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海に紫煙を燻らせて

ここからが本編となります。

一話一話は短いです。

 ……1945年 4月6日……




 巨大な空母も、大海原に浮かべてしまえばけし粒同然。それ故に着艦という行為は、立った状態で針を落とし、足元にあるもう一本の針に命中させるようなものとさえ言われる高等技術だ。しかし艦載機乗りとなった者たちは、日常的にこれを行わなければならない。


「おっ、来た来た」


 イントレピッドは自分に接近する、TBF『アヴェンジャー』雷撃機に小さな手を振った。

 機体は着艦用フックを出して空母の上空を旋回し、脚を出してもう一度旋回する。そして艦尾からアプローチ。LSO(着陸信号士官)が両手に持ったパドルで着艦の指示を出す。

 エセックス級空母の全長は270mだが、それでも飛行機が着地・滑走・停止するには足りない。飛行甲板にワイヤーを張り、パイロットは機体下部のフックをそれに引っかけて強引に停止させるのだ。ワイヤーは四本張られ、艦載機から見て手前から三本目のワイヤーにかけるのが理想とされる。

 イントレピッドが空母の艦魂に生まれて良かったと思うことは、このスリリングな光景をいつも間近で見られることだ。艦魂は船の精霊であり、船と共に生き、船と命運を共にする。それらは総じて美しい女性の姿をしているが、彼女たちが見えるのは一握りの人間のみとされている。自らが飛ぶことを許されない彼女は、こうして飛行機を見ることが何よりも楽しみだった。


 TBFが着艦コースに入る。失敗時に再上昇できるように、ある程度の速度は維持していなければならない。単発機としては大柄のずんぐりとした機体が、機首を上げて甲板の上をかすめ……


 フックが三本目のワイヤーにかかった。


「よし!」


 イントレピッドは小さくガッツポーズをする。

 着艦したTBFは、機首に銛で貫かれた鯨の絵が描かれていた。この手のノーズアートというのはパイロットたちが自己主張のために行っているもので、軍は士気高揚のため黙認していることが多かった。中世の騎士達が武具に紋章や家名を刻んだ名残と言えなくもないだろう。

 やがて、パイロットと爆撃手、後部機銃手が機体から降りてくる。


「お疲れ様」


 イントレピッドが声をかけると、パイロットだけが軽く笑顔を向けた。金髪に鳶色の瞳の、若い男だ。艦魂たる彼女の姿を見ることのできる、数少ない人間。他の乗組員たちの前で話していては彼が変な目で見られるため、お喋りは後だ。


 彼女はTBFのノーズアートを見つめた。巨大な銛で串刺しにされた、白い鯨の絵。その下に書かれた、『PEQUOD』の文字。ある小説を元にしたデザインだ。



 この日、まだ彼女たちは知らなかった。



 これから自分たちが、とてつもない巨鯨に挑むことを。

















「……何度やっても、着艦ってのはおっかねえ」


 海を眺めながら、TBFのパイロット……グラハム・チェンバレン少尉は苦笑した。精悍な、それでいてどこか柔らかさのある顔つきで、口に咥えた煙草に火を点ける。銘柄はラッキーストライク。アメリカで古くから売られている煙草だ。


「グラハムくらいになると、着艦フックの先に目がついてるようなもんでしょ?」


 イントレピッドは傍に歩み寄り、さっと手を伸ばして煙草を奪おうとした。即座にグラハムがその手を払いのけ、イントレピッドは舌打ちする。


「戦闘機乗りの連中はまだ気が楽だろうさ。俺は爆撃手と機銃手の命も預からなきゃならない」

「本物のエイハブ船長も、そのくらい部下思いだったら良かったのに」


 イントレピッドはグラハムに、一冊の本を差し出した。拍子に書かれた題名は『Moby-Dick』。日本では『白鯨』という名で知られる小説で、巨大な白い鯨に片足を食いちぎられた捕鯨船船長・エイハブが、復讐の執念で白鯨を追う物語である。1851年に元捕鯨船乗りのハーマン・メヴィルによって書かれたが、暗く難解なそのストーリーが評価されたのは彼の死後だった。


「読み終わったから、返すよ」

「ああ」


 グラハムが本を受け取った瞬間、イントレピッドは再び煙草を狙う。しかしグラハムがひょいと顔を背けたため、彼女の手は空を切った。


「で、読んだ感想はどうだった?」

「……海が怖くなった、かな」


 人によっては、艦魂にあるまじき発言と思うかもしれない。だがイントレピッドは恐怖心に正直だった。

 多種多様な人種の乗組員たちを率いて、白鯨に挑むエイハブ船長。本能のまま大自然に生きる白鯨。海と切り離されない存在である彼女だからこそ、認めなければならない恐怖を感じたのだ。

 グラハムも、彼女の答えに頷いた。


「空から空母を見下ろしてみりゃ、よく分かる。人間がどんなに粋がっても、海の上じゃ針の先程度のプライド……おっと」


 横から伸びてきた手を、グラハムは咄嗟に掴み取る。イントレピッドは悔しそうに唸った。


「ちょっとくらい吸わせてくれてもいいじゃん!」

「ガキが煙草吸っていいわけあるか」

「ガキって言わないでよ! 私は見た目がちっちゃいだけ!」


 イントレピッドは彼女の『姉妹』の中でも小柄で、艦魂仲間からよくからかわれている。頭は良く、妹たちの面倒見も良いのだが、グラハムの前では子供のような面が表に出るのは否めない。もっともグラハムは、ほとんどの艦魂を子供扱いするような男だったが。


「ま、本は貸しても煙草はやれねえ」

「もう。うちのエイハブ船長はケチなんだから」


 イントレピッドのふくれっつらに、グラハムはそういう所が子どもなんだと返す。

 先ほど彼女が『本物のエイハブ船長』と言ったのは、グラハムが仲間内でエイハブと呼ばれているせいだ。以前の海戦で敵艦に雷撃を行った際、グラハムは零戦の攻撃を受けて負傷した。血まみれの状態で母艦に戻った彼は、助けに駆け寄ってきた整備兵に大声で叫んだのである。

 新しい魚雷を積め、と。

 敵艦に魚雷を叩き込むことに、彼は凄まじい執念を持っていた。血眼になって白鯨を追う、エイハブ船長のような。グラハム自身も『Moby-Dick』の愛読者だったため、やがて愛機の機首に銛で貫かれた白鯨の絵、そしてエイハブ船長の乗る捕鯨船『ピークォド』の名を書き込んだのである。


 彼が艦魂が見えるようになったのも、満身創痍で帰還してからだった。


「そもそも、艦魂と会ったときの第一声が『よう、チビ』だったのはグラハムくらいだと思うよ? もう第一印象最悪!」

「だからそれは悪かったって。お前たまたま軍服姿じゃなかったし、寄港中だったし、現地のクソガキがこっそり乗り込んでたのかと……」


 会話中、懲りずに煙草を奪おうとするイントレピッドの手をかわし、グラハムは思い切り紫煙を吐きつけた。途端にイントレピッドはむせ込み、咳をする。


「ところでお前の姉ちゃんたち、相変わらずか?」

「げほっ、げほ……うん、相変わらず」


 イントレピッドはため息を吐いた。

 エセックス級三番艦の『イントレピッド』からすれば、姉というのは一番艦の『エセックス』に、二番艦『ヨークタウン』の艦魂ということになる。

 艦魂にも上下関係があり、空母や戦艦が最も格上、その次に巡洋艦、駆逐艦と続き、末端は潜水艦や魚雷艇など、という具合に組織が形成されている。そして時には戦況について話し合ったり、勉強会のような物を開くこともあるのだが、人間同様最も権威のある艦魂がその場を仕切るのだ。今の彼女たち第58機動部隊にとってはエセックスと、歴戦の英雄艦と名高い空母『エンタープライズ』の艦魂がその役割を担っている……はずだった。


「ちょっと様子見に行こうかな……グラハムも来てよ」

「俺、お前の姉妹から嫌われてるが」


 グラハムはぽりぽりと頬を掻いた。艦魂を子供扱いし、彼女らの作戦会議も「実戦には何の影響も無い、ままごとと同じ」と貶すような男だから、嫌われるのも無理はない。


「いいからいいから。グラハムの嫌味を聞けば、姉さんもやる気出すかもしれないし」

「やれやれ」


 持っていた小さな灰皿で煙草の火を消し、グラハムは苦笑する。無精ひげの生えた顎を軽く撫で、イントレピッドと手を繋ぐ。


「行くよ」


 イントレピッドがぎゅっと目をつむると、二人の姿が淡い光に包まれる。

 それが晴れたとき、二人はすでにそこから消えていた。



 後に残ったのは、煙草の残り香だけだった……



ラッキーストライクはアメリカで古くから売られている煙草で、元は緑色に赤丸というパッケージでした。

しかし戦時下では、アメリカと言えど緑インクに使うクロムが不足したため、パッケージは「白地に赤丸」に変更されました。

「ラッキーストライクの緑は戦争に行った」という口上で売れ行きを伸ばしますが、これはパッケージの視覚効果を高める意味もあったとされ、戦後から今にいたるまで緑色のパッケージは復活していません。

ちなみに日本兵も、アメリカ軍から分捕ったラッキーストライクを珍重していたそうです。

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