第22話 猪と魚と柴犬と
【遠つ国日記 慶長十七年六月二十日】
異国において、食の話題は尽きぬ。
このたび、ジャイアントボアなる巨大な猪を狩り、口にすることができた。五郎という同郷の転生者を追い回していた獣で、土魔法を操り岩を飛ばす姿には肝を冷やした。だが、ドッティニの火牛のように皮膚が硬いわけでもなく、プエラが言う縮地・神影瞬歩が身についていたためか、思いのほか苦労なく仕留められた。刀一本で猪を倒すなど、日ノ本では考えられぬことである。
従者のベルグランは、かかる獣を捌くことに長け、塩と香辛料を振り、森で摘んだ香草で包んで灰の中に蒸し焼きにした。これが実に美味にて、臭みもなく香りもよく、猪鍋とはまた違った味わいを楽しめた。ここにエールがあれば申し分なかったが、野宿の身ゆえ望むべくもない。
また、川にてマスに似た魚を得て、塩を振り串焼きにしたが、これも良い味でありし。ただし見た目が似ていても、魔獣に近い魚は身が崩れて不味いという。その見分け方をベルに教わった。彼の知識は実に豊かで、料理において天賦の才を持つのではなかるべしと見る。もっとも本人も武術の鍛錬に励んでいるゆえ、その事実は胸の内に留めておいた。【了】
焼いたジャイアントボアを取り分けているとき、川で溺れていた柴犬がその臭いに誘われて息を吹き返した。直ぐにベルグランの所に行き、食べ物をねだる。
「だめだ。こいづぁご主人様の分だ。おめには残った骨くれてやっから、あっち行ってろ」
(ワン、ワン、うーわん! いい匂いすんなぁ、腹ぺこだぜ!)
五郎は尻尾をブンブン――まるで小さな風車のように――振って意思表示するが、ベルには通じない。心の中では「へっ、誰がこんな端くれをねだるか!」と思っているのに、体は自動的に首をかしげ、卑屈な目つきでベルを見上げてしまう。
「だから、だめだって。おめには、ほれ、こいづやっから」
ベルグランは骨を柴犬の前でヒョイと掲げ、パッと遠くに投げた。彼は、「こんなに尻尾振るんだから、よっぽどこの遊びが好きなんだべな」と独りごちた。
すると柴犬はダダダダダッと猛ダッシュでそれを追い、飛ぶように駆けて行く。
「ちくしょう、この体ァ勝手に動きやがる! この足の速さだけは健在だぜ! ……でも骨うめぇんだよな」
五郎は声に出したつもりだが、ベルには聞こえない。そして、骨を加えてベルの所へ戻ると、頭を撫でられる。
「だからよ、やめろってんだ! ……くぅ、頭撫でられると悪い気しねぇけどよ」
しかし、ベルグランには尻尾を振って喜んでいるようにしか見えなかった。
「おめ、かすぇえな。んじゃ、もっぺん」
シュッと骨を投げると、五郎は「ワン!」と吠えて、またダッシュで追いかける。
そこへ小次郎が戻ってきた。夕方の鍛錬を終えたところだった。
「ベル、賄いを作ってくれてありがとうな。明日の朝は剣の相手になってやるから」
「旦那様の食事作んのも従者の勤めだぁ。明日の朝はよろしく頼むす」
ベルグランは気の良い奴だと小次郎は思った。そこへ柴犬が骨を咥えて尻尾をブンブン振りながら戻ってきて、小次郎を見つけるとポトリと骨を落とした。
「あっ、あんたァもしや、日ノ本の方じゃねえか? ……おぉ、やっとまともに話せる奴がいた!」
五郎は小次郎に語りかけた。
「これ、旦那様にそんな吠えかけっとわがんねぞ。静かにしろ。でねぇと飯やらねぇぞ」
ベルグランには「ワンワン!」としか聞こえない。
「うん、そうか、こちらの世界では、柴犬も喋るのか」
「えっ、旦那様、この犬っころ喋んねっすよ」
「いや、今、喋ったぞ」
「そうさ、今喋ったのは俺よ! こっちの世界の連中には俺の言葉ァ通じねぇらしい。……チッ、もどかしいぜ」
ベルグランは、また柴犬の目の前で骨をひらひらと回して見せる。
ヒュンヒュン…クルクル…
それに釣られて五郎の目がキラキラ、体もクルクル回ってしまう。
「ああー畜生め! 楽しくなっちまうじゃねえか。……けど回るの気持ちいいんだよな!」
「ほら、取ってこい!」
ヒョイッと投げられると、五郎はダッと駆け出す。
「なんだ、あいつ」
小次郎は騒がしい柴犬に首を傾げた。
「相当遠くに投げたので、犬っころ当分戻ってこれねべ。このあいだに食ってみてけろ」
木の皿に盛った猪肉の蒸し焼きを小次郎に渡した。
「これは美味い。初めて食べる味だが、この塩味と香りが格別だ。しかし、犬には申し訳ないなぁ、ハハハ」
「だいじょぶだぁ。切り残した生肉まだ有るだ」
(ワン、ワン! タタタタッ!)
「おい、俺を出し抜こうなんざ無駄だぜ! ……腹減ってんだ、必死にもなるわな」
ベルグランは背後で鳴く声にギョッとした。
「えー、なんでこんなに早ぐ戻ってくんだ」
「お侍さんよ、こいつなんとかしてくんな。……俺ァもうクラクラだぜ!」
ベルグランはまた骨を拾ってクルクル回す。
ヒュンヒュン…クルクル…
すると、五郎もクルクル回る。
「楽しいんだよな、これが……いや違ぇ! ……いや、やっぱ投げろ!」
「ベル、どうも其奴は俺の同郷のものらしい。どう見ても犬だが」
「えー、そうなんすか。この犬っころは旦那様の使い魔かなんすか?」
「早く投げろ……いや違ぇ! ……いや、やっぱ投げろ!」
「使い魔ってなんだ?」
「いいから、まずこいつを止めてくれ!」
小次郎に言われて、ベルグランはやっと骨を地面に置いた。
「あああ、やっと解放されたぜ。もう意地なんか張ってられっか! 腹ァ減っちゃあ戦はできねぇんだ! ……ついでにその肉よこせや。この世界来てから、まともな飯にありついてねぇんだ。」
小次郎の皿に鼻を寄せて食べようとする犬を見て、ベルグランは止めに入った。
「おめのはこれだ。それは旦那様の分だ」
「いや、ほんとに、こいつを止めてくれ。頼むからよ! ……腹減って正気保てねぇ!」
「ベル、大丈夫。此奴はこれを食べてみたいらしい」
小次郎は、肉を一つまみとって柴犬にやった。
「ああお、火ィ通った肉だ……ちくしょう、うめぇな。涙ちょちょ切れらぁ! ……やっぱ人間の飯は最高だな」
「ところで、お前、一体何なのだ?」




