生きてるということ
昨日の混乱が嘘のように、渋谷には人が溢れていた。街を走る観光バスに揺られながら、ミランはミアに街の様子を説明した。
「ここが渋谷のスクランブル交差点です」
「人が一杯ね!昨日ネズミに襲われた街には見えないわ!」
ミアが窓の外を眺めながら言った。
「ネズミが出た港区は瓦礫の山になったけど、渋谷は被害が少ないですね。良かった」
抱っこ紐の中にいるマモルの様子を気にしながら、ミランが答えた。
「ごめんね、私が来たせいで付き合わせちゃって。仕事は大丈夫?」
ミアが心配して聞いた。
ミアは、昨日の昼にEUから東京の羽田空港へと到着した。だが着いてすぐに大ネズミの襲撃があったため、今朝になって兄の森田と再会したのだった。
「問題ありません。私はマモルのお世話があるから、しばらく隊員の仕事はできそうにないし」
ミアの東京観光付き添いは、獣襲撃の後処理で忙しい森田からの依頼だった。
まだあまり歩けない1歳児を連れての瓦礫処理は難しいと考えていたミランも、森田の提案を快諾した。
「ね、マモル。愛してる、愛してる」
「さっきから、どうして何回も愛してるって言ってるの?」
呪文のように愛してるを繰り返すミランに、ミアが質問した。
「子育てのためには、毎日100回愛してるって言う必要があるって、班長に言われたんです」
ミランは少し疲れた顔で答えた。
「お兄ちゃんが!?やだ、それきっとジョークだよ!真に受けちゃダメよー!」
ミアがケラケラと笑った。
「え!ジョークだったんですか!?やっぱり!おかしいと思ったんですよ、私も。でも子育てなんてしたことないから、何が正解かわからなくて。良かった、愛してるなんて、普段言わないから慣れなくて」
「日本人はシャイだもんね。お兄ちゃんはきっと、毎日100回愛してるって言うくらい、マモルのことを大事に育てろって言いたかったんだと思うよ。そのくらい、子どもには愛情が大切だから」
そう言うと、ミアはマモルにいないいないばあ、をした。
「子育てって、大変ですね。ずっと抱っこしてると肩が凝るしオムツはたくさん必要だし、夜泣きもあるし。私、マモルを育てる自信がないです」
一晩の子守りで疲れてしまったミランは、ミアに愚痴を言った。
「何言ってるの!さっきからマモルの機嫌がいいのは、ミランの愛が届いているからよ!お兄ちゃんはドケチだけど、人を見る目はあると思うわ」
ミランはぷっ、と吹き出した。
「班長は、家族の前でもドケチなんですね」
「そりゃそうよ。私達子どもの頃は貧しかったもの。今私がEU事務局で働けるのも、全部お兄ちゃんが傭兵になってくれたおかげなの」
「班長が元傭兵って話は、本当なんですね」
ミアは頷いて目線を落とした。
「うん。父が早くに亡くなったせいで、うちは本当に貧しかったから···。私が10歳の時に、お金のために村の地主のおじさんと結婚する話があったの。でも私はまだ結婚なんてしたくなかった。そしたらお兄ちゃんが傭兵になって、家族を養うって言ってくれたのよ。おかげで私は大学院まで行くことが出来て、今素晴らしい環境で働けているの。全部お兄ちゃんのおかげ。だからもう、これからは自分のために生きてって言うために、私は日本まで来たってわけ」
そう言うと、ミアは微笑んだ。
「そうだったんですね」
「でも、お兄ちゃんには余計なお世話だったみたい。これからは好きに生きてって言ったら、俺は生まれた時からずっと好きに生きてるって怒られちゃった。獣衛隊の仕事はやりがいがあるんだって。ミランはどう?仕事楽しい?」
ミアに聞かれ、ミランは思わず下を向いた。
「前は、私もやりがいのある仕事だと思ってました。でも今は···。大事な人がワニに殺されてからは、正直、自分が何のために生きているのかよくわかりません。この前も、友達にひどいことを言っちゃって、まだ謝ってもいなくて」
言いながら、ミランの瞳に涙が浮かんだ。
「そっか···。じやあ、今から一緒に謝りに行こう!」
「え!?」
ミランは驚いて顔を上げた。
「さっさと謝って、さっさと仲直りしちゃおう!生きてるってことは、未来を変えられるってことでしょう?」
◆
ミアに付き添われて瓦礫処理の現場に行くと、獣衛隊のいつものメンバーが揃っていた。
ミランはミアの後押しで凛に声をかけると、勇気を出して謝った。
「この前は、ひどいこと言ってごめんなさい」
すると凛は微笑んで首を横に振った。
「気にしてないよ。それより、マモルのお守り大変でしょう?獣衛隊にいられるのはあと少しだけど、その間で良ければ私も子育て手伝うよ。年の離れた妹がいるから、オムツくらいなら代えられるし」
「凛、ありがとう」
ミランは思わずその場で泣いた。
つられるように、凛の目も潤んだ。
「研究所に行く前に、またミランと話せて良かった。私ね、ネズミのせいで荒れ果てたこの国の街と自然を、元の状態に戻したいと思ってるの。今、研究所では国と協力して砂漠を一日でオアシスにできるような植物の研究をしてるんだよ。この研究が成功すれば、この街にももっと緑が増やせるかもしれない」
「すごい!そんなことできるの!?」
「ネズミやワニの調査もしなきゃいけないから、いつのことになるかわからないけどね」
「でもすごいよ!応援してる」
「ありがとう。ミランも頑張って。獣衛隊なら、きっとネズミやワニのいない日本を取り戻せるって信じてる」
ミランと凛は、お互いを抱きしめた。
「ミラン、良かったな」
ミランの側に来たアランが声をかけた。
「うん。アランも、ごめんね。みんなの前であんなこと言っちゃって」
「お、おお」
凛への気持ちがみんなにバレたことを思い出して、アランは頬を赤くした。
「アランも、凛に言いたいことがあるんじゃなーい?あんたの気持ちは、もうみんな知ってるんだし」
アランをニヤニヤと見ながら、ユリカが囃し立てた。
真っ赤になったアランと凛が目を合わせて照れていると、眠っていたマモルが突然泣き出した。
「あらあら、マモルがお腹空いちゃったみたい」
マモルを抱っこしていたミアが、慌てて言った。




