表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/17

聖女は守護騎士に翻弄される

 神殿の自室、ふかふかのクッションが並ぶソファに、私はぐったりと身を沈めた。


「はぁ……」


 思わずため息が漏れる。

 第二王子からの求婚。魔族の侵攻。聖女の役割ーー


「……そんなに王子との結婚が嫌でしたか?」


 不意に、低く甘い声が耳元で囁かれた。


「ひゃあっ!?」


 驚いて飛び上がると、すぐ後ろからクロヴィス様が私の顔を覗き込んでいた。


「もう、近いですよ!」

「失礼、つい」


 クロヴィス様は軽く肩をすくめると、優雅にソファに腰を下ろした。


「で、どうなさるのですか? 王子の求婚、お受けになるのですか?」

「う……」


 言葉に詰まった。

 もちろん、即答で「嫌です!」と言いたいところだったけれど、王国のことを考えれば簡単に否定できる話ではない。


「王国を守りたいという気持ちはあります。私が魔王の血筋だとしても、ここが私の育った場所ですから。でも……」


(そうしたら、もう、クロヴィス様とは……)


 続きは言葉にはできなかった。

 クロヴィス様は、そんな私の様子をじっと見つめ、ゆっくりと顔を近づけてきた。


「リリエル様……」

「は、はい?」

「私を捨てないでください……」

「え?」

「あなたの傍にいられるのは、私だけでいいでしょう?」

「え、ええっ!?」


 クロヴィスはしおらしく俯き、伏せた睫毛を揺らしながら続ける。


「リリエル様の輝きに魅せられたこの身を……どうか、捨てないで……」

「え、いや、その……」

「どうか、私を見捨てないと……今ここで誓ってください……!」


 ――なんか、すごくあざとい!!


 まるで芝居がかった台詞に、私は混乱しながらも、どこかドキドキしてしまう。


「そ、そんなことしなくても……クロヴィス様を捨てたりなんてしませんよ!」

「本当ですか?」


 クロヴィス様がすっと顔を上げ、涙目でじっと見つめてくる。


「……ずっと私のそばにいてくれるのですね?」

「えっ、そ、それは……」

「ずっと、ですよね?」

「え、えっと……はい……?」

「ふふ……」


 クロヴィス様の唇が、ゆっくりと微笑みの形を作る。


 ――なんだか、すごく嫌な予感がする。


 そう思った瞬間、クロヴィス様がするりと距離を詰めてきた。


「ずっと……私のそばにいるのですね」

「ひゃっ……!?」


 クロヴィス様の指が、私の頬をそっと撫でる。

 そして――


「なら、証を」


 彼の唇が、額に。


「ちょっ……!」


 頬に。


「ひゃんっ!?」


 髪に。


「ま、待って!? これ、思ってたのと違――」

「え? リリエル様が『ずっとそばにいる』とおっしゃったので……愛情の証を」

「なにそのシステム!?」


 クロヴィス様は困ったように微笑みながら、さらにキスの雨を降らせてくる。


「あっ、ちょ、そこは……! ひゃんっ、やめ……!」

「可愛らしいですね、リリエル様」


 どう見ても、泣いていたのはーー


「や、やっぱり演技ーーー!!」


 思いきりソファのクッションを投げつけると、クロヴィス様は軽やかに避け、ふっと真剣な顔を見せた。


「演技ではありませんよ」


 その声の響きが、いつもの軽やかさとは違った。


「私は生涯を通じて、リリエル様のお側におります」


 その言葉に、私の心臓が大きく跳ねる。


(……生涯を通じて?)


 聖杯が満たせない私でも?

 聖女で魔王の血筋の私でも?

 ずっと……?


「……クロヴィス様が、ずっと側にいてくれるなら……」

「なら?」

「わ、私……」


 心臓がうるさい。

 喉が渇く。声が震える。


「ふふ、続きを聞かせてください?」


 クロヴィス様が、まるで獲物を待ち構えるように笑う。

 その笑みが、少し揶揄いを含んでいるのに気がついた。


「やっぱり言いません!!」

「おや、それは残念です」

「……もう!」


 私は顔を真っ赤にしながら、クロヴィス様を睨んだ。

 けれどーーその瞳には、多分、どうしようもなく彼への想いが滲んでいたのだと思う。



   ◆



「まったく、クロヴィス様ってば……!」


 私は頬をぷくっと膨らませながら、ソファのクッションをぎゅっと抱きしめた。

 さっきまでのやり取りを思い出すだけで、顔が熱くなる。


(……生涯を通じて、私のそばにいる、かぁ……)


 まるでプロポーズのような言葉。

 ドキドキしながらクロヴィス様の横顔をちらりと盗み見ると、彼は何やら楽しそうな表情を浮かべていた。


「クロヴィス様、今なんか悪いこと考えてません?」

「そんなことありませんよ?」

「いや、めっちゃ悪い顔してます!」

「ふふ、では悪い顔ついでに……」


 クロヴィス様が私の手を取って口付ける。


「リリエル様を、攫わせていただきます」

「…………はい?」


 その瞬間、神殿をけたたましい鐘の音が駆け巡った。

 これはーー緊急事態を告げる鐘の音だ!


「聖女様をお守りしろ!」

「魔族だ!!」

「な、なに!?」


 窓の外で、怒号が響き渡る

 私はクロヴィス様と顔を見合わせた。


「魔族ですって……?」

「ええ、そうですね。」


 クロヴィス様は私の手を取ったまま微笑みながら立ち上がるとーー


「それでは、リリエル様……行きましょうか」

「え?」


 次の瞬間、ひょいっと私を抱き上げた。


「ちょっ……!? えええええ!?」

「王国などに渡しませんよ」


 そう囁いた瞬間、クロヴィス様の背中に大きな黒い翼が生え、艶やかな髪の中から二本の鋭い角が現れた。サラリと流れる銀の髪が襟足少し下まで伸び、妖艶さを増している。


「く、クロヴィス様!? それ……なに!?」

「ふふ、今更ですね」


 彼はにこりと笑いながら、窓際に立つ。


「私は、魔族ですよ?」

「うそーーーー!?」


 私の悲鳴に構うことなく、クロヴィス様は窓から大きく飛び上がった。



   ◆



「イヤああああーーーー!!」


 生まれて初めて、空を飛ぶことになった者の気持ちを考えて欲しい。

 まだ地面からそう遠く離れてはいないが、物見台くらいの高さに浮いており、足元には床がない。

 すでに大地が恋しい。でも下を見るのが怖い。


「ご無事で!?」

「お勤めご苦労様です!!」

「さあ、魔界(シャバ)に帰りやしょう!!」


 空中にぞろぞろと現れた魔族たちは、口々にクロヴィス様を歓迎していた。

 そして――クロヴィス様は、私を抱えたまま、高らかに宣言する。


「こちらは亡き魔王様のご令孫、リリエル様だ。次代の魔王となるお方だ。丁重にお迎えするように」


 ざわ……っと、魔族たちの間に衝撃が走る。


「え、えええええ!? ま、魔王様のゴレイソン……孫!?」

「次代の魔王……!?」


 神殿の人間たちも、こちらを見上げながら青ざめている。


「聖女様が、魔王の孫……!?」

「なんで聖女に!? 誰だ!? あんな奴を引き入れたのは!?」

「クロヴィス様が魔族だなんて!」

「でも、あのお姿もワイルドで素敵……」


「いや、そこ!?」


 最後に聞こえた、クロヴィス様に懸想していた聖女のセリフに思わずツッコむが、大事なのはそこではない。

 魔王の孫であることがバラされ、クロヴィス様の魔族姿も大勢に見られた。

 完全に外堀は埋められていた。


 クロヴィス様は満足そうに微笑んだ後、ふと表情を引き締める。


「……もう一つ、覚えておけ」

「へっ……?」


 魔族たちが一斉にクロヴィス様を見る。


「私以外の男がリリエル様に触れた場合は……」


 一瞬にしてその場が凍りついた。比喩ではなく。

 クロヴィス様が微笑みながら手を軽く振ると、地面がバリバリと凍り始める。地面だけではない。魔族の周囲の空気も凍り、ダイヤモンドダストが発生していた。

 その冷気は瞬く間に広がり、周囲の魔族と人間たちは息を呑んだ。


「ど、どうなるんでしょうか……?」


 魔族の一人が震えながら尋ねる。

 クロヴィス様は優雅に微笑んだまま――


「どうなるか、わかっているな?」


 冷たい氷のような視線を魔族たちに向けた。


「ひっ……!?」

「ぞ、存分にお気持ちは理解いたしました!!」

「絶対に触れません! 触れませんとも!!」

「むしろ見ません!! 目を伏せます!!」

「リリエル様はクロヴィス様以外、絶対に触れさせません!!」


 魔族たちは一斉に私たちから距離を取り、全力で敬意を示した。


「ちょっ……ちょっと!? 大げさじゃない!?」


 彼らの様子に慌てるが、クロヴィス様は満足そうに微笑んでいる。


「これで安心ですね」

「安心っていうか、完全に引かれてるんですけど!?」

「ふふ、さあ、行きましょうか」


 私の額に軽くキスを落とすと、クロヴィス様は軽やかに宙を舞った。


「これ、もう王国には絶対に戻れない……!」


 私の呟きは、クロヴィス様以外、誰にも届くことはなかった――。



   ◆



「ここが……?」


 森に隠された転移陣を抜けて魔界に戻った魔族一行は、すぐさま魔王城へと帰還した。

 クロヴィス様は私を抱えたまま、迷いのない足取りで、城の最奥の豪華な調度品で彩られた部屋に入る。


「こちらがリリエル様の私室です」

「えっ……すごく……好み……」


 淡いブルーと白を基調として、アクセントに上品な金細工が施された装飾。ふわふわのベッドに、可愛らしい家具たち。

 完全に私の好みど真ん中だ。思わずクロヴィス様の腕から降りて、部屋のあちこちを見て回ってしまった。


「あなたのために用意した部屋です。気に入っていただけたようで何より」

「はっ!そっ、そんなこと……!」


 喜ぶべきか、勝手にここまでされたことを怒るべきか。逡巡したその時――クロヴィス様がぐっと私の手を引いた。


「私があなたをお守りします」

「……え?」

「たとえ、王国を……世界を敵に回しても」


 囁くような声とともに、クロヴィス様の唇が私の指先に触れる。


「……っ!」

王子(あの野郎)に触れられた場所……全て上書きして差し上げます」

「あっ、ちょ……」


 指先から手首、肘、肩……クロヴィス様の唇が滑るように触れていく。


「やっ……やめ……!」

「まだ終わりませんよ」


 クロヴィス様の舌が、首筋をゆっくりと辿る。


「いや、そんなとこ触られてないですけどっ!?」


 ニッコリといい笑顔になるクロヴィス様。

 この顔、嫌な予感しかしない。


王子(あの野郎)と一緒にいた時の空気が触れた場所は、すべて上書きいたします」

「それ、触れてない場所なくない!?!?」

「魔王となるお方に、敵国の男と同じ空気が触れていたなんて、許し難い」

「いやだから、魔王になりたくないんですけど!!」


 必死に訴える私に、クロヴィス様の笑顔がニヤリと悪いものに変わった。


「そんなこと、言っていられるのも今のうちですよ」

「え?」


 彼の指が、そっと私の頬をなぞる。


「魔界に来たばかりで、まだこちらの魔素に身体が馴染んでいないでしょう?」

「えっ……?」


 クロヴィス様が言った途端ーー視界がぐにゃりと歪んだ。

 全身が、ひどく怠い。思わず目の前のソファに倒れ込む。

 心臓がどくどくと波打ち、頭がぼんやりとしてくる。


「さあ、まずは魔界の魔素に身体を慣らしましょうね」

「……え?」


 クロヴィス様が、ゆっくりと舌なめずりをする。

 なんだか、とても嫌な予感がする。


「う、嘘っ!? ま、待って、ちょっと待って!!」


 彼は優雅に私の上に覆い被さってきた。


「さあ、お覚悟を……」

「うそっ!? あっあ~~~~~~!!!」


 こうして、私の魔界生活(とクロヴィス様の溺愛)は幕を開けたのだった――。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


次話『魔王は世界を平和に導く』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ