第10話 支配の可能性
月乃は確信に近い“違和感”を掴んだ。
蒼真の力は、弱いわけではない。むしろ、測定の枠に収まらない。
問題は――その力が「何をしているのか」だ。
凛の炎が安定した瞬間。
暴走が“未遂”で終わった瞬間。
そこには、目に見えない変化があった。
蒼真は助けたつもりでいる。
凛も、そう信じたい。
けれど月乃は、記録を見てしまった。
「整えた」のではなく、
“成立そのものを止めている”かもしれない、と。
止めることは救いだ。
でも同時に、相手の行動を奪うことでもある。
救うために奪うのは正しいのか。
その問いを、蒼真は初めて真正面から突きつけられる。
蒼真は、自身の力に気付き始めた。
そして――その力の存在は、蒼真を悩ませるとともに、別の世界へといざない始める。
呼び出しは、放課後だった。
研究棟の廊下は、夕方になると妙に長い。
蒼真はドアの前で立ち止まり、ひとつ深呼吸をする。
中から、淡い光が漏れている。
ノック。
「どうぞ」
水瀬月乃の声は、いつも通り落ち着いていた。
部屋に入ると、凛が壁際に立っていた。
腕を組み、無言で蒼真を見る。
その視線が、わずかに揺れる。
「……なんで凛が」
「立ち会う」
短い言葉。拒否の余地はない。
月乃は端末を操作し、空中に波形を展開する。
廃工場任務の記録。
炎の線。
乱流の渦。
そして、その交点。
「覚えていますか」
蒼真は頷く。
「……暴走未遂」
「未遂で終わった理由」
月乃の指が一点を拡大する。
「ここです」
凛が小さく息を呑む。
「炎が軽くなった瞬間……」
蒼真の喉が乾く。
月乃は続ける。
「あなたが触れた直後、共鳴構造が崩れています」
「崩れた?」
「整ったのではありません」
静かな声。
「消えています」
部屋の空気が重くなる。
蒼真は、かすかに笑う。
「……偶然でしょ」
自分でも頼りない声だと分かる。
月乃は首を横に振る。
「三件分、同一現象が記録されています」
訓練場。
任務。
模擬戦。
どれも、交点の“停止”。
凛が月乃を睨む。
「言いたいことを、はっきり言いなさい」
月乃は端末を閉じた。
小さな音が、空気を区切る。
「結論を言います」
その瞳は逃げていない。
「あなたの力は、通常の調律ではありません」
凛が即座に反論する。
「回路を整えただけ。暴走を止めただけ」
「違います」
月乃は冷静に説明する。
「調律は、乱れた波を均衡へ戻す技術です。
双方の意志を前提とする“整え”です」
一拍。
「あなたの行為は、それではない」
蒼真は、言葉を待つ。
月乃ははっきりと言った。
「相手の波より上位に立ち、
強制的に停止させています」
空気が固まる。
「……停止させただけでしょ」
凛の声は強い。
だが、わずかに震えている。
「違います」
月乃は蒼真を見つめる。
「あなたが“止めよう”と決めた瞬間、
相手の意志より先に、あなたの意志が働いている」
蒼真の背筋が冷える。
「それは、優位な位置からの介入です」
そして。
「これは調律ではない」
凛が首を振る。
「言い過ぎよ」
月乃は言い切る。
「支配です」
その言葉は静かだった。
だが、刃のようだった。
蒼真の視界が揺れる。
支配。
自分は、奪ったのか。
「違う」
凛が前に出る。
「蒼真は助けただけ」
「結果はそうです」
月乃は否定しない。
「ですが構造は違う」
蒼真は、かすれた声で問う。
「じゃあ……どうすればいい」
月乃は少しだけ間を置く。
「あなたは、“共鳴の器”に分類される可能性があります」
凛が息を呑む。
統律院内部の定義。
器――
受け止め、選別し、固定する存在。
「器は、管理対象です」
蒼真の指先が冷たくなる。
「管理……?」
「制度は、測れない力を放置しません」
沈黙。
凛が蒼真の肩を掴む。
「聞くな」
低い声。
だが震えている。
「その言葉を、全部受け取るな」
蒼真は凛を見る。
怒りではない。
恐れだ。
――強い者は、弱さを見せられない。
凛は、それを知っている。
月乃は視線を逸らさない。
「私は事実を述べているだけです」
「だったらどうするの」
凛が問う。
「管理? 隔離?」
月乃は答えない。
その沈黙が、重い。
蒼真はゆっくりと言う。
「俺は……止めたかっただけだ」
月乃の声がわずかに柔らぐ。
「ええ。あなたは救いました」
一拍。
「ですが、救いと支配は、構造上とても近い」
蒼真は言葉を失う。
凛は拳を握る。
「違う」
それでも、凛は言う。
「蒼真は奪ってない」
月乃は、わずかに目を伏せる。
「今は、まだ」
沈黙。
蒼真は、自分の手を見る。
もし、意図して止められたら。
炎も。
雷も。
意志も。
「俺は……そんな力、扱えない」
「扱わなくても、持っています」
その事実が、重い。
凛が低く言う。
「なら、私が隣にいる」
蒼真が顔を上げる。
凛の目は揺れている。
だが、逃げていない。
「一人で決めるな」
月乃は、二人を見て、端末を静かに閉じる。
「報告は、まだ上げません」
「……なぜ」
「確定ではないからです」
ほんのわずかな嘘。
確信は、もうある。
だが彼女は、言葉にしない。
証明は、誰かの自由を狭める。
それを知りながら、月乃は目を逸らさなかった。
「ただし」
その視線が蒼真に戻る。
「あなたは、もう“ただのDランク”ではありません」
夕暮れの光が床を赤く染める。
蒼真は窓の外を見る。
空は静かだ。
だが、胸の奥は、静かにざわめいている。
救ったはずのこの力が、
誰かの選択を奪う刃かもしれないと知ってしまった。
止めることは、守ることなのか。
それとも、奪うことなのか。
答えはまだ、形を持たない。
ただ一つだけ確かなのは――
自分はもう、
善悪の境界線の外には立っていられない、ということだった。
月乃の発した「支配です」。
この一言で、第10話は立っています。
蒼真は、誰かを傷つけるために力を使ったわけではありません。
むしろ、止めたかった。守りたかった。
けれど――
構造としてはどうなのか。
そこに、月乃は感情ではなく“定義”で切り込んできました。
ここが、大きな分岐点です。
蒼真の力は、
弱者の切り札になる可能性がある。
同時に、最も危険な力にもなり得る。
だからこそ、「救い」と「支配」は同じ根から生まれる、という話になります。
そして、もう一つ重要なのは凛の反応です。
凛は理屈よりも先に、蒼真を守ろうとしました。
それはヒロインとしての立ち位置が、一段階進んだ瞬間でもあります。
第10話は戦闘回ではありません。
思想回です。
力に名前が与えられたことで、
物語は“能力バトル”から、もう一段深いテーマへと踏み込みました。
次から、世界は蒼真を放っておきません。
彼が力を使うかどうかではなく、
「持っている」という事実そのものが動き始めます。
その力を恐れる者もいれば、
利用しようとする者もいるでしょう。
物語は、静かに次の段階へ入ります。




