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第23話 州都の門前騒動

「俺の名前は五郎。江戸じゃ、ちーっと名の知れた飛脚だ」

「飛脚? なんで、犬の姿なのだ?」

「よくぞ聞いてくれました。そりゃ、もう聞くも涙、語るも涙の物語で……」


 焚き火の前で五郎は、芝居がかった仕草で前足を拭い、小次郎に向かって語り始めた。


「目が覚めたら真っ暗闇よ。行灯の一つもありゃしねぇ。ジメジメしててよ、まるで梅雨時の長屋の押し入れだ。そこに女が一人いたんだが、俺の鼻は誤魔化せねぇよ。声は猫撫で声だしてるが、ありゃあ間違いなく、俺のお袋より年寄りの、皺くちゃババァだぜ!」

「……ババァ、か?」


 小次郎は怪訝な顔をした。彼の記憶にある黄泉の国の女は、漆黒の闇の中ゆえ、姿こそ見えなかったが、その声は二十代後半から三十代の、凛とした高貴な女性の響きを持っていたからだ。


「へっ、間違げぇねぇ。暗闇で誤魔化そうとしてやがったが、俺の鼻にゃあ全部お見通しよ。塗りたくった白粉おしろいの匂いと、腐った古漬けみてぇなえた体臭が混ざって、鼻が曲がるかと思ったぜ」


 五郎はブルリと体を震わせ、嫌悪感を露わにする。


「俺ァ、つい親切心で言ってやったのさ。『お婆さん、ここちょいと饐えた臭いがしやせんか? ぬか床でも腐らせたんじゃねぇのかい? もっと換気しねぇと、男も寄りつかねぇよ』ってな」

「……お前、初対面の老媼(ろうおう)にそれを言ったのか?」

「てやんでぇ! 俺は嘘がつけねぇ性分なんだよ! そしたらそのババァ、図星だったのか機嫌を損ねやがってよ。『ここは死者の国だから仕方ない』なんて言い訳しやがる。で、話を聞いてりゃ、いい歳こいて、『旦那に逃げられた』ってメソメソし始めやがった」


 五郎はフンと鼻を鳴らし、尻尾をピンと立てて胸を張った。


「だもんで、江戸じゃあ『流し目の五郎』と噂された色男としてだ、ちっと助言してやったんだよ」

「……お前が、色男?」


 小次郎は胡散臭げな目を向けたが、五郎は気にする様子もなく続ける。


「『旦那が逃げた? そりゃお婆さん、あんたがそんな厚化粧で正体隠して、ジメジメ陰気くさいから愛想尽かされたんじゃねぇのかい? 男ってのはな、愛嬌のある若ぇ女のところに帰りてぇもんなんだよ!』ってな」

「……」


 小次郎は、返す言葉を失った。それは、怒りを買うに十分すぎる暴言である。


「そしたらどうだ! いきなり雷みてぇな大声出しやがって、ヒステリーを起こしやがった! 挙句に『鼻をよこせ』だ『犬になって出直して来い』だと、理不尽な八つ当たりだ! ……ってことで俺はこの姿さ。大姫は心が狭いぜ、まったく!」


 五郎は「やってらんねぇ」とばかりに、後ろ足で耳の後ろを掻いた。

 小次郎は腕を組み、五郎の話を反芻する。


 ”……俺は、あの時、頭を割られて死にかけていた。あの高貴な声も、威厳ある気配も、薄れゆく意識が見せた都合の良い幻聴だったのかもしれぬ”


 小次郎は、五郎の自信に満ちた言葉と、自身の曖昧な記憶を天秤にかけた。五郎は「鼻」という確かな感覚でその場の「腐臭」と「厚化粧」を感じ取っていた。対して自分は、目も見えず、痛みで朦朧としていた。


 ”なるほど。暗く湿った洞窟に住み着き、 厚化粧で若作りをした、情念の深いいにしえの怨霊。夫への未練を断ち切れず、そこへ土足で踏み込んだ五郎の無神経さが、その女の逆鱗に触れたというわけだな”


 黄泉の国に巣食う、強力な怨霊の(ぬし)。神秘的なイメージは霧散し、代わりに「神経質な厚化粧の老婆」という、あまりに関わりたくない人物像を思い浮かべた。


「いや、しかし、それはお前が悪いだろ。他人の古傷を塩で揉んだようなものだぞ」

「そうかねー。……ちぇっ、本当の事を言っただけなのに、女ってのはこれだから怖ェ……や」


 五郎は、突然、何かに怯えるように森の暗闇に目を向ける。小次郎の方はそれを気にすることなく、冷えを感じて薪をたした。


「早く見つかるといいな。お前の主人」


 その言葉に五郎は驚き振り返った。


「ちょっと待った。小次郎じゃねぇのか?」

「さっき言った通り、俺は用心棒だ。お前の主人じゃない」

「えーあいつはどうなんだよ。さっきお前を旦那様と言っていたぞ」


 大いびきをかいて寝ているベルグランに鼻を向けた。


「ベルには荷物を運んでもらっている。州都までの付き合いさ」

「そんな仲か。そうそう、俺も飛脚だ。デッカい荷物は運べないが、手紙なら届けてやるぜ」

「考えておく。さあ、もう寝ろ。明日はいよいよ州都だ」


 ワンワンと吠える犬を相手に喋る侍という、シュールな構図である。


◇ ◇ ◇


「けっ、なんだ。この行列は。勘弁してくれの神田橋」


 五郎がぼやくのも無理はない。州都に入る門の前は途轍もなく長い行列になっていた。小次郎もその長さに辟易した。


「ちょっと、待ってろ。こういう時だけは犬の姿が役に立つぜ」


 五郎はわざとトボトボ歩いて先頭へ行った。その姿に誰も気に留めない。


「今日は如何したんですか」


 行商人らしき人物が、見知った兵士と話している。


「ああ、王都からお偉いさんが来てな。ここに来る途中で襲われたらしい。それで出入りを厳しくしている。お前たちにも迷惑をかけるけど、こっちもえらい迷惑だぜ。ああ、今のは内緒だ」


 行商人が軽く頷くと、兵士は横で伏せている五郎に目をやった。五郎はすかさず起き上がって尻尾を振り、「ワン」と吠える。


「お前も、待ちか。大変だよな」


 兵士はしばらく頭を撫でるが、商人を待たせているのを思い出して五郎に行けの仕草を送る。五郎は喜んで走り出すように見せた。


「ちっ、やってられねぇぜ。これで江戸っ子の面が立つかよ!」


 自分で買って出た役だが、中年の男に尻尾を振って頭を撫でられたことに自虐的に悪態をついた。


「だが、あのオッサン、撫で方ァ悪くねぇんだよな…チクショー!」


 そして小次郎の所に戻ると、今聞いたことを伝えた。


「大人しく待つしか無いな」


 ベルグランは、犬がワンワンと声を上げて、それに頷く小次郎を不思議そうに眺めていた。すると突然小次郎が振り返り、少し驚く。


「ベル、後ろ、二組後ろに怪しい集団がいる。気をつけろ。振り向くな」

「は、はいです。大丈夫です」


 小次郎はベルグランの肩をポンポンと叩いて労った。二人は自分たちの番が来るまでじっと待っていたが、五郎はどこかへ行ってしまった。


 日が中天から傾いたころ、やっと小次郎達の番になった。


「身分証は? 入城の目的はなんだ?」


 小次郎は穴に紐を通して印籠のようにしている小さな金属の板を見せた。ステラから貰った、四段の証である。


「近接四段だと」


 兵士は身構える。地方では四段は既に達人と見なされている。


「目的は?」

「ある方が客死されて、その人の遺言で遺品を持っていくところです」

「ああ? 誰が客死して、誰に持っていくのだ?」


 その時、後ろの兵士が、ベルグランが背負っていた荷物を検分していた。


「隊長、鍵付きの魔導書だ。此奴、鍵付きの魔導書を持っています」


 辺りが騒然となる。列を待っていた人々は三歩ほど下がり輪が広がった。小次郎は、その時プエラの言っていたことが決して大袈裟ではないと改めて思った。


「おい、大きい熊耳、お前魔法使いか?」

「違うだ」


 今度は小次郎に向かい詰問してきた。


「お前、近接職だよな。魔法職も持っているのか?」

「いや、拙者は魔法は使えない」


 小次郎が答えると、兵士はつま先から頭までなめ回すように見て、怪訝な顔をした。


「怪しいな。ちょっと来て貰う」


 小次郎は取り囲まれた。抜け出すのは容易いが、関所破りとなれば州都内での人探しに支障が出る。話しが拗れるようなら、ステラ・マトゥティーナ ギルド支部長に取り次いでもらうことを考えた。

 小次郎がそんなことを考えていると、後ろから魔導書を抱え駆け抜ける幻影が視界をかすめた。反射的に目を凝らすと、直後に実体が現れる。兵士から魔導書を奪った者は、他の兵士の間を人ならざる速さですり抜け、空中高く跳ねて小次郎の頭上をかすめ、城内へと駆け込んだ。


「なっ! あいつを捕まえろ! 魔導書を取り戻せ!」


 隊長は血の気を失ったように叫び、部下たちに命じる。兵士のほとんどは迷わず城内へと追跡に走った。検問所にはわずかな人数しか残らない。


 その隙を突くかのように、どこからともなく声が響いた。


「「「城門が開いたぞ。中に入れる」」」


 群衆は瞬時に反応する。今夜はここで野宿も覚悟していた人々も、声を聞くや否や我先にと城門へと殺到した。残った数人の兵士は、もはや制止することもできず、ただ群衆が通り過ぎるのを見守るしかなかった。


 小次郎はベルグランの肩を軽く叩き、低く囁く。


「ベル、本を追うぞ」


 そして二人は、群衆に紛れて城門をくぐった。


◇ ◇ ◇


「ワンワン」


 小次郎達が追っていた兵士達とは別の道で柴犬が鳴いている。小次郎は兵から離れて五郎の所へ歩いた。


「あっちじゃねぇよ。あいつら、撒かれてる事に気づいてない」

「分かるのか?」

「ああ、昨日の蒸し猪肉の匂いはこっちだぜ。猪の匂いに猪突猛進ってな。伊達に大姫様の鼻ァもらっちゃいねぇぜ」

「ほう」


 小次郎は感心した。昨日まではチャランポランな奴だと思っていたが、先ほど兵士から情報を拾ってみたり、匂いを嗅ぎ分けたりと、自分の特性を活かした所は刮目に値すると考えを改めた。


 そしてもう一人、懸命に着いて来てくれたベルグランには言っておかなければならないと思った。州都までの約束で、これ以上危ないことに引き込むのは気が引けた。


「ベル。お前が運んでくれて助かった。飯はうまかったし、旅も楽しかった。ここからは、ちょっとややこしい修羅場になりそうだから、ギルドで待っていてくれ」


「おら、ついていきたいだ。おら冒険者だ。修羅場もなれでる。まだまだ、たりねぇども、どうか、おらを弟子にしてくなんせ。いや、従者として使ってくなんせ。しゅーれんも励むだ。だめなところがあらば、かえったりもすっだ。どうか、おらをご一緒させてくなんせ。たのむだ」


 ベルは、剣術に関しては勘が悪い。しかし直ぐに剣の振り方に飛びつく奴は、勘が良くても伸びない。その点、ベルは愚直だ。柔軟をしろと言えば毎朝毎晩、時間があれば前屈をやっている。剣をこう振れと言えば、飽きることなくそれを繰り返す。剣術には愚直に何度も繰り返すことが最も重要だ。


 すると五郎が口を挟む。


「俺は料理は作れねぇぜ。犬だからな。それに飯は美味いに越したことはない」


 小次郎は少し考え、答えた。


「そうか、なら従者を養えるだけの仕事をせねばなぁ」


 小次郎が踵を返して歩き出そうとすると五郎が吠えた。


「小次郎、こいつ鈍感だからわかってねぇじゃねぇの」


 小次郎は振り向き、ベルグランを見た時、五郎の言葉を理解した。ベルグランの顔はまるで親の仇でも見るような、真剣で深刻な表情のままであった。


「ベル、行くぞ! パスコ先生の本を取り返しに」


「ハイです」


 ベルグランの顔がパッと明るくなった。


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