第11話 封蝋の青い花
地下書庫は冷え込んでいた。
石造りの壁に囲まれた空間には、カビと古紙の匂いが沈殿している。
私はランプの明かりを頼りに、分厚い帳簿の山と格闘していた。
王都からの脅しは単純だ。
『食料支援を止める』
辺境は土地が痩せており、麦の生産量は極端に少ない。
王都からの定期便が止まれば、冬を越せずに餓死者が出る。
それが彼らの切り札だ。
けれど、本当に一方的な関係なのだろうか。
公爵家で学んだ帝王学は、常に「相互依存」を探せと教えていた。
私はページを捲る手を早める。
過去五十年分の交易記録。
輸出と輸入のバランス。
「……あった」
指が止まる。
私はランプを近づけ、その項目を睨みつけた。
『北嶺産・紫鉄鉱』そして『止血草の濃縮液』。
これらは辺境でしか採れない特産品だ。
そしてその輸出先は――王都騎士団、および王立魔導研究所。
私は思わず笑みをこぼした。
皮肉な話だ。
王都の平和を守る騎士たちの剣も、傷を癒やす薬も、すべてこの「野蛮な辺境」が支えている。
もし私たちが輸出を止めたら?
騎士団の装備は補修できず、魔導師たちは実験材料を失う。
困るのは彼らの方だ。
食料は他国から買うこともできる。
けれど、この希少資源はここ以外では手に入らない。
「ハッタリだったのね」
彼らは自分たちの首を絞めるロープを握りながら、私たちを脅していたのだ。
これなら交渉できる。
いや、脅し返せる。
私は急いでメモを取り、次の帳簿へ手を伸ばした。
食料の代替ルートを探すためだ。
王都を経由しない「闇ルート」や、独立した商会の記録がないか。
パラパラとページを捲っていた時だった。
不自然な項目が目に止まった。
『ミモザ商会』
聞いたことのない名前だ。
けれど、その取引内容は異様だった。
王都からの正規価格の半値以下で、穀物や干し肉を卸している。
しかも、支払い期限は「出世払い」と書かれていた。
商売として成立していない。
まるで、ただの寄付だ。
「……何これ」
怪しい。
裏があるのか、あるいは罠か。
私はその商会からの納品書を探し出した。
束ねられた羊皮紙の最後に、封蝋が押されている。
青い蝋。
そこに刻印されていたのは、小さな花の模様だった。
忘れな草。
心臓がドクンと跳ねた。
息が止まる。
その花を知っている。
公爵家の家紋ではない。
もっと個人的な、私だけが知っている印。
かつて私の髪を梳かしながら、侍女のマルグリットが言っていた言葉が蘇る。
『私、忘れな草が好きなんです。花言葉は真実の愛、そして――私を忘れないで』
指先が震えて、羊皮紙を取り落としそうになる。
ミモザ商会。
ミモザは彼女の母親の名前だ。
偶然にしては出来すぎている。
「マルグリット……?」
彼女は王都に残ったはずだ。
私に暇を出され、泣きながら去っていった。
けれど、彼女は私を見捨てていなかったのか。
王都という敵地のど真ん中で、リスクを冒して商会を立ち上げ、私たちを支援してくれていたのか。
視界が滲んだ。
孤独だと思っていた。
誰もが私を憎み、蔑んでいると信じ込んでいた。
けれど、糸は繋がっていたのだ。
遠く離れた王都から、細く、目に見えない糸が、ここまで伸びていた。
「……何を見つけた」
不意に背後から声がした。
ルーカスだ。
彼が夜食の載った盆を持って、階段を降りてきたところだった。
私は慌てて涙を拭い、羊皮紙を胸に抱いた。
「……勝機を、見つけました」
「勝機?」
「はい。王都への反撃材料と……私たちの味方を」
彼は私の手にある、青い封蝋の押された紙を一瞥した。
驚く様子はない。
彼は知っていたのだ。この商会が何者であるかを。
それでも何も言わず、ただ私の発見を待っていてくれた。
「書けますか」
彼はコーヒーの入ったマグカップを机に置いた。
「奴らを黙らせる手紙を」
「書きます」
私はペンを手に取った。
インクをたっぷりとつける。
もう手は震えていなかった。
「紫鉄鉱と薬草の禁輸措置をちらつかせ、食料支援の継続を要求します。そして、この『ミモザ商会』との取引を正規ルートとして承認させます。そうすれば、王都の監視下でも堂々と物資を受け取れる」
私は羊皮紙に向かった。
かつてラブレターの一つも書いたことのなかった手が、今は宣戦布告の言葉を滑らかに紡いでいく。
『謹啓、法務次官殿』
その書き出しは、貴族らしい優雅さを装いつつ、内容はナイフのように鋭利だった。
ルーカスは私の向かいに座り、黙ってコーヒーを啜った。
その目が「やれ」と語っている。
書き終えた手紙に、私は辺境伯代理の署名をした。
そして最後に、自分の名前を添えるか迷った。
罪人の名前。
けれど、これは私の戦いだ。
私はペンを走らせた。
『執務補佐官 エレナ・アルヴェイン』
それはかつての公爵令嬢としての名前ではない。
この地で生き、戦うことを選んだ、新しい私の名前だ。
「……出来ました」
手紙を彼に渡す。
彼は内容を一読し、ニヤリと笑った。
「性格が悪いな。嫌味の切れ味が抜群だ」
「最高の褒め言葉です」
「よし。明日の朝一番で飛ばす」
彼は手紙を懐にしまった。
地下書庫の冷たい空気が、今は熱を帯びて感じられた。
私は青い封蝋の羊皮紙をもう一度撫でた。
待っていて、マルグリット。
そして王都の黒幕たち。
私はもう、泣き寝入りなんてしない。
この硝子の手で、あなたたちの喉元に刃を突きつけてやる。
夜明けは近い。
反撃の時は来た。




