛んだ。彼女には珍しくおどおどしながら、次に出す言葉を選ぶ。とにかく、謝らなければ。でも、なんと言おう。
悩んでいるうちに、グラハムの方が声をかけた。
「彼女の写真、見るか?」
「……うん」
グラハムの気遣いかは分からないが、イントレピッドはそれに甘えることにした。
グラハムがポケットから取り出した、一枚のモノクロ写真を受け取る。写っているのは豪快な笑顔を見せている、今より少し若いグラハムと、静かな微笑みを浮かべる女性。しかしその女性の顔は、少なくとも白人ではなかった。かと言って黒人やインディアンでもない。
東洋人だ。
「トヨコ、って言ってな。日系一世……純粋な日本人だ」
イントレピッドが驚きを隠せるはずもない。しかしアメリカと日本が友好関係を結んでいた時代が、確かにあったのだ。ハワイなどに日本人が多く移住していたことは、対日開戦後に生まれたイントレピッドでも知っている。だがグラハムという身近な人間が、日本人と関係を持っていたことは驚愕に値する。
そんな彼女を尻目に、グラハムは続ける。
「開戦後、ユタ州の砂漠にある強制収容所に送られたんだ。敵性国民としてな。そこで持病が悪化して、死んだ」
淡々と語るグラハム。口から紫煙を吐きだし、遥か海の向こうを見つめる。
「トヨコはいつも、自分の故郷がどんなに素晴らしいか話してくれた。いつか二人で日本へ行こうって約束してたよ。だが日本は、彼女たちをあっさり見捨てやがった。誰よりも祖国を愛していた彼女を……」
「……やっぱりグラハムは、エイハブなの?」
イントレピッドの声が、僅かに高ぶった。
「憎しみなの? 憎しみで戦っているの? エイハブ船長みたいに、仲間を道連れに……」
ふいに、短くなった煙草が、イントレピッドの眼前に差し出された。イントレピッドは驚いて見つめていたが、やがてそれを手に取り、小さな唇に咥え……激しくせき込んだ。
グラハムは笑いながら煙草を取り上げ、彼女の背をさすってやる。同時に、写真を返してもらう。
「な? 子供は吸っちゃいけねぇ」
写真を数秒見つめてポケットに納めると、グラハムはイントレピッドに背を向ける。彼女が何度も見てきた、パイロットの背中。不確実な生に縋りつく空へ、身を投じていく者の背中だ。
そのまま歩き去るグラハムに、イントレピッドは心の叫びを投げつけた。
「あんたが死んだら泣く奴が、ここにいるんだからね!」
……戦艦『大和』が沖縄へ向かったのは、菊水作戦と呼ばれる大規模な特攻作戦に呼応してのことだった。三連装の46cm砲を三基装備し、全長263mの最大・最強の戦艦でありながら、航空機の台頭と戦局の変化により、すでに活躍の場を奪われていた『大和』。日本海軍が『大和』に与えた最期の役目は、沖縄で特攻機迎撃に当たっているアメリカ軍戦闘機を、『大和』を沈める攻撃隊の護衛に振り向けさせること、すなわち「エサ」としての役目だった。護衛として軽巡洋艦『矢矧』以下、駆逐艦八隻が同行したが、航空支援は無きに等しい。
奇跡的に沖縄へ辿り着けたならば、沖縄島残波岬にて自力座礁し、陸上砲台として運用するという予定ではあったが、それには電気系統が生きていること、座礁時に船体が水兵であることが必須であり、ほぼ不可能だったと言える。
『大和』の水上特攻作戦の真の意義は、「一億総特攻」という無謀な標語の先駆けとなることだったのだ。
アメリカ海軍のレイモンド・スプルーアンス大将は戦艦同士の決戦を望んだが、『大和』が日本海側へ逃げる恐れがあったことから、マーク・ミッチャー中将率いる第58機動部隊に攻撃を要請したと言われている。
第一次攻撃隊の発進は、4月7日午前10時頃だった。
「エイハブ船長、ドデカい鯨を仕留めてやろうぜ!」
爆撃手のディックが軽口を叩く。
『イントレピッド』の飛行甲板で、すでにエンジンは唸り、油圧式カタパルトにセットされていた。連続射出可能なカタパルトをいち早く開発していたアメリカ海軍の空母は、日本海軍の空母に対して大きなアドバンテージを得ていたと言える。
「ああ、必ず魚雷を命中させる。そして……」
グラハムは『Moby-Dick』の結末を思い出していた。
狂気に囚われたエイハブ船長は、義足の身で自らボートに乗り込み、白鯨と対峙する。しかし白鯨は人間の手に負える存在ではなかった。エイハブ船長らのボートは一瞬で沈められ、母船『ピークォド』も荒れ狂う白鯨によって海の藻屑と消えたのである。物語の語り部である、イシュメルという若者だけが生き残り、仲間たちの生き様を伝えることになるのだ。
爆撃手のディック、後部機銃手のライリーには、婚約者や家族がいる。グラハムと違い地上に、帰る家と迎えてくれる家族が存在するのだ。恋人を奪われたことが戦う理由なら、自分には同乗者を生きて家族の元へ帰れるようにしてやる義務がある……それが、復讐の中でグラハムが見つけ出した答えの一つだ。
そして……。
「……Contact!」
カタパルトにより、TBFの機体が急激に加速する。スロットルは全開、操縦を引き、機体は空中に放り出された。一瞬、シートに体が押さえつけられる感覚を覚える。機首を上げ、僚機と編隊を組む。
他の空母からも、次々に攻撃隊が発艦していた。一足先に飛び立ったSB2C急降下爆撃機は勿論のこと、戦闘機であるF6F『ヘルキャット』やF4U『コルせア』でさえ大半が爆装していた。『大和』という巨鯨を討つべく、アメリカ海軍もまた必死だったのだ。
「さあ、鯨狩りの始まりだ!」
卒論と同時進行中です。
この小説はあくまでも史実に沿ったフィクションであり、主人公は架空の人物だということを今更ながら表記しておきます。
しかしもしかしたら、こういう男がいたかもしれないという妄想で書いています。
さて、あと一話+エピローグで完結です。




