第15話 魔法の世界
小次郎は、離れたテーブルで牛乳を飲むパスコのもとへ歩み寄った。
「何じゃ、儂に聞きたい顔つきじゃな。それは儂も同じじゃ。さながら、法則を解き明かしたい学者と、その現象を見た証人という構図じゃ」
軽口のように聞こえたが、パスコの目は笑っていなかった。小次郎は胸の奥に小さな緊張を覚える。
「パスコ殿、ワイバーン討伐の時、拙者に氷の槍を放とうとしましたか」
「ふむ、そうじゃ。それを答えるには、そなたも儂の疑問に答えねばならぬ」
禅問答めいたやり取りに、小次郎はわずかに眉を寄せる。
「では、単刀直入に聞く。お主、魔法が見えるのかのう」
胸の鼓動が跳ねる。小次郎は思考を巡らせる。
“ウェリスが教えたのか……いや、言葉の響きはパスコ自身の気づきだ”
「えーっと、どういうことですか」
「そうか、簡単には明かせぬか。無理もない。ならば、儂の思った論理を順に話そう」
パスコは昇段試合の顛末から語り始めた。
「まず違和感を覚えたのは、ステラが突風を放った時じゃ。通常なら客席まで吹き飛ぶ。ステラの得意技ゆえにな。そして会場全体に掛けられた防護魔法で怪我を免れるはずじゃった。しかしお主は発動を避けた、まるで前もって知っていたかのように。中途半端に避けたせいで壁に激突したがの」
小次郎は試験会場の薄緑の膜を思い出す。あれが防護魔法だったと気付き、無意識に柄へ手を添えたくなる衝動を抑えた。
「次に湖でのワイバーン討伐じゃ。儂が長く呪文を唱え杖を振るのを見せたが、儂ほどの術者にはあれしきの魔法は無詠唱で瞬時に発動できる。あの詠唱は儀式的な擬装に過ぎぬ。同じく火球も然り。それで試したのじゃ。無詠唱での『アイスクルランス』を ……… 」
パスコはミルクを含み、白い口元のまま続ける。
「儂は顔を向けず、呪文も言葉も発さず、杖も指先も動かさなんだ。それでもお主は的確に羽の影へ移動した。偶然かのう?」
“あの時、確かに無音で魔法が発動した。そして、あの線はパスコ殿から伸びていた……!”
小次郎が氷の槍の発動前のことを反芻した時、パスコの頭上に紋が浮かび、小次郎の頭を貫く線が走った。身体が勝手に反応し斜めに身を捻る。直後、氷の欠片が背後の男の手から、木製ジョッキを弾いた。(ガシャーン)と乾いた破片音が響く。
「偶然ではないようじゃ」
小次郎は体勢を戻し覚悟を決める。胸の鼓動は早まっていたが、声は静かだった。
「如何にも。拙者は魔法の発動と向けられる方向が見える」
「おお、やはりそうか。どのように見えるのじゃ?」
「模様が見える。文字や図形が円を描くように並ぶ……魔法によって違う」
小次郎は日記を開き、描き付けた図形を示した。ページを指差すその動作に、指先がわずかに震えているのを自覚する。
「お主、本当に魔法の無き世界から来たのか? これは古代エルフの失われし大賢者の紋じゃぞ」
パスコの声に驚きと興奮が混じる。小次郎は内心で眉をひそめるが、パスコは勢いを増して話を進める。
「さて、ここで学術的に整理しようかのう。観察対象たる魔術現象としては、空間構造、起動言語、意図統合、供給経路の四因子がある。お主が見た『紋』は、この意図統合の瞬間に発生する具現化された術、すなわち魔法紋じゃ。古代エルフの儀式呪術は、空間構造(魔法陣)と起動言語(詠唱)を重畳し、長時間の意図統合(位相安定)を得、これを以て強大な結果を導いた。じゃが、長詠唱は敵に術の露出を生み、対抗者が逆相呪術を準備する余地を与えてしまう」
小次郎は少し面食らい、メモを取りたくなる衝動に駆られた。用語の一つ一つが新しく、しかし明瞭に魔法の仕組みを説明していると思った。日記の新しいページを開いて言葉を書き込むが、その顔には困惑の色が浮かんだ。
一方のパスコは、一気に喋ったせいか、一息つき、ミルクを飲む。そして小次郎の理解が追いついていないことを察知して、かみ砕いた説明を入れる。
「要は、長い呪文を口に出して唱えれば、相手に対抗策と取られるという事じゃ。ほれ、剣術で、突きをしますと言ってから、突く奴はおらぬじゃろ?」
小次郎は合点が行った。
「六大元素の概念は既に知っているか。水・火・風・土・光・闇。各元素間には相克関係が存在し、これを『環状打破則』と言う。即ち水は火を抑制し、火は風を制し、風は土を攪乱し、土は水を封圧する。光と闇は直交軸上で互いに干渉し打ち消す。等量の魔力と逆相呪文で、術を無効化できる」
小次郎は言葉の一つ一つを反芻し、眉を深く寄せる。この部分は陰陽五行説をかじったことがあるので少し理解できた。しかし、それにはない『術を無効化できる』という部分に強く興味が湧いた。
そしてパスコは学者の確信が滲んでいた口調で続ける。
「この『対消滅の理』は実践面でも決定的じゃ。ゆえに術者は発動プロファイルを秘匿し、低エクスポージャーを目指して無詠唱へ到達する。だが無詠唱も万能ではない。もし観測可能な『紋』を以て術を把握できたら、逆相に変換することで対抗できる余地が残るのじゃ。しかし、その紋はこの世界でこれまで大賢者以外、観測したものはおらぬ」
小次郎はページに図を添え、手早く走り書きする。新たな語彙が次々と頭に入っていき、思考が跳ね回るのを感じた。パスコは小次郎が書き終えるのを待って、掌を前に出し、短い呪文を唱えた。
「水よ出よ」
パスコが手のひらを開くと、言葉と違って小さな炎が灯った。小次郎は思わず息を呑む。
「これが『囮呪文』じゃ。別の詠唱を人工的に操り、敵の認知を攪乱する術式群である。これは情報操作の一種であり、戦術的な欺瞞として機能する。今、水を出す呪文で湧いた小さな炎は、まさにそれの例じゃ。さて、お主には魔法紋がどのように見えたのじゃ?」
「…円形の文字のような図形が見えた」
「うむ、やはりな。古代エルフの紋で『暖かな小さな炎』と読む。魔法による対戦は欺きの歴史でもある。だが、お主は、偽物であることを見抜いた。お主には真の魔法の姿が見えておることになる。これは対消滅に匹敵する、いや、それを超える発見かもしれぬ」
パスコの目が輝いた。小次郎は胸にかすかな震えを感じつつ、その視線を正面から受け止め、ノートへ更に細かくメモを取った。『対消滅』と『真の魔法の姿が見える』という部分に下線を何度も引いた。




