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イノセント



『イノセント』世界資料


――戦場を所有するために作られた、“純粋な兵士”の王国――



1. 概要


『イノセント』は、特定の国家に属さず、またいかなる旗にも忠誠を誓わない民間軍事会社である。だが、一般に想像されるような単なるPMC(Private Military Company)ではない。通常のPMCが、国家や企業から依頼を受け、警備、護衛、後方支援、限定的戦闘行為を請け負う「外注された暴力装置」であるのに対し、イノセントはもっと深い場所に存在している。それは戦争の外側に立って武力を貸し出す企業ではなく、戦争そのものの構造に寄生し、やがてそれを再編成していくために生まれた組織である。


表向き、イノセントは「地域紛争における迅速な治安回復」「人道回廊の確保」「政情不安地域における軍事顧問業務」「要人・施設防衛」を請け負う、高度に洗練された多国籍安全保障企業として振る舞っている。企業名も、ロゴも、提出される契約書も、美しく無機質だ。そこには正義も悪もなく、ただ効率と結果だけがあるように見える。

だが、裏側でイノセントは、国家の軍隊では不可能な速度で人間を兵士へ変換し、兵士を商品として管理し、戦場を「勝てる形」に整えて売る、ひとつの軍事文明を築いている。


この組織の最も異様な点は、兵士を雇用しているのではなく、「製造している」ことにある。

彼らにとって優秀な兵士とは、経歴のある元軍人ではない。むしろ国家に育てられた兵士は不純である。国籍、家族、宗教、思想、郷土、階級意識、倫理観、戦友への人情、法の観念――そうしたものはすべて、命令遂行の精度を損なう“不純物”だと定義される。ゆえにイノセントは、幼少期の段階で身寄りのない子供や、戦災孤児、戸籍を失った難民、国家から排除された者たちを回収し、戦うためだけの人格を形成する。彼らはそこで初めて名前を与えられ、役割を与えられ、生存の理由を与えられる。

そのため、イノセントの構成員の多くは、社会から見れば“救済された孤児”であり、組織内部から見れば“戦場に最適化された資源”である。


イノセントの恐ろしさは、兵士に絶望だけを教えることではない。むしろ逆である。彼らは兵士に誇りを教える。

お前たちは捨てられた子供ではない。

お前たちは国に見捨てられた敗残者ではない。

お前たちは誰かのために死ぬ家畜ではなく、世界の秩序を左右する純粋な兵士なのだ。

この思想が、イノセントのあらゆる制度の根幹にある。


“イノセント”という名称もまた皮肉であると同時に、本気でもある。

彼らの論理では、国家や宗教やイデオロギーに汚染される以前の、ただ撃ち、ただ生き残る者こそが最も無垢であるとされる。血を流しても、命を奪っても、任務を遂行する兵士は罪に濁っていない。濁っているのは兵士に撃たせる側の国家であり、理念であり、政治である。

つまりイノセントとは、「殺しにおいて最も純粋な者たち」を意味する言葉である。



2. 成立の背景


イノセントの創設は、ある単独の人物によるものではない。少なくとも表向きには、創設者は存在しないことになっている。組織誕生の経緯は断片化され、参照権限を持つ幹部ですら、全容を把握していない。これは情報秘匿のためだけではなく、組織神話を維持するためでもある。起源が曖昧であるほど、組織は個人の死から自由になれるからだ。


ただし、有力な説はある。

冷戦後、世界各地で局地的紛争が常態化し、国家は正規軍を大規模に展開するコストと政治的責任を避けるようになった。そこで台頭したのが民間軍事会社だが、その多くは結局、国家軍の補助輪にすぎなかった。高度な訓練を持つ元兵士は雇えても、国家に逆らうほど独立はしていないし、継戦能力も忠誠も金額次第で揺らぐ。

その限界を見た一部の軍需資本、情報機関上がりの実務者、非公式戦争の経験者たちは、ひとつの結論に達する。

「雇うのでは遅い。最初から作ればいい」

この発想が、イノセントの種になった。


最初期のイノセントは、表向きは戦災孤児支援プログラムであった。紛争地帯で保護された子供たちに衣食住を与え、識字教育と基礎医療を施し、職能訓練を行う――そういう名目の施設が、いくつかの自由貿易港、無法地帯、租税回避地域の周辺に作られた。

だがその実態は、選別と育成の場である。

恐怖に対する反応速度。

音と光への耐性。

嘘を見抜く直感。

睡眠不足下での持続力。

狙撃に向く空間認識。

爆薬処理に必要な手先の精度。

子供たちは保護されながら観察され、適性ごとに分解されていった。

そして数年後、最初の“製品”が戦場に投入される。


その部隊は小規模だったが、驚異的な成果を挙げた。

兵士たちは撤退線を乱さず、通信が断たれても判断を失わず、同情によって命令を鈍らせず、また捕虜になっても出自をたどれない。国籍も軍籍も正式記録もなく、戦場で死んでも政治問題になりにくい。

依頼主にとって、これほど都合の良い兵力は存在しなかった。

こうしてイノセントは、単なるPMCではなく、「国が責任を取れない戦争を勝たせるための組織」として拡大していく。



3. 組織理念


イノセントの理念は、一見すると簡潔である。

兵士は、兵士であるとき最も純粋である。

だが、その一文の中に、組織の倫理・教育・暴力の正当化がすべて折り畳まれている。


イノセントでは、個人の幸福は否定されない。ただし優先順位が低い。家族愛や友情や恋愛は、人間にとって自然な感情として認識されているが、それは兵士の本質ではなく“副次的なノイズ”と扱われる。人は誰かを愛することができる。だが愛は、照準を揺らす。

だからイノセントは、愛を禁止しない代わりに、愛を最終的に裏切らせる構造を作る。

仲間を作らせる。

依存を学ばせる。

そして任務で切り捨てさせる。

その経験を通じて、兵士に理解させるのだ。

最後に残るのは命令だけだと。


組織が兵士に植え付ける価値観は、以下の四つに集約できる。


第一に、生存は義務である。

生き残ることは権利ではなく責任である。死は美談ではない。死んだ兵士は、未完了の任務でしかない。勇敢な戦死よりも、汚れてでも帰還することが称揚される。これにより、構成員は自己犠牲に酔いにくい一方、極めて冷酷な判断を取りやすくなる。


第二に、命令は思考停止ではなく、思考の方向付けである。

イノセントの兵士は従順なだけの駒ではない。むしろ自律性が高い。現場の裁量は大きく、作戦中に上官の直接指示が途絶えても、目標達成のために判断を更新することが求められる。ただし、その判断は常に組織利益へ収束しなければならない。自由に考えてよいが、自由に裏切ってはならない。


第三に、罪は撃つ者ではなく、撃たせる構造に属する。

これにより兵士は、心理的損耗を管理しやすくなる。自分の引き金を、自分の道徳で裁かない。撃つ行為の善悪を個人の内面から切り離し、構造的責任として処理する。これが繰り返されると、兵士は精神を壊しにくくなるが、同時に通常社会の倫理へ復帰しにくくなる。


第四に、兵士は選ばれた機能である。

孤児や難民出身者にとって、この思想は強力な救済になる。お前は捨てられたのではない。選別されたのだ。お前が生き残ったのは偶然ではない。資質があったからだ。

この“選ばれた”という感覚が、イノセントの兵士たちに異様な自己肯定を与える。彼らは自分を可哀想だと思わない。むしろ、外の世界にいる凡庸な人間たちを脆弱だと見なす傾向がある。



4. 組織の表向きの顔と裏の実像


表のイノセントは、きわめてスマートである。公式サイトには簡潔な企業理念が掲げられ、国際安全保障会議に研究員を送り込み、紛争後復興支援に関するレポートを発表し、難民保護基金に寄付を行う。企業ロゴは中立性を感じさせる無彩色の意匠で統一され、構成員も必要に応じて背広を着こなす。

だが、裏の実像はその正反対ではない。むしろ、表の理知的な顔は裏の暴力の延長である。

イノセントは混沌を嫌う。無意味な虐殺や激情的な破壊は好まない。戦争が必要なら、戦争は制御されるべきだと考えている。誰がいつ死に、どの区域がいつ陥落し、どの政治家がいつ逃亡し、どのメディアがどの映像を受け取るかまで、可能な限り整序されるべきだという発想だ。

その意味でイノセントは、暴力的である以上に、管理主義的な組織である。


戦場は彼らにとって、狂気の場ではない。

最も正確な計測が要求される現場である。

兵站の遅延。

降雨による視界低下。

民兵の士気変動。

地方軍閥の寝返り確率。

記者団の移動ルート。

国連の採択見込み。

あらゆるものがデータとして吸い上げられ、戦場は「最適化可能な市場」に変換される。

だからイノセントは、戦闘組織であると同時に、情報・心理・金融・物流を束ねた総合戦争企業でもある。



5. 階級構造と内部統治


イノセントの内部は、通常の軍隊ほど単純ではない。階級は存在するが、それは血筋や年功ではなく、実績・適性・生存率・任務達成度・再現性によって評価される。

構成は大きく五層に分かれる。


第一層:ボード


表に出ない意思決定機関。数名から十数名程度とされるが、正確な人数は不明。各国の元情報機関幹部、軍需産業関係者、金融ネットワークの運用者、法務工作担当などが含まれると噂される。彼らは前線に立たないが、世界地図の上で戦争を組み替える存在である。構成員の多くは偽名でしか知られていない。


第二層:ディレクター


地域統括・機能統括を担う上級管理者。北アフリカ圏、中東圏、東欧圏、沿岸物流圏、訓練群島、医療実験部門など、それぞれの領域に責任を持つ。ディレクターは経営者であり、作戦立案者でもあり、人間選別の目利きでもある。


第三層:ハンドラー


現場運用責任者。兵士個人あるいは小隊単位を管理し、任務を割り当て、心理状態を監視し、必要に応じて処分も行う。ハンドラーはイノセント内部でも特異な職種で、兵士の命に最も近い場所にいながら、自分ではあまり撃たない。兵士たちからは親でもあり看守でもある存在として恐れられる。


第四層:オペレーター


実働兵士。狙撃手、突入要員、爆破工作員、電子戦担当、偽装要員、潜入工作員、医療兼戦闘員など、多数の専門職に分かれる。セブン・ウォーカーやブルック・アートボードのような存在はここに属するが、単なる兵士ではなく、極めて高い独立運用能力を持つ特級個体として扱われる。


第五層:アセット


まだ兵士として完成していない候補生、回収対象、潜在人員、現地協力者、使い捨ての外部要員など。イノセントにとって人間は段階的な資源であり、アセットは最も広く、最も消耗される層である。


この組織では、階級章や勲章は最小限に抑えられている。代わりに、数字、コールサイン、作戦記録、成功率によって個人の位置づけが決まる。そのため内部では、名前より戦果が先に記憶される。誰が何回生還し、どの距離で頭部を抜き、どの作戦で誰を見捨てたか。それがそのまま評価になる。

この文化が、セブンのような伝説的スナイパーを神話化させる土壌になる。



6. 兵士の調達と育成


イノセントの中核は、兵士の育成機関にある。

彼らは一般の求人で兵士を集めない。もちろん元軍人や特殊技能保持者を外部採用することはあるが、それは補助的な措置でしかない。組織の中核を担う“純血”の兵士は、幼少期から育成された者たちで構成される。


調達対象となるのは、主に以下のような子供たちである。

戦災孤児。

国家崩壊地域で戸籍を失った者。

難民キャンプで家族から逸れた者。

人身売買組織から買い戻された者。

武装勢力の少年兵として使われた後に回収された者。

そして、社会的に存在しても“記録上の個人”としては死んでいる者。


イノセントは彼らを「救う」。だが、その救済は出口のない契約である。

まず与えられるのは、安全な寝床と温かい食事だ。次に清潔な服、医療、言語教育、基本計算、地図の読み方、身体訓練。外から見れば理想的な更生施設にすら映る。

しかし教育の中核には、必ず戦闘がある。

走る。

撃つ。

隠れる。

待つ。

痛みに耐える。

音で距離を測る。

匂いで人間の数を読む。

飢えたまま判断する。

眠らずに照準を維持する。

人を殺す想像を、恐怖ではなく手順として処理する。

これらが“生活習慣”として組み込まれていく。


訓練は年齢で区切られない。適性ごとに分岐する。

遠距離視認に優れる者は狙撃系統へ。

閉所での判断が速い者は突入系統へ。

人の心理を読む者は潜入・尋問系統へ。

計算に強く感情起伏の薄い者は通信・分析へ。

幼い頃の些細な癖すら、兵科の振り分け材料になる。


イノセントの訓練で特筆すべきは、人格の切断である。

彼らは兵士たちに過去を捨てろとは必ずしも言わない。むしろ過去を記憶させる。空腹、爆撃、焼けた匂い、母親の叫び、雨の中で眠った夜。そうした記憶を消さず、保存し、必要なときに引き出させる。

そのうえで教える。

「その日、お前を救わなかったのが世界だ」

「ここだけがお前を使う」

「使うということは、必要だということだ」

この理屈によって、兵士は組織への依存と感謝を同時に深める。

つまりイノセントは洗脳しているのではない。世界の残酷さに対して、もっとも筋の通った答えを先に与えているのである。



7. 名前、番号、コールサイン


イノセントでは本名が重要視されない。むしろ本名は、損傷しやすい過去の残骸だと見なされる。多くの構成員は育成段階で番号を与えられ、その後、適性や戦果に応じてコールサインを持つ。

セブン・ウォーカーの「セブン」も、その流れの中で生まれた可能性が高い。番号、階梯、あるいは実験群の識別名から派生したものだろう。

名前とは本来、誰かに呼ばれ続けることで人格に定着するものだ。イノセントはそこを逆利用する。

番号で管理される期間に、兵士は自己を機能として認識する。

その後で与えられるコールサインは、個性ではなく評価である。

つまり彼らは「誰であるか」より先に、「何ができるか」で呼ばれる。


この命名文化は、兵士同士の絆にも影響する。

誰かを本名で呼ぶことは、組織的には半ば越権であり、親密さの表明であり、同時に危険でもある。本名を知るということは、その相手が兵士以前の人間だった証拠を握ることだからだ。

セブンとブルックの関係に特別な濃度があるなら、それはただの戦友ではなく、互いの“兵士になる前”を知る数少ない関係だった可能性が高い。



8. 実戦運用


イノセントの実戦部隊は、国家軍のように大編成では動かない。小規模・高機動・高自律のユニットを複数投入し、情報優位と局所支配を積み上げる。

彼らは戦場全体を占領するのではなく、勝敗に直結する節点だけを奪う。

通信中継施設。

地下水源。

越境ルート。

無人機管制拠点。

司令官の愛人が逃げ込む別荘。

銀行口座にアクセスできる衛星端末。

国際記者団が撮影可能な高台。

イノセントは、戦争を地形ではなく“因果”で読む。どこを撃てば前線が崩れ、どこを燃やせば補給ではなく世論が折れるか。その感覚が異常なほど洗練されている。


また、依頼主に応じて戦い方を変える柔軟性も高い。

独裁政権からの依頼には、短期鎮圧と見せしめを。

反政府勢力からの依頼には、正規軍の弱点暴露と寝返り工作を。

企業案件には、鉱区・港湾・送電網など経済中枢の局地防衛を。

表向き人道支援案件であれば、避難路確保と同時に将来の交渉材料となる人物の保護・拘束を。

つまり、イノセントは依頼を受けて戦うのではなく、依頼主の望みを“勝利可能な形”に翻訳して納品する。



9. 兵士の心理管理


イノセントは兵士を粗末に扱わない。使い捨てるが、粗末にはしない。この差は大きい。

優秀な兵士は高価であり、再現性が低い。ゆえに彼らの精神状態、身体機能、睡眠の質、トラウマ反応、執着対象まで、細かく記録される。

戦場から帰還した兵士にはカウンセリングに似た面談があるが、その目的は癒やしではない。再配置のための調整である。どの記憶がフラッシュバックを起こし、どの音で反射的に撃ち、どの相手に異常な執着を見せるか。

こうした情報は管理され、時に利用される。


イノセントはPTSDを“故障”とは呼ばない。

それは未処理の戦闘反応であり、適切に導線を作れば再利用可能な資源だと見なす。

怒りは突入要員に向く。

冷え切った虚無は狙撃に向く。

罪悪感は忠誠操作に向く。

執着は暗殺に向く。

この発想は非人道的であると同時に、非常に合理的でもある。

ゆえにイノセントの兵士たちは壊れにくいのではない。壊れたまま戦えるよう整えられている。



10. 施設群


イノセントの主要施設は、地図上に明示されない。だが大きく分けると、訓練施設、医療施設、保管施設、物流拠点、外交窓口の五つがある。


◼︎訓練施設


外洋の小島、廃工場地帯、砂漠縁辺、山岳閉鎖地区など、環境負荷の高い場所に置かれる。そこでは兵士候補生たちが地形適応訓練を受ける。施設によって得意分野が違い、海上浸透、雪原潜伏、都市型侵入、長距離狙撃などに特化している。


◼︎医療施設


表向きはリハビリセンターや難民救護所として運用されることもある。高度外科、義肢適応、神経調整、薬剤耐性評価などが行われる。傷を治すだけでなく、“再び使える身体”へ戻すための研究機関でもある。


◼︎保管施設


武器弾薬だけでなく、個人記録、DNAサンプル、音声プロファイル、映像記録、過去任務ログなどが保管される。兵士の人生そのものがアーカイブされている場所であり、ここを押さえられることは組織にとって致命的である。


◼︎物流拠点


港湾、自由貿易地域、貨物空港周辺、合法企業の倉庫ネットワークと接続している。武器だけでなく、食料、医薬品、替えの身分証、通信機材、そして人間の移送が行われる。


◼︎外交窓口


高級ホテルの一室、資源会社の会議室、研究財団のレセプション、慈善団体のシンポジウム会場など、最も戦争とかけ離れて見える場所に存在する。イノセントは銃だけではなく、握手と契約で領土を広げる組織でもある。



11. イノセント内部の文化


兵士たちは無感情な機械ではない。むしろ文化を持つ。

ただし、その文化は一般社会とずれている。

例えば彼らは誕生日を祝わないことが多い。その代わり、初めて実戦から生還した日、初めて単独任務を完遂した日、初めて1000メートルを超える射撃を成功させた日などを記憶する。

人間として生まれた日より、兵士として証明された日を重く見るのである。


食事の癖にも特徴が出る。

短時間で高カロリーを摂る習慣。

毒物混入を警戒した盛り付けの崩し方。

座る位置の選び方。

部屋に入った瞬間の出口確認。

眠るときの利き手の位置。

こうした細部が、彼らの“日常”である。

一般人との共生が難しい理由は、戦場の記憶が強すぎるからではなく、この日常感覚の基準が根本から違うからだ。


兵士同士の冗談も独特で、死に近い。

失明しかけた狙撃手に対して「今日は景色が優しいな」と言う。

脚を失った者に「これで逃げ足は遅くなった」と笑う。

残酷だが、これは冷酷さの表現ではなく、生存確認の儀式である。死を正面から扱いすぎる者は壊れる。だから軽口に変換する。

こうした文化が、セブンとブルックのような人物の会話に、乾いた親密さを与えるだろう。



12. セブン・ウォーカーのような存在の価値


イノセントにとって、セブン・ウォーカー級の狙撃手は単なる高性能兵士ではない。組織神話を支える“象徴”である。

どの組織も、理念だけでは兵士を繋ぎ止められない。実在する英雄が必要だ。

誰もが知っている戦果。

誰もが聞いたことのある逸話。

ありえない距離。

ありえない風。

ありえない待機時間。

ありえない生還率。

そうしたものが重なり、「伝説」は制度を補強する。

子供たちはその名を聞いて育ち、ハンドラーたちはその名を使って候補生を鼓舞し、幹部たちはその名を営業資料のように誇る。

セブンが組織を離れたことが重大なのは、戦力の損失だからではない。神話が脱走したからである。


ブルック・アートボードがセブンに執着するのも、この文脈で理解できる。

彼にとってセブンは、ただ憧れの先輩ではない。

兵士という存在が最も美しく完成した形そのものなのだ。

だからこそ、彼女が一般人として結婚し、静かな生活を送ろうとすることは、ブルックには“裏切り”に見える。

世界が必要としているのは、食卓に座る女ではない。

照準の向こうで世界を決める兵士だ。

この信念は狂気だが、イノセントの内部論理から見れば一貫している。



13. 組織の弱点と綻び


どれほど完成された組織でも、矛盾はある。むしろイノセントのような組織ほど、強みそのものが崩壊の種になる。


第一の弱点は、神話依存である。

兵士を純粋な機能として育てながら、実際にはセブンのような“例外的個人”に士気が支えられている。つまり制度の顔として個人を必要としているのだ。もしその個人が制度を否定したとき、内部には想定以上の動揺が走る。


第二の弱点は、兵士の人間性を完全には消せないことだ。

どれだけ教育しても、誰かを特別に思う感情、失ったものへの執着、子供の頃に見た風景への郷愁は残る。イノセントはそれを利用できるが、完全制御はできない。

兵士は命令で撃てる。

だが、命令を理解したうえで拒否する瞬間もまた、人間にしか訪れない。

セブンが組織を離れたという事実は、その最大の証拠である。


第三の弱点は、無国籍であるがゆえの脆さだ。

複数国家と結びつき、どこにも属さないことで自由を得ている一方、決定的な局面では保護してくれる祖国がない。外交の切り捨てが起きたとき、彼らは公式には存在しない者として処理される。

そのためイノセントは、どの国家よりも国家に似た機能を内部で持たざるを得ない。教育、医療、規律、文化、死者管理。これは強みであると同時に、運営コストの高騰と内部官僚化を招く。


第四の弱点は、理念の自己矛盾である。

兵士は純粋である、と彼らは言う。

だがその純粋さは、兵士を作る工程の不純さによって支えられている。孤児の回収、記録の改ざん、心理操作、選別、処分。

つまりイノセントは、“無垢な兵士”を作るために最も計算高い組織であり続けなければならない。

この矛盾を誰かが暴けば、組織神話は急速に腐り始める。



14. 外部世界から見た評価


国家から見れば、イノセントは必要悪であり、潜在的な災害である。

正規軍では手を出しにくい地域に介入できる。

政治責任を曖昧にしたまま戦果を得られる。

失敗しても切り捨てやすい。

しかし同時に、一度その利便性に依存すると、自国軍の機能や覚悟が痩せていく。

また、イノセントは依頼主の情報を膨大に握るため、契約相手でありながら脅迫者にもなり得る。

各国は彼らを利用しながら恐れている。


市民社会からの評価は二極化する。

紛争地帯で人道回廊を確保し、略奪民兵を掃討し、病院を守ったという感謝もある。

一方で、政変の裏、資源争奪戦、証拠の残らない暗殺、消えた村、行方不明の子供たちの噂も絶えない。

イノセントは英雄にも悪魔にもなれるが、そのどちらの顔も本物である。



15. 物語上で機能するイノセントの本質


『BLACK SOLDIER』において、イノセントは単なる敵組織ではなく、主人公セブン・ウォーカーの“出自そのもの”である。

人は敵と戦うとき、自分の外側にある悪と対峙しているように感じる。だがセブンが向き合う相手は、外部ではない。

自分を作った秩序。

自分を必要とした世界。

自分に銃を教えた唯一の故郷。

つまりイノセントは、母であり、国家であり、学校であり、宗教であり、戦場である。

そこから逃げることは、転職でも離反でもない。自己定義そのものの否定に近い。


ブルックがセブンを連れ戻そうとするのは、組織の命令である以上に、信仰に近い。

彼はセブンを失った世界を受け入れられない。

セブンが兵士でなくなるなら、自分が信じてきたもの全部が間違いになるからだ。

だから彼は彼女の家を襲う。

幸福を壊すためではない。

“兵士ではないセブン”という誤りを修正するために。

その発想の冷たさこそ、イノセントが育てた愛の形である。



16. 総括


イノセントとは、国家の失敗から生まれた組織である。

親を守れなかった国家。

子供を数として扱った国家。

戦争を終わらせられず、しかも戦争を必要とした国家。

その失敗の残骸の中から、イノセントは兵士を拾い上げた。

だから彼らは自分たちを悪だと思っていない。むしろ最も現実的で、最も誠実だと信じている。

世界が子供を捨てた。

自分たちは拾って、使った。

使うということは、生きる場所を与えることだ。

この歪んだ誠実さが、イノセントを単なる邪悪な組織以上のものにしている。


彼らは戦争を憎んでいない。愛してもいない。

戦争を理解しすぎたがゆえに、そこに居場所を築いてしまった者たちである。

そしてそこで育ったセブン・ウォーカーは、本来ならイノセントの理想の完成形だった。

静かで、正確で、感情に溺れず、遠くから世界を撃ち抜ける兵士。

そんな彼女が、一般人として生きようとした。愛そうとした。家庭を選ぼうとした。

それはイノセントにとって、兵士の脱走である以前に、理念への反逆である。


彼らは嘘だけで兵士を従わせているのではない。

兵士たちの過去に対して、あまりにも説得力のある答えを提示してしまっている。

だからこそ危険で、だからこそ美しく、だからこそ壊れる価値があるのだ。



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