第24話 狼と鹿 其の一
「あそこか?」
「ああ、この屋敷から匂いがぷんぷんするぜ。二階、左の部屋が特に匂うな……昨日の猪肉の蒸し焼きの残り香だ」
小次郎たちは通りを挟んだ向かいの屋敷を見つめる。通行人から見れば、犬を連れた二人の田舎者が話しているだけに見えた。
「ひったくりの根城にしては豪華だなぁ」
小次郎がポツリと感想を述べる。優美な曲線を描く鉄柵に囲まれた屋敷の前庭にはさまざまな花が植えられ、豪商か堀のない地方豪族の住まいのように見える。目を凝らすと、赤い線が屋敷を伺っていた。
「この屋敷を探っているのは俺たちだけじゃない様だ」
小次郎は後ろを振り向き、声を潜めてベルと五郎に言う。
「あの高い櫓のような建物、右手の辻、そして屋根に見張りがいる」
それを聞いた五郎はトボトボ歩き出し、あちこちの匂いを嗅いで小便をかけながら辻へ近づく。辺りを一周して小次郎の元に戻った。
「けっ、最近、人だったこと忘れそうになるぜ。小次郎、辻には侍が十人ほど控えてる。役人だな。大捕物が始まりそうだ。どうする?」
小次郎は、最良の状況にするための動きを頭の中で描いた。捕物が始まった場合、櫓や屋根からの飛び道具、陰になる場所、相手の人数、屋敷の反応――あらゆる可能性をシミュレーションする。
「旦那さま、大丈夫だべか? 顔色変だし、どごか具合でも悪いんでねが?」
考え事で魂が抜けたような主人の姿を心配し、ベルグランが声をかけた。
「ああ、大丈夫だ。だが中の奴らの正体が見えん。性に合わぬが、ここは一か八か正面から乗り込む。ベル、修羅場になったらあの壁の陰に隠れろ。後ろからの攻撃は避けられる。敵が押し寄せたら盾で耐えろ。従者であり続けたければ、防戦に徹するのだ」
「わかってるだ。旦那さまの言いつけ、しっかり肝に銘じてるだ」
小次郎は、ベルには派手な立ち回りより地味な防戦を主とした戦い方が合っていると思った。
「絶対に自分から仕掛けるな。挑発に乗るな。切り込むな。まず盾で受けろ。敵が崩れた時、一度だけ打つ。追撃しようなどと思うな。すぐに盾を構えろ」
調練の時、中盾を使い、これを徹底させた。
「行くぞ、ベル、五郎」
「はいです」
五郎の返答は無かった。小次郎は不審に思い横を見ると、尻尾を巻いて逃げる犬の後ろ姿があった。頬がピクリと上がる。
「所詮はごろつき上がりの犬か。取り消しな。やっぱチャランポランだ」
五郎の行動に小腹が立った小次郎は、つい不満を口に漏らした。しかし直ぐに気を取り直して、屋敷の方を向き門をくぐる。
その時、通りを挟んで向かい側から、かすかだが、長い口笛のような音が聞こえた気がした。
◇ ◇ ◇
屋敷の外からも内からも注目され、小次郎は正面から堂々と歩く。複数の赤い線が小次郎に注がれた。
(ドンドン)
「頼もう! 拙者、佐々木小次郎と申す。訳あってご主人に目通りいたしたき儀あり。お取り次ぎ願いたい」
(ドンドン)
両開きの扉がわずかに軋むように開く。中の者たちは飛び道具を警戒して身を固くしていた。
「何の用だ。主人は留守だ」
「ここにある鍵付き魔導書を返してもらう」
男は一瞬答えに窮した。
「……いや、そのような物はない。帰れ」
小次郎は方便を思いつく。このテラリミナスでは種族問わず、鍵付き魔導書に対して異常な警戒心を持っていることを思い出した。
「あの魔導書は、明日までに故人が指定した人に渡さないと、大爆発するように魔法をかけてある。二階の左側の部屋は跡形もなく吹き飛ぶだろう」
対応していた男は驚いた。魔導書を置いてある場所を、この奇妙な格好をした男が言い当てたのだ。扉の向こうが騒がしくなる。
“六人…か”
小次郎は足音と気配を数え、息を殺しながら人数を確かめた。
「鎮まれ。その者を通せ」
「しかし、殿下」
“殿下だと? 王都のお偉いさんが襲われた話といい、この殿下が魔導書を奪う理由といい、事態は単なる追跡劇ではないな”
「ベル、ここで待て」
ベルの顔も緊張している。
小次郎はベルグランを外で待機させ、一人、殺気が渦巻く屋敷に入った。どの騎士も小次郎に突き刺すような赤い視線を向ける。その中で一人、殺気のない緑色の光を纏った人物が正面の階段に立っていた。その者は自分と同じくらいの年齢の男。変装用なのか、他の騎士と同じ地味な長い外套に身を包む。しかし、そこはかとなく流れる貴賓さで、『殿下』本人であることがすぐに分かった。
「殿下の御前であるぞ、跪け」
隊長格らしき人物が小次郎に迫る。しかし小次郎は動じず、ゆっくりと声を出した。
「殿下という名は伏せた方が良いのではないか。一国の公子がひったくりに加担したとあっては、名折れであろう」
「「貴様」」
騎士たちが一斉に色めき立つ。その中の血気の多い者が一人、剣を抜き小次郎に襲い掛かった。鍛錬は積んでいるようだが、小次郎の前では凡斬。左足を引き、剣を避け、長光を逆手で抜くと刃は頚動脈皮一枚で止まった。
その一瞬の剣戟で小次郎は場を制した。僅かな沈黙のあと、階段に立っていた男が口を開く。
「悪るかった。その者の無礼は私から謝罪する。剣士殿の名前は、剣士殿を何とお呼びすれば良いか」
「お互い、一時の交わり。ここは本名を明かさぬ方がいいだろう。狼とでも呼んでくれ」
「では、私のことは鹿と呼んでくれ」
”この男、気が合うな”と小次郎は直感した。自分のことを鹿と表現した男に弱さは全くない。深い森の中、澄み切った湖の畔に佇む雄々しい牡鹿の雰囲気を感じる。鹿は騎士に指示し、魔導書を持ってこさせた。
「実のところ、魔法使いが負傷していて、扱いに困っていた」
そう言って小次郎に魔導書を返す。
「さて鹿殿、外に駄犬が群れているようだが?」
これを聞いた鹿は自嘲気味に答える。
「門前の番人は、まいたのですがね。ここを駄犬に嗅ぎつけられていたようなんですよ。出るに出られない状態です」
「ここを出られれば良いのだな?」
「ええ、ここを突破すれば後は何とかなります」
「ほう」
小次郎は周囲の騎士を見渡し、着ている外套に目をつける。
「一着、外套を貸していただきたい」
それを聞いた鹿は直ぐに小次郎の考えを理解した。
「狼殿に外套をお渡ししろ」
この言葉に騎士の一人が、僅かな抵抗を示す。
「しかし、殿、いや鹿様、この外套は…」
「構わないではないか。それとも狼殿に敵う者がこの中に一人でもいるか?」
鹿の指摘に騎士たちは下を向く。
「アレン、確か一着、予備があったはずだ。持ってきてくれ」
隊長格らしき人物が部下に命じ、予備の外套を小次郎に渡した。意外にも丁寧な対応だった。
騎士たちの視線が僅かに固まる。息を潜める空気の中、小次郎は外套を整え、手ぬぐいで顔を隠した。
「加勢しよう」
扉が軋み、わずかに響く音が屋敷内に反響する。屋内の騎士たちの視線を背に受け、小次郎は静かに屋敷の外へ踏み出した。その背中には、屋敷内の者たちにとって頼もしい援軍の気配が漂っていた。




