聖女の甘美な血は守護騎士を狂わせる(後編)
本日2話目の更新です。
先に『聖女の甘美な血は守護騎士を狂わせる(前編)』をお読みください。
「……魔王?」
私は、クロヴィス様の言葉を理解できなかった。
ここは神殿の馬車の中。外の喧騒から切り離された、静寂な空間。
クロヴィス様は、私の手を優しく包み込んだまま、恍惚とした表情で見つめてくる。
「あの、クロヴィス様?今、なんて――」
「新たな魔王となるお方」
クロヴィス様は繰り返す。その声音は甘く、祈りのようにさえ聞こえた。
「あなたの血を口にした瞬間、確信しました。間違いありません……リリエル様、あなたは偉大なる魔王の血を引くお方です」
「……な、にを……言っているんですか?」
クロヴィス様の言葉は、まるで冗談のようで、けれど彼の瞳には一片の迷いもなかった。
「私が、魔王の……血?」
私は自分の手を見下ろす。先ほどまでクロヴィス様が舐めていた場所に、血の痕がわずかに残っていた。
この血が、魔王のものだと言うの?
――そんな、馬鹿な。
「やめてください。冗談を言うにしても、悪趣味すぎます……」
震える声で言うと、クロヴィス様は目を細めて微笑んだ。
「冗談?いいえ、リリエル様。私は何よりも敬虔な気持ちであなたに仕えております。あなたに偽りなど、言うはずもない」
そう言いながら、クロヴィス様は私の手を取り、再び唇を寄せる。
「っ……!」
柔らかな唇が、今度は手の甲に触れた。
「魔王の血を引くあなたは、我が忠誠を捧げるに相応しいお方……」
囁きながら、彼はゆっくりと唇を這わせる。
ゾクリと背筋を駆け抜ける甘い痺れに、思わず肩を震わせた。
「魔王の……血を引く……?」
まるで現実感のない言葉が、口からこぼれる。
「そんなはず、ありません……。私は、ただの落ちこぼれ聖女です……」
「いいえ、リリエル様」
クロヴィス様は穏やかに首を振る。
「あなたこそ、亡き魔王様のご令孫。魔王の直系に連なる、唯一の御方なのです」
「そんな……!」
私は思わず後ずさった。
魔王の孫?直系?それが、私?
「証拠なら、いくらでもあります」
クロヴィス様の指が、そっと私の喉元に触れた。
「あなたは何故、聖女になったのですか?聖女は尊ばれる存在とはいえ、魔力を搾取され、負荷の高い仕事。決して喜んで差し出すご両親は多くないはずです」
ヒュッと喉が鳴った。
私の魔力が人よりかなり多いとわかった時、両親は嬉々として神殿に連れて行った。嫌だと泣き叫ぶ私を置いて、大きな袋を大事そうに抱えて去って行った。振り返ることもなく。
「他にも、あなたの魔力」
「魔力……?」
「リリエル様の魔力は、他のどの聖女とも違います。そうでしょう?」
確かに、私は聖杯に祈りを捧げても、満たすことができない。
それどころか、私が触れた聖具は時折、輝きを失うことすらある。
「力が弱いからではありません。あなたが持つ力が、聖女のそれとは根本的に異なるからです」
クロヴィス様は、私の手を取り、そっと指を絡ませる。
「あなたが持つのは、聖女の力ではなく――魔王の力」
「っ……」
「そして、亡き魔王は死の間際に、こう遺しました」
クロヴィス様の瞳が、熱を帯びる。
「『この世に我が血を継ぐ者あり。いつか、我が後継者は目覚め、再び世界を支配するだろう』と」
「ま、待って……!」
頭がついていかない。
「私、そんな……魔王になんて、なりません!!」
「ええ、今はそう仰るでしょう」
クロヴィス様は、優雅に微笑んだ。
「ですが、ご安心ください。私がすべてお支えいたしますから」
「ち、違います! 私、本当に……!」
「ええ、ええ」
クロヴィス様は頷くが、まるで私の言葉など意味をなさないと言わんばかりだった。
「どう抗おうと、あなたの血はそれを許さない」
クロヴィス様は、私の髪をそっとすくい上げる。
「いずれ、あなたはその運命を受け入れるでしょう」
「絶対になりません!」
私が声を荒げると、クロヴィス様は少し目を細めた。
「……リリエル様」
クロヴィス様は、再び私の腕に舌を這わせた。
「んっ……!」
熱く、湿った感触が腕を伝っていく。
まるで、血の一滴も余さず味わおうとするように、クロヴィス様の舌が、傷口から新たに零れた私の血を丁寧に舐め取っていく。
「クロヴィス……様……?」
私の声は、震えていた。
ーーこれは、何?
今まで見せていた優雅な守護騎士の姿はどこへいったの?
「あなたは、私の全てです、リリエル様」
クロヴィス様は、私の手を握りしめる。
「あなたの存在こそ、私が生きる理由……」
狂気にも似た愛おしさが、クロヴィス様の瞳に宿っていた。
その瞳に捕らえられたまま、私は言葉を失った。
「……私は、あなたを、新たな魔王としてお支えいたします」
クロヴィス様は、そっと私の頬を撫でた。
「ですから、どうか……私を拒まないでくださいね?」
優しい声音の裏に、絶対に逃がさないという執着が滲んでいた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次話『私は魔王になんて絶対ならない!……はずなのに』