兵士は茶色い小瓶を求む
どうも、風邪でダウンしていました。
電灯の消された、薄暗い部屋の中。
若い女がテーブルに突っ伏したまま、炭酸飲料を口にしていた。背中まで届くブロンドの髪、海と同じ青い瞳、透き通るような白い肌。それに加え優雅な体つきをしており、男ならほとんどが魅了されるであろう美貌だが、そのだらしのない佇まいが全てを台無しにしていた。コーラをがぶ飲みし、溜まった炭酸ガスを口から下品に吐き出す。
「Ha, ha, ha, you and me, " Little brown jug" don't I love thee……」
虚ろな声で唄いながら、彼女は残りのコーラを一気に飲み干した。続いて一際大きく、炭酸ガスを吐き出す。
ふいに、空中に光が走る。彼女がそちらに顔を向けると、小柄な少女と無精ひげを生やした男がそこにいた。二人を、正確には男の方を見て、彼女は露骨に嫌そうな顔をし、口を開いた。
「あ-によ、イントレピッド。気狂い雷撃屋なんか連れてきてどういうつもりよぉ?」
それを聞いて、グラハム・チェンバレン少尉はやれやれと苦笑した。彼からすれば予想していた反応だが、空き瓶を投げつけてこなかっただけ今日は機嫌がいいらしい。
「『茶色の小瓶』ならぬコーラ瓶……アルコールなしでそれだけ酔えるとは器用なもんだ」
「うるひゃいわねー! わたしは元々船酔いしやすいから、酒なんか無くても酔えるんじゃー!」
「お前船の化身じゃないのかよ」
静かに突っ込みを入れつつ、イントレピッドの方をちらりと見る。やっぱり来ない方がよかったんじゃないか、と目で尋ねるが、イントレピッドは無視した。
「エセックス姉さん、いくら太らないからって、甘いもの飲みすぎるのはよくないよ」
イントレピッドが語りかけると、彼女……空母『エセックス』の艦魂は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「いーのよ。仮に太っても、もう嘆く人いないし」
イントレピッドは聞こえない程度の溜息を吐いた。
艦魂が見える人間は極一部の限られた者たちで、空母のような巨大な艦でも、乗組員に見える人間が一人もいないことがある。しかし『エセックス』にはその「見える人間」が二人乗っており、艦魂たるエセックスと良好な関係を築いていた。
昨年、『エセックス』に日本海軍機が特攻するまでは。
「……あの二人が死んで、大好きだったグレン・ミラーも死んで……戦争なんて、いいことないじゃん?」
エセックスは空き瓶を投げ捨てる。幸い割れることなく、ごろごろと床を転がった。
グレン・ミラー。アメリカを代表するジャズ・ミュージシャンであり、『ムーンライトセレナーデ』『真珠の首飾り』などの名曲を生みだした他、アメリカ民謡『茶色の小瓶』の編曲でも知られる。軍に入隊後、イギリスにて慰問演奏を行っていたが、1944年12月に彼を乗せた輸送機が行方を断ち、死亡と判断された。
乗組員の死後もカラ元気を出していたエセックスだが、その知らせを聞いてから本当に全ての気力を失ったのである。巨大な空母の艦魂とはいえ、精神は所詮十八程度の娘そのものだ。戦場ですさんでいく心を、音楽で支えていたのだろう。彼女の心の拠り所は、ほとんど失われてしまったのだ。
「グレン・ミラーは残念だったが、まだ幸せな方だろう。彼の曲はこれからも愛され続ける」
グラハムはポケットから煙草の箱を取り出すが、イントレピッドがその手を掴んで止める。エセックスが大の嫌煙家であると知っているからだ。グラハムは舌打ちして煙草をしまう。
「……普通、兵士は後に何も残せねえ」
「……何ですって?」
エセックスの青い目が、グラハムを睨みつけた。何を怒っているんだ、とでも言いたげに、グラハムは涼しい顔を続ける。
「あの二人も……グレッグとジャックも、何も残さなかったって言うの!?」
戦死した乗組員たちの名を口にし、エセックスはわなわなと震える。
それに対して、グラハムはフンと鼻を鳴らし、血も涙もない言葉を放った。
「何が残っている? 毎日毎日コーラ飲んでやさぐれてる、ロクデナシの妖精モドキが残っただけじゃねぇか」
次の瞬間、エセックスが立ち上がった。椅子を蹴倒し、床を蹴り、グラハムに肉薄した。咄嗟にイントレピッドが間に入るが、エセックスは妹である彼女を容赦なく殴り飛ばす。
そしてグラハムの顔面めがけ、拳を打ち———出せなかった。
一瞬早く、グラハムのボディブローが、エセックスの腹部を捉えていたのだ。そのまま崩れ落ちるエセックスを、グラハムは見下ろした。
「俺たち雷撃機乗りはな、高度五メートルから十メートルの超低空で、対空砲火やクソ忌々しい零戦の迎撃をかいくぐりながら敵艦に突入し、魚雷を投下する。俺が生き残って来れたのは、この反射神経と動体視力、そしてGのかかる中で機体をぶん回す腕力があるからだ」
イントレピッドを助け起こし、グラハムは煙草に火を付けた。紫煙を空中に吐き出し、うずくまるエセックスに再び目をやる。
「お前らは望んで軍艦に生まれたわけじゃねぇ。運命が嫌になることだってあるだろうさ。だがな、お前が見える奴も、見えない奴も、みんなお前を守るため命を張ってるんだよ。せめて守り甲斐のある、いい女として振舞ったらどうだ」
うずくまったまま、エセックスが微かに、声を出した。
泣いている。
ふいにイントレピッドが、グラハムの袖を掴み、ギュッと目を閉じた。光が一瞬だけ部屋に満ち、次の瞬間には二人の姿は消えていた。
エセックスは一人、ただ嗚咽するしかなかった。
……『イントレピッド』艦内に戻った後、イントレピッドはグラハムを軽く睨んだ。
――言いすぎだ。
口に出すまでも無く、そう言いたいのだとグラハムにも分かる。
「分かってるさ、そのくらい。だがお前はこうも思ってるはずだ」
一旦言葉を区切り、煙草を吸って紫煙を吐きだす。
「自分が言いたかったことを、俺がまとめて言っちまった、ってな」
図星だった。彼が言ったことは全て、今までイントレピッドが、姉に対して言ってやりたいと思っていたことなのだ。
艦魂は普通の人間には見えないが、常に人間と共に歩む。もし『エセックス』の乗組員たちが、自分たちが命を預ける艦の艦魂に出会ったとき、どう思うだろうか。それを、姉に考えて欲しかったのである。
「でも、あんな言い方……」
「俺はエイハブ船長だからな。荒くれの鯨捕りなんだよ」
不敵に笑みを浮かべ、煙草を吹かすグラハム。イントレピッドの手がまたもや煙草を狙うが、払いのけられる。ムスッとした顔をするイントレピッドの頭を、グラハムはやや乱暴に撫でた。
「さて、愛機の点検でもしてくるか」
ふらりと踵を返し、立ち去っていくグラハムの後ろ姿を、イントレピッドはじっと眺めていた。
空母『イントレピッド』も、日本軍の雷撃や特攻により、何人もの乗組員が死んでいる。空戦で散った艦載機乗り達を含めれば、かなりの人数になることだろう。
もしそれらのときに死んだのが、目の前にいるひねくれ者の雷撃屋だったら? 自分はエセックスのようにならない保証が、何処にあるだろうか? 何もかも投げ出し、自堕落の道に入らないと、自信を持って言えるか?
イントレピッドは、すでに大戦の真っただ中だった1943年に生まれた。就役したときには、「合衆国万歳! 非文明国を征伐せよ!」という考えに、何の疑問も持っていなかった。
しかし、日本軍の神風特攻隊が『イントレピッド』に体当たりしたとき、彼女は見てしまったのだ。おそらく泣きながら、何かを叫んでいる、特攻機のパイロットの顔を。
日本兵もまた、何か大切な者のために命を賭ける、人間の若者だったのだ。イントレピッドはそれから毎晩、死んだ乗組員だけでなく、特攻隊員の魂のためにも、祈りを捧げることにした。少しずつ、自分の中の『正義』の像が崩れ、何が正しいのか、何が悪なのかさえ、分からなくなってくる。姉妹たちにもまた、同様の悩みを抱える者が多い。
そしていつ来るかも分からない、心の拠り所を奪われる恐怖と、艦魂たちは日々戦っている。
「……本当は、誰のせいなの? こんな戦争……」
……イントレピッドのその言葉は、人間たちには届かなかった。
その日の夜。
アメリカ海軍潜水艦『ハックルバック』は、豊後水道付近で日本海軍の巨大戦艦を確認し、名指しで本隊に連絡した。
その艦の名は、『ヤマト』。
アメリカ民謡『茶色の小瓶』。
子供向けの歌詞は「お母さんがくれた、願い事の叶う茶色の小瓶」というような歌詞だったと思います(うろ覚え)。
原曲では、茶色の小瓶と言うのは要は酒瓶のことで、片時も酒を手放せない、アルコール中毒の夫婦を唄った歌詞でした。
夢もへったくれもないですね。
願い事の叶う魔法のアイテムなんて、所詮アル中の妄想だと言うことでしょうか(我ながらひでぇ発想)。
グレン・ミラーが編曲したものは大ヒットし、今でも多くの人に愛されています。
さて、艦魂とはいえ、所詮は年頃の女の子が戦場にほっぽリ出されているような状態ですので、戦場というものを真っすぐな目で見てしまいます。
大事な人を亡くし、自暴自棄になる者もいるでしょう。
何が正しいのか、思い悩む者もいるでしょう。
徐々に歪んでいく者もいるでしょう。
アメリカの艦魂だからと言って、ただ「キル・ジャップ!」と叫ばせるだけでは、キャラを作れているとは言えないと思い、できるだけ生々しい書き方をしたつもりです。
さて、次回でようやく主人公が『大和』に挑みます。
宜しければお付き合いください。




