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夢を見たら殺人事件に巻き込まれていたなんて

作者: mura

 2045年6月1日 宇都宮

「またこの夢か」

と、アキラは思った。トイレを探す夢をよく見るのだ。大抵、ビルの中を彷徨っている。今回はどうやら大学の研究棟といったところだ。こういう建物の場合、階段近くか端っこの出入り口近くにトイレはあるものだと、根拠の薄い自信を持ってそちらの方へ向かっている。そら、ここに‥‥違った。オフィスだった。書類を入れる肩ほどの高さの鉄庫がずらりと並んだ先にパーティションで仕切られた執務室が見える。明らかにトイレではないのだが、ズンズン進んで行くと、執務室の奥にドアがあって、トイレだった。男用の便器が二つ左に並んで右には個室が二つあった。男用の方へ進むと、いつの間にか洗面台に変わっている。流石にここではと、個室へ入ると、少し汚いが掃除すればなんとかとぼやきながらことを進め、用を足し始めてほっとすると、目の前にはデスクワークに励む人々が‥‥目が覚めた。5時40分、起床にはまだ早かったが、目が覚めてしまうとトイレに行きたくなるものだ。仕方なく用を済ませ、乾いた喉を冷えっ冷えの炭酸水で潤し、またベッドに戻った。考えてみれば、トイレに行く夢をみてもオネショをしなくなったのは何時頃だったろうか。記憶にないが、幼稚園の年長さん位の頃だったか。

 アキラには、小さい頃から夢の中でも触覚が生きていた。校庭で野球をする夢であれば、打席に立って空振りをすれば、その感覚があったのだ。こんなこともあった。小学校の4年生頃だったか、自分の足元辺りをとっとっとっと‥‥何かが歩いている。布団を介してだが猫とか犬とかそういう類のものと確信した。起き上がって見ようとしたが動けなかった。また金縛りだと思った。とっとっとっ‥‥と顔の方へ向かって歩いてくる。ど

んどん重くなってきた。動けない。

「ハア‥‥ハア‥‥」

荒々しい息遣いが顔にふき掛かる。

「この野郎」

 渾身の力を振り絞って、そいつを押し飛ばした。スッと軽くなって、気配がなくなった。八畳の和室のどこを見渡しても何もいなかった。夢とうつつの間だったように思うが、この時は聴覚も生きていた。

 そんなことを思い出していたら、7時を回っていた。ぁーあっと、起きるか。家中の雨戸を開けてっと、物は試しと庭の一角で始めた家庭菜園やグリーンカーテンに水をやってと。

「おー、春菊がいい感じだ」

 一束分くらい収穫できた。それと、郵便受けから新聞を取ってこなきゃね。これが毎朝のルーチンだった。そうだ、今日は芝刈りもやらなきゃな。

「ウィーン‥‥」

 全自動の芝刈り機がちゃんと動き出したようだ。そう、今や、やりたいことを頭の中で念じれば、スマホのAIが探知し、実行してくれるのだ。この機能は障害者や高齢者などのコミュニケーションにも一役かった。こう話したいと思ったら、スマホが瞬時に文章化して表示し、読み上げてくれるのだ。シリの頃は私のように発音が不明瞭だと伝わらなかったが、念じれば済むのだから、実に便利な世の中になったものだ。

 さてと。屋内に戻り、朝飯の支度を始めた。味噌汁は干瓢と切り干し大根と春菊にしよう。タンパクは定番の納豆かな。アキラは58才で現役を退いた。体を壊したのだった。現役中は自分の看病など妻に散々苦労をかけたので、退職後は自分が食事の用意をするねと言い、続けている。

「ご飯食べよ」

「うん、ありがとう、いただきます。とれたての春菊は香りが格別ね」

「美味しいね。そうだ、今日は何する予定だっけね」

「あたし、ジム行ってくる」

「じゃあ俺は草むしりでもやっかな。うちの畑は野菜だか雑草だかよくわからなくなっちったし。

 我が畑 育つは雑草 ばかりなり

ってか?」

「あはは」

 草むしりをやり出したものの、10分もたたないうちに途方に暮れ出した。雑草があまりにも元気に育ってしまったのだ。

 この年の春先、アキラは畑でもやろうかと、庭の一角をスコップで耕してみた。耕すといっても、ただグサッとスコップを入れて掘り起こし、ぐるっと天地替えをするだけだったが、一面に生えていた雑草を視界から消し去れたので、それなりに達成感があったし、その後当分の間は、次の雑草も生えてこなかった。テレビで農業系の高校に通っている生徒が、除草の方法には三つあって、草刈りと除草剤の散布と耕すことだと言っていたのを思い出してやってみたが、まあまあうまく行ったと思っていたのだ。その後、カボチャやらスイカやらとうもろこしやら色々種を蒔き、もちろん肥料も与えたが、どうよ、雑草ばかりスクスクと育っちまって。スイカもとうもろこしもどこへ行ったやら。聞けば、種を蒔く様子をカラスなどの鳥が見ているそうな。んー、注意できてなかったなあ。食われたか?まあ、仕方ない。美味しく食べてくれたなら、それも良かろうと、言ってきかせた。草むしりも2時間もやると、もはや体力の限界だった。雑草を識別してむしってくれる機械があるといいのにと思った。

 心地良い汗をかいたので、体を拭いて着替え、買い物に行くことにした。夕飯の材料を買うのだ。それと、もちろん、お酒の補充も重要だ。

 とりあえず宇都宮駅1階にある駅の市場へ向かう。ここには新鮮な魚が並んでいた、海無し県の人々にはありがたいお店である。地元の野菜も豊富だ。んー、茨城産のシイラか、美味しそうだからこれにしようかな。野菜と一緒に蒸して、味噌、白のすりごま、自家製のガリをきざんで和えて、乗っけて食べっか。

 家に帰った時には、夕方になっていた。ひと休みしようとテレビを付けた。そうそう、一時期はタブレットやスマホで動画配信を見るのが主流となり、テレビはほぼ廃れていたそうだが、24時間視聴可能なスタイル故に睡眠不足で仕事や学業に支障をきたす人が増え、行政が制限をかけた。ユーザー毎に生活時間帯を入力し、睡眠が必要な時間帯には動画を再生できなくするよう、配信側に義務付けたのだ。その結果、どうせ好きな時間帯に好きなだけ見られないならと、一度見てみたらテレビ局が気合を入れて作成した番組の方が面白かったと、感じる人が増えてきたのだった。私もその1人だった。尤も私の場合、そうなる前からテレビのほうがメインだったのだが。

「今日11時50分頃、横浜市内の特別養護老人ホームさくらで、施設従業員が入居者2名を殺害する事件が起きました。警察の調べによりますと、スマホで意思の疎通を図っていたところ、2人の入居者から『イケメンがよかったのに。こんな気持ち悪い人に食べさせて欲しくないわ』『人見下した態度とりやがって。言葉だけ丁寧だから余計に腹が立つ。若い頃だったらてめえなんか、ぶちのめしてたのに』などと言われて頭にきたと、話しているとのことです」

 お昼のニュースだった。なんと痛ましいことかと思っていると、

「お2人は、本当にそんなことを言おうとしたんでしょうかねぇ。心では思ったとしても、言おうとはしていなかったんじゃないでしょうかねぇ」

 解説の池下コン氏だ。東京政経大学を卒業した池下氏は文字どおり政財界と太いパイプがあり、しかも優れた解析力を発揮すると評判で、私はこの人の出演する番組は大抵チェックしていた。

「特別養護老人ホームなどでは、入居者の方の思いを汲んであげるために、スマホの意識察知能力を高めて、頭に浮かんだことをそのまま文章に変換して表示できるようにすることはあるんだそうです。そうすれば、入居者の方が上手に表現できなくても、水を飲みたいとか、ご飯をもっと食べたいとか、分かりますからね。でも、思っていても口に出したくはないってことは誰にでもありますよね。そんなことまで拾い上げられるようにスマホを不法改造するケースもあるんですよ。施設によっては、スマホで本音を聞き出して、気に入らない入居者はぞんざいに扱うとか、隠し財産の在処を聞き出して盗むなんてこともあるって聞いたことはありますけれど、それにしても殺してしまうなんて。どうしてそんな人物が介護士として就職出来たんですかね。能力は試験で確認できますけれど、人の性根を見抜くってのは難しいですね。なんとか、AIででもできるようになると良いですね。そうすれば、例えば性犯罪を犯すような人物を教員に採用してしまうなんてことも無くなるでしょうし」

 なるほど、こんなことも起こるのかと思い、恐ろしく感じた。自分やアスカちゃんが老人保健施設に入ることになっちゃったとしたら、どの様に施設の良し悪しを見抜いたらいいんだろう。スマホを見せて下さいなんて言ったところで見たってわかるわけないし、鉄則の『施設が臭くない』は当然だけど、スタッフとできるだけ話して性根を見抜くしかないのだろうか。頭の中が不安で一杯になっちった。あー酒飲むべ。ん?あ、だめだめ。アスカちゃん帰ってくる前から飲んでたら何言われっか。

「ただいまー」

 ほらね、帰ってきたし。

 5月31日 イングランドケズウィック

「おはよう。起きろー、もう7時だよ」

 寺野ヒカリ26歳、3日前にタケル30歳と結婚式を挙げ、新婚旅行でここ、イングランドの湖水地方に来ていた。タケルとはインスタで知り合った。美しい風景をネットサーフィンしている時、いい感じのコメントをするタケルを見つけ、ヒカリから近づいた。お互いをフォローするようになり、結構趣味が合うことが分かり、LINEで話すようになり‥‥のパターンだった。今時は披露宴という言葉もあまり聞かなくなっていたが、ヒカリの母親の強い勧めで開いた。経験してみると、感動的だった。

「にしても、寝坊する?こんな日に」

「タケルってば」

「今日はダーウェントウォーターの周り一周するんでしょ」

 2人はグレイストーンズゲストハウスというところに泊まっているのだが、近くのこの湖が綺麗だという話を職場の先輩から聞いていた2人は、この日、朝から歩き始める予定でいたのだった。

「ふぁ。おはよう。ごめんごめん」

 活発なヒカリよりずっとゆっくりな感じだが、いつも慌てず動じない感じで、優しいタケルがヒカリには新鮮で、一緒にいたいと思ったのだった。

 ホテルの朝食にはたっぷりのフルーツが用意されていて、なんと食べホだった。

「すごーい。いっぱいあるね。美味しー」

 もうかぶりついていた。ヒカリは一気に上機嫌になった。

「あはは。良かったね」

 タケルは、食べすぎないでねと、優しく見守っていた。

 B&Bを後にした二人は湖の方へと歩いて行った。周囲には牧草地が広がり、眼下には美しい湖があり、小さい島がいくつか見えた。対岸には小高い山があって、ライトグリーンの稜線がくっきり見えていた。この辺りの山は高木が少なく、草や低木ばかりのためか、とにかく視界が広く感じられ、見渡す限り美しかった。湖に沿うように細い道が続いていて、快適に歩けた。途中、羊が3頭、湖畔の草を美味しそうに食べていた。横腹には赤いスプレーで印が付けられていて、どこの牧場から抜け出してきたものか、一目で分かるようになっているものと思われた。なんか、ほのぼのしていて、この感じ好きだなとヒカリは思った。

 ヒカリは幼少の頃から両脚が不自由で、歩行具を使用している。今のは最新型のニューウォーカ-3000というもので、卵型でほぼ浮いた状態で移動できる画期的なものだ。地球の磁力を増幅して運動エネルギーに変換するとかなんとか言っていたが、ヒカリにはさっぱり分からなかった。とにかく、国と日本のIT企業団が開発した優れもので、必要な人には国から無償で提供される。ヒカリの元へはつい1月前にやってきたところだった。このニューウォーカ-3000には特段の操作レバーのようなものはなく、あっちへ行きたいと思えばそちらの方へ、思ったスピードで移動してくれる。だから、向こうから人が歩いてきても、ひょいと避けられるし、タケルが遅いなーと思ったら、ゆっくりにもできるのだった。ここイングランドへも、群馬の自宅からニューウォーカ-3000に乗ったまま、電車と飛行機を乗り継いでやってこれたのだった。飛行機では、専用のスペースまで移動して行くと、しっかり固定される仕組みになっていた。この歩行具の開発には、大手自動車メーカーや鉄道会社、航空機メーカーも協力していて、概ねどの交通手段でもニューウォーカー3000に乗ったまま利用できるよう対応されていた。全く、このシステムの開発に携わった人々は、神様に違いないとヒカリは思った。

 そもそも、こんなに良い世の中になったのは、あのレジェンドの改革があったからだ。若くして民自党の党首になった大泉氏だ。彼は、国会議員や大臣の年収を同年齢の国家公務員並みに抑える改革を断行したのだ。これにより、金目当ての無能な輩は立候補しなくなり、真に国民のために汗を流す、日本の未来を真剣に考える人だけが国会議員になる世の中に変わったのだ。レジェンド、すげー。そのおかげの一つがニューウォーカー3000なのだ。

「待って、ヒカリちゃん早いよ」

 おっと。タケルを引き離してしまった。

「ごめんごめん。この辺で休憩にしよっか」

 朝食の時の食べホのリンゴを2つテイクアウトしていた。2人でそれを頬張った。アッシュネスブリッジの美しい風景を眺めながら食べるリンゴは格別だった。

 6月3日 宇都宮

 アキラは暗いジメジメした街を歩いていた。石畳の道が続き、右側の石造りの建物が途切れたところにポツンと街灯が見えた。何だか胸騒ぎがした。

「キャ」

女性の悲鳴と足音が聞こえた。暗闇の向こうに女性を追う男の姿が見えた。手には刃物が。

「やめろー」

と、思わず叫んでいた。すぐ後ろから、

「キャー」

と叫ぶ女性の声が聞こえた。

もう少しで男が追いついてしまうと思ったその時、もう一人の男が現場近くにいることに気づき、叫んだ。

「そいつを止めろー。そんな奴、殺しちまえ」

 背後の女性と手を取り合って、一緒に叫んでいることに気づいた。

 なんとも、リアルな夢だった。夢とはい

え、後味の悪いことを言っちまった。『殺しちまえ』だなんて。あぁ、もう7時過ぎか。今日は朝から疲れたから、簡単な朝ごはんにしよう。味噌汁の具は細切りの昆布と牛蒡にワカメ、以上。乾物ばかりでも、結構美味しいんだよこれがまた。

 6月1日 イングランドケズウィック

 ヒカリとタケルがダーウェントウォーター一周をほば終えた頃には十九時を回っていた。疲れ果てたので、とにかくどこかの飲食店に入りたいと思っていたら、あった。バーだ。ヒカリはフィッシュアンドチップスと一パイントのビール、タケルはクレイフィッシュのフライと一パイントのエールを頼んだ。美味かった。UKやUSの食べ物はあまり美味しくないなんていう人もいるが、全くそんなことはなかった。2人とも、もう1パイントずつ飲んで、B&Bに戻ったのは21時過ぎだった。今日の後半には小高い山も登ることになったので、驚くほど疲れていた。シャワーを浴びてサッパリしたら冷たいビールで飲み直すっていうのが2人のパターンだったが、この日ばかりはベッドに直行し、秒で眠りに落ちた。

 ヒカリは夜のフィレンツェの硬いゴツゴツした道を歩いていた。明かに夢だと分かった。暗闇の向こうに人影があり、何か叫んでいるようだ。‥‥女が刃物を持った男に襲われていた。

「キャー」

だめよー、だめだめ。

「あ、そこの人、止めて。そんな人、殺っちゃって」

 気付いたら、ヒカリは近くにいた男の人と2人でそう叫んでいた。手を繋いで。

 ぐっすり眠りたかったのに、なんともリ

アルな夢を見てしまった。まだ23時を回ったところだった。冷やしておいたスコッチをワンショット煽って、また眠りについた。

 6月9日 宇都宮

 アキラはこの日、朝のルーチンを終え、コーヒーを飲んでいた。呼び鈴が鳴った。

「どちら様ですか」

「警察です。安倍アキラさんはご在宅ですか?」

「は?私ですが‥‥今、開けます」

 門をリモコンで開けた。

「綺麗なお庭ですね」

 警察手帳を見せながら、その刑事が言っ

た。

「昨年末、フィレンツェで女性が刺殺される

事件があったのはご存じですか?」

「いえ、外国の事件まではちょっと把握しておりませんで」

「そうですか。実は、その事件の犯人、霞レイジが別の男に殺されましてね、その殺人の指示があなたのスマホから出されていたことが、判明しているんです。しかも、もう一人の人物からも同時に。心当たりはありませんか?」

「いやいや、そんな事があるはずが‥‥あ、まあ、そんな様な夢なら見ましたけれど」

「指示したんですね」

「いや、指示ってったって、夢の中での話だし‥‥」

「スマホを見せてもらえますか?」

「はあ、どうぞ」

「ほら、これ、メール送信してるじゃないですか」

「なんだこれ」

「署でゆっくり話を聞かせてもらいます」

「はあ、なんだかなあ」

「なあに、どうしたの?」

「警察です」

 説明を聞く妻の目には涙が溢れていた。

「そんなことするような人じゃありませ

ん。何かの間違いです」

「そう言われましても、現にアキラさんのスマホから殺人依頼が送信されていますので」

「そんなあ‥‥ヒック、ヒック」

「これから署でアキラさんから事情を聞きますが、おそらく4時間程度かかるかと思います。終わり次第、帰宅できますので、それまでお待ちください」

 以前は逮捕されれば、当分の間その身柄は拘束されたと聞くが、人権擁護の観点から、起訴されるまでの間は、自宅待機でも良いとされていた。

 6月9日 前橋

 ヒカリは取調室で尋問を受けていた。

「夢で確かに殺しちゃってとは言いました

が。言おうと思って言ったというよりは、気付いたらそう叫んでいたんですよ。それが現実に繋がってしまったからって、私の責任だなんて言われても」

「スマホ等のAIはその使用者が責任を持って育成、管理しなければならないって、AI法で規定されているでしょ」

「はあ、それなんで法に触れるようなことにならない様にと、育ててきたつもりだったん

ですが、まさか、こんなことになるなんて」

 6月12日 宇都宮

「そうですか。安倍アキラも夢の中で殺せと言わされたと主張していると」

 高橋警部補は群馬県警サイバー対策課の所属で、霞レイジ殺害事件の捜査のため宇都宮東警察署に来ていた。

「はい、誰か他の女性と一緒にそう叫んでいることに気付いたと、言っています」

 同署刑事一課の鈴木警部補が答えた。

「やはりそうですか。一度、2人の主張が正

しいと仮定して考えてみましょうか」

「そうですね。でもそうなると、夢の中で2人の言動を操った人物がいるという事になりますね。何か心当たりでも?」

「実は殺人を請け負う組織があるらしく、捜査を進めているところなんですが、どうも、他人を操って実行している様なんです」

「そうでしたか。んー。では、まずは、それぞれの捜査資料を見比べてみますか」

「そうしましますかね。あ、これ、お土産です、『旅がらす』。長くなりそうだから、こ

れでも食べながらやりますか」

「あ、これ好き。昔っから定番ですよね。

お茶淹れますね」

 小一時間経っただろうか。

「あ、高橋さんこれ。2人とも同じ睡眠導入具を使ってますね、快眠3号」

「快眠3号か」

 2044年12月 フィレンツェ

 谷川スミレは夫レイトとここフィレンツェに旅行に来ていた。共働きの2人にとっては久々の旅行だった。労働基準法で全ての労働者に対して、年に1度、2週間以上の連続した有給休暇を与えるよう、事業者に義務付けられていたので、今年はバーンと、貰った休暇2週間丸々の海外旅行を企画したのだった。

「綺麗な町ね。料理も美味しいし、私この町

好きだわ」

「ホントだね。ワインも安くて美味しいし」

「お酒のことばっかりね」

「あはは。でも1日歩いて疲れたよ。石畳だ

からかなあ、スミレは大丈夫かい」

「私はへーき。先にシャワー浴びて寝ちゃえば?明日も早いし」

「そうするよ。スミレもその後すぐにシャワー浴びるかい?」

「んー。ジェラート食べたいから買いに行ってくる。まだ9時だから開いてると思うし」

「そっか、一緒に行くかい?観光地とは言え

日本みたいに安全じゃないから」

「ん、ありがとう。でも、まだ観光客もたくさん歩いてると思うから大丈夫よ。早く休んで」

「分かった。ありがとね、気をつけてね」

 ホテルベルニーニパレスを出て路地に入ると暗くなったが、少し先の広場は明るく、多くの人が行き来しているのが見えた。お目当てのジェラテリアは広場を抜けた少し先にあった。

「ヴォーレイ デル ジェラート アル ピスタッキオ?」

 ピスタチオのジェラートを下さいと言ったつもりだった。スマホを使えばいいのだけれど、自分で言ってみたかった。

「シ、シニョーラ」

 はいお嬢様と言ったらしい。通じたっぽい。小さくガッツポーズした。

「美味し~。ボーノ、ボーノ」

 大満足だった。ジェラート屋のおじさんも

上機嫌で見送ってくれた。ライトアップされたヴェッキオ宮を見ながらジェラートを片手にホテルへ向かった。‥‥路地に入って間も無くだった。後ろから足音が迫ってきた。

「え?何?あ‥‥ギャ‥‥」

 レイトがスミレの死を聞かされたのは、夜も明けようとする頃だった。何者かに刺され、即死だったとだけ教えられた。何が何だかわからなかった。混乱と怒りと絶望が同時に襲ってきた。

 2045年5月30日 桐生

 レイトは妻のいない部屋でスマホをいじっ

ていた。心に開いた穴は何をやっても塞がるわけもなく、ただ、スマホをいじっていた。呼び鈴が鳴った。

「谷川レイトさんいらっしゃますか。警察です」

「あ‥‥中へどうぞ」

「高橋です。ヒカリさんを殺害した犯人が判明し、逮捕しました。霞レイジという男で

す。この名前に聞き覚えはありますか?」

「いえ」

「霞レイジは、桐生市内でホストクラブを経営しているんですが、やはりご存じありませんか」

「はあ」

「おやつれの様ですが、大丈夫ですか。いつでもご相談に応じますので、声をおかけ下さ

い。お邪魔しました」

 霞レイジ、霞レイジ・・敵の名前を頭の中

で連呼していた。スマホの画面に、

「殺し、請け負います。」

「あなたに足はつきません」

とあった。闇サイトに入り込んでいた。自分の行動を律せるほどの精神状態ではなかった。

「霞レイジを殺してください。」

と、送信した。500万円で仇をとってくれるなら安いと思った。ネット口座から指定された口座にすぐに送金した。

 その日 桐生市内

「リュウジ、入力は終わったか?」

「はい、エイジさん、念の為2人を経由させようかと」

「設定は指示した通りにできてるか?」

「はい、夜、フィレンツェで谷川スミレが霞レイジに刺されるシーンで、実行役を現場近くに配置、これを2人に夢で見させると。そして、実行役に霞レイジを殺してと、叫ばせると。オーケーっす。実行役は誰にしときま

すか?」

「近くにいるやつなら誰でもいい。複数いる

なら名簿順にでもしとけ」

「了解です。では、宮川テルオで」

「誰だそいつ」

「伊勢崎の半グレです。名簿順です」

「分かった。ゴーだ」

「はい。プログラム送信しました」

 6月3日 桐生

「エイジさん、霞レイジ、殺害を確認しまし

た。桐生署が動いています」

「分かった」

 轟エイジは300人の組員を抱える暴力団轟組の頭だ。リュウジとの出会いは15年ほど前だった。パチンコ屋の見回りを終えて、糸屋通りを北の方へ歩いてた。別にそっちに用があるわけでもなかったのだが、気の利いた飲食店がまばらにあるこの細い通りが気に入っていて、気付いたらそうしていたのだった。

「どうした坊主、ここで何してるん?」

 薄汚い身なりで、痩せ細った10歳くらいの

子供が道端に座っていた。

「‥‥」

「名前は?」

「‥‥」

「俺は腹が減ったからこれから食堂に行くんだけど、お前もくるか?」

「‥‥」

 何も言わなかったが、明らかに行きたそう

な表情をした。

「来い」

 手を引っ張ると、素直について来た。近くの食堂に入った。

「オムライスとソースカツ丼」

「へい」

 どうせ喋らねえだろうと思い、適当に2つ頼んだ。オムライスは子供の定番だろうし、ソースカツ丼は桐生生まれのソウルフードだし、俺の好物だ。

「へい、お待ち」

 その子の前にオムライスを置こうとした

ら、ソースカツ丼を取りやがった。早っ。

「そうか、そっちが好きか」

「‥‥」

 無言だったが、頷いた。ちょっと嬉しかった。が、しかし、俺がオムライスかよ。何年振りか忘れたが、食べてみれば、まあ美味かった。それにしても、美味そうに食いやがる。腕まくりなんかしちゃって‥‥。腕にアザがあった。両腕に。虐待に違いないと思った。だんだん腹が立ってきた。

「美味しい」

やっと喋った。

「美味いか。そうか」

柄にもなく、ニコニコした。

「ユズル」

「そうか、坊主、ユズルって言うんか。家は何処だ?」

「菱町」

「そうか、親は何してるん?」

「母さんは水商売だったけど、もうずっと

帰ってこないんだ。父さんは何も」

「今、家にいるか?」

「んー。父さん多分いる。お酒飲んでると

思う」

「お前の家に、俺のこと連れてけ」

 川沿いというか、河川敷内にアパートがあり、その2階の1室がユズルの家だった。

「誰だテメエ」

 父親が酔った勢いでこっちを見て叫んでいる。

「ユズル、外で待ってろ。耳塞いどけ」

 取り敢えず、2発、ぶん殴った。

「桐生にいて俺のこと知らねえとは言わせねえぞ、こら」

 一応、事情を聞いてやった。父親は木下

リュウと言った。以前IT系で働いていたが、横領がバレてクビになった。執行猶予はついたが、もはや自分を雇ってくれるIT企業などなかった。コンビニのバイトや弁当の配送などで食い繋いだ。その頃、たまに行く店でバーテンをしていたシノブという女と良い仲になった。子を1人授かり、ユズルと名付けた。しかし、ユズルが3つになった頃からリュウは働かなくなった。シノブの稼ぎをあてにして、毎日酒ばかり飲んでいた。シノブはシノブであまり帰って来なくなった。時折、ユズルの様子を見に来ていたが、もうそれも無くなった。愛想を尽かして他に男を作ったのだった。リュウは手がつけられないほど荒れた。ユズルにも手を上げるようになった。

 聞いてる間にもう2発殴ってくれたが、まあ、リュウの言うところはざっとこんなところだった。

「しゃあねえなぁ。リュウ、てめえ、俺んところで働け。ユズルと2人、俺が面倒見てやる。てめえみてえなクズはのたれ死んじまえば良いんだが、子供がいるんじゃしょうがねえ。ユズルにお礼言っとけ」

「それと、お前、たった今から酒やめろ。俺

がいいっていうまで、1滴も飲むんじゃねえぞ。分かったか」

 雇ってみれば、リュウは有能だった。警備会社をハッキングして金のありそうな豪邸の間取りや警報システムの情報を取ったり、最先端のIT技術を盗んだり、敵対する組織の個人情報を盗んだりと。お陰で組は潤った。

 リュウはユズルに自分の技術を教え込んだ。ユズルは、12でハッキングを覚え、16になる頃にはゲームのアプリを作り上げるまでになった。それは、我が子を育成するゲームだった。性別、髪や肌の色、使用言語、名前、親の性別、性格、月収など自由に設定できた。育成を進めて行く過程で、様々な選択をする。夜泣きしたらどうしてあげる?おむつはどれを履かせる?どんな服を着せてあげる?どんなオモチャを与える?何を食べさせる?ゲームをやってみると、裕福な家庭で育てたら凶悪な不良になったとか、極貧の家庭ではあったが、いつもニコニコ育ったら後に聖人と呼ばれるようになったとか、育成の仕方に応じて、様々な結果が待っていた。育成結果には、ユーザーの人となりが色濃く反映するよう作られていたので、ユーザーは、まるで我が子を育てているかのような錯覚に陥るほどであった。人生をやり直したい人々、今まさに子育てに悩む人々、親との関係に苦しむ子供たち、学校でいじめられるようになってしまった子供たちなど、それぞれの立場の人々に寄り添い、アドバイスを与えるゲームでもあった。アプリは2000万ダウンロードを超え、ユズルはまぎれもなく組の稼ぎ頭となっていた。そんなユズルの姿を見届けて間も無く、リュウは死んだ。リュウの肝臓はとうの昔に壊れていたのだった。この時からユズルは、情報技術を叩き込んでくれた父の名をもらって、リュウジと名乗るようになった。

 殺人の請負は5年ほど前から始めた。当時、C国でクーデターが起こり、独裁者による覇権主義の政策は終わり、めでたく民主国家となったが、この時、職に溢れた国直属の殺し屋組織の面々が世界中に散って行った。エイジの元にも、劉と名乗る女がやってきた。その女は、夢を操れるという睡眠導入具を持っていた。

「何それ、どうゆうん?」

「このアプリで夢の中身入力するね。それでこの『送信』てボタン押すね。この器具つけてる人、夢見るね。夢の中で◯◯を殺せって暗示?かければ、その人、◯◯を殺すね」

「何それ、本当なん?」

「ホント、ホント、アタシ、これの開発者ね、これできるの今はもうアタシだけね。やって見せるね。あなたこれ着けて」

リュウジにその器具を差し出した。

「やだよ。人殺しなんて別にしたくねえし」

「人殺せなんて、入力しないね。自分を3回

叩けってするね」

「何だよそれ。つーか、せめて1回にしとい

てくれよ。マジで」

リュウジは渋々それを身に付けた。

「じゃあ、『送信』っと」

エイジが押した。

「ほお、寝たか」

「寝てるね」

「夢見てるかどうかなんてわからねえな、

こりゃ」

「大丈夫、夢見終わったら起きるね、そろそ

ろね」

リュウジが目を覚ました。

「いてっ。何だよぉ、叩いちまったよ自分をよぉ」

「あははは。ご苦労だったな」

 しかし、このシステムは、完全とは言い

難かった。この器具を通して伝えられるの

は、せいぜい、殺せという指示と、殺す相手のIDくらいだった。C国内では全国民をそれぞれ固有のIDで管理していたし、国直属の殺し屋集団は、ID情報だけ手にすれば、その者の人相や居所など、国が持つ情報を全て手に入れることができた。しかし、ここは日本だ。

「まずは試してみるとしてだ。リュウジ、相手の顔やそいつの居所とかの情報も夢の中に仕込んで、そいつのスマホに送れるようにしてくれや。そうすりゃあ、そのスマホのAIが情報を整理してくれるだろう、それを殺し担当のスマホに自動でメールしてもらうと。

これなら確実だろう」

「なるほど、エイジさん、天才っすね。やってみますよ」

「ああ、それと、その前にだ。その睡眠導入具、『いい夢見れます』つって売るべ。夢の中身を幾つか選べるようにして、販売できるようプログラムを作れ」

「分かりました」

 程なく、量産に漕ぎ着けた。快眠3号と名

付けて、恋愛系、出世系、ヒーロー系などの夢を用意し、オプションでオーダーメイドの

夢も提供することにして売り出した。

 谷川スミレも快眠3号を愛用していた。スミレは中学生の頃、その明るい性格や運動神経の良さから大人気で、性別を問わず、幾人もから告白を受けていた。自分的にはただ楽しく学校生活を送れれば良かったので、その都度丁重にお断りしていた。

それくらいの人気ぶりだった。

 しかし、ある時からそんな状況は一変し

た。

「お高くとまってるって感じはしてたけどねー」

「いい人みたいに振る舞ってたけど、裏では酷いいじめをしてたんだってね」

などと陰口を叩かれるようになり、今度は自分がいじめの対象となった。

 自分に原因があることはわかっていた

が、スミレはそこから逃避した。自分の部屋

に閉じこもり、眠れない日々が続いた。見かねた親が買ってきてくれたのが快眠3号だっ

た。

 スミレは森の中を歩いていた。木漏れ日が小さい紫の花々を照らしていて、綺麗だった。小道の先に小さなリスがいた。くるみを齧りながらこっちを向いていた。リスは、少し先に進んでは振り返り、また進んでと、まるでスミレを案内しているようだった。しばらくついていくと、いかにもお城っぽい門があり、ギギギっと自動で開いた。リスは真っ白な石でできたお城に入って行った。中には絵に描いたような素敵な王子様がいて、すみれの手を引いて大きなテーブルへと案内してくれた。すごーく美味しそうな料理が並んでいて、高級レストランって感じだった。王子様の隣で食べる料理はとっても美味しかった。あ、王子様がアーンってしてくれ‥‥。目が覚めた。王子様系の夢が仕込まれた快眠3号だった。

 以来、スミレは快眠3号を手放せなくなっ

た。人は眠りが足りると元気になるらしく、

食事もしっかり摂れるようななり、通学の意欲も戻ってきた。スミレは私立の中学に転校し、自分を取り戻していった。

 2037年10月 桐生

 末広町にあるバーの前で梅田会の構成員、橋本トオルが同じ梅田会の境ハルという男に突然撃たれて死んだ。仲間数人でいつものように飲んだ帰りだった。

 境は橋本をアニキ、アニキと言って、いつ

もついて回っていたくらい慕っていた。それなのに、何でその橋本を殺してしまったのか、自分でもわからなかった。その時はただ、無性に殺したくなった。気付いた時には橋本に銃を向け、引き金を引いていた。

 境は会を裏切ったらどうなるか、痛いほど知っていた。自身、会の刺客となって裏切り者を処理したこともあったのだった。全力で逃げた。広沢町のはずれにある廃アパートに

転がり込んだ。‥‥と思った時だった。

「ちょっといいかい?」

私服の警官だった。

「どうした。何故こっちを見ない。何隠してる?」

 職質には慣れていたから言い逃れる自信

はあったが、刺客にやられるより捕まった

方がマシな気がしてきた。

「なんだか良く分からねえんだけど、アニキを撃っちまったんだよ」

「はあ?」

 そのまま桐生署に連行された。

「なんだか分からないで人殺すわけねえだろ」

「本当なんだよ。みんなで飲んでたんだけど、そのうち、今朝見た夢のことを思い出して、そしたら、アニキを殺しちまってたんだよぉ」

 南刑事が中野警部補の顔を覗くと、鬼の

形相が幾分和らいだように見えた。

「ふん、その夢っての、もう少し詳しく話してみろ」

 中野警部補が優しめの口調で言った。

「はい。俺、快眠3号って夢見るやつ使ってるんすけど、今朝見た夢は橋本の兄貴の顔が浮かんでて、誰かが殺せ殺せって何度も言うんすよ。こんなこと初めてだったんすよね。いつもは可愛い娘が出てきて、いいことしてくれるんすけど」

「快眠3号だ?」

「はい。結構使ってる人いるみてえっすよ」

「ふん、まあ、今日はこれくらいにしといてやっか。帰っていいぞ。起訴されるまではお前にもその権利がある」

「いや、無理っすよ。会の奴らに殺られちまう。留置場に泊めてくださいよ」

「ホテルじゃねーんだぞ、てめえ。そもそも殺しなんかやらなきゃ、こんなことになってねえんだ」

 その頃 桐生市梅田

「ハルはまだ見つからねえんか」

「へい。カシラ、すいません」

「だいたいが、なんでハルがトオルを殺すんだ。2人に何かあったんか」

「いや、何も。今日もいつものように皆んなで飲んでいて、変わった様子はなかったんですが、突然チャカ抜いて撃ちやがって。何がどうなってんだか」

 エイジが梅田会を標的とするのには、それなりの理由があった。梅田会は違法ドラッグを扱っていた。それも最近では、『頭が冴える』との触れ込みで中高生などの受験生にまで売っていやがる。子供は人類の宝だと思うエイジには、梅田会は許せなかった。取引の情報が得られれば警察に流してはいたが、イタチごっこだったし、警察の動きは鈍く、全く当てにならなかった。ま、だからって殺しちゃぁいけねえけど。俺はそうやって生きてきちまったからな。

 エイジは児童養護施設で育った。親のこと

は良くはわからなかったが、暴力団の構成員で、敵対勢力との抗争で命を落としたとだけ聞いていた。17の頃、コンビニのバイトから施設に帰る途中、そのスジっぽい男が声を掛けてきた。

「エイジだろ」

「‥‥」

「お前を施設に預けたのはオレだ」

「‥‥」

「オレはお前の父さん、エイタの兄弟分で、

サブロウという者だ。突然で悪いな。お前の施設の近くに梅田会が事務所構えちまってな。近寄ると面倒なんだよ。これはエイタがお前にって残した手紙だ。これを読んで、ウチへ来たいと思ったら、来い。じゃあな」

 部屋に戻って、手紙を開けてみた。

「この手紙を読んでるってことは、オレはもうあの世だ。ヤクザな親ですまない。オレはお前の母親、エリとは幼馴染で、中学まで同じ学校に通っていた。オレは代々、ヤクザの家系に生まれたものだから、エリの親の理解を得るのはそりゃもう大変だったが、なんとかエリと一緒になれた。そうして生まれたのがお前だ。しかし、お前が2歳になった今、梅田会と争うことになっちまった。オレはおそらく死んでしまうが、お前はどうか、生き延びて、幸せに暮らしてほしい。困った時は、サブロウを頼れ。アイツはおれの兄弟分で、信頼できる良い奴だ。最後になるが、これだけは守って生きてほしい。困っている人は、助けてやれ。そして、この組を、真っ当な世界に導いてやってくれ。これからは、法に触れずに構成員を養っていく力を付けてほしい。身勝手な願いですまないが、これが今のオレの最後の頼みだ」

 何が何だか‥‥。とりあえず、父親はヤクザだったようだ‥‥。組を導けだ?

 次の日、エイジはサブロウを訪ねた。

「ぼん?」

「お帰り」

「キャー。エイジちゃん?お帰りー」

 なんか、すごいことに。

「サブロウさんは?」

「おー。来たな。嬉しいぞ」

 オレのヤクザとしての生活が始まった。

 梅田会との抗争はとりあえず治まっていた。サブロウの話では、梅田会の幹部が懇意にしていたバーのママがウチの若い衆とできちまったのが発端だった。キレたその幹部がママと一緒にいたその若い衆を殴り殺した。あとは仕返しの連鎖だった。エイタも殺られた。梅田会のトップとナンバー2を殺り返した時、梅田会から停戦の申し入れがあった。お互い多くの構成員を失っていたこともあり、合意した。サブロウは、抗争が治ったらエイジを呼び戻せというエイタの言葉に従い、実行したのだった。

 平和なんてものはほんの束の間だった。

末広町にあるバー、マリナラで客が酒にゴ

キブリが入ってると騒ぎ出した。

「お客さん、さっき、自分でゴキブリ入れ

たでしょ。見てたよ。困るんだよね、こうい

うカスハラされちゃ」

 トラブル処理のために轟組から派遣されていたショーが止めに入った。

「ちっ」

「ちっ、て何?自作自演って認めるんね。

あれ?つーかあんた、梅田会だね」

「うっせー」

 短刀を抜いて襲い掛かってきたと思ったら

宙を舞った。

「23時43分、銃刀法違反及び傷害未遂の現行犯で逮捕する」

 たまたま桐生署のマル暴が近くの席で飲んでいたのだった。彼らは見た目も所作もほぼヤクザで、飲み屋街では有名だったが、このカスハラ客は分かっていなかったようだ。と、ここまでは良かった。ショーが仕事を終えて店を出ると、数人に囲まれた。梅田会とすぐ分かった。黒のSUVに押し込まれ、気付いたときにはどこかの川原にいた。ヤケに星が綺麗だった。もう、痛みも分からなく

なったようだ。暗くなった‥‥。

「ん?どこだここ」

 なんか見たことのあるような、無いような‥‥小さい穴が点々と沢山開いた白い四角い板がならんでいる‥‥天井?どこの?右を向けば点滴?‥‥あ、昨日襲われて、あ、病院か。左を見れば、あ、

「エイジさん」

「お、気が付いたか、良かった。お前、桐生川で倒れているところを通りがかりの爺さんが助けてくれたんだぞ。悪運の強えやつだな。ははは。ここは安全な病院だから、安心してゆっくり養生しろ」

 抗争を再開するに当たって、エイジは幹部に方針を示した。

 若い衆に殺しはさせない。

 一般人を巻き込まない。

 証拠を残さず殺る。

 エイジは、自ら先頭に立って抗争に望んだ。水面下で殺しを続けるのも中々難しいと思い始めた頃、快眠3号が完成したのだった。 

 2037年11月 前橋

「半井教授、そうしますと、こういった睡眠導入具を使って、夢を見させ、暗示をかけることは可能だと」

 高橋は桐生所管内で起こった殺人事件で快眠3号という睡眠導入具が絡んでいるとの報告を受け、専門家の意見を求めに、睡眠について詳しい群馬中央大学病院の半井教授を訪ねていた。

「左右の耳からそれぞれ異なる周波数の音を聞かせることが、睡眠導入に効果があることは前々から分かっていましてね。今ではこの音の組み合わせによって夢を見させることもできるようになった。娘も使っているよ。しかし、暗示となるとどうかね。昔から正夢なんて言葉もあるし、夢の中で強い印象を与えることができれば、出来るかもしれないけどね、そういう文献には出会ってないね」

「ありがとうございました。今後ともよろしくご教授願います」

 次の日、高橋は桐生にある株式会社トドロキへ向かった。同社が製造販売している快眠3号が殺人事件に関わっているものと見て、桐生署と一緒に踏み込む事にしてい

た。

「ああ、高橋さん。半井教授はどうでした

か?」

 組織犯罪対策課の上田刑事だ。

「睡眠導入具で暗示をかけるとなると、今のところ難しいようだが、強い印象を与えることができればその可能性はあるそうだ」

「なるほど、そうですか。ま、まずは踏み込みましょう。桐生署が既に入ってます」

 事務所に入ると、南刑事が何かつかんでいた。

「高橋さん、これ見てください。このタブ

レットで快眠3号に情報を入力していたと言っています」

「署でゆっくり話を聞くことにしよう。タブレット、スマホ、その他電子機器は全て押収して解析する」

 中野はリュウジを桐生署に連行して取り調べた。

「ですから、あのタブレットで夢を入力し

てただけですって。殺人なんて知りません。勘弁してくださいよ、刑事さん」

 リュウジは何度も同じことを聞かれて疲れ果てていたが、動揺はしていなかった。殺しに関するデータは、既に復元できないよう完全に消してあった。

 中野の勘ではコイツらが快眠3号に殺人の指示を仕込んだに違いないと思った。轟組と敵対する梅田会の組員が都合よく仲間を殺しただなんて。しかし、証拠は得られなかった。やむなく、リュウジを釈放した。

 2044年6月 桐生

 谷川レイトは桐生市内のレストランで働いているが、夜はバンドマンをやっていた。今夜もいつものバーで出演していて、2ステージ目を終え、アンナの向かいに座った。レイトにはバンドマン特有のイカした感じと言葉の巧みさがあり、アンナの心を掴んで離さなかった。

「お疲れ」

「お。喉乾いちゃった。なんかくれる?」

「いつものでいいの?」

 レイトは演奏の合間はビール、ステージを終えるとドライマティーニのパターンが多かったが、今夜は何だかいつもと違う感じがしたので、聞いてみた。

「ビール。ちょっとバカルディも入れてくれる?」

「珍しいのね。何かあったの?」

 レイトはそれを一口飲んでから、冷めたような目つきで言った。

「結婚するんだ」

「‥‥は?何言ってんの?」

「中学の時から付き合ってる子がいてね。結

婚することになった」

 その瞬間、手にしていたバーボンをレイトにぶっかけていた。

「‥‥すまない。じゃあな」

 レイトはスリーステージ目を残したまま出て行き、それきり姿を見せなくなった。

 半年ほど経っただろうか。アンナはレイ

トを見かけた。一緒にいる女は‥‥と、憎き

あの女だった。同級生のスミレ、自分は美人で人気があるからって、お高くとまって、いつもアンナを見下していた。中学生の頃を一気に思い出した。

 その日はバレンタインデーだった。アンナの家は貧乏だったが、アンナの姉、ナズナは、何とかチ◯ルチョコレートを三つ手に入れ、それをハート型にしつらえ、校門の近くで土屋くんを待っていた。そこへ、スミレが土屋くんと一緒にやってきた。土屋くんはチョコレートの小箱を手にして浮かれた顔をしていた。その様子を見たナズナは硬直してしまい、動けなかった。スミレはそんなナズナに気付いて、勝ち誇ったかのような顔をしてこう言ったのだ。

「なあにあの子、汚ったなーい」

次の瞬間、

「何これ、こんな貧乏くさいチョコ土屋くんにあげようとしてたの?可笑しいんだけど」

「あ!」

スミレはナズナのチョコを奪い取って、車道の方へ投げ捨てた。

「あー」

「なんて酷えことするん」

走ってきたトラックがチョコを轢いた‥‥。ナズナは悔しくて、悲しくて、恥ずかしくて、その場から逃れたくて、ただただ、走った。気が付いたら渡良瀬川の橋の上に立っていた。

 スミレを殺してやりたいほど憎たらしいと

思ったが、スミレに対抗できるほど、ナズナの心も体も強くなかった。アンナに食べさせてあげる魚のアラをスーパーで安く譲ってもらう代わりに買ったチ◯ルチョコレートが無駄になってしまった。アンナが不憫だった。自分は何て馬鹿だったのか。アンナに食べさせてあげればよかったのだ。何てダメな姉だ。疲れた。疲れた‥‥。

 その日、土屋くんがナズナの家にやって

きた。

「ナズナちゃん、いる?」

「まだ、帰ってないよ」

アンナが答えた。

 土屋くんはアンナと母親に事情を話してくれた。

「これ、ナズナちゃんのチョコ。僕にくれようとしていたらしいんだけど、こんな酷いことになっちゃって。ごめんなさい。止められませんでした。ナズナちゃん、僕がこれを拾っている間に走って行っちゃって、追いか

けたけど見つからないんです」

 母親と土屋くんの家族と、ご近所の皆さ

んと探して、探したが、見つからなかった。

 その日の夜遅く、ナズナが渡良瀬川に身を投げたと警察から知らされた。

 スミレとスミレの両親が何度も謝罪に来たが、受け入れられるわけがなかった。数ヶ月後、母親の話では示談が成立したとのことだったが、アンナにしてみれば、金の話じゃねえだろってことだった。まあ、親もそう思ってたんだろうけれど。アンナはスミレを陥れることに執念を燃やす、鬼となった。

 程なく、アンナが何か手を施すまでもな

く、スミレはみんなのイジメの対象となり、スミレは学校に来なくなった。当然だと思った。

 以来、アンナの頭の中で徐々にスミレの存在は薄くなっていたのだが、アイツ、今度はレイトを寝取りがった。アタシだけと付き合っていると思っていたのに。裏切ったレイトに未練はなかったが、スミレは絶対に許せ

なかった。2人の写メを撮っておいて、復讐

してやろうと思い、連写した。

「あー、もー。チクショウ!」

 アンナは大量のビールと枝豆を抱えて家に帰り、スマホで『復讐』と検索した。‥‥んー漫画ばかりヒットする。色々試しているうちに、見つけた。

「殺し、請け負います。あなたに足はつき

ません」

 闇サイトだった。

「‥‥ん?五百万円?んー‥‥」

 無理と思ったが、よく見てみると、

『金額は相談に応じます』とあった。問い合わせ先にメールしてみると、呼び出された。糸屋通りのバーで待ち合わせた。

「お!」

 知った顔だった。

「エイジおじさん?」

「久しぶりだな。アンナだっけ?あれから何年になる。元気してたか?」

 涙が止まらなかった。エイジは、ナズナ

が死んでしまったことを知って、何かと支

えてくれた人だった。シングルマザーの母が働いていたバーのオーナーで、以前から気にかけてくれていた。

「で?こんな依頼してくるなんて穏やかじゃねえな」

「スミレのせいでナズナは死んで、殺してや

りたいと思ったけどそんなことアタシにはできないし、アイツ転校しちゃったし、そのうち少しずつ憎しみも薄くなっていってたの。だけど今度はアタシの彼氏、寝取りやがったの。もう、無理。消えてほしい」

「そうか、分かった。ただな、アンナ。辛えぞ。自分でやらなくても殺しの依頼なんかしちまったら、そのことをずっと背負っていかなくちゃならねえし。それにあのスミレにも家族がいるんだから、その人たちの恨みを買うことになるんだよ。いつまでも終わらねえよ」

「ありがとうエイジおじさん。でもあたし、

腹括ったの。あんな酷い女が大した罪にも問われずにのうのうと暮らしてるなんて思ったら気が狂いそうなの。復讐しないと次の一歩を踏み出せないと思うの。だから、殺っちゃって」

「気持ちはよく分かった。ただな、今、立て込んでて受けられねえんだ。半年くらいすれば落ち着くと思うから、その頃またメールしな。その頃にはお前の心も落ち着いちまうかも知れねえしな。ま、あんな性悪な女はアンナがわざわざ手を汚さなくったって、ろくな死に方しねえから、変な気起こさねえで少しの間待っとけ。いいな」

「分かった」

 アンナは渋々帰って行った。

「リュウジ、その後、殺しのほうはどうなってる。うまくいってるのか?」

「エイジさんそれが、どうも指示する相手が素人だと、殺しってとこまでいかないようでして、4~5件試しましたがいずれも失敗でした」

「そうか。やはり難しいようだな。他の組の構成員を使うとまた疑われちまうしな。スマホを経由させるやり方はどうなってる」

「はい、大体出来てます。テストしてみますか?」

「そうだな、じゃあ、今の案件にすっか。聞

いてただろ」

「はい。でも、断ったんじゃ?」

「あの子に殺しの依頼はさせられねえよ。オレの知り合いに酷い目を合わせた性悪女を、オレがやるんだ」

「はい」

「で、殺し担当は誰にしとく?」

「梅田会の霞レイジってホストクラブをやってる奴が名乗り上げてきてるんで、こいつにしときましょうか」

「いいねえ」

「谷川スミレは今、フィレンツェに行ってる

ようですが、霞レイジもたまたまその辺にい

るんですよ」

「ああ、GPSで居場所がわかるんだね。

夢見させるのは誰?」

「丁度今、市内の会社員から快眠3号の夢の書き換えを頼まれていて、今日の夕方納品予定なんで、これに仕込もうかなと」

「分かった」

 2045年6月20日 宇都宮

「鈴木警部補、押収した安倍アキラの快眠3号ですが、解析の結果、フィレンツェでの殺人事件と思われる内容の夢を見させていたことがわかりました。安倍の証言どおりです。で、スマホのほうですが、AIによって、霞レイジを殺害せよという依頼文書が作成されていたことが分かりました。しかも、霞レイジの顔写真やプロフィールまで入れて。これです。これがメールに添付されて、宮川テルオへ送られていたんです」

 説明する鑑識の中山巡査の目は、真っ赤に充血していた。

「企業の企画書並みの仕上がりね。不謹慎な言い方だけど。これって、安倍は作成に絡んでないの?」

「そういった形跡は全く見られません」

「そっか。ありがとう、快眠3号とスマホとのつながりも不明ってわけね」

「すいません。引き続き調べます」

「ご苦労様。ところで中山くんだいじ?ちゃんと食べて寝てる?倒れるまで働いちゃダメよ」

「ありがとうございます。ププっ。『だいじ』って久しぶりに聞きました。大丈夫って意味なんですよね。おじいちゃんが使ってるの、聞いたことあります」

「コラー、年寄り扱いするなー」

「ウィっす。失礼しまっす」

「全くー」

 おっと、電話電話。群馬県警の高橋さんに

も状況を確認しないと。

「お疲れ様です。宇都宮東署の鈴木です。押

収物の解析ですが、快眠3号とスマホのつながりがまだ分かっていないんですが、そちらは如何ですか?」

「こちらもその点は分かっていません。や

はりメーカーの協力を得ないことには難しいようですね。頼るは国ですかね」

 9月 前橋

 米国からスマホメーカーの社員が警察庁に派遣され、ここ、前橋警察署で寺野ヒカリ並びに安倍アキラのスマホの解析が実施された。

「これです、寺野ヒカリが殺人の指示をスマホに送った時のログです。このAIは誰が念じたのかを識別して、所有者以外の場合や所有者の意思が確認できない場合は、働かないようプログラムされています。このログは、寺野ヒカリが『あの人を殺して』と念じたとAIが判断して、記録したものとなります」

 解析に要した時間は、ものの数分だった。

安倍アキラのスマホも同様に解析された。

「ところで」

 高橋警部補が切り出した。

「このスマホのAIは、犯罪を犯すことの

ないよう、プログラムされてはいないんですか?」

「その点については、弊社におきましても開発時に議論を重ねました。最終的には、AIの自由度を確保し、特段の制限は加えないことになったんです。例えばですね、誰かが自分を襲ってきたとして、このままでは殺されかねないと思って近くにいる誰かにこの暴漢を倒して欲しいと念じた時に、誰かに暴力を振るうのは犯罪だからできませんとAIが判断するようにしてあったらどうでしょう。その被害者は助かりません。AIは、与えられた情報しか判断材料にできませんから、その行為が正当防衛であるかどうかまでわかるとは限らないと考えられます。であるなら、AIには特段の制限をせず、所有者の良心に任せるべきだろうというのが、結論に至った理

由の一つなんです」

「なるほど」

「ところで、今回の解析結果ですが、警察と司法の内部だけでお取り扱いいただき、外部に出さないよう、お願いします。外部に漏れてしまった場合に弊社が被る被害額を試算しましたところ、おそらくは貴国の国家予算の四分の一程度となりましたので」

「極秘だということは既に指示を受けていますが、指示の徹底を図ります」

 12月 桐生

「リュウジ」

「どうしました?エイジさん」

「みんなも聞いてくれ。今日、谷川スミレと霞レイジの件で桐生署に出頭して事情聴取を受ける予定だ。おそらく、そのまま拘束され、何年も帰れなくなると思う。俺はこれまで、この組を真っ当な仕事だけで食っていけるようにと、色々なチャレンジをしてきた。快眠3号やゲームソフトなど、ヒット商品も世の中に送り出すことができた。梅田会は未だにちょっかいを出してくるし、ほかの組織のことを考えると中々難しいのだが、この機会に轟組は解散する。そして、株式会社トドロキだけで、真っ当な事業だけで、生きていく事にする。株式会社トドロキは明日からリュウジに任せる事にする。みんなで協力しあって、みんなが幸せに暮らせるよう、努力してほしい」

 その日 桐生署

「快眠3号は元々C国が開発したもので、反乱分子を殺害するためにC国の其処此処に配置した実行役のエージェントに装着させ、反乱分子のIDを送って、殺すよう指示すると、そのエージェントが指示どおり実行する。そして指示を出した党の幹部に足はつかないと。そういうシステムだったと。間違いないか?轟エイジ」

「ああ、そう聞いたよ」

「そのシステムを殺人に利用したんだな」

「そうだ」

「快眠3号からスマホへ指示が伝わるよう

装置を改造したのは誰だ?」

「俺が組員にやらせた。だから、俺だ」

「快眠3号を装着した者は、『殺人しろ』とスマホへ念じて、夢の中で見た対象人物の姿を見て、『あの人を』と念じると。すると、スマホのAIがその二つの情報から対象人物を特定して実際の映像をネットから引用、指示書として纏める。そういう仕掛けだということなんだね」

「そういうことだ」

「2044年12月に谷川スミレが殺害された事件と、2045年6月に霞レイジが殺害された事件は、お前の指示によるものということで間違いないな」

「そのとおりだ」

「谷川スミレとお前との接点は?」

「俺の知り合いの娘を虐めて死に追いやった女だ」

「最近の話か?」

「いや、随分前だが、思い出しちまってな。快眠3号の試しでやるならあの女かなって思ったまでだ」

「ふん。じゃあ霞レイジは?」

「谷川レイトから依頼を受けた」

「谷川スミレの夫か」

「そうだ」

「本当の仇はお前だと知らずにか」

「そういう事だ」

「いい死に方しねえな。お前」

「そうかね」

「ところで、2040年頃、梅田会の連中が何人も殺されてたが、そっちもお前の仕業だったのか?」

「知らねえよ」

「ま、ゆっくり調べるか」

 2046年8月 宇都宮

 今朝の味噌汁は何にすっかな。干瓢の卵とじかな。たまに無性に食べたくなるんだよな。無漂白の干瓢をサッと水洗いして、3センチくらいの長さに切ってと。無漂白なら下茹でがいらないから出汁がよく出るんだよな。これにごぼうのささがきを加えて煮てと。卵で閉じたら出来上がり、よし。それから、ナスを細かく切って塩振ってよく混ぜる。数分で浅漬けになるから、これを納豆に入れて食べよ。美味しいんだよなぁこれが。あとはフルーツ。桃の良いのが手に入ったからこれにしよう。桃はお尻みたいに線の入ったところに包丁を入れると、丁度種の合わせ目のところに当たるんだよな。このまま包丁を一周して、両手で優しくグルグル回せば取れる‥‥、取れなかった。うーん、初めから少しずらしたところに包丁を入れとけばよかったな。なんか、傷だらけになっちまったね。ごめんね桃くん。再びのグルグル‥‥っと、めでたく取れたね。あとはカットしてお終い。

「アスカちゃん、ご飯食べよ」

「ありがとう、いただきます。干瓢の卵とじ美味しいね」

「美味しいね。今日の予定ってどうなってたっけね」

「あたしはジムに行ってくる。アキラは研修行くんだよね。最終日だっけ?」

「そうなんだよ。中々厳しい研修だったけれど、色々勉強になって良かったよ」

 安倍アキラと寺野ヒカリは、株式会社トドロキの快眠3号によって、それぞれのスマホから殺害を指示するメールを送付させられていたが、自らの意思によるものでは無かったことから、殺人教唆の罪には問われなかった。但し、自らのAIをしっかり育成しなかった責任はあるとされ、AI法違反に基づき、正しいAIの育成方法について研修を受けさせられていたのだった。

「研修は3時くらいには終わるんだよね」

「その予定だよ」

「じゃあ、今夜は美味しいものを作って、乾杯しましょうね、研修終了を祝って」

「そうしよう」

「それにしても、快眠3号で見た夢がホントの殺しに繋がるなんて、怖いよね。首謀者捕まったんでしょ」

「なんか、ヤクザの親分だって。他の殺人も指示してて、無期懲役だってね。怖い人だね」

「そうだね、でも、虐待を受けた子供を保護したりもしてて、組員にもそうやって助けてもらった人がたくさんいるんだって。良い面もあるんだね」

「そうなんだ。良い人なんだったら、ヤクザなんかやめちまえば良いのにな」

「組、解散したんだって聞いたよ」

「へー。暴力団情報詳しくね?」

「へへへ。女子のネットワークはハンパないんだよ」

「ハハハ。じゃあ、研修行ってくんね」

「うん、行ってらっしゃい」


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