表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
すべてを失った令嬢が、それでも前を向いた理由  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/12

第9話 鉄格子のない牢獄

 森を抜けると、視界が一気に開けた。

 馬車が速度を落とす。

 窓の外に広がっていたのは、活気のある人々の営みだった。


 石造りと木造が入り混じった家々が並び、煙突からは夕餉の煙が上がっている。

 通りを行き交う人々は、王都のような洗練された服装ではない。

 厚手の麻服に、獣皮のベスト。

 泥にまみれ、大きな声で笑い合い、荷車を引いている。


 ここが、辺境。

 世界の果てと呼ばれる場所。


「……着いたぞ」


 御者台からルーカスの声がして、馬車が完全に停止した。

 私は緊張で身体を強張らせる。

 罪人が到着したのだ。

 罵声を浴びせられるかもしれない。

 石を投げられるかもしれない。

 私は覚悟を決めて、深く息を吸い込んだ。


 扉が開く。

 ルーカスが手を差し出していた。

 私はその手を借りず、自分の足で地面に降り立つ。


 喧騒が、一瞬だけ止まった気がした。

 周囲の人々の視線が私に集まる。

 私は反射的に身を縮め、視線を伏せた。


「領主様! お帰りなさい!」

「早いお着きで! 例のブツは届きましたか?」

「おや、そちらのお嬢さんは?」


 聞こえてきたのは、罵倒ではなかった。

 明るく、屈託のない歓迎の声。

 私は驚いて顔を上げた。

 人々は笑顔でルーカスを取り囲んでいる。

 子供たちが彼の足元にまとわりつき、太い腕にぶら下がろうとしていた。


 ルーカスは、うざったそうに眉をひそめながらも、子供の頭を無造作に撫でていた。


「遊んでる暇はない。どけ」

「えー、ケチ!」

「また今度剣を見せてくれよ!」


 彼は住民たちに愛されていた。

 恐怖で支配しているわけでも、権威を振りかざしているわけでもない。

 ただ、当たり前のように、彼らの生活の中心に彼がいる。

 王都で聞いていた「辺境の野蛮な騎士」という噂とは、あまりにも違う光景だった。


「行くぞ」


 ルーカスが子供たちを振りほどき、私に声をかけた。

 彼は群衆をかき分け、丘の上に建つ大きな屋敷へと歩き出す。

 私は慌ててその後を追った。

 すれ違いざま、住民たちが私を見る目は好奇に満ちていたが、そこには侮蔑の色はなかった。

 それが逆に、私の罪悪感を刺激した。

 こんなに温かい場所に、異物が紛れ込んでしまったという感覚。


        ◇


 領主館と呼ばれたその建物は、質実剛健そのものだった。

 華美な装飾は一切ない。

 太い丸太と切り出したばかりの石で組まれた、要塞のような館。


 通された部屋は二階の角部屋だった。

 広さは王都の自室の半分ほどだが、大きな窓があり、そこからは街と、遠くに広がる森が一望できた。

 そして何より、窓に鉄格子はなかった。


「……ここが、私の部屋ですか?」

「空いている部屋はここしかない。気に入らないなら馬小屋に行け」

「いいえ、十分すぎます。……鍵は、かけなくていいのですか?」


 私の問いに、ルーカスは呆れたように肩をすくめた。


「逃げたければ逃げればいい。だが、森には狼が出るし、冬になれば凍死する。この村を出て生きていける自信があるなら止めない」

「……」

「ここはお前の牢獄だが、鎖で繋ぐつもりはない。お前を縛るのは、お前自身の生存本能だ」


 彼は部屋の鍵をテーブルに放り投げた。

 カチャン、と金属音が響く。

 それは「自由」という名の、あまりにも重い責任だった。

 自分で考え、自分で留まることを選べ、と彼は言っているのだ。


 彼は出口へと向かう。

 このまま放置されるのだと思った。

 衣食住を与えられ、ただ生かされるだけの飼い殺し。

 王都での生活と変わらない。

 守られるだけの、無力なお人形。


 嫌だ。

 強烈な拒絶反応が、腹の底から湧き上がった。

 私は彼に背を向けたまま、声を張り上げた。


「待ってください!」


 ルーカスが足を止める。

 ゆっくりと振り返った彼の瞳を、私は真っ直ぐに見据えた。

 膝が震えている。

 喉が乾いている。

 それでも、私は言わなければならない。


「ただ飯を食べるつもりはありません」

「……ほう?」

「働かせてください。掃除でも洗濯でも、何でもします。貴方の荷物になりたくないのです」


 彼は腕を組み、私を頭の先から爪先までじろりと見た。


「硝子細工の手で、何ができる?」

「割れるまでは動けます」

「割れたら掃除が面倒だ」


 冷たい言葉。

 けれど、その口調には試すような響きが含まれていた。

 私は一歩前に出る。

 彼の目力に負けないように、両手を強く握りしめた。


「割れません。……割らせません。私はもう、守られるだけの公爵令嬢ではないのですから」


 部屋に沈黙が落ちた。

 窓の外から、風の音が聞こえる。

 ルーカスは長い間、私を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……口だけなら誰でも言える」

「行動で示します」

「なら、明日の朝、執務室に来い。雑用が山積みだ。読み書きはできるな?」

「はい、一通りは」

「ならいい。俺は書類仕事が大嫌いなんだ」


 彼は背を向け、手をひらひらと振った。


「期待はしていない。だが、邪魔だけはするなよ」


 バタン、と扉が閉まる。

 私はその場にへたり込んだ。

 心臓が破裂しそうだった。

 あんな風に、誰かに自分の意思をぶつけたのは初めてだったかもしれない。


 自分の手を見る。

 まだ白くて細い、頼りない手。

 けれど、この手で掴み取ったのだ。

 「お客」ではなく、「住人」としての最初の足がかりを。


 私は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

 夕日が森を赤く染めている。

 美しい景色だった。

 けれど、その森の影から、一羽の黒い鳥が飛び立ち、こちらへ向かってくるのが見えた。

 王都の方角から飛んでくる、伝令の鳥。


 胸がざわついた。

 平穏はまだ、遠い。

 私は無意識に窓枠を強く握りしめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ