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蒼月のレゾナンス ~最弱の調律士は運命を選び直す~  作者: なるかめ
閑話(その1)

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第14.5話「静かなる侵食」

第14.5話「静かなる侵食」です。

本編の流れの中に挟まる、いわば“閑話”ですが、

この回は蒼真の力の本質を描く重要な一話になります。

誰かを守りたい。助けたい。

その想いが強いほど、力は正しく使われるとは限らない。

むしろ――

善意だからこそ、踏み越えてしまう一線があります。

この回では、蒼真がまだ気づいていなかった

「支配」という側面に触れていきます。

第32話の選択に繋がる“傷”として、

ぜひ見ていただければと思います。

 焦げた匂いが、肺の奥に張りついていた。


 瓦礫の街路には、まだ熱が残っている。崩れた建物の隙間から、黒い煙が細く立ち上っていた。


 遠くで、誰かが泣いている。


 短い悲鳴。押し殺した声。それを制止する大人の声。


 戦いは、まだ終わっていない。


 空は赤い。


 夕焼けではない。燃え残った炎の反射だった。


「くっ……!」


 火乃宮凛が踏み込んだ。


 剣を振るい、炎を走らせる。だが、その軌跡はわずかに乱れていた。


「はあっ……!」


 凛の呼吸は荒い。いつもより浅い。


 その乱れが、炎にそのまま出ていた。


 目の前の敵は異常だった。


 膨張した共鳴体。


 本来の輪郭を失い、黒い塊となって蠢いている。怒りと恐怖が混ざり合い、絶えず形を変えていた。


 その中心から、不快な振動が広がる。


 耳ではなく、体の内側に直接響くような感覚だった。


「凛、下がれ!」


 水月蒼真が叫んだ。


 蒼真は瓦礫を飛び越えながら走る。


「下がれるならやってる!」


 凛は振り向かずに叫び返した。


 その声は強い。だが、明らかに無理をしている。


 凛の視線の先。


 崩れた壁の陰に、数人の市民がいた。


 動けない。逃げられない。


 だから凛は、退けない。


「っ……!」


 凛がもう一歩踏み込む。


 炎が膨らむ。


 だが、その瞬間。


 ほんの一瞬だけ、凛の動きが止まった。


 迷い。


 それは、ほんのわずかだった。


 だが――暴走体は、それを逃さなかった。


 黒い腕が、地面を削りながら伸びる。


 一直線に、凛へ。


「まずい――」


 蒼真は走った。


 考えるより先に体が動いていた。


(間に合え)


 蒼真は凛の背に手を伸ばす。


 触れた。


 その瞬間――世界が、静かになった。


 音が遠のく。


 炎の揺れが、ゆっくりになる。


 凛の鼓動が、手のひらに伝わる。


 速い。荒い。不安定だ。


 恐怖が、波のように広がっている。


(危ない)


 蒼真は思った。


(このままじゃ、崩れる)


 次の瞬間、自然に思考が繋がった。


(整えればいい)


 それは迷いではなかった。


 判断でもなかった。


 ただの“当然”だった。


 蒼真の意識が、凛の内側へ沈む。


 恐怖を掴む。


 震えを捉える。


 それを――均す。


 波を揃える。


 揺れを消す。


 迷いをほどく。


 恐怖を静める。


 凛の波が、静かになった。


 あまりにも、綺麗に。


 その瞬間――


「――行ける」


 蒼真は確信した。


 これは正しい。


 これで助かる。


 誰も傷つかない。


 凛の動きが変わった。


 速い。鋭い。迷いがない。


 炎が一直線に伸びる。


 黒い塊の中心へ、正確に突き刺さった。


 一撃。


 それだけだった。


 暴走体は、抵抗することもできず崩れた。


 黒い粒子が、空中に溶けていく。


 静寂が落ちた。


 風が戻る。


 煙が揺れる。


 遠くの泣き声が、また聞こえてくる。


 蒼真は息を吐いた。


「……終わった」


 助かった。


 誰も傷ついていない。


 凛も無事だ。


 完璧だった。


(よかった)


 そう思った。


 本気で。


 そのはずだった。


「……凛?」


 蒼真は声をかけた。


 凛は立っている。


 剣を持ったまま。


 だが、動かない。


「凛?」


 蒼真が一歩近づく。


 凛が、ゆっくりと振り向いた。


 その顔を見て、蒼真は息を止めた。


 無表情だった。


 怒りもない。


 安堵もない。


 疲労もない。


 ただ、空白だった。


「……どうした?」


 蒼真は言った。


 凛は、少しだけ首を傾げた。


「……終わったの?」


 その声は、平坦だった。


 蒼真は違和感を覚える。


「終わったよ。助かった」


「そう」


 凛は短く答えた。


 そして、自分の剣を見下ろす。


「……ねえ」


 凛が言った。


「私、何した?」


 蒼真の心臓が跳ねた。


「何って……倒しただろ」


「覚えてない」


 凛は淡々と言った。


 一拍置いて、続ける。


「怖くなかった」


 蒼真の喉が詰まる。


「何も、感じなかった」


 凛は自分の胸に手を当てた。


「ここ、空っぽ」


 風が吹く。


 瓦礫が軋む。


 遠くで、子どもが泣いた。


 その音だけが、やけに大きく聞こえた。


 凛が蒼真を見る。


 その目に、ゆっくりと色が戻る。


 戸惑い。


 不安。


 そして――恐れ。


「蒼真」


 凛は言った。


「今の、何?」


 蒼真は答えられなかった。


 凛の手が震える。


「私、勝ったんでしょ」


「……ああ」


「なのに」


 凛は言葉を探す。


「嬉しくない」


 その一言が、重く落ちた。


「怖くもなかった。苦しくもなかった。でも」


 一拍。


「何もなかった」


 蒼真の中で、何かが崩れた。


 凛が、まっすぐに見てくる。


「それ、私じゃない」


 蒼真の呼吸が止まる。


「違う、俺は――」


 蒼真は言いかけた。


 だが、言葉が続かない。


 凛が遮った。


「助けた?」


 凛は言った。


「うん。助けたよ」


 自分で答えるように。


 そして、続ける。


「でも、それ」


 一拍。


「私じゃない」


 凛は一歩下がった。


 はっきりと距離を取る。


 拒絶だった。


「……触るな」


 小さな声だった。


 だが、強かった。


 蒼真の手が、空中で止まる。


 凛は言った。


「怖くてもいい。迷ってもいい。失敗してもいい」


 声は震えている。


 それでも、凛は目を逸らさない。


「それが、私だから」


 沈黙。


 蒼真は、自分の手を見た。


 この手で、恐怖を消した。


 迷いを消した。


 凛を整えた。


 正しく。


 完璧に。


 そして――奪った。


 蒼真は理解した。


 初めて、はっきりと。


「……俺は」


 声がかすれる。


「俺は……」


 何も言えない。


 凛は背を向けた。


「……今はいい」


 振り返らずに言う。


「でも、次やったら」


 一拍。


「許さない」


 蒼真は動けなかった。


 ただ、立っていた。


 救ったはずの戦いの中で。


 初めて、自分が“奪った側”にいることを知った。



 帰還後。


 報告書には、短く記録された。


 共鳴暴走体、制圧。


 民間人被害、軽微。


 火乃宮凛、戦闘継続可能。


 水月蒼真、後方支援。


 異常なし。


 蒼真は、その文字を見つめていた。


 異常なし。


 そう書かれている。


 誰も死んでいない。


 誰も大きな怪我をしていない。


 任務としては、成功だった。


 だが、蒼真の手にはまだ、凛の鼓動の感触が残っている。


 速く、荒く、不安定だった鼓動。


 それを静めた瞬間の、あまりにも綺麗な沈黙。


(違う)


 蒼真は、唇を噛んだ。


(あれは、助けたんじゃない)


 廊下の向こうで、凛の姿が見えた。


 凛は一人で歩いている。


 背筋は伸びている。


 いつも通りに見える。


 だが、蒼真には分かってしまった。


 凛は一度も、こちらを見なかった。


 蒼真は声をかけようとした。


「凛――」


 その瞬間、凛の肩がわずかに強張る。


 それだけで、蒼真は言葉を失った。


 凛は振り返らない。


 そのまま、廊下の角を曲がって消えた。


 距離ができた。


 目に見えるほど、はっきりと。



 その夜。


 蒼真は寮の部屋で、自分の手を見つめていた。


 何度洗っても、感触は消えない。


 血の匂いではない。


 焦げた匂いでもない。


 もっと静かなもの。


 誰かの内側へ踏み込んでしまった感覚。


「……俺は」


 蒼真は小さく呟く。


「もう、触っちゃいけないのか」


 答える者はいない。


 窓の外には、月が出ていた。


 その光は静かで、冷たい。


 蒼真は目を閉じる。


 凛の言葉が、耳の奥に残っている。


 ――それが、私だから。


 ――次やったら、許さない。


 救った。


 だが、奪った。


 その二つが、同じ場所にあることを、蒼真は初めて知った。


 胸の奥で、静かな何かが沈んでいく。


 それは力ではない。


 罪悪感だった。


 そして、その罪悪感こそが。


 次に凛と向き合うとき、二人の間に立ちはだかる壁になる。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

第14.5話は、蒼真にとって初めての“明確な失敗”の回です。

しかもそれは、悪意ではなく善意から生まれたものです。

誰も傷つけていない。

むしろ助けている。

それでも――

「それは自分ではない」と言われてしまう。

このズレこそが、この作品の核の一つです。

力があるからこそできてしまうこと。

でも、やってはいけないこと。

その境界線に、蒼真はここで初めて立ちます。

この体験があるからこそ、後の「選ばせる」という選択が

単なる理屈ではなく、実感を伴ったものになります。

引き続き、物語を見守っていただけたら嬉しいです。

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