愛を語ることは罪に似て ― 言葉が世界を創るとき ―
0. 愛の言葉は、罪に似て
世界には、決して口にしてはならない言葉がある。
その言葉は、誰かを救い、そして誰かを滅ぼす。
――「愛してる」。
それは祝福であり、呪いでもあった。
この世界では、言葉が力を持つ。
「燃えろ」と言えば火が灯り、「眠れ」と言えば人が眠る。
だからこそ、最も強い“愛”の言葉は、命をも巻き込む禁呪とされた。
それでも――誰かを想う気持ちは、止められない。
彼女は異世界から来た。
言葉を研究する学者、エリナ・ウィスフィール。
そして、彼女が出会ったのは、声を奪われた王子、レオン・アークリード。
ふたりの出会いは、世界の文法を書き換える。
語られぬ愛が、沈黙の王国を変えていく。
「ねえ、レオン。
言葉が、世界を創るって信じますか?」
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1. 愛を語ることは罪に似て
王都アークリード。
沈黙の王国と呼ばれるこの地では、誰も愛を語らなかった。
愛を口にすれば、魂が結ばれ、どちらかが命を落とす。
それが、この国に課せられた“言語の呪い”。
異世界から来た言語学者、エリナは言葉の研究のためにこの王国を訪れた。
そして、声を失った青年――レオンと出会う。
彼は筆談で名を名乗った。
『レオン・アークリード。声を持たぬ王子です。』
彼の文字は、美しかった。
それは音の代わりに、世界を震わせるような筆跡だった。
夜、エリナは王城の書庫で古文書を読む。
そこにはこう記されていた。
『愛している――その言葉を口にした者は、
言葉の神に選ばれ、命を代償として世界を変える。』
愛が罪とされる理由。
それは、愛が“創造”と“破壊”を同時に起こすから。
エリナは迷いながらも、レオンに問う。
「あなたは、愛を信じますか?」
彼は静かに頷いた。
声を持たぬ唇が、確かに言葉を形づくっていた。
――その夜。
満月の下で、エリナは禁じられた言葉を口にする。
「……愛してる、レオン。」
光が弾け、世界が震えた。
そして、二人の姿は光の中へと消えていった。
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2. 輪廻 ― エリナ、再び目覚める ―
光の果てで、エリナは目を覚ます。
そこは、まったく違う世界だった。
言葉が、存在しない。
誰も語らず、誰も書かず、ただ“感じる”ことで通じ合う世界。
彼女は自分の名前も思い出せない。
けれど、心のどこかで誰かの声が響いていた。
『――レオン様、あなたはまだ言葉を信じますか。』
その声は、確かに“誰か”の想いだった。
夢の中で、エリナは何度も呼ばれる。
“君は言葉そのものになる”と。
そして、彼女の胸の奥で小さな光が灯る。
それは“再び語りたい”という祈りだった。
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3. 再創世 ― 言葉の海に沈む君 ―
レオンは目を覚ます。
だがそこに、エリナの姿はない。
王国は滅び、言葉を恐れる人々だけが残った。
それでも彼は、研究をやめなかった。
“愛の禁呪”――それを解き明かすために。
やがて、彼は古の碑文を解読する。
そこにはこう記されていた。
『言葉は存在を定め、愛は世界を再創する。』
そして気づく。
エリナはもう“存在”していない。
だが、彼女の“意味”が世界の文法として残っている。
彼は魔導書を開く。
そこから、微かな声が響く。
「レオン……まだ、研究しているのですね。」
その声は、彼の心に直接届いた。
彼女はもう“言葉”そのものになっていた。
「私たちは、もう世界そのものですね。」
レオンは涙を流しながら、ページを閉じた。
その涙が落ちた瞬間、世界がまた、語りはじめた。
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4. 沈黙の果て、或いは語りの終焉
世界に音が消えた。
人々は言葉を恐れ、沈黙の時代が訪れる。
けれどレオンだけは、まだ彼女の声を聞いていた。
風が吹くたびに、ページがめくれる音がした。
それが、彼女の囁きだった。
「今度は、あなたが語られる番です。」
彼は理解する。
自らが“言葉”として彼女に還る運命を。
最後の力で彼は呟いた。
「ありがとう、エリナ。」
その瞬間、彼の身体は光の粒となって散り、
“語り”となって世界へと溶けていった。
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5. ― 言葉のない世界で ―
千年後。
言葉のない世界に生まれた少女、セラは、
古びた詩集の中から一つの物語を見つけた。
それは、エリナとレオンの記録だった。
彼女が声を上げ、最初の一節を読み上げる。
「――愛を語ることは、罪に似て。」
空気が震え、風が吹く。
沈黙していた世界が、千年ぶりに“音”を取り戻す。
語られた愛が、また世界を創る。
そして人々は知る。
沈黙は愛の始まりであり、
語りはその果てであると。
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【完】
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