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蒼月のレゾナンス ~最弱の調律士は運命を選び直す~  作者: なるかめ
第4章 運命を選ぶ者

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第30話 同意

強制共鳴が揺らぎ、人々に「選ぶ力」が戻り始める。

だがそれは同時に、迷いと遅れを生むことでもあった。

蒼真は力で上書きすることを拒み、凛と月乃に選択を委ねる。

迫る崩壊の中で問われるのは――同意の意味と、その代償だった。

 同意とは、待つことだった。


 それを理解した瞬間、蒼真は膝の奥に力が入らなくなるような感覚を覚えた。


 白銀の光は、まだ街を覆っている。


 天城の強制共鳴は完全には消えていない。

 蒼真たちの銀の波紋によって、そこに小さな隙間は生まれた。


 だが、それは勝利ではなかった。


 人々の動きに迷いが戻り始めている。

 怒りも、恐怖も、ためらいも、少しずつ戻ってくる。


 それは人間らしさだった。


 そして同時に――混乱の始まりでもあった。


 中枢塔前の広場に、ざわめきが広がっていく。


 配給列で、誰かが足を止めた。

 運ばれていた薬箱が遅れた。

 救護班の指示に、一瞬の迷いが生まれた。


 ほんの数秒。


 だが、強制共鳴によって消されていた数秒が戻っただけで、街の流れはすぐに乱れ始める。


「……戻ってきてる」


 凛が低く言った。


 彼女の声には安堵もある。

 だが、それ以上に不安があった。


 月乃は端末を操作しながら言った。


「強制共鳴の一部が解除され、個別判断が回復しています。ただし、制御の空白が発生しています」


「空白?」


 凛が聞き返す。


「はい」


 月乃は顔を上げない。


「これまで中枢が代行していた判断を、個人が取り戻している状態です。けれど、急に戻された判断に、全員が即応できるわけではありません」


 蒼真は広場を見た。


 それは、正しかった。


 選べるようになった。

 迷えるようになった。

 拒めるようになった。


 だが、その結果として。


 世界は、ぎこちなく動き始めていた。


「……これが」


 蒼真は呟く。


「選べる世界か」


 その声は、自分でも驚くほど重かった。


 凛は何も言わない。


 月乃も、何も言わなかった。


 誰も、簡単には肯定できなかった。


     *


 最初の悲鳴が上がったのは、広場の南側だった。


 崩れかけた建物の上階。


 強制共鳴によって一時的に安定していた支柱が、個別判断の回復と同時に、複数の共鳴波にさらされて軋み始めていた。


 石材が落ちる。


 人々が一斉に顔を上げる。


 凛が叫んだ。


「危ない!」


 二階の窓際に、小さな男の子がいた。


 逃げ遅れたのだ。


 年は七つか八つ。

 泣くこともできず、窓枠にしがみついている。


 その上で、天井の梁が少しずつ傾いていた。


 強制共鳴が完全に維持されていれば、周囲の人間は迷わず動いただろう。

 最適な順番で避難路を作り、最短で救出していたはずだ。


 だが今は違う。


「誰か!」

「上に子どもがいる!」

「動くな、崩れるぞ!」

「早くしろ!」


 声が重なる。


 判断が割れる。


 恐怖が戻った人々は、それぞれの正しさで動こうとしていた。


 助けたい者。

 逃げたい者。

 指示を待つ者。

 叫ぶ者。


 人間が戻ってきた。


 だから、遅れた。


 月乃が端末を見て、顔色を変えた。


「構造限界まで、二十秒」


 凛が駆け出そうとする。


 蒼真は、反射的に手を伸ばした。


 止められる。


 強制的に凛の波を掴み、建物の揺れを止め、男の子の恐怖も抑え込めば、今すぐに救える。


 できる。


 蒼真には分かった。


 自分なら、今すぐに止められる。


 だが、それは――


 同意を取らない干渉だ。


 凛が振り返る。


「蒼真!」


 声に迷いがあった。


 行きたい。

 でも怖い。

 また自分が止められるのではないか。

 また自分で決められなくなるのではないか。


 凛の恐怖が、蒼真にも伝わる。


 月乃が早口で言う。


「凛の炎で足場を固定し、蒼真が共鳴の揺れを受け、私が接続を観測すれば救出可能です」


「じゃあやる!」


 凛が言う。


 月乃は即座に首を振った。


「同意確認が必要です」


「今さら!?」


 凛の声が跳ねた。


 建物が大きく軋む。


 男の子が窓枠にしがみつき、ようやく泣き出した。


「たすけて……!」


 その声が、広場に落ちる。


 蒼真の胸が潰れそうになる。


 凛の手が震えていた。


 月乃は、歯を食いしばるように言った。


「同意なしに接続すれば、強制共鳴と同じです」


「分かってる!」


 凛が怒鳴る。


「分かってるけど!」


 蒼真は、何も言えない。


 言えば、選ばせることになる。

 命令になる。

 誘導になる。


 だから待つしかない。


 同意とは、待つことだった。


 待っている間にも、梁は落ちる。


 月乃が端末を見た。


「十五秒」


 月乃は一瞬だけ、言葉を詰まらせた。


「いっ、今から同意しても、救えない可能性が高いです」


 凛が顔を歪める。


「こんなの……無理よ……!」


 その言葉は、責めではなかった。


 悲鳴だった。


「怖いのよ!」


 凛は蒼真を見た。


「また、勝手に終わってるのが怖い!」


 蒼真は、ただ頷いた。


「分かってる」


「分かってるなら!」


 凛は叫びかけて、言葉を飲み込んだ。


 言えば、蒼真は動く。

 蒼真はきっと、動いてしまう。


 それを凛も分かっていた。


 月乃が冷静に告げる。


「十秒」


 凛の顔が青ざめた。


 蒼真は拳を握る。


 手を伸ばせばいい。

 今すぐに。


 それで助かる。


 だが、その瞬間、蒼真は天城と同じ場所に立つ。


 救うために、選ばせない。


 それはあまりにも簡単だった。


 あまりにも、正しかった。


「……凛」


 蒼真は、ようやく言った。


 声が震えていた。


「選んでくれ」


 凛の目が揺れる。


 月乃も蒼真を見る。


 蒼真は続けた。


「やめてもいい」


 その言葉に、凛が息を呑む。


「今ここで同意しなくてもいい。撤回してもいい。怖いなら、やめていい」


 凛は蒼真を睨んだ。


「それであの子が死んだら?」


 蒼真は答えられない。


 だが、逃げなかった。


「それでも、俺は勝手に決めない」


 凛の瞳に怒りが浮かぶ。


 だが、その奥にあったのは、恐怖だった。


 月乃が言う。


「六秒」


 凛は男の子を見る。


 泣いている。

 手が滑りかけている。

 梁が落ちる寸前だ。


 凛の肩が震えた。


「……撤回できるのよね」


 凛はうつむき気味につぶやいた。


 月乃が即座に答える。


「はい。いつでも撤回できます。接続中でも、拒否できます」


「途中でやめたら?」


「崩れる可能性があります」


 月乃の声は冷たく聞こえた。


 けれど、その唇はわずかに震えていた。


「それでも、撤回できます」


 凛は笑った。


 泣きそうな笑いだった。


「最悪ね」


 蒼真は頷いた。


「ああ」


「強制のほうが楽じゃない」


「ああ」


「天城のほうが、早いじゃない」


「ああ」


 凛は奥歯を噛みしめる。


「でも」


 凛の手が、蒼真の手に重なる。


 震えていた。


 それでも、引かなかった。


「私は、選ぶ」


 蒼真は息を吸った。


 月乃が言った。


「私も同意します」


 彼女の声も、いつもより硬かった。


「観測者として、接続を維持します。ただし、危険域に入れば切断を提案します」


 蒼真は月乃を見る。


「提案?」


「はい」


 月乃は、はっきりと言った。


「決定はしません。選択権は保持します」


 蒼真は小さく頷く。


「分かった」


 月乃が端末を構えた。


「三秒」


 銀の核が、三人の手元に生まれる。


 前よりも小さい。

 弱い。

 震えている。


 強制共鳴の白銀とは違う。


 押し込まない。

 命じない。

 ただ、互いの意思を確かめるように、細い光が伸びる。


 凛の炎が立ち上がる。


 いつものような勢いはない。

 制御された細い炎が、建物の梁へ走る。


 月乃が叫ぶ。


「接続開始。凛の出力、上昇。蒼真、揺れを受けてください。ただし、上書きは禁止」


「分かってる!」


 蒼真は、歯を食いしばった。


 建物の共鳴波が流れ込む。


 恐怖。

 混乱。

 男の子の泣き声。

 逃げたいという波。

 助けたいという波。

 全部が絡まっている。


 蒼真なら、止められる。


 だが、止めない。


 受ける。

 逃がす。

 支える。


 凛の炎が梁を支える。


 月乃が経路を読む。


「凛、右上へ。三歩先の壁面がまだ持ちます」


「分かった!」


 凛が駆ける。


 炎で足場を作り、崩れかけた壁面を踏む。


 男の子のいる窓まで、あと少し。


 だが、その瞬間。


 男の子が恐怖で手を離しかけた。


 蒼真は反射的に意識を伸ばす。


 少年の恐怖を止めればいい。

 泣き声を静めればいい。

 体を硬直させれば、落ちない。


 できる。


 だが、月乃が鋭く言った。


「蒼真!」


 蒼真は息を止めた。


 分かっている。


 男の子の同意はない。


 凛が叫んだ。


「手、伸ばして!」


 少年に向けた声だった。


 男の子は泣きながら首を振る。


「こわい……!」


 凛は足場の上で手を伸ばした。


「怖くていい! でも、こっちを選んで!」


 その言葉が、蒼真の胸を打った。


 怖くていい。


 選ぶ。


 男の子は、泣きながら凛を見る。


 ほんの一瞬。


 迷う。


 その一瞬が、遅すぎた。


 梁が落ちた。


 凛が飛び込む。


 炎が弾ける。


 蒼真は銀の核を通して全身で揺れを受けた。


 月乃が叫ぶ。


「左へ!」


 凛の腕が、男の子の袖を掴む。


 しかし、崩れた石材が足元を砕いた。


 凛と男の子の体が落ちる。


 蒼真は、歯を食いしばる。


 今ならまだ上書きできる。


 全員を止められる。


 空間ごと止めれば、助かる。


 だが。


 凛の声が響いた。


「やめない!」


 蒼真は目を見開く。


 凛は落下しながら、男の子を抱え込んでいた。


「まだ、選んでる!」


 月乃が叫ぶ。


「蒼真、支えてください! 止めずに!」


 蒼真は銀の核を握るように意識を集中させた。


 止めない。

 奪わない。

 ただ、落下の衝撃を逃がす。


 地面が近づく。


 凛は炎を床面に向けて放った。


 衝撃が逃げる。

 熱が広がる。

 蒼真の胸に鋭い痛みが走る。


 凛と男の子は地面に転がった。


 完全な成功ではなかった。


 男の子の腕から血が流れている。

 凛も肩を押さえている。


 それでも。


 生きていた。


 凛は荒い息を吐きながら、男の子を見た。


「……大丈夫?」


 男の子は泣きながら頷いた。


 凛は笑おうとして、失敗した。


「よかった」


 その瞬間、広場の反対側で別の音がした。


 崩れた梁の一部が、下にいた老人の足を直撃していた。


 悲鳴が上がる。


 蒼真の血の気が引いた。


 救えなかった。


 全員は、救えなかった。


 もし強制共鳴のままだったら。


 もし天城が判断していたら。


 もっと早く動いていたら。


 老人も無傷だったかもしれない。


 広場にいた男が、蒼真たちに向かって怒鳴った。


「なんでだよ!」


 その声は、震えていた。


「なんで、すぐ助けなかったんだよ!」


 蒼真は動けなかった。


 ……天城なら、全員助けていた。


 凛も、男の子を抱えたまま固まる。


 月乃が端末を下ろした。


 誰も反論できない。


 男の言葉は、正しかった。


 強制共鳴なら、もっと早かった。


 同意を待ったせいで、遅れた。


 選ばせたせいで、失った。


「答えろよ!」


 男が叫ぶ。


「正しいことしてるんじゃなかったのかよ!」


 蒼真は唇を噛んだ。


 正しい。


 その問いは正しい。


 凛が立ち上がろうとする。


 蒼真は小さく首を振った。


 ここで言い返してはいけない。


 言い返せることではない。


 月乃が静かに言った。


「救護を優先します」


 凛は男の子を救護班に預け、すぐに老人のほうへ走った。


 月乃も指示を出す。


 蒼真は、一瞬だけその場に残った。


 怒鳴った男は、まだ蒼真を睨んでいる。


 蒼真は、深く頭を下げた。


 俺が、選ばせたせいで。


「……間に合わなかった」


 男は歯を食いしばる。


「謝れば済むのか」


「済まない」


 蒼真は答えた。


「でも、俺は勝手に選べない」


 男が怒鳴る。


「選んでくれたほうが助かる人間もいるんだよ!」


 その言葉は、刃だった。


 蒼真の胸に深く刺さる。


 凛が老人の足元で炎を細く操り、瓦礫をどかしている。

 月乃が救護経路を指示している。


 老人は意識がある。

 だが、足はひどく傷ついていた。


 命は助かった。


 けれど、無傷ではなかった。


 それが同意のコストだった。


     *


 応急処置が終わったころ、空は少し暗くなっていた。


 白銀の光はまだ残っている。

 銀の核も、かすかに胸の奥で脈打っている。


 広場には、安堵と怒りが混ざっていた。


 助かった子ども。

 傷ついた老人。

 怒る市民。

 沈黙する救護班。


 すべてが同じ場所にあった。


 凛は壁際に座り込み、血のついた手を見つめていた。


「……助けたのに」


 凛は小さく言った。


「助けたのに、間に合わなかった」


 蒼真は隣に立っていた。


「ごめん」


 凛は首を振る。


「あんたが謝ることじゃない」


 少し間を置いて、凛は続けた。


「でも、楽じゃないね」


「ああ」


「選ぶって、もっと綺麗なものだと思ってた」


 蒼真は答えられなかった。


 月乃が近づいてくる。


 彼女の表情にも疲労が濃い。


「老人の命に別状はありません。ただし、右足の機能に後遺症が残る可能性があります」


 凛は目を閉じた。


「そっか」


 月乃は続ける。


「男児は軽傷です。凛の判断がなければ、死亡していました」


 凛が笑った。


 苦い笑いだった。


「半分成功?」


「いいえ」


 月乃は静かに言った。


「半分失敗です」


 凛が月乃を見る。


 月乃は逃げなかった。


「その認識を持たないと、次に間違えます」


 凛はしばらく黙り、やがて小さく頷いた。


「……ほんと、あんた容赦ない」


「必要です」


 月乃の声も、少しだけかすれていた。


 蒼真は二人を見た。


 凛は痛みを抱えている。

 月乃も、冷静さの裏で傷ついている。


 それでも、二人はそこにいる。


 選んで、そこにいる。


 蒼真は言った。


「やめてもいい」


 凛が顔を上げる。


「今ならまだ、やめられる。これ以上は危険だ。怖いなら――」


「怖いわよ」


 凛は遮った。


「今でも怖い」


 一拍。


「でも、やめない」


 月乃も言った。


「私も撤回しません」


 蒼真は月乃を見る。


「理由は?」


 月乃は少しだけ考えた。


「強制共鳴のほうが速い。それは事実です」


 彼女は広場を見た。


「ですが、速さだけを基準にすれば、同意は必ず負けます」


「それでも?」


「それでも」


 月乃は言った。


「遅くても、選べる構造を残すべきです」


 凛が立ち上がる。


 肩を押さえながらも、真っ直ぐ蒼真を見る。


「私も同じ」


「本当に?」


 蒼真は問う。


「また、こうなるかもしれない」


「分かってる」


「また、間に合わないかもしれない」


「分かってる」


「誰かに責められる」


「もう責められた」


 凛は少しだけ笑った。


 その笑みは痛々しい。


 だが、逃げていなかった。


「それでも、私は自分で選ぶ」


 凛は手を差し出した。


 震えている。


 それでも。


 引いていない。


 月乃も手を重ねる。


「同意します。ただし、条件を追加します」


 凛が首を傾げる。


「条件?」


「撤回権の明文化です」


 月乃は蒼真を見た。


「誰か一人でも拒否した場合、共鳴は即時停止する。再接続には、再度確認を必要とする」


 蒼真は頷いた。


「それでいい」


 凛が言う。


「途中で怖くなったら、やめてもいい」


「いい」


「失敗するかもしれない」


「ああ」


「それでも、選ぶ」


 蒼真は二人の手を見た。


 綺麗な合意ではなかった。


 凛の手には血がついている。

 月乃の指は冷たく震えている。

 蒼真の掌にも、まだ痛みが残っている。


 美しくない。


 簡単でもない。


 誰かを救いきれたわけでもない。


 それでも、三人は手を重ねていた。


 銀の核が、弱く鼓動する。


 ドクン。


 強くはない。


 けれど、消えていない。


 凛が小さく言った。


「これが同意?」


 月乃が答える。


「はい」


 一拍。


「かなり、不完全ですが」


 蒼真は言った。


「それでいい」


 遠くで、白銀の光がまだ揺れている。


 天城の救済は、まだ世界を包んでいる。

 強制共鳴のほうが速い。

 強制共鳴のほうが確実だ。

 強制共鳴のほうが、多くを救える場面もある。


 その事実は消えない。


 同意は、遅い。


 同意は、不利だ。


 同意は、怖い。


 それでも。


 凛は選んだ。

 月乃は選んだ。

 蒼真は、選ばせることを選んだ。


 広場には、まだ怒りの声が残っている。

 救えなかった痛みも残っている。

 失ったものもある。


 だが、誰かが迷う余地だけは、確かに残っていた。


 蒼真は重ねられた手を見つめた。


 この道は、きっと楽ではない。


 正しいとも、まだ言い切れない。


 それでも――


 怖くても、選ぶことはできる。


 その証明だけが、弱い銀の光となって、三人の間に残っていた。

読んでいただきありがとうございます。

選べることは、自由であると同時に、遅れや失う可能性を伴います。

それでも選ぶのか、それとも委ねるのか――簡単には答えの出ない問いです。

次回は「蒼月のレゾナンス」。三人の関係が、ひとつの形を持ち始めます。

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